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第二章 アナイスの魔法

アナイスの魔法②

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 「その方、此度は、何のために呼ばれたか分かっておるな?」
 ナルスタス王国16代目国王フェリクス・ナルスタスは、その品良く垂れた細い目に不穏な光をたたえて、ロレンツィオ第一王子に問いかける。
 灰褐色の髪に赤紫色が混じった茶色の瞳を持つ彼の威風堂々としたその佇まいは、ゴツゴツとした大樹を連想させる。一言で言えば、苦み走った美丈夫。その側に控えるのは、ルクシア・ナルスタス王妃。豊かなゴールドブラウンの髪にアイスブルーの涼しげな瞳。すっきりとした顔に、たおやかな微笑みを浮かべた清涼感のある女性だ。
 二人は、政略結婚ではあるが、仲が良く、国王に寵妃は数人いるものの側妃はいない。その寵妃とて政治的判断で娶ったナルスタス王国の庇護を必要とする他国の姫で、いずれ政治の駒として国内外の有力者に下賜される。儀礼程度のお渡りはあるものの、それは、彼女たちに「ナルスタス王国国王のお手つき」という付加価値をつけるためのもので、彼女たちも割り切って受け入れている。中には、嫁入り前の自分を磨くいい機会と捉え、国母に習え、とばかりに積極的に王妃と仲良くする者もいて――王妃も他国出身なので、今のところ上手くいっているようだ。
 その国王に凄まれた王子は、オドオドしながら言葉を探し――王の傍らに控える魔術師や顔なじみの騎士団長をそれとなく見るも、誰も助けてくれそうになく――心細げに「はい」とだけ答える。
 「ならば問おう。何故、そのようなことをした?」
 何故?そのようなこと?
 頭の中で、ぐわんぐわんと銅鑼が鳴る。思考が乱れて言葉が出ない。
 「どうして婚約破棄宣言などしたのかと聞いているのよ。答えなさい」
 王妃が、口添えをする。凍てつくような冷たい瞳で。
 王子がなおも答えられずにいると、王妃は、「少なくとも、バートン公爵令嬢には、事前に伝えていたのよね?」と、口調を変えて問いかけた。王子が答えやすいようにとの配慮から。
 「え……、いえ、違う……と思います」
 「『思います』って……。あなた、誰にも相談していなかったの?」
 「その……ようです……」
 「『そのようです』って……。他人事ね。では、以前から計画してはいたのね?それを誰にも打ち明けられなかった……」
 「いえ、計画……は……心のどこかに、それはあったように思いますけれども……」
 「『思いますけれども』って、あなたっ……」
 王妃の語気がだんだん荒くなっていく。怒りのボルテージが急上昇しているのだ。王と王妃の傍らに控える騎士団長は、自分の背後にいる部下には後ろ手で、王子の側に控える部下たちには目で合図を送る。「何か起きれば間に入れ」との。
 その気配を察知した国王は、鷹揚な態度で団長をチラリと見てから、なおも何か言わんとする王妃を手で制し、代わりに自分が質問をする。
 「元婚約者の合意は取り付けていなかった、ということで良いのか?」
 「はい」
 「何も知らせないまま、あのような場所で、婚約破棄を突きつけ断罪したと」
 「そのよう……です……」
 「そんなに憎かったのか?」
 「え?」
 憎い?
 思いもよらぬ言葉に、一瞬、困惑の表情を浮かべた王子だが、その言葉が、すとんと胸に落ち、全てのことに納得がいくと、今度は喜びで胸がいっぱいになった。
 そうか、己の心の内に長年巣くっていた得体の知れない感情は、憎しみだったのか。それが、あの時、突然胸の内で鎌首をもたげ、あのようなことを言わしめてしまった……。あの時――彼女がしずしずと花束を持ってきて、虚礼をしたあの時に。
 ――ああそうか、私は彼女を憎んでいたのだ……。
 眉一つ動かさずに王子の表情を読んでいた国王は、「図星か。こやつは、婚約者を憎んでおった」と吐き出すように言って、王妃を見やる。
 「何故?あなたたち、仲良かったじゃないの」
 王妃は、広げた扇で口元を隠し、上目遣いに王子をにらむ。
 「そうでしょうか?自分では、そう思いません……」
 「良かったわよ。あなたと年の近い令嬢を集めて何度かお茶会を開いたけど、あなたはいつもユリアナと一緒にいたわ。花冠を編んで渡したりして……それに、あなた、はっきりと言ったわ。ユリアナがいいって。だから婚約させたのよ」
 「そう……ですか……」
 王子の答えは、相変わらず、ふにゃふにゃして頼りない。
 「『そうですか』って、あなた!」
 苛立ちを抑えきれずに、王妃が声を上げる。王子は、緊張から来る震えで歯をガチガチ鳴らしながらも、懸命に言葉を紡いだ。
 「子供の頃のことは、よく覚えていません。成長してからは……無言で圧力をかけてくる陰湿な女だと……表面上は、私と関わろうとしないくせに……それが嫌だったのかも……」
 「『嫌だったのかも』って!実際に何かされたというの?」
 「学友と一緒にいたら、無言でお辞儀されたり」
 「それは、礼儀でしょうよ」
 「学友が学院長に呼び出されて注意されたり」
 「それも礼儀だわ。貴方に指導したいとき、学院長は、まず、あなたではなく学友とその保護者に話をするわ。それで、直らなければ、次にあなたを呼ぶことでしょう。先に、あなたを呼び出すのは、無礼に当たるもの。そこにユリアナは、関係ないわ」
 「頼まれもしないのに、花束を持ってきたり」
 「学院側の配慮よ。あなたの婚約者は、彼女なのだから。婚約者がいるのに他の女性と舞台に上げるなどと、学院としてはあるまじきことだから、せめてもと思ったのよ」
 「でも、それが嫌だったんです。ロザリンドの前で、しかもあんなに人がいる前で、牽制するようなこと……」
 「大人になりなさい!」
 王妃が、一喝した。そのすさまじさに、その場にいた者全てが、ビクッと身を震わせ、おののいた。国王も然り。
 「学院側が望んでいたのは、あなたがユリアナを抱き寄せて花束を受け取り、皆に紹介する事よ。そこで、ユリアナと相手の女が笑顔で握手でも交わせば、それで丸くおさまったのに……」
 「それじゃ、ローザが……彼女の晴れ舞台なのに……」
 (ローザですって?あの女……)
 王妃の額に青筋が立った。王妃は、すっと立ち上がると、コツコツと冷たい足音を立てて王子に近づき、たたんだ扇をおとがいに当てて強引に上を向かせると、じっと目を見据えて冷ややかに言い放つ。
 「愛称で呼ぶなんて、随分親しいのね?婚約者がいるというのに。これは、一体、どういうことかしら?」
 貴族令嬢がよく放つ、遠回しに相手をなじる物言い。それをカースト最上位の王妃が、ひんやりと嫌みたっぷりにしてのける。その姿は、まさに氷の女王。背筋が凍るどころではない。王子は、拳を握り締め、全身をガタガタと震わせながら「時よ、早く過ぎ去れ」と念じる。
 「あの女と致したの?」
 更に冷ややかな声が、畳みかける。
 「ぇえ?」
 「致したのね?」
 「……」
 「ルクシア、これ、はしたない」
 見かねて国王が声をかける。だが、王妃は意に介さない。
 「意味は分かるわよね?答えなさい」
 「は、はい」
 「そう……。どこで?どんな風に?どんなだった?」
 「…………」
 「ルクシア、これ、落ち着きなさい」
 国王が、再び声をかける。前回より少しきつい調子で。と、王妃の怒りが炸裂した。
 「これだから、王家の男は!決まった相手がいるのに女を囲って、それのどこが悪いんですかって顔をして。しかも、それが真実の愛だ何だと戯れ言を言う。あなた、『偽りの愛を捧げられても、嬉しくない』と言ったそうね。相手が、ユリアナが、どれだけ辛抱して努力もして自分を磨いてきたと思っているの?あなたの横に並ぶために……彼女の性格なら、ゆっくりと自分のペースで好きなことをして過ごしたいはずなのに、あなたが彼女を選んだから、社交に、王子妃教育にと忙しく過ごす羽目になった。それでも不満も言わず、求められるままに、こなしてきた。それを、『愛』と言わずとして何と言う?なのに、あなたは、それは偽りの愛だなどと、この言葉知らずの銀色大ボケカボチャが!其方なぞ、ディナーのスープにもならんわ!相手の女と共につぶして畑の肥料にしておしまい!」
 王妃が、鬼の形相で、手にした扇でピシッと王の傍らに控える魔術師を指す。魔術師は、うろたえて「あわわわ……」としか言わない。国王は、眉間にしわを寄せ、「止めよ」と騎士団長に指示をした。気色ばんだ団長が、前に出る。しかし国王は――「いや、よい。王妃に手を触れるな」といって立ち上がった。自ら止める気のようだ。
 国王には、先ほどの王妃の言葉が、「あなた(王子)」は「自分(国王)」、「決まった相手」は「正妃」、「女」は「寵妃」、「ユリアナ」は「ルクシア」、「銀色大ボケカボチャ」は「能なしエロカボチャ」に脳内変換され、まるで自分がなじられているかのように聞こえていた。そこで、いつも穏やかな王妃が荒れ狂っている原因の一端は、自分にもあると気づき、王妃を鎮めるべく行動に出たのだ。
 「来ないで」
 両手を広げて王妃に歩み寄る国王を、王妃はにらみつける。
 「ルクシア、落ち着くのだ。少し、話をしようではないか」
 「嫌!」
 王妃は、両手で、自分を抱え込もうとする国王の胸を強く突いた。それでも、国王が怯まず、王妃の手を取り引寄せようとすると―――。
 どーん!!!
 耳をつんざく大きな音がして、窓ガラスが砕け散った。
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