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第二部 陛下の命令

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 ティアが頷いた後、部屋は沈黙に包まれる。

 とはいえグレンシスもバザロフも一通りの説明をしたので、これ以上、ティアにかける言葉が見つからなかった。
 
 ただ一つわかるのは、ティアには考える時間が必要だということ。

「───……では、儂は一旦、城に戻るとしよう」

 後のことは部下に任せることにしたバザロフは、そう言って立ち上がった。

 ただ部下であるグレンシスをチラリと見て、「不健全性的行為は禁止」と目で訴える。

 対してグレンシスは、素直に頷けば良いものを、無駄に真面目な性格が邪魔をして、曖昧に頷く。不健全の境界線がわからないので。

 そうすれば沈黙とは違う変な空気が、二人の間に流れる。
 
「グレン、マダムローズから預かっていることを忘れるなよ」

 グレンシスだけに聞こえる低い声でバザロフは、そう囁くと廊下に出る。

 そして後を追うように、ティアとグレンシスはバザロフを玄関まで見送った。 





 何かあったらいつでも連絡しなさいという言葉を残してバザロフが去った後、ティアは玄関ホールで佇んでいる、これからどうすれば良いのかわからなくて。

 具体的に言うと、王様と会う云々の前に、今宵一晩、自分がどこで過ごせば良いのかわからないのだ。

 ───けれど、それは僅かな間だった。

「ティア、部屋に戻ろう」

 グレンシスは当然のようにそう言って、瞬きを繰り返すティアの手を取り、歩き始めた。





「……ここですか?」
「ああ。お前の部屋だからな」

 躊躇いながら部屋に足を踏み入れたティアとは対象的に、グレンシスは至極当然といった感じで頷いた。

 もちろんグレンシスが案内したのは、療養中、ティアが過ごした部屋。
 なんとなくティアもここだとわかっていた。けれど、戸惑いが隠せない。

 なぜなら、まるで昨日まで過ごしていたかのように綺麗に整えられているから。
 そして部屋に入った途端、無意識に『ただいま』と呟いてしまいそうになったから。

 否定したくてもできない懐かしい空気の中、グレンシスが毎日腰かけていた一人掛けの大きな椅子もそのままであることに気付く。
 そして、その椅子のクッション部分は少し凹んでいる。

 ついさっきまで誰かが座っていたかのように。 
 
 ここでティアは、まるでこれまでグレンシスに会っていなかった時間だけが斬り捨てられてしまったような不思議な感覚に包まれた。

 もちろん、互いに別々の時間を過ごしたことは真実で。

 そして、ロハン邸で過ごした時間を全てを過去にして、ティアは今後グレンシスと会うつもりが無かったことも本当で。

 つまり、この展開について、自分の感情が追いついていないのだ。

 でも今更、未練がましく引きずっている気持ちなんて、もう綺麗さっぱり消えてしまっているという顔なんてしても無意味だろう。

 今、隣にいる騎士様は絶対に見抜く。いや、既に見抜いているはずだ。

「ところでティア、飯はまだか?」

 部屋を見つめながら悶々と考えていたティアに、グレンシスが軽い口調で問いかけた。

「あ、はい。食べました」

 色々考えたいことがあるティアは、面倒くさいので適当な嘘を吐く。ついでに言うと、胸もいっぱいなので、入る隙間はなさそうだ。

 だが、すぐさまグレンシスの眉間に皺が寄った。

「嘘を付くな。どうせ食べたとしても、適当なものだろう。丁度いい、俺もまだだ。一緒に食べるぞ」

 有無を言わさぬ口調に、ティアはぐぅっと小さく唸り声を上げた。
 
 それは嘘を見透かされたことに対しての不満であったのだけれど、グレンシスには違う意味にとれた。

「ここにいるのは嫌か?」
「い、嫌じゃないです」

 びっくりするほどグレンシスが悲しげな表情をしたので、ティアは慌てて首を横に振った。

「なら、今はそれで十分だ」

 ほっとしたように肩の力を抜いたグレンシスは、ティアに一歩近づいた。

 そして膝を折り、ティアと目を合わせる。

「突然のことで混乱していると思うし、あんな別れかたをしたんだ。お前が居心地悪さを感じるのは仕方ないと思っている。……ただ、ここはお前にとって、甘やかす場所だ。それを忘れないでくれ。それと、俺もひとつお前にワガママを言いたいんだが?」
「ど、どうぞ」

 でも、頷くかどうかは内容による。

 そんな意味を込めて目で訴えれば、グレンシスは真摯な表情で口を開く。

「どうにもならなくなったら、まず最初に俺を頼ってくれ。それが俺の願いだ」

 それは誰かに甘えることが不得意なティアにとって、なかなか難しいお願い。けれど、全力で頷きたくなる自分がいるのも本当の気持ちだった。

 ティアはもう気付いている。
 勝手に始めた恋が、既に形を変えてしまっていることを。そしてもう自分が戻れない位置に立っていることを。

 だからティアは勇気を出してグレンシスの袖を掴んで、小さなお願いをしてみる。

「桃の宝石箱……メゾンプレザンに置いてきたままで……でも、あれは、ここに置きたいんです」

 いじらしいティアの甘えに、グレンシスはバザロフから忠告を受けた事など、一瞬吹き飛んでしまった。

「くそっ……お前、それを今言うか?」

 呆れた口調に驚いて見上げれば、ほんのりと頬を赤くしたグレンシスと目が合った。

「この部屋で何をしたかわかってて、そういうことを言うんだな?」
「……」

 あっ、と声を上げなかったティアは大変、利口であった。

 そりゃあティアだって覚えている。
 はしたなくもグレンシスの指に唇を当てたことも、吐息交じりに囁かれた言葉も、重なった影の形すら。

 そしてどうやら自分は知らず知らずのうちに、グレンシスの心の中にある何かを刺激してしまったことに気づく。

 今更ながら、二人の気持ちが想いあっていることも。

 もちろんティアは、そっとグレンシスから視線をずらして距離を取る。

「───……クマに感謝しとけ」
「へ?」

 間抜けな声を上げたと同時に、頭のてっぺんに柔らかい何かが落ちてくる。

 びっくりして顔を上げれば、いつの間にかグレンシスがすぐ傍にいた。どうして?と聞きたくなるくらい優しい笑みを浮かべて。

 だがすぐにグレンシスは、恥ずかしくも歯痒くも感じる表情に変えて、ぷいっと横を向く。

「俺は縫いぐるみに見られながら、どうこうするような趣味は持ってないからな」

 今、グレンシスはちょっとだけ、自分を偽った。
 クマがいようがいまいが、そこそこのことはした過去を持っているのに。

 そしてそのことをティアに気付かれる前に、慌てて口を開いた。

「俺は着替えてくる。お前は、適当にくつろいでいろ。ただし、寝るなよ」

 急に横柄な口調に変えて、グレンシスは足早に部屋を出て行った。





 一人部屋に残されたティアは、色々考えなければならないことがあった。

 ……けれど、一先ずベッドによじ登り、心なしかドヤ顔を決めた大小のクマをぎゅぅっと抱きしめて感謝の念を贈った。 

 そして、今日決めたことは翌朝になっても気持ちが変わらなければ、グレンシスに伝えよう───そう思って、全てを翌朝の自分に託すことにした。
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