血を吸うかぐや姫

小原ききょう

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闇を彷徨うもの

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◆闇を彷徨うもの

 血の糸のようなものは白山あかねの首から伸び続け、闇の中に絵を描くように舞った。
 白山自身が自分の血を見たのかどうかは定かでないが、
 白山は、「いやああっ!」と大きく叫んだ。その声が更に広間に反響し、恐怖を増幅させた。
 白山は首を手で押さえながら「誰か、助けてッ」と言った。
 血の糸は手で押さえても、白山の細い指の間をすり抜けるように、飛び出てくる。
「ねえっ、みどり、助けてよぉっ」
 そう自分の名を呼ばれても黒崎はおろおろするばかりで何の行動も起こせないでいる。
 そして、白山から吹き出す血の糸は、途切れることなく宙をぐるぐると泳いでいる。
 血の糸自身に何らかの意思があるようにも見えた。

 同時に、窓際に立て掛けられている楽器の大きなケースの全てが、ゴトゴトと揺れ始めた。
 だが、今はそれどころではない。
 佐々木が「白山さんを助けないと!」とようやく言い出し、
 神城が佐々木に同調して「白山さん・・これでこの血を止めて」とハンカチを取り出し、白山あかねに差し出した。
 しかし、そんな応急措置は無意味だった。しかも、
 もう白山あかねは、首には手を当てていなかった。
 いや、彼女には、もうそんな力はなかったのだろう。白山は晩餐用のテーブルに突っ伏したかと思うと、その場に仰向けに倒れ込んだ。
 彼女の目がカッと見開かれ、瞳孔が何かの虫のようにあちこちに飛んでいる。

「白山さん!」神城と佐々木が同時に声を出し、
 黒崎みどりが、「あかねっ、しっかり!」と声を送った。
 だが、そんな声も空しく、血の糸は彼女の首の穴からまだまだ出続けている。血は白山あかねの体の上をしばらく舞った後、天井の暗闇に向けて飛んでいく。

「何なのよ、あれ?」神城が空中の血の糸を見て言った。
 そんな疑問の答のように、伊澄瑠璃子が、
「どうやら、吸血鬼と言うのは、何かのお話のように喉元に口を添えて血を吸うとは限らないようですね」
「えっ・・吸血鬼って・・」と神城は言って、
「これって・・白山さんの病気・・とかじゃないの?」と疑るように言った。
 誰もこんな非現実な現象を受け入れたくはない。
 僕は「病気じゃないと思う」と言った。
 黒崎みどりが、
「きゅ、救急車を呼びましょう・・どこかに電話が・・」と辺りを見回し、そんな現代的な物がないと知ると、「外に出ないと・・」と言った。
 黒崎の様子を見ていた佐々木奈々が「外に公衆電話がありましたよね・・私、かけてきます」と言って、佐々木奈々は飛び出した。
 
 黒崎が「あかね・・しっかりしてよぉっ」とべそをかきそうな声で言った。
「救急車が来るまで、何とか白山さんの血を止めることはできないかしら?」
 神城はそう言いながら、白山あかねの首にハンカチを当てた。
 そうされても動かない白山はもう意識がないようだ。ただ、その目は見開かれたままだ。
 それに、ハンカチと喉の隙間を縫って血の細い糸は出てくる。
「白山さん、しっかりして。もうすぐ救急車が来るわ」そう言って神城が白山を励ました。

 声をかけても反応のない白山あかねの様子を見て、黒崎が、「あかね・・もうダメみたいだわ」と情けない声で言った。「血がどんどん出ているし・・」
 そんな黒崎に「しないよりマシでしょ!」と神城は言った。
 そして、神城は白山あかねの喉にハンカチを当てながら、伊澄瑠璃子の方を見上げ、
「伊澄さん・・伊澄さんは白山さんのこの病気について何か知っているの?」と言った。

 神城にそう訊かれた伊澄瑠璃子は、
「病気について?・・」と首を傾げ、
「もし、これが病気でしたら、私は他人の病気など知る由がありませんわ」と答えた。
 それはそうだ。伊澄瑠璃子は、白山あかねについては何も知らない。彼女にとって白山はただの腰巾着だ。そんな子のことを知るわけがない。
 だが・・この現象が吸血鬼の仕業・・姿の見えない吸血鬼であれば話は別だ。

 こんな状況になっても、彼女だけが驚きを見せていないし、何の動揺もせず、ただ皆の様子を見ているだけだ。まるでこのことを予定していたように・・
 伊澄瑠璃子は何か知っているのではないか?
 そして、彼女は、このために皆と一緒に屋敷に来た。
 なぜだ?
 それに、今目にしている現象と黒崎みどりの話が似通っていたのはどうしてだ。

 それに、あの大量の血はどこに向かっているのか?
 血の糸が渦を巻いたり、螺旋状になって天井の闇の中に向かったかと思うと、方向を変え、大広間の隅に移動したり、踊るような動きを見せた後、壁にぶつかり、また戻ってくる。
 血が生きているのか、それとも何者かが血を操っているのか?
 やがて、血の糸は一本に収束されたのか、縄のような太さとなって、闇の中をぐるぐるとまわりだした。
 まるで血の蛇だ。

「きゃあッ!」
 突然、そんな声を上げたのは黒崎みどりだった。
 黒崎みどりの指は仰向けの白山あかねの顔を指している。
 黒崎が驚く理由はすぐにわかった。
「あかねの顔が・・」
 顔に穴が開いている・・
 黒崎みどりが、
「あかねの顔が萎んでる・・」と言った。
 神城が「そんなッ・・血が出ないように押さえているのに」と必死の声を出した。
 今、黒崎は白山の顔が萎んでいると言った。だが、僕には白山の顔が松村や大崎先生のように穴が開いているように見える。空虚ながらんどう・・その向こうが暗黒のように見える。
 もしや、人によって見え方が違うのか、
 そう思って瞬きをした。すると、黒崎が言うように白山の顔が萎んでいるように見えた。それは穴よりも不気味な顔だった。
 白山の顔は生気が失われ、色も青白くなっている。艶もなく、指でつつけば崩れそうにも見える。とても生きた人間の肌には見えない。
 顔の肉を支えるものが失われている・・
 そして、目を細めて見ると、やはり穴に見える。
 ・・ということは「萎んで見える」というのが現実の見え方だということだ。
 いずれにせよ・・白山あかねは、もう手遅れだ。
 そして、血の糸が噴出するのが止まった。体の血が全て抜けたのだろうか。

「あかねっ!」黒崎みどりが喜びの声を上げた。「よかった、血が止まってるわ。もう大丈夫だわ」
 そんな黒崎の歓喜を壊すように神城が、「黒崎さん・・白山さんはもう息をしていないわ」と現実を伝えた。
 僕も神城に合わせて首を横に振った。
「そんなっ」と声を上げた黒崎はその場に崩れた。「あかねっ・・」

 しばらく泣き崩れていた黒崎は伊澄瑠璃子にすがり付き、
「ねえっ、伊澄さん。お願いっ・・あかねを助けてあげてっ、伊澄さんなら、あかねの体の治し方を御存じなんでしょう?」と言った。

 伊澄瑠璃子は黒崎の懇願に答えることはないと思っていたが、
「そうね・・白山さんは、このような姿になったけれど、今一度、この世界で生きようとしているみたいよ」と言った。
 その瞬間、ザーッと雑音のようなものが聞こえた。
 伊澄瑠璃子の声が他の誰かの声と重なって聞こえる。くぐもったような厚い声だ。
 あの保健室で保険医の吉田先生と伊澄瑠璃子の声が重なって聞こえたように・・
 しかし、今は、誰の声と重なっているのか?

 その声に誘われるように、
 息をしていないはずの白山あかねの頭がビクンと動いた。そして、カクカクと壊れた人形のように揺れ始めたかと思うと、そのまま上体を起こした。
 そして、二度三度、大きな痙攣を起こした。
「あ・あ・あ・・」
 異様な声だ。苦悶のような・・
 そんな様子を見て黒崎は「あかねは生きているじゃない」と言って、息をしていない、と告げた神城に抗議した。
 白山あかねは生きているのか? あの無残に萎み切った顔と血液の失われた体で、まだ生きているというのか?
「あっ、あっ、んうううッ」
 白山あかねの様子に黒崎みどりは、
「あかね、もうすぐ救急車が来るわ・・それまでの辛抱よ」と力づけるように言った。
 そんな黒崎に僕は、
「いや、黒崎、白山の様子は、ちょっとおかしいぞ」と言った。
 今の白山あかねに触れてはならない、近寄ってもいけない、そんな気がした。
 だって、あんな姿で生命を維持できるわけがない。あの足だって、もう・・
 そう思った瞬間、
 僕の目が白山あかねの姿を認識できなくなった。
 僕の目がおかしいのか? 目を擦っても、細めても、白山あかねが倒れていた場所に彼女はいない。どこにも見当たらない。

 次の瞬間、「えっ?」という小さな声がした。
 声の方にをやると、声の主は黒崎だった。
 黒崎みどりの目がカッと見開いている。
 何にそんなに驚いているのか、よく見えない。

「おい、黒崎、どうかしたか?・・」
 黒崎みどりに呼びかける僕の声は途中で切れた。
 その理由は僕の目が黒崎みどりの首筋に注がれていたからだ。
 いや、黒崎の首に噛みついている白山あかねに視線が向いた。
 神城が腰を抜かしたようにへたっと座り込み、
「あわわっ・・死んだはずの白山さんが・・」と言うなり声が途切れた。
 死んだと思われていた白山あかねは黒崎の体を両腕でしっかりと羽交い絞めし、口を開け、白い肌に歯を食い込ませている。
「あッ、あッ、・・んッ」
 噛まれている黒崎の目が驚くような表情のまま固定化し身動き一つしていない。
 いつのまに、白山は黒崎の背後に移動したのだ? 瞬間移動か?
「んおおおッ」
 大広間に白山あかねの声が反響した。
 神城が僕の袖を引いて、
「く、屑木くん・・まさかとは思うけど、あれって・・」と言い澱んだ。
 神城の言葉に僕が「あれは吸血鬼だ」と付け足した。

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