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35話

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進水式は、船を初めて海上に浮かべる時に行うもので、新たな船の誕生を祝う式典だ。
その歴史は古く、ロベルティア王国が建国されるより遥か昔の時代から、新船しんせんの進水時には、何らかの儀式が執り行われていたという。
現在では、儀式的な側面はかなり薄れて、市民のためのお祭りのようなものになっており、進水式を楽しみにしているラオネスの民は少なくないようだ。
特に、華やかなことを好む豪商が出資している大型商船となると、式典も盛大なものになり、造船場をあげてのお祭り騒ぎになると聞いている。
そして今回。僕が乗らせてもらった大型船は、北方への貿易強化を目的に造られたもので、王国を筆頭に、いくつかの有力商人が共同出資して、大きなプロジェクトになっていた。
その上、久しぶりの国王による命令での造船である。

つまり、僕が出席する進水式は、ものすごく大規模なものになるってこと!

「思った以上に、人が多いね!」

僕は胸を弾ませながら、隣にいるフレデリクに話しかけた。
今日は、ずっと楽しみにしていた進水式。
僕たちが立っているのは、造船場にある野外式場の賓客エリアだ。
式場入りするのは、もう少し遅い時間でもよかったのだけど、わくわくしすぎて早く来てしまった。

「ここまで盛大な催しだとは思いませんでしたね」
「うんうんっ。兄上から楽しいお祭りって聞いてたけど、こんなに人が参加するなんて!!」

太陽がまぶしい晴天のもとに、あらゆる身分の老若男女が大勢あつまり、新船の進水を今か今かと待ち望んでいる。
式場に入りきらず、道をふさぐ勢いでつめかけている人々の様子は、それだけでも圧巻の光景だ。
盛りあげ役の楽団に、吟遊詩人や大道芸人らしき人も見えて、式典への期待がどんどん高まっていく。
ここからはよく見えないが、沢山の露店も並んでいるらしく、お店の人の掛け声が聞こえてきていて、王子じゃなかったら、すぐにでも見て回りたい気分にさせてくれた。

前に来た時と造船場の雰囲気が全く違うから、別の場所に来たみたいだなぁ~!

大きなお祭りを前に人々が高揚しているのが、ひしひしと伝わってくる。

これだよこれっ! この雰囲気が好きなんだよっ!!
みんな、すごく楽しそうな顔をしてるし!!!
王都の剣術大会でもそうだったけど、すっごく心が躍るんだよね~!!!!

「進水って、沢山の人を船に乗せてするんだねっ」
「私も初めて知りました。人が乗っているのには驚きましたが、華やかな演出ですね」
「うんうんっ。船もすごくきれいに飾りつけがされてるし、見応えがあるね!!」

式場のど真ん中。
沢山の人に囲まれた進水用の人工浜に、堂々とした姿を見せているのは、全長三十メートルの大型船。
丸太を利用した可動式の船台に乗せられたそれは、連結マストや帆、縄具などはまだ装着されていないものの、色鮮やかな布飾りで船全体が彩られている。
そして、広い甲板には数多の人が乗って、笑顔を見せていた。

「ふふっ。お祭りって本当に最高っ!」

布飾りと人々の笑顔でにぎやかな船を見上げながら、僕はフレデリクの腕をぎゅっとつかんだ。

「そういえば、テオドール様の御挨拶を、クロード様が切望していらっしゃいましたが。結局、お断りされたのですか?」
「あー……うん……」

僕の声は急激に小さくなった。
式典の開式時に挨拶をしてほしいと、何度も兄に頼まれていたのだけれど、僕はめちゃくちゃ丁重にお断りしていた。

だって、どう見たって場違いじゃんっ!!
北方貿易を本格的に推し進めようとしてる錚々そうそうたるメンバーの中で僕が挨拶って、おかしいでしょっ!?

「何で僕が挨拶を求められたのか分かんなくって。兄上がものすごい勢いで頼んでくるから、困っちゃったよ」
「進水式を無事に開催できたのは、テオドール様のおかげですからね。式典の主役に、御挨拶をしていただきたかったのではないでしょうか」
「主役っ!? いやいやいやっ! 僕は嫌がらせを終わらせたくて、ちょっと兄上に協力しただけだよっ。進水式とは、また別の話だって!」

僕がぶんぶんと首を横にふると、フレデリクが頬を緩めた。

「第三王子殿下が知略をめぐらせて、兄君をお救いになったという話は、ラオネスの隅々にまで行き渡っておりますよ。民の間では、その話でもちきりだとか」
「ええっ!? 知略って……」

フレデリクのとんでもない話に、僕は頭を抱えたくなった。

「大げさになりすぎてるよ……」

バッツィーニ風に言うと、噂にとんでもない尾ひれがついて、大魚になってるってやつだ。

「私は大げさだとは思いませんよ。テオドール様の素晴らしい発想力で、悪人を捕らえることができたのは事実です。全てはあなた様のおかげだと、クロード様も周囲の方々に自慢しておられますしね」
「うう……兄上まで……っ」
「今日は第三王子殿下のお姿を少しでも拝見したいと、式典に足を運んでいる民も多いのではないでしょうか」
「そんなぁ!!」

何だか……大魚どころじゃないレベルで、話が大きくなってない?

まるで、悪漢どもを打ち倒した英雄のような触れ込みではないか。

こうなってくると……まさか、不意打ちで挨拶をふられることはないよね?
そんなの、絶対に無理だからっ!

なんて、不安を覚えていると、兄がローランや共同出資をしている商人たちと共に、大所帯でこちらにやってきた。

「兄上っ! おはようございます!!」
「おはよう、テオ。随分と早い時間に来てたんだね。迎えに行こうとしたら、もう出発したって言われて驚いたよ」
「初めての進水式ですからね! 朝からそわそわしちゃって、待ちきれませんでしたっ」

僕がピカピカの笑顔を向けると、兄が嬉しそうにアメジストの目を細めた。

「初の式典が盛大なもので、ちょうどよかったよ。ここまで大規模なものは久しぶりだからね。勅令ちょくれいでの造船だったから、気合いが入っているんだよ」

勅令とは、国王が直々に発した命令のことだ。

「立派な船が無事に進水を迎えた上に、こんなに式典が盛りあがりを見せるなんて。父上が耳にされたら、お喜びになるでしょうね!」
「そうだね」
「あっ! いいことを思いつきましたよ、兄上っ! 今日のことは、僕がしっかりと父上に書簡でお伝えしておきますっ。素晴らしい式典の様子と、頼もしい領主の魅力について、たっぷりと書いておきますからね!」

満足気に頷きながら良案を口にすると、兄は楽しそうに笑った。

「それなら、テオがラオネスで大活躍してることを書かないと」
「兄上~。僕は活躍なんかしてませんって。フレデリクから聞きましたよ。僕のことを大げさに膨らませて、お話しになってるでしょう? ラオネスの人たちが勘違いしちゃうじゃないですか」
「大げさじゃないよ。ちゃんと事実をありのままに広げてるから。今日も共同出資の皆と、テオの魅力について話してたんだ」

んんっ!? 僕の魅力って何さ!?!?

「今日はテオと会いたいって言ってた人が、身分を問わず沢山いたよ。人気者だね」
「い、いや、そんな――」

いつになく持ち上げられて、だんだん恥ずかしくなってくる。
そして、抱いている不安も大きくなっていく。

「あの……念のためにもう一度確認しておきたいのですが、式典での挨拶はなしでいいんですよね……?」
「うん。挨拶『は』ないよ!」
「……ん?」

笑顔で『は』を強調してくる兄に、嫌な予感が猛烈にわいてくる。

「挨拶の代わりにね、テオには進水前の儀式を担当してもらおうと思って」
「ぎ、儀式……?」

何だか、ありえない方向に話が進んでいるような気がして、ゾッとする。

「最近の進水式は、ほとんどお祭りのようなものなんだけど、少しだけ昔の儀式的な要素が残っているんだ。験担げんかつぎのようなものだね。その一つがワインの瓶割りで、それをテオにお願いしたいんだ」

聞いてない……全く聞いてないよっ、兄上~~~~!!!!!
瓶を割るって何!? お祝いの式典での験担ぎって、ものすごく重要なものなんじゃないの!?
なんで、そんなことを直前になって言うのさ!? というか、そんな大切なことを僕にさせないでよっ!!

胸の奥から不満がせり上がってくるが、言いたいことが喉元で大渋滞を起こして、上手く言葉が出てこない。
そんな僕の心を置き去りにして、兄は微笑みながら説明を続けていく。

「大昔には、進水時に人間の生贄を捧げていたようなんだ。今では考えられない話だけどね。その儀式の名残なごりで、進水直前にワインを瓶ごと船首に叩きつける習わしがあるんだ。きっと、人の血の代わりに赤ワインを……っていう流れだろうね。そう聞くと、ちょっと怖いけど、大切な験担ぎだから。是非、テオにしてもらいたくて」

そこがおかしいって!!!

「兄上っ。大切な儀式だからこそ、僕じゃダメですよっ! もっと船の門出にふさわしい人がいくらでも――」
「そう言われても、俺たち出資側は、満場一致でテオがいいって意見になったからなぁ~」

周囲の豪商の皆さんが、その通りだと頷いている。

どういうこと!?
そもそも、なんで僕が瓶を割る候補に上がってるの!?

僕は思いきり地団駄じだんだを踏みたくなったが、ラオネスの人々の手前、醜態を見せるのはやめておく。
せっかく悪い噂が減ったのに、自分から増やしにいきたくはない。
それに、もう僕が瓶を割るということで準備が進んでいるはずだ。
ここで拒絶して騒ぐと、迷惑にしかならないだろう。

ぐぅぅぅっ!!! 兄上めぇ~~~~~!!!!!








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