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四話 雨やどり
しおりを挟む雨粒が木々の葉を叩く音が響き、地面には川が流れはじめ、木々の間は霧が立ち込めたように降る大雨の中、メリダとリチャードは、街道から森の中に少し入ったところにある洞窟へと駆け込んだ。
「うわー……もうベタベタだよ……。」
「すまない……。まさか突然こんなに降るなんて思わなかった。」
あと、もう一刻(時間)ほど走れば、ミルドの街だと言うタイミングで、メリダとリチャードの乗った馬車は、突然降りだした大雨に打たれた。
ポツポツと降りだした雨は、雨具の用意をしているうちに、あっという間に大粒の雨となり、少し先の道が見えなくなるほどになった。
なんとか森の木々の間に、洞窟がぽっかりと口を開けていたのを見つけ、二人は慌てて大雨から逃れた。
街道に馬と馬車の姿は見えるが、馬たちは呑気に石畳の間から生えている草を食んでいた。
「仕方ないさ。降るかなとは思ってたけど、突然こんな雨になるなんて、誰も解らないよ。」
昼前には雲っていた天気と、雨が降って急に下がる気温で、メリダは濡れてしまった服を掻き合わせるように寒気に耐えた。
「ちょっと待ってくれ、今火を起こすから。」
「火を起こすったって、どうやって? ここには薪も乾いた布も火口も無いよ。」
「まあ見てて。ただ、これは内緒にしててくれよな。」
リチャードは、地面の砂に魔法陣を書くと、その縁に手を当てて、魔力を流し始めた。
すると、魔法陣の上に黒いもやのようなものが立ちこめ、次第に渦を巻き出す。
だんだん速度が上がっていく渦は、中心がどれくらいの速度で回っているか解らなくなったあたりで、ボッと言う音と共に、炎へと変わった。
「なんだ? リチャード、あんた、魔法が使えるのか? 」
「いや、これは魔法じゃない。……錬金術って奴だ。さ、服を乾かそう。風邪を引いちまう。」
自分の行李を引っ掻き回し始めたリチャードを見て、メリダはどうしようか悩む。
メリダ自身の行李にも、浴布は入っていたが、コワゴワの生成りの織物をただ切っただけの浴布は、昨日の沐浴に使ってから、まだ乾いてはいなかった。
洞窟の奥から、冷たい風が吹いてくる。
火に当たっていても、暖かくなるのは手のひらや顔だけで、濡れた服が当たっている場所は、どんどん冷たくなっていく。
身体が勝手に震えて来るのを感じてしまっては、もう覚悟を決めるほか無かった。
ええい、どうにでもなれ、と、メリダは鎧を取り、厚手のネルのブラウスも、綿のズボンも脱ぎ去り、下着だけになった。
どうせ、身体を見れば、自分の事を女扱いなどしなくなるだろう。と、彼女は諦めていた。
そして、渦を巻きながら燃える炎に当たれば、やっと人心地がつけられるようになった。
「……あった!……メリダ……これ、おすすめなん……」
行李から目当てのものを見つけたのか、嬉しそうに振り返ったリチャードの身体が、突然固まったように動かなくなる。
「ちょっと見苦しいとは思うけど、我慢してくれ。もう寒くて風邪を引きそうだったんだ。」
メリダは、夏でも長袖を必ず着る事にしていた。
その理由は、身体に残った魔物たちの爪跡だけでなく、刀傷も含んだ傷痕だった。彼女の全身の傷痕は、所々が盛り上がり、皮膚が引き攣れているところもあった。
彼女は、そんな身体を見せたくなくて、できるだけ身体を隠そうと、自分の身体を抱き締めるように組んでいた。
「いや……そんなことは……。」
「お世辞はいいよ。自分でも良く解ってるんだ……気持ち悪いだろう? 」
「……そんな事は無い! メリダの身体は綺麗だ! 」
怒鳴るようにリチャードが言う。
その姿は、メリダには本気で怒っているように見えた。
「…………? 」
突然の大声に、メリダは困惑してしまい、何も言えない。それに、何故リチャードが怒ったのかも理解が出来なかった。
「だから、これ。羽織っておいてくれないか? 南中海を越えた先にあるファラオの国で作られた、テリー生地って奴だから、柔らかくて暖かい。ほら……俺も一応……男だからさ。」
リチャードは、メリダを見ないようにして浴布を渡そうとしていた。
今まで男から浴びせられた、気味が悪いと言う視線ではなく、明らかに彼女を女性として見るリチャードの目に、メリダは戸惑う。
「……あ、ありがとう。」
リチャードが渡して来た大きな浴布は、肌触りも良く、そして暖かかった。
自分の身体に浴布を纏うと、メリダは急に恥ずかしくなった。
火に煽られて乾いた岩に座ると、リチャードから身体が見られないように、すっぽりと浴布の中に身を隠した。
*
「え……リチャードって、あたしより歳上だったの? 」
「良く言われる。これでも今年、二十三なんだ。」
浴布を巻き付けた姿のメリダとリチャードは、火に当たりながら、話しを続けていた。
素面の時は口数が多い方ではないメリダが、積極的に話を振るのは、無言になっては、洞窟に自分の鼓動が響いてしまいそうだと思ったからだ。
メリダは、リチャードの事を、ずっと年下だと思っていた。
彼女が二十なので、十八から十九だろうと、勘違いしていたことに気がつかされていた。
「で、十八まで錬金術の研究をしてた……と。」
「そう。それで結局行き詰まって、商人に転身したんだ。」
「錬金術って魔法みたいなものなんだろ? 」
「全然違うよ。今ある物質を違う形に変化させるのが錬金術で、魔法ってのは魔力そのものから何かを生み出すものだ。厳密に言うと、魔法と魔術だって違う。」
「……そうなんだ。どっちにしろ、魔力はつかうだろ? 」
「錬金術は、魔力を熱を奪ったり加えたりするのに使う。この火も空気にある二酸化炭素って物質を分解して、出来た炭素に酸素を結合させてるんだ。」
「それなら、最初から魔力で暖めれば良いんじゃないのか? 」
「うん。それが俺の研究してた熱術式って魔法陣なんだけど……。」
「それが上手く行かなかった? 」
「……その通り。点の世界だと上手く行く事が面になると上手くいかない。砂粒くらいの大きさでも、熱量が高くなり過ぎるんだ。」
「例えば? 」
「……えーと、決まった時間に風呂を沸かせようと、魔道具を作った事があったんだけど、動かした瞬間に水が沸騰してしまって、使い物にならなかった。」
「最初は水を少なくしておいて、沸いた湯に水を足せば良いんじゃないのか? 」
こいつは、本当に大丈夫かとメリダは思う。
「…………。」
それはアリだな……ちょっと待て……。などとリチャードは小声でぶつぶつと呟いていた。
「……まあいい。それで行き詰まって、商人になったんだっけ? 」
洞窟の入り口には、二人の服が掛けられていた。火の魔法陣に風の魔法陣を組み合わせて、温風で乾燥をさせている。
リチャードは替えの服は、商談用の一張羅か寝間着くらいしか無く、下着か裸で寝るメリダは、寝間着すら無かったからだ。
だから二人は、同じように浴布を身体を隠すように巻いて、火に当たって暖を取っていた。
「……あ、うん。そうだ。それから二年とちょっと、師匠のところで修行して、やっと三年になるところ。今回の大商いが成功したら、王都の近くでもう少し大きな仕事をしようかと思ってるんだ。」
メリダに指でつつかれて、やっとリチャードは答え始めた。
「もう売り先は決まってんの? 」
「うん。グリンヴィルの冒険者組合が、前から欲しがってたみたいで、向こうの商会に引き渡せば終わり。」
「もう、成功が目に見えてるんだな。」
「この三年、ツキも人にも恵まれてたけど、俺自身も頑張って来たからさ。この浴布も、結構いい値段で捌けた奴なんだ。」
「確かに……。あたしも欲しいもん。これ、柔らかいし、暖かいし。」
「良かったら、それあげるよ。糸の漂白が上手く言ってなくて、ムラになってる奴だから。」
「いいの!? 」
浴布の手触りを楽しんで、これは良いなと思っていたメリダは、本当に喜んだ。
「いいさ。在庫で持ってても、商売になる物ではないから。……さて、服は乾いたかな……。」
リチャードが、腰に浴布を巻き付けて、入り口近くに干してあった二人の衣服を見に行く。
メリダは、その後ろ姿から目が離せなくなった。
上半身には、それなりに筋肉が付いており、がっしりとした体型に、メリダは男性を感じた。
冒険者の男の上半身など、見飽きたと言って良いほど見ていたのに、どちらかと言えば華奢なその背中に、抱き着いてしまいたい衝動に駆られる。
「お、メリダ。もう乾いてるぞ。外ももう青空が見えて来てる。」
「今行く。」
「あ、メリダはそこで着替えて。俺は外に行ってるから。」
リチャードが、取り込んだメリダの服と持ってくる。
「……わかったよ。」
服を受け取りながら、メリダは、自分の口から出た言葉の響きに、残念そうな色がついていたのに気がついた。
ハッとそれに気がついたメリダは、リチャードには悟られませんようにと、心の中で祈っていた。
衣服に鎧を身につけたメリダが洞窟から外に出ると、そこには若葉が茂る森が広がっていた。
その薄い緑の煌めきは、まるで生きる喜びを、その身で歌い上げているように見える。
「あれ……? この森って、こんなに綺麗だったっけ。」
その光景に、メリダは見惚れながら呟く。
「ん……? そうかな? 今の時期はこんな感じだと思うよ。」
そう微笑むリチャードを見て、冒険者仲間や酒飲み友達の娘から何度も聞いていた、恋はするものではなく、落ちるものだとの話を、メリダは再び思い出していた。
「そうだ、メリダは馬車を動かしたことはあるかい? 」
「いや。馬には乗れるけど、馬車は動かした事はないな。」
「ちょっとやってみるかい? 」
「え……いいのか? 」
「よし、じゃあこっちに。」
「え……ちょ……ちょっと! 」
リチャードは、メリダを膝の間に乗せると、後ろから抱え込むようにして、手綱さばきを教える。
メリダは、なんとか方法を覚えようと必死だったが、それよりも自分の心臓の音が聞こえてしまわないか、心配で仕方なかった。
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