追憶の旅路で

アルマキアルマ

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第一章 始まりの鐘の音

第一話

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少女の手は酷くただれている。
何層にも巻かれた包帯の中でグジュグジュと溶かされた腕が彼女の心を蝕んでいた。

心が閉ざされた少女の視界にはただ1人、彼女の手を引く人の手しか見えてない。
少女はその人の手が壊れないように、まるで人が小鳥を触るかのように優しく握る。
そして、少女が握ったその手は、慰めるように少女の手を握り返した。

彼女たちは追い立てられるようにたくさんの足音が響く冷たい石の廊下を抜け、螺旋階段を上る。
毎日、毎日背後に誰かいないか、身の危険を感じながら進んでいく。

「」

東塔と呼ばれる塔の頂上の簡素な一室。この塔があるこの城の主人の娘が住むにはあまりにも寂れている。しかし、少女はここでのみ安眠が得られた。

「今日も乗り切りましたね。お疲れ様です、姫様」

姫様と呼ばれた少女は、白く輝く鉱石で作られた細工の髪、色素を持たず血を映す紅い目、体に浮び上がる髪と同質の鱗と地に付くほどの大きな尾、光を反射してプリズムを放つ角を持つ。
竜が統べる国アマルギート王女、名をオラシオンといった。



鍵を何重にもかけ、いつでも手を握ってくれる侍女のアカネが枕元にいるこの部屋に入り、ようやくオラシオンは肩を下ろす。

「姫様、お食事ですよ。手を洗って食器を持ってきて下さい」

重くなった気分を無理矢理切りかえながら優しくアカネは笑う。
オラシオンは張り詰めた気が一気に緩んだからか、朗らかに返そうともいかず、それに「うん」と疲れた様子で返すことしか出来ない。

2人で食卓を囲むその姿はどこにでもあるような母娘、または姉妹の日常の光景だ。
しかし、オラシオンの表情は長年の追ってから逃げる生活による疲労で陰っている。

「いただきます。……おいしい」

少女の十四という年齢に見合わぬすらりとした長身から発せられる言葉は力無い。
どうにか笑おうにも、笑う気力をスプーンを握る手に巻かれた包帯の下に広がる傷に吸われしまっている。

「ありがとうございます。
食べ終わったら先程お医者様に貰ったお薬を飲みましょう。その後はお風呂に入って、今度は塗り薬です」

アカネはそんなオラシオンを見て一瞬悲痛な表情を浮かべたが、オラシオンを不安にさせまいとすぐにまた笑顔に戻る。

「分かった」

オラシオンは、包帯で覆われた腕を横目にまた小さな声で返事をする。
半ば諦めたような表情をするオラシオンに、アカネは今日何度目かの胸が締め付けられる感覚を覚えた。

「傷の程度によっては激痛がするとも仰ってましたから、私が塗りましょう。いくらでも暴れて下さい」

風呂から上がって湯気立つ腕にそっと手を添え、自身も疲労から力無く笑うアカネにオラシオンは首を横に振る。

「大丈夫、暴れない」

彼女の声は、若干震えながらも落ち着いていた。
甘えても良いと言われても、ヒトではない彼女が本気で縋ってしまえばアカネの体は容易に崩れてしまう。
支えてくれるアカネをこれ以上苦しませるのは、彼女の願いではない。

「……ありがとうございます、姫様はお優しいですね。でも、無理はなさらないで下さい」

無理をしているのはアカネの方だと思いながらそれを口に出す前に、アカネが塗りますよと言うと、オラシオンはこれから来るものを想像して反射的に頷きながら、黙って歯を食いしばる。

「ぎっ……!!!!」

傷と薬品が接触した瞬間、ジュと傷口から蒸気のような音と、ボコボコと肉が沸騰するような激痛がオラシオンを襲う。
息を張りつめ、感情が希薄だった表情は苦痛にまみれ冷や汗と涙が浮かんでいった。
沈みつつも凪いでいた心の中も「早く終わってくれ、早く終わってくれ」と騒ぎ立てている。

「すぐ終わらせますので、少しだけ、ほんの少しだけ我慢して下さい」

オラシオンは激痛に唸りながらもアカネの言葉に言葉も無く従った。
このような傷を負ったのはこれが初めてではない。
幼い身体に他者に見つかりやすい顔以外にいくつも生々しい傷跡が残っている。
先月背中に受けた傷に関しては、ようやく痛みが引いたところだった。
それが余計に、彼女の悲しみを深めているのだ。

「うぅ……」

耐えかねてぽろぽろと大粒の涙がオラシオンの大きな双眸から零れる。それは頬に浮び上がる透き通る白の鱗を伝った。

齢十四の幼い姫がこのように激痛に悶える背景には、権力争いがあった。
オラシオンの父が治める国、アマルギートは血統で王が決まる。王位後継に年功序列は無く、現王の子である一人の姉、二人の兄、そして末のオラシオンに平等に王位後継権が与えられる。

「力を持つ者は、それ相応の義務を果たさねばならない」

という伝統の教えの元、民に選ばれた者が王となるのだ。

「私なんかじゃ、王様になんて……なれない、のに……」

オラシオンは嗚咽しながら痛みとともに弱音を吐露する。
そう、きょうだい間が平等であるからこそ、影の王位継承者争いは末子であるオラシオンにも牙を剥く。
むしろ、幼く心が脆いオラシオンであるからこそ狙われてしまっているのだ。
アカネは、無力さに何も言えず歯を食いしばる。

「姉上達、みたいに強い、王族に、は、なれない……」

負け知らずで気高いオラシオンの姉たちにこのような行為は通用しない。
だからこそ、王妃という盾を早いうちに喪ったオラシオンが姉たちのような強い心を身につける前に、操りやすいように、または体のいい言い訳を付けて早めに殺してしまおうと、強い悪意と権力への欲望を持った強欲な輩が蠢いている。
結果的に、姫という体裁がために、生まれつき魔力を持たず"無能"とされているアカネだけを従者として付けさせ、姉たちや、父から引き離されしまっているのだ。

「よわいのに、なにも、できないのに」

そして、策謀通りに植え付けられた恐怖によって、彼女の中では己は無力であると強く思い込んでいるのだ。

「王族じゃな、きゃ、ただ硬い鱗なん、てなきゃ、って思った」

しかし、オラシオンは息も絶え絶えながら、そっと赤い瞳でアカネを見やる。
その目は優しかった。

「でも、今回はこの鱗が、あっ、てよかったと、思う」

この腕の溶解も、人気ない吹き抜けの広間の上層階から"花瓶を偶然落としてしまった"という事故を装った悪意によるものだ。

オラシオンの反応が一瞬でも遅れていたらその毒の水は彼女の頭に降りかかり、国一番の強度を誇ると言われた王族の鱗を溶かすような液体がアカネにも付着して目も当てられない状況になっていただろう。

「アカネはどこも怪我してない」

オラシオンは傷ひとつ付いていないアカネを顔を見て微笑んだ。
花瓶を弾き飛ばし、腕がただれるだけで済んだのは、"全てを公平に"という国の理念の元、ヒトに姿を変えているものの、彼女が王族たる所以である強靭な鱗と腕力を持つ、山と見間違えるほど巨大な竜の一族故だ。

「姫、様……」

アカネの喉の奥がまたきゅっと閉まる。
少女は、自身の逃げ道を作ることなどできない。
もし、まだ十四歳である少女がこの苦痛から逃亡するなら大人の手引きが必要だ。
無力であることを自覚していながらも、アカネは、“無能“と笑われた自分を大切に扱うこの優しい少女をどうしても苦痛のない場所へ逃がしたかった。
そして、意を決してある事を計画していたのだ。

「……姫様、傷が痛まなくなったらここを出ましょう」

オラシオンは目を見開く。
苦渋の決断だった。アカネは、オラシオンが姉たちを、家族を拠り所にしているのを知っていたからだ。

オラシオンは歳の割には割り切った性格の故、染み付いた傷の遠因が姉たちだとしても、秀でた才を持つ姉たちを家族として敬愛し、会うことが叶えばそれはそれは喜んでいた。

「それは……」

城から出るというのは兄達と相見えるという何よりの楽しみが更に遠のいてしまうこと。
しかし、オラシオンの心にはその寂しさと同じくらい希望が見えていた。

「ここから、出れる?」

「はい、そうですよ

政務区域付近こそ人は多いものの、少し外れれば途端に人の目が無くなるこの広くも見通しの悪い城から出ることで、周囲に住人の目が現れる。
刺客が無闇に手を下しにくくなることは確かなのだ。

「でも外だと、いつ誰が襲ってくるか分からない」

そう、同時に自由に往来が可能な外の世界では、外部の手練の者に暗殺を依頼するという可能性も高くなる。一度市街に出た時は付け狙われ、傷こそ負わなかったものの、生きた心地がしなかったのをオラシオンは強く覚えていた。

「そうですね、もちろんその可能性もあります」

言葉とは裏腹に薄い唇が弧を描く。その表情は先ほどの疲労困憊なものと打って変わって自信に満ちていた。
アカネは"村人全員がオラシオンを必ず護る"という確信がある村を知っていたのだ。

「姫様、皇后陛下、お母様がどこで生まれたか覚えていらっしゃいますか?」

「母上が生まれた場所……?」

聡いオラシオンの赤い瞳が輝く。彼女は、母が育った村の話をよく聞かされていた。
そこは、アカネが育った村でもあるのだ。
暖かく、一年中花が咲いていて、母やアカネから伝え聞く住人の様子は楽しげであり、オラシオンはそれを「物語みたい」といつも嬉々として聞いて、憧れていた。

「そうです。行き先は、お母様の生まれ育ったその村。
そこにはお母様のご兄弟が今も住んでおられます。
 “子ども達が十六歳になったら村で国民の生活を教えて欲しい”というお母様の遺言、そのツテを使ってご兄弟と連絡をとることに成功しました」

オラシオンは更に目を見張る。一縷の光を見つけたように。

「まだ姫様は十六歳ではありませんが、このまま十六歳まで城に居続けるのは危険です。
それで急遽前倒しでその村に行こうと思うのですが、どうでしょう姫様。行ってみませんか?もちろん私も同行させていただきます」

穏やかにアカネは問う。
オラシオンは目を泳がせて少しの沈黙の後、静かにうなづいた。

「いき、たい」

俯いていたオラシオンはポツリと呟き、ゆっくりとではあるが顔を上げ、その紅い目は揺らぎながらも、アカネのまろやかなセピア色の目を見つめる。
手は震えていた。しかし、その手はアカネの手に包まれている。その温もりが一抹の不安を抱える彼女の背中を押した。

「決まりですね。そうと決まれば荷造りを始めましょう。当日はご兄弟に迎えに来て貰えるように手筈も整えなければ…!」

アカネは目を細めて笑顔を零す。
オラシオンも釣られて少し口元を緩めた。その表情は彼女の短い生涯でも類を見ないほど期待に満ちていた。
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