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十話 わかれみち
しおりを挟むいつもの通り、夜明け前に目が覚めた俺は、湯を沸かしてからジョゼを起こす。
「あ……おはようございます。エル。」
寝袋からもぞもぞと這い出て来たジョゼは、まだ眠そうな目を擦りなか魔ら、大きく伸びをする。
「あのさ。肩がずいぶん出ちゃってるから、直してくれ。」
横を向いたまま答える俺の言葉に、やっと今自分がどういう状態だったのか気が付いたのか、あわてて服を直す音がする。ただ、慌てているせいか、ときおり何かが割れたり倒れたりする音が混じる。
あのカンテラ……高かったんだけどな。
くそ。
いきなり出鼻を挫かれた。
「も……もう大丈夫です! 」
寝ている時に、首下を大きく緩めたのか、ボタン留めのシャツからは、左の肩がほぼ出てしまっており、胸の上半分まで見えてしまっていた彼女は、今はしっかりとボタンを留めて、淑女然として座っていた。
「それじゃ、朝メシにしようか。」
「……なんだかズルいです。私……もう三回目ですよ……?」
真っ赤になったまま、ジョゼは口を尖らせて、上目遣いで俺を見る。
ズルいとは言われても、怪我の治療に勘違いに寝ぼけてだからな……。
確かに勘違いさせたのは俺だし、眼福だった事は、素直に認めよう。
「お嫁に行けなくなる……か? 」
「そうですね。行けなくなったら、エルに責任を取ってもらいますから。」
口元に手を当てながら、ジョゼは楽しげに笑う。
ただ、その言葉には、宣言するような、そんな響きが籠められていた。
俺はもう答えは得た。
あとは、自分のすべき事をするだけだ。
*
無事に一階層の森を抜けて、冒険者組合の受付を、人の波とは逆に通る。この黒い森で夜を明かしたのかと、一瞬興味を持った者が居たとしても、すぐにその感情は霧散した。
認識阻害魔法様々だ。
「無事に抜けられましたね。」
ジョゼは、寂しそうに森の入り口を振り返る。多分、彼女にとって、この一週間……いや、王都を抜け出してからの二週間は、今までに経験した事の無い冒険だったのだろう。
「いつだって来ることが出来るさ。あの転移魔法が使えるんだろう? 」
ただ、俺はもう彼女の冒険を認める訳には行かない。
出来るだけ他人事のように。
出来るだけ軽薄に。
「……そう……ですね。」
それきり、ジョゼは一言も喋らなくなり、無言のまま城門へと歩く。俺は、認識阻害の魔法を、自分だけ解いて、いつものとおりに領主のローブを羽織る。
俺の姿を見ると、しゃがみこんで子どもと笑っていた衛兵が、直立不動の姿勢を取った。
「ご苦労。」
「はっ! 」
俺が通り過ぎる時、その衛兵は槍を持つのとは反対の手で女の子を隠した。
ジョゼは、その光景に気が付いて、俺に悲しそうな目を向けた。
そのまま、目抜き通りを、領主館に向けて歩く。
「あら……またあの領主さま……。」
「前の領主さまは立派な方だったのにな……。」
「おい……まただよ……。」
「やっぱり結婚もしないでフラフラしてる奴はダメだな……。」
歩く間、聞こえないようなものも、聞こえるようなものもあれど、俺の姿を見て領民たちが、あれこれと囁き合う。
「あ……あの……。」
「君には認識阻害魔法が掛かってる。黙って着いてきたまえ。」
不安そうにローブの袖を引くジョゼに、敢えて硬い口調で答える。
これが、俺の日常だ。
しっかりと目に焼き付けて貰わないとならない。
「…………。」
チラリと後ろを見れば、ジョゼは顔を見られないようにしたいのか、ずっと俯いたままだった。
その間も、通りのあちこちから、俺を揶揄する言葉が響く。
「またどこかの村から連れて来たのかい? お盛んだねぇ……。」
「あたしのところにも、遊びにおいでよ。」
そうだ。これは俺に与えられた罰だ。
自分が女性が苦手だと言う理由で、敢えて作り上げた虚像。
そいつに今、復讐をされている。
どんな顔をしているのかが気になり、後ろを歩く彼女に振り返る。俯いたままのジョゼは、どんな表情なのかは解らなかった。
ただ、この期に及んでも、自分の立場を明かさない彼女に、どう思われているかは、火を見るよりも明らかだ。
そうだ。彼女は、自分で何かを掴むのではなく、ただ俺に命じれば良かったのだ。
龍の鱗が必要だから、取って来てくれ。と。
*
領主館の扉を開けて、中へと入る。
「おかえりなさいませ。旦那さま。」
どこで気が付いたのか、メイド長のマギーが、扉を開けて直ぐのロビーで待っていた。
「ありがとう。」
「ディータさまと、お客様が、執務室でお待ちです。」
「解った。」
先ほどから黙ったままのジョゼを伴い、階段を上り、執務室の扉を開ける。
果たして、居たのは予想通りの人物だった。ジョゼを入り口に残したまま、俺は執務机に深く座る。
誰も口を開いていない執務室には、奇妙な緊張感が流れていた。
応接用のソファーに座った、銀色に光る鎧を身につけた人物の視線を感じて、そちらを見やる。パッと見は細身のイケメンにも見えなくはないが、歴とした女性だ。
「久しぶりだな。フロレンシア。」
その第一騎士団長は、名前で呼ばれたのが気に入らないのか、ピクリと眉を上げる。
「貴様にそのような呼び方を許した覚えは無いのだがな。」
「今日は何用だ? 」
フロレンシアの抗議は無視して、話を続ける。
「人探しを頼まれていてな。演習と言うのは、その口実だ。」
魔物から国民を守る事を目的として設立された第一騎士団の演習は、王宮を通し、こちらが断れない体制を作ってから申請をされていた。
「……それは大変だな。見つかりそうなのか? 」
「なに。いま見つかったところだ。」
長い三つ編みの髪を揺らして、第一騎士団長、フロレンシア・ジャルジュは扉の前で所在なさげに小さくなっているジョゼを見る。
フロレンシアは、騎士団きっての実力者で、その涼しげな美しさは、女性からの人気が高い。
ただ、直情的な面があり、少し煽れば、直ぐに頭に火が着く。だから、俺とディータの評価は『少し残念な奴』と言う事になる。
ただ、この場に居てくれているのは、本当に都合が良い。
「ほう。この娘を探していた……と? 」
「ああ。そうだ。貴様のところにも『不審者を見かけたら知らせろ。』と、王宮から書状が届いていたろう? 」
「この娘のどこが不審者だ? 俺から言わせれば、王都から派遣されて来た、五人組の冒険者の方が、よっぽど不審者だぞ? 」
ギルドの酒場で、だらしなく食事をしていた五人組を思い出す。うちの一人は、四階層の草むらで今も骸を晒しているはずだ。
「何の話だ? 私はそんな連中は知らないな。」
「言葉のあやさ。確かに見たことが無ければ知らないのは仕方ない。残された奴は、こっちで何とかしておくよ。」
「……まあいい。では、我々は目的を達成した。あとはこの娘を連れて帰らせてもらう。」
一瞬、フロレンシアは悔しさを顔に滲ませる。
やっぱりビンゴだ。
だから、俺は畳み掛けるように口を開く。
「おい。待ってくれ。その娘は、俺が養子に迎えようと思っていたんだぞ? 」
自分の心の中から、我慢出来ずに吐き出した言葉に唾を吐き掛ける。
バケツ一杯の飲み水に、汚水を一滴垂らしたらどうなる?
そこにあるのは、バケツ一杯分の汚水でしか無い。
「……何を……言っている? 」
フロレンシアの身体から、殺気が立ち上る。
動き掛けたディータを目で制す。
「言葉の通りだ。たまたま才能のある娘を助けたから、鍛え上げて俺の後釜に据える気でいたのさ。こいつも、この街で暮らさないか?と聞いたら、満更でもなかったぞ? 」
「言うに事欠いて……貴様っ……! 」
フロレンシアの手が、腰に掛かっている剣に掛かる。
だからお前は筋肉バカだと言われるんだよ。
「まって! 」
一触即発の空気を、ジョゼの声が制した。
その良く通り、そうしなくてはならないと思わせる声は、流石だと思う。
何しろ、彼女は魔法なんて使っていないのだから。
「まって……ください……。」
「…………。」
「…………。」
俺は、次の言葉を待つ。
全ての終わり、そして、永遠の別れの言葉だ。
「私は今から王都に帰ります。フロレンシア姉さま。どうかよろしくお願いいたします。」
真っ赤な目をしながら、声を震わせ、ジョゼは、フロレンシアを見て、先に客間へと向かって行く。
フロレンシアは、その姿に何か思うところがあったのか、俺を睨んだあと、ジョゼに着いて出ていく。
「…………。」
その姿が消えて、パタリと扉が閉まるまで見送ると、ほぅとため息がでる。
椅子に深く腰かけて、天井を見つめる。
射るような視線を感じて、右手を見れば、ディータがこちらをじっと見ていた。
「なんだ? 」
「いえ……。何でもありません。」
まるで痛みに耐えているかのようなディータの顔を見て、俺はそれ以上何も言えなかった。
これだから、俺は自分が誰よりも嫌いだ。
結局、いつも誰かを傷つける。
*
執務室の窓から、表通りを見下ろせば、騎士団の馬車が出発の準備をしているところだった。
「本当に良いのですか? 」
ディータが尋ねる。
「良いも何も、養子に迎えられないのなら、意味が無いだろう。」
「本当に、それだけなら良いのですけれども……。」
何か言い掛けたディータを、ノックの音が制した。
「どうぞ。」
「失礼する。」
俺の返事を聞いて、第一騎士団長が、執務室へと入って来た。
「まだ何かあるのか? 」
「出立の報告だ。思うところはあっても、これも仕事だからな。」
「解った。それでは、お気をつけてお帰りください。ジャルジュ殿。」
「ふん。先ほどとは呼び方も違うのだな。」
「……。」
「まあいい。ただ、これだけは覚えておいた方がいい。」
「何でしょう? 」
「何度求婚しても袖にされ、それでも待っているような愚かな女と、あのお方は違う。心しておけ、あの方々も龍であるのだからな。」
「ありがとうございます。肝に銘じておきます。」
出来るだけ、平静を装って答える。
王族同士の婚約など、そう簡単に解消出来るものか。下手をすれば、戦争の火種にもなりかねない。
俺のワガママなど突き通せるものか。
我が領地に戦火が及ぶなどあってはたまらない。あいつらは毎日を必死に生きてるんだ。
「……それでは、失礼する。」
フロレンシアは、一礼をすると、くるりと踵を返し、執務室を出て行く。
カチャリと腰に下げた剣が鳴る。
そう。最初に気がつくべきだった。
この女と彼女の剣筋が同じだと言う事に。
*
窓際に立ち、道路を見下ろせば、ちょうど御者が馬に鞭を入れるところだった。
馬車の中に、彼女の顔を見た気がする。
とても悲しそうにこちらを見上げてくるその瞳を、俺は一生忘れる事が出来ないだろう。
これで全ては終わった。
がっくりと肩を落として自分の机へと戻る。また、これから今まで通りの毎日が始まるのだ。
失ったものは、もう二度と帰って来ない。
「ご主人さま。」
「なんだ? 」
机を見ているだけしか出来ない俺に、執務机の前に立ったディータが、上から声を掛けて来る。
「もし……宜しければ……。いえ……私で宜しければ……お慰めします……。」
今は、その冗談は笑えないぞ。と、言おうとして、ディータを睨みつけようとした。
しかし、彼女の銀色の瞳は真剣な色を浮かべて、こちらをじっと見つめていた。
いつも優雅に伸ばされている指は、身体の前で固く握られてしまっているのが見える。普段は凛とした佇まいと余裕を崩さないディータが、緊張の色を隠せていない。
「バカを言え。それに、そんな台詞は、緊張しながら言うもんじゃない。」
立ち上がって、執務机の前に立っていたディータの頭を、拳で軽く小突く。
「……。」
この副官は、たった今、振られたばかりの男を慰めるため、自分を差し出しても良い。と、言ってくれている。
「それにな、俺はこの暮らしが結構気に入ってるんだ。」
「……。」
「ただ……。いや……やっぱりお前は良い女だな。」
ありがとう。と、単に礼を言うだけでは、彼女の覚悟に報いるには足りない。
だから、素直に自分の言葉で話す事にした。
「気が付くのが遅すぎです。ご主人さま。」
そう言って、ディータは、安心したように、うっすらと涙の浮かんだ目で笑った。
だから女は苦手だ。
特に、こんな献身的な女は。
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