上 下
70 / 167

帰還

しおりを挟む
◆帰還

 吹き荒ぶ風が冷たい。これ以上、ここにいても仕方ない。
「イズミ、帰ろうか」
 ここに上がった時は、三人だった。けれど、降りる際には二人だ。
 そんなことを考えると、風が更に強く冷たく感じる。
 イズミが僕を見て、「ミノルさん・・これを」とハンカチを差し出した。
「このハンカチ・・どうした?」
 僕は不精な性格のせいで、そのようなものをあまり持ち合わせていない。
「島本のオバサンが、持っていくようにと・・」
 イズミはそう説明した。
「・・島本さんが?」
 僕が「いつ?」と尋ねると、島本さんが昨日訪ねてきて「イズミちゃん。井村くんが泣いたりしたら、これを渡すのよ」と言われ、受け取ったらしい。
「それだけのことで、島本さんは来たのか?」
 イズミは「いえ、それだけではありません」と言って、手提げの中身を見せた。
 その中には、サツキさんの来ていた服の他に、白いマフラーがあった。
「これ、マフラーじゃないか・・」
「・・ミノルさんに巻いてもらいなさいということです」

 イズミは、僕の知らないところで、島本さんに会い、会話を交わしているようだ。
 しかし、
「イズミ・・あんまり、家のベルが鳴ったからといって、むやみにドアを開けるもんじゃないぞ。今回は島本さんだったからいいようなものの・・知らない人だったらどうするんだ? もうサツキさんはいないんだし・・これからイズミは一人なんだし・・」
 そう言った僕の声は震えていた。僕は有難くハンカチを受け取り、頬に当てた。

「ミノルさんは、カレーを食べても、サツキさんがいなくなっても涙を出すのですね」
 そんなイズミの指摘に「ああ、そうだ。サツキさんの作ったカレーを食べても、彼女がいなくなっても僕は泣くよ」と応えた。
「カレーはイズミもお手伝いしました」とイズミは誇らしげに言った。
「そうだな」

 僕が思わず笑いそうになった時、強い風が吹いた。
 イズミの帽子が風にふわりと持ち上がった・・
 帽子が飛びそうになった瞬間、イズミは慌てて帽子を手で押さえた。
 うまく押さえることが出来たので、イズミは僕の顔を見て微笑んだ。
 ・・微笑んだ。
 えっ・・イズミのこんな表情、初めて見た。なんて可愛い笑顔なんだ。
 そう思った瞬間、
 イズミはその場でバランスを崩した。AIでもバランスを崩すのか・・
 そんなことを考えている場合じゃないっ。
 イズミがふらっとよろけ、巨大ホールの中へと落ちそうになった。
「イズミ、あぶないっ」
 その次の瞬間には、僕はイズミをしっかりと抱き留めていた。

「ミノルさん」イズミが僕を見上げる。
「危ないじゃないか」僕は、戒めと安堵の声を出す。
「ミノルさん・・苦しいです」イズミは僕の両腕の中で小さな声を出す。
「AIでも、バランスを崩すことがあるのか?」
 そう僕が訊ねると、
「ハイ・・イズミは、いつも崩しっぱなしです」
「それは体のことか?」
「ハイ」と肯定し、「イエ・・」と、また否定し、
「体だけではなく、心も崩しっぱなしです」と言い改めた。
 心も?
「ワタシには・・人間の心も、自分の心さえも分かりかねます」
 ・・AIドールが「自分の心」と言っている。
「それは僕も同じだよ」
 そう応えて僕は、イズミの体を改めて抱き直した。イズミが窮屈そうにするのが感じられ、それが心地よかった。
 
 しばらくそうした後、
 僕はイズミの首に島本さんセレクトのマフラーを巻いてあげた。
 見ると、このマフラーは、島本さんセレクトではなく、
 ・・手編みのマフラーだった。
 今度、島本さんに会った時に礼を述べないと・・
 いや、そう言う問題じゃない・・
 島本さんはどうしてここまで、イズミによくしてくれるのだ?
 ハンカチを用意したり、イズミのマフラーを編んだり、サツキさんにお古の服を譲ってくれたり。
 島本さんは僕の生活に・・僕やイズミ、サツキさんの物語に関わるようにしている。
 それは、一人暮らしの寂しさからくるものなのか。それとも、他に理由があるのか?

 そんなことを考えていると、
 イズミが、ちょんちょんと僕の腕を小突き「ミノルさん」と呼びかけた。
 そして、風に裾が揺れるマフラーを押さえ、
「似合ってますか?」と訊いた。
「可愛いよ」と僕は言った。
「カワイイよ」とイズミは嬉しそうに復唱し、「あとで、お家の鏡で見ます」と言った。
 お家・・そっか、僕の家は、いつのまにか、イズミの家になってるんだな。
 そして、サツキさんも・・

 それにしても、イズミの格好、上から下まで島本さんづくしだな。
 そんな感慨に耽ったあと、
「イズミ、家に帰ろう」と僕はイズミに声をかけた。「ハイ、ミノルさん」とイズミは返事をした。
 そして、僕は思った。
 今日という日は、サツキさんを失った悲しい日だったが、
 同時にイズミの初めての笑顔を見れた日でもあった。
 つらい日にも、いいことだって絶対にある・・そう信じさせてくれた日だった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

時々、僕は透明になる

小原ききょう
青春
影の薄い僕と、7人の個性的、異能力な美少女たちとの間に繰り広げられる恋物語。 影の薄い僕はある日透明化した。 それは勉強中や授業中だったり、またデート中だったり、いつも突然だった。 原因が何なのか・・透明化できるのは僕だけなのか?  そして、僕の姿が見える人間と、見えない人間がいることを知る。その中間・・僕の姿が半透明に見える人間も・・その理由は? もう一人の透明化できる人間の悲しく、切ない秘密を知った時、僕は・・ 文芸サークルに入部した僕は、三角関係・・七角関係へと・・恋物語の渦中に入っていく。 時々、透明化する少女。 時々、人の思念が見える少女。 時々、人格乖離する少女。 ラブコメ的要素もありますが、 回想シーン等では暗く、挫折、鬱屈した青春に、 圧倒的な初恋、重い愛が描かれます。 (登場人物) 鈴木道雄・・主人公の男子高校生(2年2組) 鈴木ナミ・・妹(中学2年生) 水沢純子・・教室の窓際に座る初恋の女の子 加藤ゆかり・・左横に座るスポーツ万能女子 速水沙織・・後ろの席に座る眼鏡の文学女子 文芸サークル部長 小清水沙希・・最後尾に座る女の子 文芸サークル部員 青山灯里・・文芸サークル部員、孤高の高校3年生 石上純子・・中学3年の時の女子生徒 池永かおり・・文芸サークルの顧問、マドンナ先生 「本山中学」

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...