血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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鏡に映ったもの①

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◆鏡に映ったもの

 川沿いの土手伝いに歩いていると、
 突然、背後でキイーッ、と自転車のブレーキ音が聞こえた。

 振り返ると、停止した自転車に跨っていたのは、噂の吉田女医だった。いつもの黒のタイトミニスカートにピンクのジャケットを羽織っている。サドルに跨っているので、ムッチリとした白い太腿がにょきっと剥き出しになっている。
 おそらく、彼女の自転車をこぐ姿を見かけた男子は全員、その露わな太腿に心を奪われていたことだろう。

「あ~ら、どこの生徒かと思えば、上里先生のクラスの子じゃないの」
 艶を帯びた声で僕に声をかけてきた。
「あなたに会えて、丁度よかったわ」と吉田女医は微笑を浮かべた。
 そう言って、吉田女医は自転車を降りると、僕の横を自転車を押しながら歩調を合わせた。チャリチャリと音がする。
「名前は・・屑木くん、だっけ?」と僕の名を確かめるように言うので、「はい、そうです」と応えた。
 わざわざ自転車を降りることもないのに・・僕に何か用事でもあるのだろうか?
 吉田女医は謎の多い人物で、僕も佐々木もその正体を知りたい対象でもある。
 だが、吉田女医にとっては、僕はただの高校生だ。何の興味も沸かないはずだ。

「どうして、僕に会えてよかったんですか?」
 僕がそう訊ねると、吉田女医は、改めて僕の目を見た。その瞳の妖艶さに、思わず身を引いてしまう。まともに見てしまうと、その奥に吸い込まれてしまいそうだ。
 もしかすると、僕はそうならなくても、吉田女医の魅惑に身を委ねてしまった男子生徒もいるかもしれない。いや、男子生徒だけでなく、大人たちもそうならないとは言えない。

 僕の問いかけに吉田女医は、「うふっ」と意味ありげな微笑を浮かべ、
「だって、屑木くん、伊澄さんに体の中に『あれ』をまだ入れてもらっていないんでしょう?」と言った。
 どうして、それを・・僕が屋敷の中で黒崎みどりに血を吸われ、その後、吸血鬼みたいになった。
 その後、伊澄瑠璃子によって、口の中に何かを入れられようとしたところ、景子さんに救われた。
「な、何のことですか?」
 僕はそう言って、何も知らない振りをした。この先生に関わると、またおかしなことに巻き込まれてしまう・・ そんな予感めいたものがした。
 しかし、僕の知らない振りは無駄だったようだ。
 吉田女医は「あのねえ・・屑木くん」と艶っぽい抑揚で僕の名を呼び、
「隠しても、わかるのよねえ・・」と言った。
 隠してもわかる?
 それはどうして、吉田女医は、あの屋敷内にはいなかった。だから、僕が黒崎あかねに噛まれたことを知らない。それに、近所の公園にもいなかった。

 不気味だ。僕は歩調を上げ、できるだけ吉田女医から遠ざかろうとした。
 しかし、吉田女医は僕の真横を自転車を押しながら合わせている。
 おかしい・・
 まるで、自転車ごと浮遊しながら僕の横にいるかのようだ。さっきまでの自転車のタイヤが回転する音が聞こえない。

「屑木くん。私から逃げなくてもいいじゃない。別に取って食おうとなんて思っていないわよ」
 取って食う・・そんな冗談が本気に思えてくる。
「いえ、別に逃げてるわけじゃ・・」
 僕が弱く答えると、

「明らかに、逃げてるわよね」声量が上がった。
 その大きな声は、僕の耳元で聞こえた。
 僕の顔がこわばるのがわかった。
 吉田女医の顔は僕の真横にあった。
 顔が、真横にあるのが分かっていても・・頭を動かせない。見たくない。
 見るのが怖い。見てしまうと、引き返せない・・そんな気がした。
 
 ただ・・本能、条件反射というものは、人の思いとは裏腹の行動を起こすものらしい。
 僕の顔は、見てはいけないものの方に少しずつ向けられていった。

「ほら、やっぱり、怖がってる」
 僕と顔を合わせた吉田女医はそう言った。お互いの息がかかるかと思われるような距離に感じられた。染み一つない肌、艶やかな顔。
「別にこわがってなんか・・」そう言った僕の言葉は単なる強がりにしか聞こえない。
 佐々木に見せてもらった集合写真の中の吉田先生とは全く違う雰囲気の彼女の顔
 男子なら誰もが惹き込まれるような色香を備えている。まるでそれが、彼女の武器であるかのように。
「あら、怖がっていないのなら、ちょっと教えてよ」
「な、何をですか?」
「どうして、屑木くんは、あの伊澄さんの施しを受けていないの?」
「伊澄さんの、ほどこし?」
 何のことか分からない。
 そんな僕の顔を見てか、吉田女医は「ちょっと、あそこで話しましょうか?」と川の土手の下・・遊歩道のベンチを指差した。
 吉田女医と関わりたくない。できれば避けたい人だ。
 だが、僕なりの好奇心もあるし、僕の体のことが知りたい。
 ひょっとすると、吉田女医は僕の吸血願望の治療の方法を知っているかもしれない。

 そんな相反する気持ちを抱えながら、吉田女医に誘われるまま土手を降りた。
 陽はほとんど沈んでいる。いきなり暗くなり始めた。
 こんなベンチに座る人もいない。そんな場所に着くと、吉田女医は自転車のスタンドを立て「ここなら、君と  ゆっくりお話ができるわねえ」と言って、僕を横に座らせた。
「さて、それでは、さっきの質問の続きよ」
「さっきの質問・・」僕が思い出せないように言うと、
「はぐらかさないでよ・・屑木くんは伊澄さんに、まだ『あれ』をいれてもらっていないのでしょう?」と強く言った。
 吉田女医は、そう繰り返し問いかけると脚を組んだ。ムチッと張った白い太腿が剥き出しになり、思わず目を反らした。
 下から目を離すと、今度は彼女の豊満な乳房にぶち当たる。胸元の切れ込みが深く乳房が今にも零れ出てきそうに見える。

 吉田女医を正視できなくなった僕は、
「吉田先生、ずいぶん変わりましたよね・・」と、話題を変えようと試みた。
 そう言うと吉田女医は、
「あら、私のこと?」と言って自分の話に応じた。
「私、そんなに変わったかしら?」
「僕の知っている保健の先生・・吉田先生のイメージとは全然違います」
 そう答えると、吉田女医は僕に注いでいた視線を川面に移し、
「だって、しょうがないじゃない・・」と前置きし、
「私、中身が変わったのだもの」と言った。
 中身が変わった。
「そんな化物でも見るような顔をしないでよ」と先生は笑い、
「中身と言っても、全部じゃないわ。これでも元の人格はあるつもりなのよ」
 香水のきつい匂いに包まれ、頭がくらくらする。

「おっしゃっている意味がよくわからないです」
 僕は何も知らないふりを務める。
「あら、屑木くんは、まだ知らないふりをするのねえ」
 見破られている・・
「屑木くん・・血を吸われたんでしょう?」
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