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五話 戦勝広場での別れ

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 旅装束を解き、部屋を一通り見終わったハリソンは、柔らかなソファーに、どうにも落ち着かない思いをしながら座っていた。

 精緻な刺繍の入った天井布に、一本一本彫刻が施された柱、調度品も全てが職人の技術の粋を集めたものである事が解る。

 村の皆には大した土産話になるが、この素晴らしさをどう伝えたら良いものかと、あれこれ言葉を探しながら、手帳へと書き記して行く。

 ふうとため息をつき、深くソファーに沈んだところで、部屋にノックの音が響いた。

「はい……なんでしょうか?。」

 ドアの向こう側にいるだろう人物に向かって声を掛ける。

「ハリソンさま。お客様がお見えです。」

「入って来て下さいと伝えてもらえますか? 」

 部屋の大きな掛け時計が十四時半を指しているのを見て、ハリソンは答える。
 ここに泊まると伝えてあるローガンが迎えに来たのだと解ったからだ。

 扉の向こうの気配は、かしこまりましたと告げると扉の前から離れて行く。
 ソファーの横に置いてあるサイドテーブルには、ご用の際にご利用下さいと小さなベルが置いてあるが、もしかしたらずっと誰かが部屋の前で待機をしているのかも知れないなと、ハリソンの中で気まずい思いが沸き上がる。

 ……俺には貴族のような暮らしは、どうにも向かないらしい。

 そんな落ち着かない自分の姿を見て、ハリソンから思わず苦笑が漏れる。

 再度、ノックの音がして、どうぞと返事をすると、入って来たのは、やはりローガンであった。

「なんだよ師匠。ずいぶん奮発したんだな…。」

 部屋に入ってきたローガンは、呆れたように部屋を眺めた後、ニヤニヤと笑いながら言う。

「いや、俺もまさかこんなことになるとは思ってなかったんだがな……。 」

「ま、下で話は軽く聞いたよ。俺も宿を使う時には是非にとさ。ただ、ありがたいけど、こんなすげぇ部屋じゃ、安宿に慣れた俺だと、逆に疲れちまいそうだよ。」

 ハリソンの困惑ぶりを堪能したのか、ローガンは、肩を竦めながら言う。

「ただな、お前ももう銀等級シルバーなんだから、こうしたところにも慣れておかなくちゃいけないぞ。」

 ローガンは冒険者の等級ランクが、鉄等級アイアンから上がったばかりではあるが、銀等級シルバーになれば、嫌でも貴族や大商人などの上流階級の人間との付き合いは増える。
 もはや、あれこれと口出しはすまいと、ハリソンは思ってはいたが、思わず小言が口から漏れた。

「また師匠はそんな事を言う……。どうせ自分だって気まずいなーとか思ってたんだろー? 」

「…………。」
 
 そんなハリソンの言葉を軽く受け流し、逆に痛いところを突いてくるローガンに、一瞬言葉に詰まる。

「……で、どこの酒場でやるんだ? マッコイのところか? 」

 ハリソンは、痛いところを突かれたと思いながらも、そのまま話を続ける。

「ふふん……。ま、着いて来てよ師匠。」

 そうニヤリと笑うと、ローガンは先に立ち、まるで執事のように、こちらへどうぞと身振りで示した。

*

「さて、着いたよ。師匠。」

「着いたって……お前……。」

 ローガンの足は、ハリソンが先ほどまで居た、戦勝広場で止まる。

 いつの間にか広場には街中の人が集まっているのではないかと思うほど、人が溢れていた。
 広場にはそこかしこに屋台が立ち並び、煮炊きの煙があちこちから上がる。
 ところどころには、大道芸を披露している者も居て、まるでお祭りの日のようだった。

「ここが師匠の送別会の会場だよ。俺も最初は小ぢんまりやるつもりだったんだけどさ、皆が自分も呼べって言うもんだからさ。」

「…………。」

 ハリソンは、その光景に目を見張り、何も言葉が出なくなった。

「あ! ハリソンが来たぞ! 」

「おぉーい! こっちだ! 」

 ハリソンの姿に気が付いた冒険者の一人が、周りに声を掛けた。
 大きな木製のカップを持ったその冒険者たちは、既に大分酔っているのか、真っ赤な顔で叫び、ハリソン達に駆け寄る。

 あっと言う間に、ハリソン達は乱暴に揉みくちゃにされ、背中をバンバンと叩かれる。

「元気でな! 」

「向こうに帰っても忘れんなよ! 」

「そのうち会いに行くからね! 」

 次々と新手が現れては、ハリソンに一声掛けて、親愛を表すように背中を叩く。

「おい! お前らいい加減にしろ! 」

 ローガンの言葉が遠くから聞こえるが、お構い無しに冒険者たちの荒っぽい別れの言葉が続く。

「今日来れなかった奴の分だ。街道警備の連中は休めねぇから……なっ! 」

 ひときわ大きな声と、ひときわ力の籠った一撃がハリソンの背中を叩いた。

「ごほっ。なんだよマーコフ。」

 あまりの衝撃に、ハリソンの口から不満そうな声が漏れた。
 睨むようにして振り返れば、ほとんど同じ頃に冒険者となり、数々の仕事で結果を競いあったマーコフが、大きな身体を揺すって、髭だらけの顔に笑いを浮かべていた。

「結局、勝負は付かず仕舞いだったな。楽しかったぜ。」

「俺の勝ち逃げだよ。マーコフ。こっちこそ楽しかった。ありがとうな。」

 寂しそうに言うマーコフに、ハリソンは礼を言い、拳を突き出す。
 マーコフは、その突き出された拳に自分の拳をコンと当てると、すぐに振り返って去って行く。

「なんだ? 泣いてんのかマーコフ。熊の目にも涙だな。 」

「うるせぇ! 」

 そんなやり取りがハリソンの耳にも届く。
 すこし荒っぽいが、気の良い、この街の冒険者たちの事が、ハリソンは大好きだった。

「みんな。忙しい中ありがとな。」

 声を震わせて言うハリソンに、次々に、いいってことよ。気にすんな。と、声が掛かる。

「おい! みんなそろそろ師匠を離してくれよ! あと、どさくさ紛れに俺を叩いて来た奴はちゃんと覚えておくからなー! 」

 ローガンの言葉に、まだちゃんと話せてないのにと、ぶつぶつ文句を言いながらも、冒険者たちの人波が割れる
 ついでとばかりに弄られていたローガンのくしゃくしゃになった髪を見て、ハリソンの顔に笑いが漏れた。

「さ。師匠、こっちだ。」

 ハリソンと一緒に揉みくちゃにされていたローガンが、ハリソンの手を引いて、広場の中央へと向かって行く。
 噴水の前には、一段高くなったステージに、テーブルと椅子がしつらえてあり、真っ白なテーブルクロスが掛けられていた。

「さ、今日の主賓の席はあそこだ。」

「お前……今日は身内だけって……。」

 やっと、この集まりが、本当に自分の送別会であると実感の沸いたハリソンが、小声でローガンに尋ねる。

「師匠にとっちゃ、この街の連中……いや、この国の人みんなが身内みたいなモンだろ? 」

 得意げに、ローガンが腰に手を当てながら答える。

「そうだぞ。これで送別会に呼ばれなかったとなった者は、どれだけ悲しい思いをしたか……。おつかれさま。ハリソン。 」

 ハリソンたちが立つステージの周りに集まって来た人波の中から、すらりと背の高い老人が、ハリソンへと声を掛けた。

「ヨゼフ爺……商会長! 今日は来ていただいてありがとうございます。」

 ローガンが、その老人に向かって礼を言う。

「ああ。ローガン。準備を任せっぱなしにしてしまって済まなかったね。」

 王都一番と名高い、ベルンハースト商会の長である、ヨゼフ・ベルンハーストが、ハリソンの手を掴みしっかりと握手をした。
 ローガンがハリソンのパーティーに参加するようになってすぐ、ベルンハーストの屋敷へと連れて行って以来、まるで孫のような年頃のローガンはずいぶん気に入られ、今では本当の祖父と孫のような付き合いが続いていた。

「ベルンハースト商会長! どうして……。 」 

「どうしても何も、君のように我が商会に貢献してくれた者の送別会に来ないほど、私は不人情ではないよ?。 …… 何回も手紙をくれたり、会いに来てくれていたみたいだね。本当にすまなかった。」

「いえ……。 本当にありがとうございます……。」

 なかなか時間が取れずに申し訳なかったと謝るベルンハーストに、ハリソンは恐縮して礼を言う。

「今日は楽しんでくれたまえ。私も今日は楽しませてもらうよ。あと、私からささやかなお礼を贈らせてもらう。明日、君の宿に届け出させるから、受け取ってくれ。あと、ローガン。ちょっと来たまえ。」

 ハリソンの肩をポンと叩き、ベルンハーストはローガンを連れて人波の中に戻って行く。
 お忍びで来て居るのか、平服姿の貴族の顔が何人か見え、ベルンハーストがローガンを紹介しているのが見えた。

ベルンハースト卿に任せておけば、これからのローガンの先行きは明るい。
 ハリソンは、ほぅと安堵のため息をつく。

 後ろ楯となる貴族や商人の存在は、上を目指す冒険者にとっては必要不可欠なものだ。
 上位の冒険者となれば、色々な力関係が絡む仕事をこなさなくてはならない事も増える。
 その際には、後ろ楯となる者の力関係が、そのまま結果に結び付く事となる。

 王家御用達の商人であり、貴族たちにも太い繋がりを持つベルンハーストなら、 後ろ楯としては申し分無いと言えた。

「今日はたっぷり食ってくれよ! 腕によりを掛けて作ったからな! 」

 ハリソンたちが良く通っていた酒場のマッコイが笑いながらハリソンの両肩を叩き、椅子へと腰かけさせる。
 次々と料理が運ばれて来て、あっと言うまにハリソンの前は湯気の立つ皿でいっぱいになった。

 蒸したジャガイモに塩気の強いバター。ローストした牛の肉に、酢の効いた鮭の身とスライスした玉葱…。
 酒場で仲間たちと夢を語りながら、ハリソンが好んで食べたメニューばかりだった。

「さ、今日はたっぷり飲めよ! 」

「ありがとう…マッコイのおやっさん…。」

 ハリソンは、目の前にドンと置かれたエールに手を伸ばし、何とか口に運ぼうとしたが、
 こみ上げて来た熱いものに耐えきれずに、うつむいて肩を震わせた。

「……こっちにまた来た時は、俺の店に寄るのを忘れるんじゃねぇぞ。じゃ、楽しんでくれな。」

 マッコイは、髭をたくわえた鼻の下を、人差し指で拭うと、ハリソンの震える背中をポンと叩き、また広場に張られた大きなテントの下にある調理場へと戻って行った。

 それからは、酒を持った人が、ひっきりなしに別れの言葉を交わしにテーブルの回りへと集まって来る。

「あんたが居なくなると寂しくなるよ……。うちの農園を助けてくれてありがとうね。」

 そう言ってハリソンのカップにワインを注ぐのは、上等な服を着た、初老の婦人だった。

「やだな……。ハンナさん。俺たちは依頼をこなしただけだから……。」

「それでもさ。あの時、大した金額も出せなかったあたしたちの依頼をあんたが請けてくれなかったら、今ごろはどうなってたか……。だから、本当にありがとう。元気でね。」

「ええ。ハンナさんも、どうかお元気で……。」


 婦人と入れ替わるようにして、筋骨隆々の大男がハリソンの側に来た。

「じゃあな。ハリソン。防具が必要になったら手紙くれよな。一番良いのを送ってやるからよ! 」

「リプケンさん……。もちろん頼むよ。 」

 ハリソンは、酒を一口、料理を一口、自分の口に運んでは、次々に訪れる人と挨拶を交わす。
 やがて、その人の波も落ち着き、次第に周りの歓談の声が耳に入るようになって来ていた。

 一段高くなっているハリソンのテーブルから見渡す人々は、並べられたテーブルに座り、飲み、食べ、笑いあっていた。
 広場の隅では、楽団が軽やかな音楽を流し、それに合わせて踊っている人たちの姿も見えた。

 そんな、笑い合いながら過ごす人々の姿を見て、ハリソンは、胸を曇らせていた疑問に答えが得られた気がしていた。
 いつの間にか、彼の顔には、柔らかな微笑みが浮かんでいた。

*

「ハリソン。おい! ハリソン! 」

 少し傾いた陽の光の中で笑い合う人々の姿が、とても尊く、美しいものに見える。
 そんな光景から、目を離す事が出来ずにいたハリソンに、苛立ちを含んだ声が掛けられた。

 ハリソンが振り替えると、そこには衛兵隊の鎧に身を包んだ女性が立っていた。

「ああ…。ジェシカじゃないか! 」

「ああ……。じゃないよ! まったく! 何度読んでも気付いてくれないし! 」

 赤髪を背に靡かせた娘は、腰に手を当てながら、まるでプリプリと音を立てるようにして膨れていた。

「済まない。ちょっと感傷に浸っててね。」

「もう……全然人が捌けないから、もう間に合わないかと思った……。」

 ホッとしたように、その衛兵はため息をつく。

「間に合わないって……? 」

「一応、最後にあんたの顔を見ておこうと思ってね。一応これでも警邏パトロール中でさ。」

「ジェシカはもう本部付きだったろ? ……待たせて済まなかった。」

 先の昇進試験の結果、ジェシカはもう本部付きの文官となったはずだった。
 ハリソンは、そんな彼女が、ひっきりなしに訪れていた人波が途切れるまで待っていた事に気が付く。

「ぐっ……。ま、細かい事はいいじゃない。そのうち、負けっぱなしの剣の勝負の決着を付けに行くからね! それまで腕を落とさずに待ってなさいよ! 」

 ジェシカは、慌てて両手を身体の前で振ると、少しだけ顔を赤らめた後、厳しい表情を作って、ハリソンを指差しながら言う。

「わかった……わかった。うちの村に衛兵隊が見回りに来た時は、村を挙げて歓待させてもらうよ。」

「……わかった。じゃあね。色々ありがと。」

 それだけ言うと、安心したかのような表情を浮かべたジェシカは、くるりと踵を返し、手をヒラヒラとさせながら去って行った。

 それからも、ハリソンの下に何人もの人がやって来ては、思い出話を語り、ハリソンに礼を行って去って行く。

 その度に、ハリソンは自分の心が満たされて行くのを案じていた。

*

「師匠! そろそろ良いか? 」

「どうした? ローガン。」

 すっかり陽の傾きかけた広場で、神妙な顔つきをしているローガンに、ハリソンは怪訝そうな顔を向けた。
 彼は、ベルンハーストと一緒に席を離れてから、あちらこちらと走り回っていた。

―――これだけの会を開くのに、今までもきっと大変な思いをして、準備をしてくれていたのだろうな……。

 ハリソンは愛弟子に向けて、この感謝をどうやって伝えたら良いのかと、悩む。

「あの……さ。実は師匠に会ってもらいたい人が居るんだよね……。それに……俺には両親も居ないし、師匠は父さんみたいなもんだろ……? 」

 上目遣いで、自信なさげに尋ねるローガンの姿が急に滲んで行く。

「……うん。もちろんだ。もちろん会うよ。会うとも。」

 自分を父だと言うローガンの言葉を聞いて、ハリソンはこみ上げる嗚咽を何とか抑え、ローガンに笑いながら答えた。
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