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第一部 ワガママ王女との対面

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 訳の分からない憎まれ口を叩くティアだけれど、表情筋は相も変わらず動かない。

 けれど、内心ティアは、とてもとても困っていた。

 じわりと湧き上がった暖かいものが、いつまで経っても消えてくれないのだ。
 それどころか、どんどん溢れてくる。それに合わせて鼓動までもが何故だか早くなる。

 こんなことは生まれて初めてだった。自分の感情なのに、持て余してしまうなんて。
 なんだろう、この気持ち。……とっても、気持ち悪い。

 恋愛に興味を示さなかったティアは知らないけれど、それが恋というものなのだ。

 けれど、そんな単純で複雑なことを知らないティアは、制御できない気持ちに苛立ち、ここがどんな場であるかをついつい忘れてしまい……思わずしかめっ面をしてしまった。

 当然ながら、ノハエはそれをしっかりと見てしまった。
 途端に、キッと鋭くティアを睨みつける。

「なんですか、その顔はっ。だいたい、あなたは一体、何様なんですかっ!?王女を目の前にして、礼の一つも取らないなんて無礼にもほどがありま───」

 ───パチン。

 ティアに詰め寄ろうとするノハエを制するかのように、王女が手にしていた扇を閉じた。

「ノハエ、うるさい」

 それは女性特有の艶のある声なのに、妙に威厳と落ち着きを加えたものだった。

 これまでずっと傍観していた王女が、ここにきて初めて口を開いたのだ。
 そして、その短い言葉だけで、この部屋の空気は一変した。

「礼などいらぬわ。それに、わらわはこの娘を気に入った。よう見てみろ、このくりりとした眼。18歳であるのに、このあどけなさ。まるで生きた人形のようじゃ。それに、わらわが10歳の時に生き別れたリスのピソによう似ておる。まるで生き写しじゃ。……ほれ、娘。こっちにこい。クルミが好きか?それとも、どんぐりが良いか?」

 ちょいちょいと扇を揺らしながらそんなことを言う、王女に向かって、ティアは心の中で舌打ちした。

 ティアはクルミが好きでもなければ、どんぐりなど人生で一度も口にしたことが無い。
 ましてや、リスの代わりにされたことも無い。
 
 口を開くことが躊躇われる空気の中、せめてもの抵抗で、ティアはぐっと両足を踏ん張り、何が何でもそっちには行かないという意志だけをみせる。

「……え?……18?嘘だろう」

 グレンシスの小声だが、しっかりと驚愕を感じ取れる声が、ティアの元に届く。

 今、気にするところは、そこではない。
 それと、この騎士様の驚きぶりを見て、自分は一体幾つに見えていたのだろうかと、ティアはふと疑問を抱く。

「アジェーリアさま、お戯れはおやめくださいっ。今はペットの話をしているのではありませんっ」

 ティアのふっと浮かんだ疑問は、ノハエの一括で、塵となってしまった。

 顔を真っ赤にして、アジェーリアに憤慨するノハエと、食い入るようにティアを見つめるグレンシス。
 そして、生まれて初めて他者から見た自分の年齢を気にし始めるティア。

 さまざまな思考が交差して、ここは目には見えないがカオス状態だ。

 そんな収拾がつかなくなりそうなこの状況で、最初に声を上げたのはアジェーリアだった。

「うるさい、うるさい。わらわは、この娘が気に入った。間者であろうがかまわん。が、ノハエがそれ程、気掛かりなら、わらわがこの娘が無害であることを証明してみせるわっ」

 勢いよく立ち上がったアジェーリアは、そのままゴミを放るように手にしていた扇を放り投げた。

 そして、投げ捨てた王女の扇を床に落とさず華麗にキャッチするノハエ。

 ティアが思わずナイスキャッチと思わず呟きそうになった瞬間、グレンシスの叫び声が部屋に響く。

「おやめください、王女。ティアには、あまりにもむごすぎますっ」

 今まで見たこともない程慌てた様子のグレンシス。
 
 それとは何?そんなことを思った瞬間、ティアはびっくりして、目を見開く。
 瞬きをする間に王女が目の前に現れたのだ。

「娘、悪く思うでないぞ」

 アジェーリアは、短く断ってティアの腕を掴む。

「は?うわぁっ───………へ?」

 間抜けな声を上げたと共に、なぜか天井が視界に入った。

 柔らかい幾何学模様を組み合わせた花柄が、素晴らしいと思った。
 そしてぎょっとした表情を浮かべるノハエと、こちらに駆け寄ろうとするグレンシス。

 一瞬のうちにそんなものが視界に飛び込んで来て驚く間もなく、今度はドシンと背中に衝撃を覚えた。

 ゆっくりと数えて5つ。それから瞬きを2回してから、ようやっとティアは王女の手によってひっくり返ったことを知る。

 幸い床は足首まで埋まるふかふかの絨毯なので、衝撃も痛みも無い。
 
 ティアは、再び、ゆっくりと瞬きをする。

 少なくとも、出会って数分で床にたたきつけられる経験は、これが初めてだったので、例のごとく、思考が付いて行かないのだ。

「ノハエ、どうじゃ?このひっくり返った無様な姿を。例え、この娘が間者であったとしても、このざまでは……な?」

 その言葉で、ようやっとティアはこんなことをした王女の意図がわかった。

 王女は、自身が身に付けた護身術で、ティアが間者でないことを証明してくれたのだ。

 でも、ティアにとっては、とても、とても、とぉーっても、ありがたくはなかった。
 小さな親切大きなナントカだと思いながら、天上人に向かって眉間に皺を寄せる。

「……さ、さようでございますね」

 若干、頬を引きつらせながら、そう言ったノハエの言葉で、もうこの侍女が、王女の説得を諦めてしまったことにも、ティアは気付いてしまう。

 ちなみにグレンシスは片手を覆って顔を背けている。
 色んな意味で、現実を受け入れたくはないのだろう。

 さて、このウィリスタリア国第四王女であるアジェーリアは、今年で御年17。ティアより一つ年下である。

 そして歴代の王女の中でも、類を見ない美貌の持ち主。
 ただ、歴代の王女の中でも、類を見ないお転婆娘でもあった。

 国内外に決して公表できることではないが、アジェーリアは5歳の頃から乗馬を嗜み、護身術と称して体術と剣術を学んできた。

 自他ともに認めるワガママで飽きっぽい性格のはずなのに、鍛錬だけは一日も欠かすことがなかった。
 そんな長年積み重ねてきた腕前は、かなりのもので、ついたあだ名な、黒曜の暴れ馬。 

 ちなみに、グレンシスが王女の伝令役という名のお目付け役でいるのは、その顔の良さでで選ばれたわけではない。
 
 身分の上下に関わらず、歯に衣着せぬ物言いができることと、今や、アジェーリアと対等に武芸で渡り合えるのは、グレンシスとバザロフしかいなかったからであった。

 そんなアジェーリアは、これで一件落着といった感じで、優雅に椅子に戻る。
 そして、これまた優雅に着席し、ティアに茶目っ気ある視線を向けた。

「娘、いつまで寝っ転がっておるのじゃ?ふふっ、そんなにここが気に入ったのなら、出立までここ過ごすか?」

 その言葉で、ティアは自力でむくりと起き上がる。
 
 次いで王女にむかって、全身全霊、嫌という意志を込めて、ふるふると首を横に振った。

 そうしながら、流されるまま、王女の供を引き受けてしまったけれど、ここで初めて後悔という念がティアに生まれてしまった。
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