ゼロ戦記

チギラ アキ

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Ⅰ 黎明篇

4 神の槍

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 ゼロ・エネルギーは、小国に莫大な富をもたらした。その技術は秘中の秘とされ、国としての其の態度は、周辺諸国、特に台頭する大国から不興を買った。そして新エネルギーの覇権を巡って、世界は一触即発の緊張状態に陥っていた‥‥。

 一方、プロジェクトを成功に導いた立役者として、ルイ・リシュリューは、異例の若さで教授の職に就いた。しかし、その栄誉ある昇進も、後ろ楯のない孤児のルイでは、師であるロス教授の地位や手柄を横取りし、愛娘まで奪った不逞の輩だと揶揄されることもしばしばだった。

 教授に誓いを立てたあの日から、三年の月日が流れていた――。

「‥‥!?」

 臨月に入ったお腹の内側から蹴られたような気がして、アンジェラは目を覚ました。

「‥‥」

 宥めるように突き出たお腹を撫で、「大丈夫‥‥」と呟く。

 アンジェラが第二子を授かった時、シュナイダー医師は厳しい表情を浮かべた。夫婦でよく話し合った方がいいと提案されたが、今現在の心臓の状態だけで子供をあきらめるというのは、アンジェラにとって受け入れ難いものだった。

 マチルダを儲けて、無上の喜びを知った今、そしてこれが最後の機会ラスト・チャンスだと感じる今、自身の内部なかに宿った奇跡を手放すことなどできなかった。

 結局、アンジェラは、身を案じてくれるシュナイダー医師と愛するルイに対して、罪作りな嘘をついた。ルイを傷付ける罪悪感よりも、新しい生命いのちを全力で守ることを選んだ。

「大丈夫‥‥」

 アンジェラは、噛み締めるように、もう一度呟いた。

「何が?」

「‥‥!」

 思ってもみなかった不意の質問に、アンジェラは身体からだを硬くした。一瞬、寝たふりをしようかとも思ったが、ルイは腕枕を解いて、アンジェラの肩越しに覗き込んでくる。

 ベッドを共にして以来ずっと、ルイはアンジェラを腕に抱いて眠った。腕が痺れるだろうとアンジェラがそっと解放しても、気付けばまた、アンジェラの体躯からだに腕を回している。最早もはやアンジェラも好きにさせていたが、時折こうして驚かされる。

「‥‥‥‥、マチルダならきっと、寄宿学校でも大丈夫って‥‥」

 アンジェラは振り返ってたじろいだ。

(近い‥‥)

 心を見透かすような、真っ直ぐな眼差し。吸い込まれそうな、深く清んだ碧い双眸ひとみ

(目が‥‥離せない‥‥)

「‥‥、マチルダは君に似て、強いだから大丈夫だよ」

 アンジェラの緊張を解すように、ルイは笑顔を見せた。その言葉は、アンジェラ自身を力付けた。

 その時、「父様! 母様!」と隣室から聞こえる、くぐもった声に、元気良く駆け寄ってくる足音。そして、バアンッ! と勢い良く寝室の扉が開いて、「父様! 母様! どう?」と初等部の制服に身を包んだ娘が飛び込んできた。

「一人で着たのよ」

 自慢げに、両親の前でくるりと一回りする。

「素敵ね」

 母の言葉。

「よく似合ってる」

 父の言葉。

「来て‥‥」

 母に呼ばれて、マチルダはベッドに近寄った。

「‥‥分からないことがあったら、ライナスに聞くのよ」

 アンジェラは、制服のネクタイの形を整えながら娘に諭した。

「‥‥はい‥‥」

 マチルダもかしこまって返事する。

「‥‥いいわ」

 アンジェラは、ネクタイから手を離して、満足げに娘の姿を眺めた。

 マチルダは、期待と緊張のこもった眼差しで、「行ってきます」と挨拶した。最後に、瑠璃の瞳を再び輝かせ、母のお腹にそっと手を添えると「お姉さんは、あなたに会えるのを楽しみにしてます!」照れ笑いを浮かべながら、早口で伝えた。そして「お邪魔しましたっ」とペコリ、頭を下げて退室してゆく。

 アンジェラも身支度を整える為、上体からだを起こそうとした。

 しかし、「アンジェラ‥‥、君は寝ていなさい。顔色が良くないよ‥‥」とルイは優しく説得しているようでいて、その実しっかりとアンジェラを押さえ付けていた。

「でも‥‥」

 初めて親元を離れて、寄宿生活を送る娘を、アンジェラは母として、せめて玄関まできちんと見送りたかった。

 しかし、「今はお腹の子と君の生命いのちを一番に考えてくれ」とルイに懇願するように諭され、アンジェラはそのまま横になるしかなかった‥‥。





 ルイが身支度を整えて階下の食堂に入ると、義姉家族とマチルダは、既に食卓に就いて朝食を摂っていた。

「おはようございます」

 ルイは義姉夫婦に挨拶を述べ、マチルダの左隣の席に向かいながら、「おはよう、ライナス」とマチルダの右隣に座る甥にも声を掛けた。

「アンジーの様子は?」

 義弟が席に着くのを見て、サンドラは尋ねた。

「‥‥、顔色が優れなかったので、そのまま休ませました。今日は一日、僕が付いてますから‥‥」

「ありがとう。ヨセフには、今日、子供たちを学校に送るよう頼んであるから、アンジーの事が気掛かりだったの‥‥」

 サンドラは、ルイの言葉に安堵の表情を浮かべた。

「叔母様、どこか悪いの?」

 ライナスは、食事の手を止めて、二人の会話に聞き入っているマチルダを気遣って、つい大人の会話に割って入った。

「いいえ。叔母様は今、お腹に赤ちゃんがいるから、用心しないといけないのよ」

「用心って?」

 サンドラがまた口を開きかけた瞬間、「ライナス、お喋りしてる暇があるのか?」と突然、新聞越しに顔を覗かせた、ライナスの父であるジェイク・フィットンが親子の会話を中断させた。

「‥‥」

 ルイにとって、義姉からアンジェラのリスクを改めて聞かされるのは、心苦しいことだった。それ故、こうした義兄の心遣いに、ルイはいつも助けられていた。

「ルイ、君に見てもらいたい資料があるんだ。あとで、こちらの書斎に寄ってくれ」

 新聞を畳みながら、眼鏡の奥の明晰そうな瞳が、ルイを捕らえた。

「‥‥? 分かりました」

 畑違いの学者である義兄が、相談を持ち掛けるのは珍しいことだった。

 クライトン家の執事であるヨセフ・リトバスキーに連れられ、子供たちが生まれ育った屋敷を発つのを、親たちは玄関まで見送った。

 ヨセフは少年時代に、先代の家令に伴われ、下働きとしてクライトン家に仕え、現在は家令を務めるまでに至っている。

 ルイは玄関で子供たちを見送ったあと、そのまま義兄と共に義姉夫婦の書斎に向かった。

 ジェイクはただ一言、「はい」と書類の束を渡し、「サラのこと‥‥、気を悪くしないでくれ。彼女は妹の事となると、周囲まわりが見えなくなるきらいがあるんだ‥‥」と困ったように、けれど慈しむように妻を擁護した。

「分かってます。家族を失う怖さを、今の僕は痛いほど良く分かります‥‥」

 それは、噓偽りのないルイの正直な気持ちだった。

「ありがとう‥‥」

 ジェイクは安心したように柔らかな微笑みを浮かべた。

 義兄の書斎をあとにしたルイは、その足で自身の書斎へ向かった。

(「ゼウス(:小惑星アステロイド破壊装置)打ち上げ要綱」‥‥。何だ、これ‥‥? 新しく衛星を打ち上げるのか? ゼウス‥‥、雷神の名‥‥)

 義兄から受け取った書類の表紙に書かれた文字を見ても、ルイには其れが何なのか、ピンとこなかった。しかし、その計画書を読み進めるルイの様子が、ピリピリと緊張してゆく。

(これは‥‥まさか‥‥、「神の槍」では‥‥!?)

 最後に、プロジェクト・リーダーの名前を見て、ルイは更に驚愕した。

(ターナー‥‥ッ、一体どういうことだ‥‥!?)





「こんな夜分にお邪魔してすみません‥‥」

 中々会うことができなかったターナーに取り次いでくれたのは、友人のエレノア・ドーソンだった。

「いいのよ‥‥。こちらこそ、こんな時間しか空けられなくてごめんなさい‥‥」

 ルイが訪れたのは、ダニエル・ターナーとエレノア・ドーソン夫妻が暮らす郊外の一軒家だった。

「ウィリアム、今晩は」

 エレノアの足元から顔を覗かせている二人の愛息に気付いて、ルイは笑顔で挨拶した。

「こんばわ」

 人見知りなのか、挨拶もそこそこに、ウィリアムは母親の後ろに隠れた。

(可愛い‥‥。どちらの性格なんだ‥‥?)

「もう直ぐ戻ると思うから、少し待ってて‥‥」

 そう言って、エレノアはルイを客間に通した。エレノアが用意した紅茶を飲みながら、ウィリアムはターナーではなくドーソン姓にすること、今、執りかかっているプロジェクトで、ダニエルは連日こんな調子だということを聞いた。しかし、そのプロジェクトの内容自体は知らない様子だった。

 エレノアの隣で、こくりこくり、舟を漕ぎ始めたウィリアムを見て、「僕は一人で平気だから、ウィリアムを寝かしつけてあげて」とエレノアに伝えた。丁度そんな折りに、ダニエル・ターナーは帰宅した。軍服で帰宅した彼は、寛いだ装いになって客間に現れた。

「君の息子は、ターナー姓を継がないのか?」

 ルイは、エレノアとの会話の中で不思議に思ったことをず尋ねた。

「‥‥ウィリアムには、ターナーの家に縛られて欲しくないんだ‥‥」

「‥‥」

 その眼差しはとても真摯に思えた。

「‥‥、フィットン博士から聞いたのかい? 困ったな‥‥。これは極秘事項なのに‥‥」

 ターナーは、ルイがなぜ来たのか、分かったふうに話を切り出した。ルイの知る限り、ターナーは困った表情かおなどしていなかった。

「君は約束を忘れてしまったのか?」

「約束?」

 ターナーは眉根を寄せて聞き返した。

「ゼロ・エネルギーを破壊行為には使わないと‥‥」

「‥‥小惑星アステロイドを破壊するのに、何の問題がある?」

「違うっ!!」

 ルイは思わず語気を荒げた。

「‥‥」

 ターナーは黙って先を促した。

「その矛先は、地上に向けられるのだろう?」

「‥‥‥‥。何か問題でも?」

 ターナーは、とても恐ろしいことをしれっと認めた上で開き直っている。その余りに堂々とした態度に、こちらが言葉に詰まる。

「‥‥っ、ゼウスの存在が、戦争の火種になるかもしれない‥‥」

「ゼウスは戦争の抑止力となる」

 ターナーの眼差しは、あの時と同じ信念が宿っていた。

「過ぎた力は、人を狂わせるだけだ」

「‥‥所詮人間は、敵わない力に屈服するんだ」

「‥‥」

 ルイは、信じていた友が、余りに遠くかけ離れた存在になったように感じた。

(‥‥僕たちは、元々違ってたのか‥‥?)

 二年後、ゼウスは宇宙そらに打ち上げられた。ルイにとってせめてもの救いは、ゼウスによる監視社会が始まる前に、サミュエル・ロス教授が息を引き取ったことだ。だがその戒めは、ルイの心に深く刻み込まれた。

(これから何が起きようと、僕は逃げてはならないんだ‥‥)
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