あやかしよりまし

葉来緑

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続章【逢魔】九日目⑧

異界の渦

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鏡介は背中を向け、屋根の上に立っていた。
そして白杖で、帯状のラインをなぞった。
「あの天狗少年は気付いたようだが、お前はどうかな……?」
────木葉の残した数字を思い出す。
数字の8は、∞の記号にも見える。
……暗号? いや……違う。そんな回りくどい事をする訳がない。
────これはもっと単純だ。
「あの記号は……この空間の歪みの形だな」

側面から背後を見ると、祭壇を中心に空間の歪みの帯が後方に円形状に広がっていた。
霧が一時的に晴れ、前方の様子が次第に見えてきた。
その時────前方の向きに、もうひとつの円形の帯がある事を確認する。
いや……違う。
円形の帯じゃない……円の内側からも歪みが生じている。
歪みは円柱状になっており、禍々しい気配を感じた。

「そうだ、裏表がないメビウスの帯と言った所かな。異界への入り口は帯状に広がり、また……異界から現世への入り口も帯状に広がった。その二つの帯は重なり、中央で180°捻られ、繋がったのさ」


……メビウスの帯を想像する。
「……背後の空間の内側は、異界へと引き込む力が働いていた。だったら前方の空間の内側は……現世へと引き込む力が働いている……?」
「違うな……逆だ。前方の空間の内側は────異界から引き出す力が働いているのさ」
「異界から……引き出す? それじゃまるで……」
「そう、あの前方の円陣は────異界からの出口なんだよ」
「何て事を!! ……これじゃまるで悪魔召還の魔方陣だ!!」



鏡介は背中を向けたまま、異界がある方向へと歩き出す。
そして境界を越え……異界の円陣の上に立った。
「高さに制限があるが……これより下は異界と言う訳だ」
あらためて地上を見ると、引き出す力同士がぶつかり合い渦を巻いているように感じた。
それを眺める鏡介が立っている屋根の上の高さには影響してはいない。
鏡介はこちらに来るようにうながした。
屋根瓦の上は、只でさえ足場が悪いのに雨に濡れて滑りそうだった。

屋根瓦の上にのって居た屋根瓦の欠片がガラガラと落ちた。
地面に叩きつけられた瓦の割れる音が予想するところだ。
しかし……瓦は空間の中に、音もなく消えていった。
此処から落ちたら────異界の中に消えてしまう。
鏡介は白杖をコツコツと突き、何か合図の様なものを送っていた。

「鏡花────……やれ」

……その時、円柱状の空間の歪みがこちらに向かって来た。
まるで地面が動くかのように祭壇の周囲を取り囲んで行く。

まずいぞ修一郎!! ────これは罠だッ!!』

傘化けが叫ぶ。
背後を振り向くと、影女が合わせ鏡状態になっている御神体を遥か後方へと持ち運んでいた。

祭壇を中心に包み────祭壇の屋根より下は、異界の空間になった。
鏡介はコツコツと白杖で屋根瓦を突きながら戻って来る。
影女も屋根の上に飛び移り、鏡介の元へと駆け寄った。

「さあ、お膳立ぜんだては整った。此処で存分に────やり合うとしようか」

────もはや完全に逃げ道は塞がれた。
屋根から下に落ちたら、異界へと吸い込まれてしまう。
異界は禍々しい気配に満ちていた。
異界の先は……先程のような安全な場所ではなさそうだ。

「何て無茶苦茶な事を……!! あんただって、落ちたら終わりだぞ!!」
「────対等な条件だ。文句はないだろう」
『こやつ……正気とは思えんな!』

鏡介は一歩前に踏み出し、白杖を突き出してきた。
白杖は頬をかすめ、続いて影女の手が伸びて来る。
傘化けを袈裟斬り状に振り下ろし、影女の攻撃を弾く。
しかし────更に続いて白杖が襲い掛かって来る。
避けようと身体を側面に移動させるが、足元が滑り体勢を崩してしまう。
その隙に鎌首状の影女が、再び襲い掛かって来た。
「この────ッ!!」
『ウォォン!!』
吽狛が吼え、影女に喰らいつく。
『アァ……ッ!?』
影女が身悶えしている隙に、鏡介に向かって傘化けを打ち込んだ。
鏡介は白杖でそれを回転するように受け止め、その衝撃をこちらに返した。
「うわっ!?」
この動きは────……以前見た合気あいきの動きだ。
『杖術に加え合気か……厄介やっかいな!!』
傘化けが悪態をつき、鏡介を睨みつける。
「言っただろう……俺は“魔”に対抗するだけの力を手に入れたと。実践も含め、自己は鍛え上げている」
鏡介は白杖を構える────構えに全く隙がない。
そして激しい突きを繰り出してきた。
避けきれず、左肩に激痛が走る。
「…………ッ!!」
「この五年間……“魔”に復讐する事が俺の支えだった。強さを求め……恐怖を克服しようとした。
だが────如何に真剣勝負を重ねようと、本気の殺意はなかなかに芽生えないものだ」
白杖が再び、眼前を襲ってくる。
「う……!?」
身を反らしかわすが────そのまま足を踏み外し、背中ごと倒れこんでしまった。
────背後から影が近付いて来た。

飛び起き、体勢を整えようとするが間に合わない。
影は片腕と片足を掴み、半身の動きを封じた。
その影女の半身には吽狛が喰らい付いていた。
憎々しげにこちらを見ている。

影女は引いた手足を────逆に押し込み、地の底に落とそうとする。
踏み堪えた衝撃で屋根瓦が崩れ、異界の中に落ちていった。

片足が縁側に落ち、落ちないように前面に倒れこむ。
すると……異界の渦が迫って来るのを感じた。
渦の中から強大な妖の気配を感じる。
────水車のような車輪の音だ。
影女の憎悪に同調するかのように、車輪の音が大きくなっていった。

『…………キテクレタ』
影女は嬉々としてその音に反応した。
「何が……来ると言うんだ?」
『…………ムコウノ……オトモダチ……』
────戦慄が走った。
この強大な気配をかもし出す妖が……現世に……?
恐怖にも憎悪にも似た高揚感に支配されていく。



影女は吽狛からもう片腕を解放させ、その腕を鍵爪状にして襲ってくる。
その高揚感は、今まさに眼の前にある脅威にぶつけられた。
「…………ッ!!」
────影女を睨み返す。
『ウォォォォン!!』
吽狛は雄叫びを上げて、影女の身体を爪で切り裂いた。
『キャアア!!』
影女の顔は苦痛に歪み、のた打ち回る。
『イタイ……イタイイタイッ!! …………ハナシテッ!!』
逃げ惑う影を牙が喰い込み、影女は消え入りそうな叫び声をあげた。
『ニイサン……タスケテ……ッ!』
鏡介がその場に駆け込み、白杖で吽狛を叩き付ける。

感情が昂ぶった吽狛は、そのまま鏡介の胸を────爪で引き裂いた。

鏡介はそれに構わず、吽狛の胸元に白杖を捻じ込む。
暴れる吽狛は、爪で────鏡介の腕を傷付ける。

鮮血を走らせながらも、白杖は吽狛の眉間を思い切り叩き付けた。
『ウウウゥ…ッ!!』
吽狛は唸り声をあげ、地面に倒れこんだ。
縁側を這い上がり、鏡介の元に駆ける。

大きく跳び────傘化けを鏡介に向かい、振り下ろした。
振り向いた鏡介は、白杖でその一撃を受け止める。
激しい衝撃音が鳴り響いた。
更に一撃、もう一撃を加えた。
「ふふ……ははは! そうだ……そう来なくてはな!」
連撃で鏡介の身体を縁側まで追いやった。
大きく振りかぶり、渾身こんしんの一撃を振り下ろした。
『待て────ッ!! 修一郎ッ!!』
傘化けの制止を聞かず、鏡介に向かい打ち込んだ。

だが、鏡介は攻撃線をかわし、死角に潜り込む。

自分の力に相手の力が加り────増幅された衝撃が返って来た。
「…………ッ!!!!」
激しく吹き跳び、屋根瓦を破壊した。
あらゆる所に激痛が走った。
『落ち着け!! ……攻めるのは良いが、軽率だぞ!!』

……傘化けの叱責しっせきが聞こえてくる。
……その声で、次第に意識がはっきりとして来た。
生命の危機にいつの間にか、無我夢中で攻撃を仕掛けていた。

「……しまった」
『…………? どうした修一郎』
「これじゃ、同じだ……あの時と」

その時、吽狛は咆哮を上げ────鏡介に襲い掛かる。
『ウウウゥン…!!』
その姿は大きく歪み、荒れていた。
だが、影女が吽狛を押さえ付けた。
二つの妖は揉み合いながら転がる。

鏡介は、そのまま白杖をこちらに向けて振り下ろしてきた。
その攻撃を傘化けで受け止め────後退していく。
「ははっ! ……どうした! 先程までの勢いは!!」
鏡介は愉しそうに打ち込んで来た。

だが……瞬間────鏡介の背後に、吽狛が飛び掛って来た。
「……何ッ!?」
不意を突かれた鏡介はそのまま吽狛ごと倒れこむ。
吽狛は鏡介の胸に爪を立て、その牙で────喉元に喰らいつこうとした。

「────……止めろッ!!」
傘化けで吽狛の牙を制する。
吽狛の牙はそのまま傘化けに喰らいついた。
『ぐわあッ!? ────止せ!! 吽狛ッ!!』

「────……!」
鏡介はその隙に白杖で吽狛を弾き飛ばした。
其処にすかさず影女が襲い掛かる。
吽狛は羽交い絞めにされ、身動きが取れなくなってしまった。

「……何をしている? 確実な好機だったはずだ!」
その言葉は傘化けからではなく、鏡介から発せられた。
鏡介は白杖を支えにして立ち上がった。
「……駄目だ」
「駄目だ……駄目だ駄目だ駄目だ!! これじゃ同じなんだ!!」
「……何を訳の解らない事をッ!!」
鏡介は襟首を掴んで来る。
外見に似合わない怪力で身体が持ちあげられる。
「同じ事を繰り返しても……何も変わらない! ……何も終わらないんだ!」
そのまま背中ごと地面に叩きつけられた。
「あの時の事を言っているのか……変わる必要はない!」
そこに白杖が、顔面すれすれの地点に突き立てられる。
「“魔”に対抗する為に────死の恐怖は克服した……。
躊躇ためらう事はないさ……俺は遠の昔に人ではなくなっている……ッ!」

狂気に似た表情で、鏡介は言い放つ。
「俺の復讐は変わらない! 相手が心を読む魔物だろうと……お前だろうと────どんな理由であろうと!」
────喉元に白杖が襲い掛かる。
手の平でその先端部分を掴み取った。
「…………変わらない事なんて」
掴んだ手から血が滲み、白杖を伝っていく。
「…………!」
鏡介は白杖を更に押し込もうとするが動かない。
「変わらない事なんて……あるものか! 御堂の……あんたを憎む心は変わった!!」
白杖を引き、鏡介の体勢を崩す。

その鳩尾に、傘化けの突きを喰らわせる。
「…………くッ!?」
鏡介の顔が苦痛に歪んだ。

「復讐の中には……御堂を救いたいと言う感情もあったはずだ────違うかッ!!」
踏み止まる鏡介の顔面に頭突きを喰らわせる。

更に傘化けを振り下ろそうとした瞬間────白杖がそれを受け止めた。
「……そんなもの、動機の正当理由の一つに過ぎんさ!」
白杖の横一文字の振りを、片腕で受け止めた。
激しい衝撃が全身を支配する。
左腕の感覚がどんどん無くなって行く。
────返す傘化けで鏡介の肩を叩き付けた。
「……くそ!」
鏡介の表情は苦痛に歪み、息も荒くなってきた。

「あんたは……嘘をいているッ!!」
「嘘だと……ッ!?」
白杖と傘化けが交差し、互いの頬を掠めた。
「たとえ憎まれても……御堂の事を────あんたは大事に想って居たはずだ!!」
激しい打ち合いが続き、いつの間にか互いに縁側に立っていた。
「……!! 何を根拠に!」
鏡介は白杖を大きく振り上げる。
そして、上段から一気に振り下ろしてきた。

「御堂の記憶が……教えてくれた!」

同時に、下段から突き上げるように傘化けを振り上げた。

「“サトリ”の“心を読む力”が……教えてくれた!!」

────激しい衝撃音がした。
鏡介の白杖は────屋根瓦を破壊していた。
突き上がった傘化けは────鏡介の胴にめり込んでいた。
「…………ぐッ!!」



鏡介は、手にした白杖を落とし……そのまま、縁側に膝を突き崩れ落ちる。
その瞬間────屋根瓦が崩れた。
滑るように鏡介の身体は縁側の外へと追いやられる。
屋根瓦は次々と崩れ落ち、空間の中に消えていった。

「────危ない!!」
そのまま縁側の外に身体を放り込まれそうになる鏡介の腕を掴んだ。
「…………ッ!?」
二人分の体重が圧し掛かり、足場の屋根瓦が次々と崩れていく。
傘化けを壊れた屋根に突き刺し────すんでの所で踏み留まった。

だが……それも鏡介が異界に吸い込まれる力により、不安定になった。
「何をしている……────その手を離せ!!」
鏡介は這い上がろうとせずに、腕を払いのけようとしてきた。
自身の身体もずるずると縁側に近付いて行った。
振り返ると────吽狛は、影女を追い詰めていた。
『ニ……ニイサン、タスケテ…!』
「……吽狛ッ!! ……来いッ!!」
『ウォォォンッ!!』
吽狛は命令を聞かず、影女に襲い掛かろうとする。

「────……来いッ!!」

強い意志で命令された吽狛は、自身を押さえつけながらこちらに向かって来た。
鏡介の袖を掴み、引き上げ作業に加わる。
吽狛の力が加わり、鏡介の身体は徐々に引き上げられていった。
上半身まで這い上がった時、背後から影女が近付いて来た。
『ニイサンヲ……ハナセ……ッ!』
凄まじい力で押し退けられた。
影女は、鏡介の元に駆け寄る。
「…………うッ!?」
逆に体勢を崩した自分の身体は、吽狛や傘化けと共に縁側へと滑り落ちていく。
必死に落ちないように両腕で縁側にしがみつき、身体全体を支えた。
『修一郎ッ!! 大丈夫か!!』
離れたところから傘化けが叫ぶ。

しかし────眼の前に影女と、這い上がった鏡介が立っていた。
影女は嬉しそうに歪んだ笑みを浮かべ、縁側を掴んでいる俺の両腕を掴んだ。
「や…やめろ!」
必死にしがみついた腕を引き剥がそうとしていた。
『修一郎!!』
離れた場所に落ちた傘化けが叫ぶ。
武器もなく────抵抗する術がなかった。

鏡介は白杖を拾い上げ、影女の背後から近付いて来る。
そして近付きながら、ゆっくりとその口を開いた。

「……助けてもらったのに申し訳ないが……俺はもう、何も感じないんだよ。
…………お前に始末して貰おうと思ったが────……俺が始末する」

そして影女の前に立った。

「名残惜しいが────……遊びは終わりだ」

鏡介は白杖を振り上げて来た。
どうする事も出来ず、覚悟を決めて────目を閉じた。


……────身体を貫く生々しい音が響いた。




だが……痛みは無い。
うっすら目を開けると……自分の身体には傷ひとつ付いていない。
────吽狛もまた無事だった。

あらためて鏡介の方を見る。
すると……振り下ろされた白杖は────……影女の胸に刺さっていた。

『ナゼ……? ニイサン……ドウシテ……?』
影女は自分の状況が信じられないと言った表情で、すがる様に鏡介を見ていた。

「鏡花、もう……遊びは終わりなんだよ。俺は────負けたんだ」

『マケテナイ……ッ! ……オワッテナイッ!!』
影女は駄々をこねる子供のように鏡介にしがみ付く。
「終わらせるんだ。お前の憎しみや苦しみや悲しみも……全部」
そう言って、鏡介は影女ごと縁側に近付く。

縁側に近付くに連れ、影女は恐怖に引きつらせながらもがく。
『……イヤ……ッ!! ソッチニハイキタクナイッ!! ……ニイサント……ココニイルッ!!」

「────この世界にお前の居場所はない」
『イヤッ!! ……ココ二イルノ!! アノイエモ……アノヘヤモ……ワタシノモノナノッ!!』

「もう────お前のものじゃないんだ」
 『ウバワレタ……ウバイカエスノ!! ……スベテヲ!!』



鏡介は白杖を影女に更に突き刺し、慟哭の後────影女は静かになった。
鏡介は影女を力強く抱き締めた。
その瞳は哀しみに満ちていた。

鏡介は縁側の端まで歩み寄り、こちらを見た。
「時が来れば、異界の扉は閉じるだろう……。……紗都梨は……意識が戻りそうか?」

────鏡介は影女と共に異界に落ちる気だ。
それを防ぐ為に、必死に這い上がった。

「ああ……きっと戻る。戻してみせる! だからあんたも……ッ!!」
這い上がり、鏡介を止めようと腕を伸ばした。

だが、鏡介は手を払いのける。
「紗都梨を……妹を頼む」
────そして縁側の外へと身を投げ出した。





────二人は異界へと姿を消して行く。
「…………ッ!!」
構わず縁側の外に身を乗り出した。
そして掴み損なった鏡介の腕を────掴んだ。
「な……に……!?」
落下する直前に、もう片方の腕で木の枝を────掴んだ。
鏡介の身体半分は異界に沈み────もの凄い力で吸い寄せられる。
『アアアッ!?』
そして影女の身体は離れ……異界へと吸い込まれた。
「────鏡花!!」
鏡介は異界へと行こうと、腕を振り解こうとする。
「……離せッ!! 俺は鏡花と共に往く!!」
「……駄目だ!!」 
渾身の力を振り絞り、鏡介の身体を引き上げる。
「駄目だ駄目だ駄目だ!!」
木の枝は大きくしなり────折れそうになった。
「何故だ!? 何故お前にそこまでする理由があるッ!?」
「あんたは生きてるんだ……ッ!」

「生きてるんなら────生きろ!!」

吽狛も枝の上に飛び乗り、懸命に引き上げる。
徐々に身は乗り上がり、枝元へと上半身が辿り着いた。

「…………くッ!」
鏡介は苦悩しながらも身を乗り出し……枝を掴んだ。



枝から屋根をへと飛び移った後、鏡介はしばらく何も語らなかった。
異界の渦が治まるまでは時間がかかる。
その間、黙って異界の渦を見つめていた。
影女が落ちた異界の先は、禍々しい意識で溢れていた。
……そこに平穏はない。

「……妹は、俺とずっとあの家で暮らしてたんだ」
ぽつりと鏡介が口を開く。
「死んでからもずっと……俺や親父、家族の誰にも気付かれないままに霊として過ごして居たのだろう」



鏡介は少しずつ影女の事を話し出した。
「幼くして双子の妹……鏡花を亡くした。
それからしばらくの間……ずっとその事が認められずにいた。
ある時、夢の中に鏡花は現れた。
ある時、誰も居ない筈の妹の部屋で物音がした。
ある時、鏡の中に妹の姿が見えた。
幼い自分は……妹は死んだ訳ではなく、鏡の世界に行ったのだと思い込んだ」

鏡介には雲外鏡が憑いていた。
もしかすると雲外鏡に映った妹を視ていたのかもしれない。

「しかし、それも年月と共に意識は薄れ……親父が再婚する事となった。
新しく出来た義妹……紗都梨を妹の分まで大切にしようと思った。
だが……再び妹が夢の中に現れた。
自分の部屋に知らない子が居ると悲しそうな顔をする。
夢の中で何とかなだめ、目が覚めた後は悪夢だと思い込んだ」

鏡花はずっとあの家に住んでいた。
鏡の国の住人のように、その影の存在があった。

「鏡花は次第に紗都梨を憎むようになり────命を奪おうとした。二度もな」
……その事が解ったのは、お前が異界に行った後だ。
鏡花は紗都梨の心を壊し────……抜け殻の紗都梨の前でつまらなそうにしていたよ。
────その時感じた。もう……妹は救われないとな」

異界の渦を見つめる。
渦は次第に、落ち着きを取り戻しつつあった。
────殺意を持っていた男が隣に居る。
その男の執念は消え、うつろな目でずっと異界を見つめていた。

虚脱感きょだつかんに包まれていると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえて来た。
『かか、無事だったか────修の字』
……天狗の声だ。

振り向くと其処には天狗が前面に出た木葉が居た。
だが、その両肩には気絶した凶悪な妖達が七、八匹程抱えられている。
「……木葉? いや、天狗……無事だったのか!?」
天狗は背中の翼でゆっくりと下降して来た。

『ああ、あの後方の帯は現世へと繋がっていた。儂は鳥居の手前まで弾かれただけじゃ。だが……帯の外側は異界からの妖が出没しておった」
そう言って、天狗は肩に抱えた凶悪そうな妖達を下の異界の空間に捨てるように投げ入れる。

『空間の帯が移動して来た時はたまげたぞ…………元凶は貴様か』
そうして、天狗は鏡介を睨みつけた。
鏡介は肯定も否定もせず、異界の渦を見つめ続けた。
『……全く、急に腑抜けた面をしおって……罰の与え甲斐もないわ』

天狗は悪態をついた後、あれから何が起こったか説明した。

木葉が取り込まれた帯の裏側……外側の空間は、異界からの出口として機能していた。
異界からの放出する力が強く、元に戻るには、また中央まで帯を飛び越えるしかなかった。
だが……次元の帯が広がる神門前に、異界からの妖達が、数多く出現していた。
天狗は駆けつけた楓姉と協力して、それを退治していたらしい。



天狗は、次第に穏やかになる異界の渦を見つめた。
『……これは、異界の逢魔ヶ刻が過ぎれば、じき鎮まる。……元凶の合わせ鏡は動かさず、待つのが吉じゃな』
異界の渦は、次第に小さくなって行きつつも、禍々しい空気を放っていた。
『戯けが、とんでもない事をしよる……この不安定な空間なら、自力で破ってくる魔物も居るぞ?』



────その時、祭壇が激しく揺れた。
「な、何だ!? ……地震か!?」
だが……揺れているのはこの空間だった。
異界の渦が激しく乱れ大きな歪みを生じさせていた。
『……ぬうッ! 言った傍から……不安が的中したか!!』

異界の渦から、大きな影が姿を覗かせた。
強大な妖が、この真下から出現しようとしていた。
異界から外に向かって湧き出す力が、溢れかえる。

『……強力な磁場が働いておる。……此処を離れよ!』

天狗はそう言って、祭壇の外へ逃げる様に指示する。
────見渡すと、異界の渦はだいぶ収縮していた。
この距離なら空間の帯を飛び越えれる。

────だが、鏡介は飛び降りようとしない。
ただ茫然として、異界の渦を見ていた。

「何をやっている!? 此処を離れるんだッ!!」
鏡介の腕を掴み、飛び降りさせようとする。
「…………鏡花」
その時、渦の中を見つめて鏡介が呟いた。
「────何ッ!?」



渦の中を見ると、巨大な影の中の中心に……影女の姿があった。

「────鏡花!!」
鏡介が影女に呼びかける。
だが、影女に鏡介の声は耳に入らず……凄まじい形相で、こちらを睨みつけてきた。
影女が姿を見せるのと同時に────尚一層激しい揺れが起こった。
その時……渦の底から影女と共に、もう一つの巨大な影は姿を現して来た。

…………巨大な影は、まるで牛車のような形をしていた。
影女は牛車の中に入り、動かしていた。

朧車おぼろぐるまじゃと……ッ!?』
────朧車と呼ばれたそれは、車輪を禍々しく回転させ這い上がって来る。
『修の字! それは怨念に呼び寄せられた異界の妖魔じゃ!! 破壊の衝動が強い……ッ! 
────直ちに離れよッ!!』

朧車は凄まじい重圧で、祭壇を破壊して行く。
激震が走り……足場が不安定になった。
祭壇は傾き、次々と剥げ落ちた屋根瓦が異界の渦へと落ちて行く。
朧車から離れる為に、縁側を駆け上がる。
『…………オマエダケハッ!!』
殺意の篭もった黒い腕が襲い掛かって来た。
鏡介が駆け寄り、黒い腕を弾いた。
「……鏡花止めろッ! もう終わったんだッ!!」
『オワッテナイッ! ……マケテナイ……ワタシハ……マケテナイッ!! 
ニイサンガオカシクナッタ……オマエノセイダッ!!』
「────くッ!!」
鏡介の身体が、朧車に吸い寄せられるように滑り落ちる。

その身体はそのまま────異界の渦に落ちそうになった。
「────飛び越えるんだッ!!」
傾斜を駆け、鏡介の腕を掴む。────そしてそのまま朧車の天井部分へと飛び乗った。
勢い余った鏡介の身体はそのまま異界の渦の外まで放り出された。
「く……ッ! 鏡花……ッ!!」

天狗が渦の外、次元鏡の前に立っていた。
そして次元鏡を引っ繰り返した。
『────次元鏡を反転させた!! 修の字ッ!! お主も跳べッ!!』

異界の渦は反転し、噴出していた力は逆に吸引するように作用した。
『…………ウゥッ!?』
巨大な影は再び異界の渦へと吸い込まれて行く。
足場が激しく揺れ、体勢が崩れる。
それでも何とか体勢を持ち直し、朧車の外に向かって駆け出した。
『…………ニガサナイッ!!』
────朧車の中から黒い両腕が伸びて来た。
跳ぼうとした瞬間、捕縛する様に足元に絡み付く。
「…………ッ!! しまったッ!!」
足元を掬い上げられ、うつ伏せになった。
黒い腕は強烈な力で────そのまま朧車の中へと引き摺り込む。
『────修の字ッ!!』
天狗が駆け寄って手を伸ばして来るのが見えた。
だが、それより早く暗闇が世界を包んでいく。
身体は朧車と共に、異界の渦の中に沈んでいた。



《九日目⑧終了 九日目⑨に続く》
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矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

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