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断罪される前世の殺人者と、婚約者の選択③
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フローレンスが住まうルグタニア国は、王族を筆頭とする厳格な階級社会だ。そして公爵家は王族の血を受け継ぐ貴族の頂点であり、伯爵家は格下である。
それはこの国に住まう者なら誰しもがわかっていることで、無論、平民出身のリコッタでも知っている。
「もう一度言います。私の婚約者に随分なことをしてくれましたね」
感情を乗せない声でそう言ったラヴィエルは、順繰りに両親とリコッタを見た。
次いで、己の腕の中にいるフローレンスの腕をそっと撫でた。奇しくもそこは、つい先ほどリコッタに爪を立てられた場所だった。
「……痛かっただろうに」
そう言いながらラヴィエルは、向こうにいる両親達に気付かれぬようフローレンスの痛めた個所を強く押す。
「痛っ」
つい顔を顰めてしまった途端、ラヴィエルは憂えた表情を浮かべる。
「ああ、すまない。……少し触れただけでもこんなに痛むなんて……」
「……なっ」
「そう、怒らないでくれ。婚約者殿」
わざと痛めつけるようなことをしたくせに、ラヴィエルは心から申し訳なさそうな顔をする。
(この人は、本当に良い性格をしていらっしゃる!)
もちろんフローレンスはわかっている。これがリコッタ達を追い詰めるための演技だとは。
でも、自分の力だけでリコッタに復讐をしたかったのに、一番の見せ場をラヴィエルに奪われてしまったようで気分的には面白くはない。
(だからといって、わたくしは舞台から降りるつもりはないっ。二度目の生を全て捧げたこの復讐劇は絶対に成功させてみせる)
そんな気持ちでフローレンスは未だ自分の傷に触れているラヴィエルの手に己の手を静かに重ねた。
「怒ってはおりませんわ。……少し、驚いただけです」
はにかんだ笑みを浮かべてはいるが、軽く彼の手をひっかくくらいは許して欲しい。どうせ手袋をはめているのだ。大して痛くはないだろう。
「そうか、良かった。安心した。私にとって一番怖いのは婚約者殿に嫌われることだからね」
案の定、いけしゃあしゃあとそんなことを言うラヴィエルは、まるで飼いたての子猫に爪をあてられたような顔だった。
しかし、そんなとろけるような表情は視線を変えた瞬間、一変する。
「アールベン殿、今の会話を聞いておられましたか?」
底冷えするような眼差しと共に意図の見えない質問を受けたアールベンは、とりあえず小刻みに何度も首を縦に動かす。
「も、もちろんでございます」
「そうですか。あと確認ですが、フローレンス嬢は正式な書類を交わした私の婚約者で間違いないですよね?」
「さようでございます。書類は一切不備はございません」
「なるほど。ちなみにこの国の法律は、正式に婚約をした時点で妻となる令嬢は所定の手続きを取れば挙式前でも男性側の家に属することができるのはご存知でしょうか?」
「は、はいっ。存じ上げております」
格下の伯爵家は、公爵家当主の問いかけに否定する権利はない。
だからアールベンは、とにかくこれ以上この場の空気を悪くしたくない一心で深く考えずにラヴィエルの質問を肯定していく。けれども、
「あなたっ」
悲鳴に近いヴェラッザの声で、アールベンは我に返った。
そして自分が取り返しのつかない返答をしてしまったことに気付いて訂正をしようとしたが、その前にラヴィエルが口を開く。
「ほぅ、知っておられましたか。これは驚きです。おみそれしました」
顎に手を当てながら眉を上げるラヴィエルだが、彼がわざとらしい演技をしていることは一目瞭然だった。
そして小芝居を終わらせた彼は、別人のような表情になる。
「なら驚かせていただいたお礼に、わたくしも一つお知らせが。恥ずかしながら、私はどうもせっかちな性格で……実は既にフローレンス嬢は私の家に属しています」
「……っ」
(う、嘘!?)
こればっかりは驚愕せずにはいられない。
フローレンスはここが舞台というのを忘れ、ぎょっとした表情でラヴィエルを見る。
ばっちり視線を合わせてくれた婚約者は、悪びれる様子も無くからりと笑った。
「ああ、しまった。独占欲を丸出しにしてしまった私は、婚約者に嫌われてしまうかな?」
”嫌い”と絶対に言われることは無いと確信を持っているラヴィエルの表情は、憎らしいほど魅力的なものだった。
それはこの国に住まう者なら誰しもがわかっていることで、無論、平民出身のリコッタでも知っている。
「もう一度言います。私の婚約者に随分なことをしてくれましたね」
感情を乗せない声でそう言ったラヴィエルは、順繰りに両親とリコッタを見た。
次いで、己の腕の中にいるフローレンスの腕をそっと撫でた。奇しくもそこは、つい先ほどリコッタに爪を立てられた場所だった。
「……痛かっただろうに」
そう言いながらラヴィエルは、向こうにいる両親達に気付かれぬようフローレンスの痛めた個所を強く押す。
「痛っ」
つい顔を顰めてしまった途端、ラヴィエルは憂えた表情を浮かべる。
「ああ、すまない。……少し触れただけでもこんなに痛むなんて……」
「……なっ」
「そう、怒らないでくれ。婚約者殿」
わざと痛めつけるようなことをしたくせに、ラヴィエルは心から申し訳なさそうな顔をする。
(この人は、本当に良い性格をしていらっしゃる!)
もちろんフローレンスはわかっている。これがリコッタ達を追い詰めるための演技だとは。
でも、自分の力だけでリコッタに復讐をしたかったのに、一番の見せ場をラヴィエルに奪われてしまったようで気分的には面白くはない。
(だからといって、わたくしは舞台から降りるつもりはないっ。二度目の生を全て捧げたこの復讐劇は絶対に成功させてみせる)
そんな気持ちでフローレンスは未だ自分の傷に触れているラヴィエルの手に己の手を静かに重ねた。
「怒ってはおりませんわ。……少し、驚いただけです」
はにかんだ笑みを浮かべてはいるが、軽く彼の手をひっかくくらいは許して欲しい。どうせ手袋をはめているのだ。大して痛くはないだろう。
「そうか、良かった。安心した。私にとって一番怖いのは婚約者殿に嫌われることだからね」
案の定、いけしゃあしゃあとそんなことを言うラヴィエルは、まるで飼いたての子猫に爪をあてられたような顔だった。
しかし、そんなとろけるような表情は視線を変えた瞬間、一変する。
「アールベン殿、今の会話を聞いておられましたか?」
底冷えするような眼差しと共に意図の見えない質問を受けたアールベンは、とりあえず小刻みに何度も首を縦に動かす。
「も、もちろんでございます」
「そうですか。あと確認ですが、フローレンス嬢は正式な書類を交わした私の婚約者で間違いないですよね?」
「さようでございます。書類は一切不備はございません」
「なるほど。ちなみにこの国の法律は、正式に婚約をした時点で妻となる令嬢は所定の手続きを取れば挙式前でも男性側の家に属することができるのはご存知でしょうか?」
「は、はいっ。存じ上げております」
格下の伯爵家は、公爵家当主の問いかけに否定する権利はない。
だからアールベンは、とにかくこれ以上この場の空気を悪くしたくない一心で深く考えずにラヴィエルの質問を肯定していく。けれども、
「あなたっ」
悲鳴に近いヴェラッザの声で、アールベンは我に返った。
そして自分が取り返しのつかない返答をしてしまったことに気付いて訂正をしようとしたが、その前にラヴィエルが口を開く。
「ほぅ、知っておられましたか。これは驚きです。おみそれしました」
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