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第三章 夢の続き

夢の続き①

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 「あら、ここは?」
 王妃は、戸惑ったように周囲を見回した。レオニーと共に移動してきたのは、自分が普段使っている部屋ではない。よく磨き上げられた猫足のアンティーク家具に囲まれた落ち着いた部屋。大きな掃き出し窓は、花柄のカーテンで覆われ、天井には手の込んだシャンデリアが下がっている。
 「本宮の応接室です。王妃様のプライベートルームに、私が入るわけには参りませんから」
 それはそうね。
 王妃は思った。でも、こんな部屋、あったかしら?
 部屋には、三人の侍女服に身を包んだ女が控えているが、どの顔にも見覚えがない。
 その中の一人が進み出る。細身で背が高い、眼鏡をかけた女。
 「では、まず、お着替えをなさってくださいませ。そのままでは、窮屈かと存じます」
 「着替え?」
 「こちらでございます」
 促され、レオニーを置いて隣の部屋に移動する。ミルキーグリーンを基調とした明るい部屋の中には大きな姿見があった。その前に立つと、侍女服に身を包んだ女たちが、次々に服を持ってきて、合わせていく。どれも、締め付けのない軽やかな素材でできた室内着ばかりだ。
 その中の一つを選ぶ。すぐに着替えが始まる……と思いきや、「まず、湯浴みを」と言われ、バスルームに案内された。白を基調とした陽光差し込むその部屋には、湯をたたえた大きなバスタブがある。中の白く濁った湯には、桜の花片が浮かんでいた。
 バスタブに身を沈める。女たちが、湯をかけたり香りの良い洗浄料で髪や体を洗ったりと、甲斐甲斐しく世話を焼く。その手際の良さは、一朝一夕に身についたものではない。おおかた、部屋付きの侍女たちなのだろう。召し上げ前の寵妃や来賓のお支度係。
 (この人たちは、どんな愛憎劇を目の当たりにしてきたのかしら)
 うつ伏せになってオイルマッサージを受けながら、ぼんやりと考える。
 王の謁見を控え、身支度を調えられる女たち。その先に広がるのは一体どんな……?
 冬枯れした大樹のような、ゴツゴツとした王の姿を思い浮かべる。正妃1人に多いときで12人の寵妃を抱えた渋い美丈夫。20年間連れ添ってきたけれど、その間に寵妃の顔ぶれは何度も入れ替わっている。
 彼女たちは、ほぼ例外なく国内外の王族貴族の娘で、表向きは国王の人生に華やぎを添えるために雇われた「寵妃」という肩書きの勤め人。だが、実際には、政治上の地固めの一石として使われ、下賜後もクーデターを未然に防ぐ盾となる間者のようなもの。その考えは、王妃をいつも心的優位に立たせている。だが、本人たちも割り切って、王妃と仲良くし、束の間の王宮生活をエンジョイしているとはいうものの、中には野心があり正妃の座を狙う者もいるだろう。国王との愛に溺れ、邪魔者の正妃の命を狙う者もいるかも知れない――。 
 そのような考えは、常に心の奥底にあり、折に触れ浮上しては王妃の心をさいなんでいた。仲良くしていた寵妃に夫を寝取られた上、命まで狙われたとしたら、自分の心はどうなるだろう?荒れ狂うのか、それとも静かに壊れるか?
 いずれにせよ、無傷ではいられないだろう。だから、自分の心を守るため、そして、自分が20年の歳月をかけて築き守ってきたものを横取りされないために、(耳に心地よい言葉を信じてはいけない、この王宮の誰にも決して心を許してはいけない)と自分に言い聞かせて生きてきた。唯一つの例外は、自分が腹を痛めて生んだ王子たち……。そう思っていたのに、それも甘い幻想だったようだ。
 王子は王の子、性分が似ていても何ら不思議はない。中でもロレンツィオ王子は、複数の女に同時進行で愛を囁くことにも抵抗がないどころか、女性経験を勲章のようなものと捉え、機会があれば、更に増やそうとしている節がある。片や、王子の婚約者ユリアナと自分は、己の伴侶唯一人に愛を捧げ、生涯添い遂げるのが淑女の鑑であり、円満にやり過ごすために自分の心を押し殺すのは良くあること、と教え込まれてきた者同士。ユリアナも、何も感じていないのではなく、思うところはあるものの、その教えを信じて敢えて何も言わなかったのだろう。本来なら、恋人に我がままを言っても笑って許されるうら若き女性が、相手が王子というだけで、心に蓋をして生きていかないといけないなんて……。
 だから、ユリアナの気持ちが分かるから、息子が婚約者にした所業に衝撃を受け、反旗を翻した。このような、相手の尊厳を踏みにじる卑劣で身勝手な行為は、国母として、母として、看過できない。それを、どう伝えたものか。王子を諭せるのは自分しかいない。そう思って行動に移したものの、あの怯えようでは、大切なことは何も伝わらないだろう……。

 深い思考の闇にとらわれ始めた王妃を慮ってか、湯浴み後、王妃の支度を調えていた侍女たちが、一際、明るい声で「終わりましたよ」と声をかける。
 「さ、参りましょう」
 促されるままに、最初にいた部屋に戻る。と、そこには一面、桜の海が広がっていた。
 足下には、厚く積もった淡いピンク色の花片、見上げれば雲海のように連なる満開の小花。ほのかにバニラの香りがする。
 「すごーい。きれいぃ」
 思わず感嘆の声を上げる。と、「ぐふっ」と変な声がした。
 声のした方を見ると、にこやかな笑みを浮かべて立っているレオニー・ダルトンの背後に、ゆるふわお団子頭に、透け感のあるクリーム色のリボン、身には小花柄のワンピースをまとった少女の姿が見え隠れした。鼻の頭が、こころなしか赤い。
 レオニーに隠れるようにして、王妃の様子を窺う姿は、小動物のようで、思わず餌を与えたくなる。痩せた子リスといった感じだ。
 「あなたがアナイス?」
 王妃の問いかけに、少女は、困惑してレオニーを見上げる。どう答えていいか分からないのだ。レオニーが「軽くスカートをつまんでカーテシ―すればいいよ」と言っても、レオニーのローブの袖を苛立たしげに引き、「ちゃんと教えて!」と譲らない。レオニーは、仕方なく、身をかがめて少女の耳元で何やらささやく。うなずきながら聞いていた少女は、やがて小さく気合いを入れると一歩前に出て、「お、王妃陛下におきゃれましては、ご機嫌うるわしゅうじょんじまふ。わ、わたくしは、あないすぼーんといふもので……、王妃様におめにきゃきゃれてきょおえつしぎょくに○×□△※……・」と口上を述べ、ぎこちないカーテシ―を披露した。
 「ほら、言わんこっちゃない」と言わんばかりに天を仰ぐレオニー。噛み噛みの上、最後の方は何を言っているのか分からない。それでも、王妃は、「はじめまして、アナイス」とにこやかに返した。
 「これは、あなたが用意してくれたの?」
 王妃の問いかけに、アナイスは、こくん、とうなずく。
 「どうやって遊ぶのがいいのかしら?教えてくれない?」
 アナイスは、レオニーを振り返る。そして、レオニーの目顔での合図にうなずくと、「こうやって!」と言うなり、勢いをつけて厚く積もった桜の花片めがけてダイブした。そのまま、転げ回ったり足をバタバタさせたり花片をすくい上げて散らしたりと大暴れする。その様子を見ていた王妃は、目を輝かせ、両手を挙げて花片の海に頭から突っ込み、アナイスの横にスライディングして止まると、ゲラゲラと声を上げて笑い始めた。
 それを合図に、侍女たちが、花片を侍女服のエプロンいっぱいに集めては、「そーれっ」と放り上げる。はらはらと上手くほぐれて舞い落ちればいいが、ごそっとまとまって落ちるものもある。アナイスも、王妃も、「我こそは」と両手いっぱいに花片をすくっては放り上げ、はらはらとほぐれて落ちてくるのを楽しみに待つ。そのうち、誰が鬼とも分からない鬼ごっこがはじまり、侍女たちに「それーっ」とばかりに花片をかけられそうになって逃げるアナイスと逃げ道を指示する王妃の嬌声が、部屋中にこだました。
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