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第五章 ゆらぎ

ゆらぎ③

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 「それなら、魔物を一匹連れてきて、この場でバイオリン演奏させればいいじゃないですか。ジャッジが必要なら、その賢者とやらを連れてくればいい」
 憮然と言い放つレオニーに、大公も譲らない。
 「それでは、意味がない。バイオリンのトライアルはついでで、王子に冒険をさせることが主目的なのだ。懲らしめの意味もあるが、王子の隠された一面を探る、いい機会だ。処分は、その後で行う。なあに、これは、ちょっとした肝試しのようなもので、魔術師や護衛騎士を森に潜ませ安全確保に努めるから、人助けと思って、君の弟子を王子の旅のお供に貸してもらえないだろうか」
 「お断りします。アナイスは未成年者ですし魔法もろくに使えません。それ以前に人と関わることがうまく出来ない人間です。そんな人間をそのような計画に付き合わせるなど、言語道断です。王子だって未成年者でしょう?未成年者二人を魔物が住む森に放つなど、虐待に等しい行為です。王子はまだしも、私の弟子は、何も悪いことをしていません。彼女がしたことと言えば、私が桜の花片を散らすのを手伝い、王妃様と共にはしゃぎ回ったことです。王家の皆様には、喜んで頂けたと思っていたのですが、このような仕打ちを受けるのでは、納得がいきません。彼女は、保護者の私を手伝っただけで、国に仕えている者ではありませんから、そのような命の危険を伴うお遊びに付き合う義務はありません。これは、その計画に関わる魔術師全員にも言えることです。魔力を使うと言うことは自分の命を削ることに等しいのです。国家の存亡に関わるのであれば致し方ありませんが、一人の人間を懲らしめるための茶番に使うものではありません。その肝試しは、人の命を削ってまで行う必要のあるものでしょうか?そもそも、王子はそこまでのことをしましたか?決まった相手がいながら別の女性に手を出すなんて、よく聞く話ですが、その人たちを懲らしめるために、魔物の森で肝試しをしたなんて話は聞いたことがありません。未成年者が大人の真似をしたから戒めのために行かせるという発想もおかしいし、そこで全く無関係の者を連れて行くというのもおかしい」
 「関係があるものが一緒に行けばいいというのか?例えば、我とかイルミナとか――」
 「違います。そのようなことをするな、と言っているのです。王子の腕試しをしたいなら、街角でバイオリンを弾かせればいい」
 「それだと人が集まってきてしまう。公開処刑に等しい」
 「それなら、はっきり言えばいい。人に聴かせるレベルではないと」
 「まあまあ、二人とも」
 穏やかな空気が一転、激しく言い争う二人に、それまで沈黙を貫いていた国王が、割って入った。彼は、レオニーへの説明を大公に全て任せるつもりでいたが、場が険悪な空気に包まれると、さすがに放置できないと悟った――というのは、芸術学院というどこか浮世離れした場所に浸りきっている大公の感覚は、俗世間のものとは違い、レオニーとは永遠に話がかみ合わない気がしたのだ。それに加えて、二人のやりとりの中で自分がやり玉に挙げられているような居心地の悪さを感じたこともあった。
 「ダルトン卿は、我らと違って魔物の怖さをよく知っているから、そのように言うのだ。確かに、愚息一人のためにそこまでするのは異常である。この計画には練り直しが必要だな。ただ、言っておきたいのは――ダルトン卿、其方の弟子を抜擢したのは、ルクシアやベルナンドと打ち解けたからだ。彼女なら、ロレンツィオの本音を引き出してくれると期待している。我は、ロレンツィオの素が知りたいのだ。ルクシアのように、我の前では取り繕っている部分があるであろうから。それでは、永遠に理解し合えぬ」
 「お二人は、何と?」
 「詳細は知らせておらんが――二人にも相談してみよう。其方の反応から察するに、我は二人からも責められそうだ」
 威風堂々とした国王が、おどけてみせる。これは異常事態だ。だからといって……。
 思い悩むレオニーの前で、国王は、(今宵は、ルクシアに相手してもらえそうにないな)と心の中で不謹慎なことを考え、ほんのり頬を赤らめていた。

 まだ、言い足りないことはあったが、レオニーは礼をして一先ず、退室した。王宮の薄暗い廊下を歩きながら、考える。一体、人を何だと思っているのだ?下らない思いつきで未成年者の命をないがしろにしようなどと。魔術師の扱いもそうだ。そんな国益に繋がらないことに、命を削らされるとは。『振れ振れ桜』にも、どれだけの魔力を使ったと思っている……。
 宮廷魔術師という存在は、王族を喜ばせるためのものではない。その称号を与えられた者たちは、国の安寧と繁栄のために魔力を使うことは無論、時と場合によっては、為政者すら滅ぼしてもよいとされる。いや、むしろ、為政者を監視しその行いを正す裏の役目を与えられた者たちと言っても過言ではないだろう。そのことを、国王は知らないはずはないのだが。

 気がつくと、バラ園に来ていた。着席した四人が、和やかにゲームのようなものをしている。王妃様は、子供の相手が上手いなどと思いながら、初めに案内された席に座る。硬い表情のレオニーを、アナイスが凝視する。
 侍女が温かい紅茶の入ったティーカップを差し出した。鼻をくすぐるピーチの香り。それを楽しみながら、なおも考え込んでいると、何かをこらえていた様子のアナイスが、身を震わせ、堰を切ったように泣き出した。

 アナイスの心はぐじゃぐじゃに乱れていた。いつも、にこやかなレオニーの険しい表情。自分のことで、何か言われたに違いない。心当たりはないが、何か不敬なことをしたのだろう。
 あれは、アナイスがレオニーに引き取られたばかりの頃。レオニーは、いつも険しい表情をしていた。アナイスには、それがどうしてなのか分からなかった。イルミナが来て、アナイスに色々教えるようになるまでは。世の中にはルールというものがあり、他者との生活には、そのルールを守る必要がある。夜になったら寝て、朝になったら起きる、起きたら身繕いをする、食事の時は椅子に座る、急に飛び跳ねたりしない、ゴミはゴミ箱へ……それまで好き勝手に生きてきたアナイスに、イルミナが提示するそのルールに従うのは難しかったが、出来るようになるにつれ、レオニーが優しくなり、時には抱きしめてくれるようになったため、その必要性を理解した。
 レオニーとの生活は、快適だった。三度の食事は温かく、お腹いっぱい食べることが出来た。アナイスのために用意されたベッドは、硬くないし清潔だ。可愛い洋服も着せてもらえる。それに、自分の好きなことを褒めてくれ、自分のアイデアを形にしてくれる。抱きしめてくれる。
 だから、そんな生活を提供してくれるレオニーと一緒にいるために、イルミナが提示したルールはちゃんと守ってきたはずなのに。どこかまだ足りないところがあったのか。
 どうしよう、どうしよう。今更、レオニーと出会う前の生活には戻れない。戻りたくない。日がな一日、がらんとした部屋に一人でいる生活。食べ物の匂いがしてきたら部屋から出て、誰とも分からない人から器によそってもらい、その場に座って食べる。会話などなく、抱きしめられることもない。虫に刺されて腕が腫れ上がっても、お腹が気持ち悪くて吐いてしまっても、誰も来ない。かきむしってシーツに付いた血や、床にぶちまけた嘔吐物は処理されず、干上がってシミとして残った。部屋の隅には大きな蜘蛛が巣を作り、立て付けの悪い窓は、嵐の夜には嫌な音を立てた。明かりもなかったから、日が沈んだ後は、暗がりの中で四角い窓に切り取られた夜空を眺めて過ごした。そんな中での彼女の楽しみは、床に積もった埃に指で絵を描くことだった。
 たまたまその家には魔法に関する本があり、盗み見たその本の挿絵として描かれていた魔法陣に興味を引かれ、自分でも色々デザインして床に描いて楽しんでいるうちに、別の家に連れて行かれ、レオニーと出合い、引き取られることになった。
 もう、あの頃の自分には戻れないし、戻りたくもない。レオニーとの快適で温かい暮らしを知ってしまったら……。
 なのに、何者かが、レオニーと自分を切り離そうとしている。嫌だ。レオニーと離れたくない。あの頃の自分には戻りたくないよおぉ……。
 一度泣き始めると、あとからあとから負の感情が湧いてきて、どんどん悲しくなっていく。アナイスは、全身で声を振り絞り、泣き続けた。声をあげて泣くことが、彼女に出来る唯一の方法だった。自分の気持ちを知ってもらうための。そんなアナイスを、じっと見つめる薄茶色の瞳の外縁が徐々に黄味を帯びていく。
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