あやかしよりまし

葉来緑

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続章【逢魔】九日目②

魔との邂逅

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店の車に乗り込み、ひとまず二人で御堂邸に向かってもらう事となった。
車内で、楓姉は難しい顔をしながらバリバリとお菓子を食べていた。
やがてしばらく熟考した後、口を開く。
「紗都梨ちゃんはアパートの鍵もかけずに学校に行った。そしてその放課後、転校の手続きをして、御堂邸に連れて行かれた。おそらく、その状況では……修一郎が真っ当に訪問しても御堂邸には入れないと思うわ」
「確かに、昨日入れたのは偶然だ。……でも何故?」
「きっと紗都梨ちゃんは軟禁状態にされてるわ。……病気とかこつけて」
「軟禁!? どうして御堂がそんな目に?」
「おそらく、口封じね。……鏡介は“サトリ”を“”として認識して激しく憎んでいた。
紗都梨ちゃんは“覚”を庇う為に、その罪を被ってるんじゃないかしら?」
「……“覚”の罪? それはまさか────鏡介さんが重症を負ったあの事件の事か?」
「ええ、自分が兄に重症を負わせた犯人だと、主張したんじゃないかしら? 真実は闇の中だけど……そうなると辻褄が合うわ」
────御堂の父親の言葉を思い出す。

“記憶障害の一種でね、嘘の記憶を信じ込んでしまっているんだ”

「……だからあんな事を」
家族としては、公にはしたくない事件だろう。
「……だけど、何かがひっかかるな。それならば────“覚”を隠してしまえば、わざわざ転校する必要はない訳だ」
「そこがキモね。あんまり考えたくないけど……罪を認めて自首しようとしているんじゃないかしら? そうなったらどのみち、学校にはいられないわね」
「そんな……!! だとしても事件当時は御堂は小学生だ! そんな事……出来る訳がないじゃないか」
「そうも言い切れないわよ。紗都梨ちゃんも“覚”も……過去に何があったのか、わたし達には知るすべはないもの」

“覚”はただ黙って、力なくうつむいていた。
……とても凶暴な妖とは思えない。
「御堂は……“覚”を信じている。携帯の伝言にも、俺に託す意思があったんだ。だから俺は、“覚”を信じるよ」
「……? その伝言、聞かせてくれるかしら?」
携帯電話を渡し、御堂の残した伝言を聞かせた。
「……あなた自身も鏡介に逢うのは危険だわ。怪我の事を知っていると言う事は、その前に鏡介と何らかの接触があった。おかしくなったのは……それからよ」
確かに────御堂は、兄と関わらないように伝言を残している。
だが、御堂があの家に居る限りは……鏡介さんを避ける事は難しい。
「俺は正直、鏡介さんに逢っても構わないと思っていた。でもそう聞くと……極力避けた方が良いな」
「いいえ。今は何があっても接触は避けた方が良いわ。……だからね。こう言う作戦を取ろうと思うの」
そう言って、楓姉はある計画を持ちかけてきた。





門の前に立ち、インターホンを鳴らす。
しばらくして、昨日も聞いた家政婦さんの声がした。
『はい、どちら様でしょうか?』
「こんにちは、御堂鏡介の友人の稲生楓です。鏡介さんはご在宅でしょうか?」
「鏡介様の……? はい、少々お待ちください」





程なくして、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「やあ、お前の方から尋ねてくるなんて珍しいな。用件は何だ?」
インターホンから聞こえてきたのは────鏡介さんの声だった。
「んー、ちょっと紗都梨ちゃんに用事があってね。会えないかしら?」

しばらく間があって、反応があった。
「……妹は現在、療養で安静中だ。言付けがあれば代わりに伝えておこう」
「いつ頃来れば紗都梨ちゃんと話せる? 預かり物があって、返したいんだけど」

「……わかった。話を聞こう、少し待ってろ」
そう言って、インターホンは切れた。
程なくして、鏡介さんは門を開き出てきた。
「ねえ、ちょっと車止めたいんだけど……車庫を借りて良いかしら?」
「……わかった。ガレージはこっちだ」

鏡介さんを門から引き離し、楓姉が合図をする。
その隙に茂みから飛び出し、門の中に入った。


家の扉は開いていた。
だが、正面から行く訳にはいかない。
御堂は安静中だと言っていた。
まともに訪問しても逢う事は難しいだろう。


庭の周囲に、建物の二階まで延びている一本の見事な木があった。
見上げると、二階の窓の向こうに────人影が見えた。
意を決して木を登る。
木登りは、過去の夢のおかげで、そんなに遠いものじゃなかった。
加えて雨音で、木を登る音は掻き消された。
登りきると、目の前の窓を通して────部屋の様子が見て取れた。


窓の向こうの部屋の中には、べッドから上半身を起こして本を読んでいる女の子がいた。
────御堂だ。
窓を軽く叩き、こちらに気付かせる。
だがその前に……御堂は気が付いていたようだ。
本を置き、目を見開いたままこちらをずっと見つめていた。
そしてゆっくりとこっちに向かってくる。
鍵を廻し、ほんの少しだけ窓を開けた。

「しゅ……修一郎君。ど、どうして……? 濡れちゃうよ、中に……」
掠れるような声で、御堂は窓を懸命に開けようとする。
だが、窓はごろしになっているのかそれ以上は開かない。
「ごめん……これ以上開かないの……」

「開けなくても良い。御堂こそ……病気は大丈夫なのか?」
顔を上げた御堂は、瞳を潤ませながらぽつりと言葉を漏らす。
「病気じゃ……ないの。でも……私はもう……皆のところには戻れない」
そして震えながら叫んだ。
「帰って……! 兄さんに見つかるわ!」
「何故だ? なぜ鏡介さんに会ってはいけないんだ」
「…………」
御堂はそのまま俯き、表情は読めなくなった。
「私は修一郎君にもひどい事を言ってしまった。だから、もう……逢えないと思ってた。なのにどうして……どうして……来たの? もう……私に、関わらないで! 関わらないで……ください」
消え入りそうな声で、御堂は淡々と話して行く。
「私……全部、私が悪いの。義兄があんな目に遭ったのは……。私は……罪をつぐなわなくちゃいけないの」
「鏡介さんが被害にあった────五年前の……殺人未遂事件の事か? あの時、何があったんだ……教えてくれ!」

「!? ……知ってる……の?」
「ああ、その事で鏡介さんは“覚”を“魔”と判断して────憎んでいるんだろう? でも……“覚”がそんな事を出来るとは思えない!」
御堂は体を震わせたまま、言葉を失った。
やがて、ゆっくりと口を開く────。
「そう、あの子は……悪くない。全部、私がやった事なの……兄が憎かった。母さんを死に追いやったのは────兄だと思い込んでいた……だから……」


「……崖から突き落としたの! 私が!!」


御堂の言葉と同時に────耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
聞き間違いだと思いたかった。
だが……御堂の言葉はしっかりと耳に入ってしまった。
「な…………」
ありったけの感情をぶつけられ、言葉を失った。
御堂は、何かふっきれたようにゆっくりと笑い始めた。
「……ふふ、滑稽こっけいな話でしょう? 私が罪を認めれば認めるほど……誰も信じない。
全て……あの子のせいにされたわ。“悪魔が取り憑いた”せいだって……」
そしてそのまま、窓に向かって顔を近付けた。
「だから……私にもう、関わらないで…………罪をつぐなって……いつか、あの子のお礼を……きっとするから」
御堂の言葉は、自傷するかのような痛みをこらえた、かすれたものに変わっていく。

「……御堂の言う事が本当なら……俺にどうする事も出来ない」
御堂は黙ってうなづく。
互いの目を見ながら、長い沈黙が続いた。
「だけど、御堂は……嘘をついている」
「…………え?」
「御堂は……罪なんか犯していない。俺には今────“覚”が憑いている!!」
「…………!!」
“覚”がその姿を現し、御堂を見据えた。
御堂はそのまま座り込み、顔を覆うような仕草をした。
「やめて……! 私の心を……読まないで!」
「だけど、真実はかすみがかかった様に伝わってこない。五年前────8月8日の夜に一体何があったんだ?」
御堂はただ怯え、首を左右に振るばかりだった。
こんな怯えた彼女の顔はもう見たくない。
その姿にかつての友人の姿が重なって見えた。

「教えてくれ────……イサミ!!」

「────!!」

御堂は覆っていた手をゆっくりと下ろした。

「イ……サミ……? 修一郎君……思い……出したの?」

御堂の眼からぼろぼろと涙が溢れてくる。
離れていたお互いの心が、引き寄せられるように感じた。
────その時、携帯の着信があった。
戻って来いとの楓姉からの合図だ。

窓から離れ、木の茂みに隠れて門の方の様子を見た。
鏡介さんがこちらに戻ってきている。
もう時間稼ぎは限界に達した様子だった。
「……ごめん、戻らなきゃ。」
木を滑り落ちるように降りて、地面に着地する。
きっと……イサミはこうして、家を脱け出していたんだろう。

「…………トシ……ゾー!」

二階の窓から、消え入りそうな御堂の声がした後、もうひとつの声がした。
家政婦さんの声だ。
身を潜め、タイミングを計って門の入り口まで行く。
門は境界を示しているだけのものに過ぎない。
内側から開けて、外に出た。





息を殺し、見つからないように時間をかけてゆっくりと門へと戻る。
門の前にはエンジンをかけた状態で車が止まっていた。
「お帰り、修一郎。収穫はあった? とにかく、乗りなさい」
助手席の扉が開く。
中に乗り込もうとした瞬間────門が開いた。
「……?」
振り向くと、門の前には人が立っていた。
────家政婦の人だ。
「こんにちは、昨日は失礼致しました。お嬢様がお世話になっております、家政婦の高橋雪子と申します」
視線が合うと、深々とお辞儀をして来た。
「あ……どうも、こんにちは。稲生修一郎です」
初対面ではなかったが、まともに会話を交わすのは初めてだった。
「……先程、庭に入られましたよね? ああ言った真似をされては困ります……」
……まずい、気付かれていたのか。
「す、すみません……」
もう完全に気付かれている気がしたので、素直に謝った。
「────今回は、防犯のブザーは解除しましたけど、次回から気をつけて下さいね。
……鏡介様に知られたら危険です」
「え……?」

「本来、家庭でのプライベートな事に立ち入る事は禁止されているのですが……あなたに……お嬢様の件でお話があって、参りました」
そう言って真剣な眼差しで見つめてくる。
「お嬢様は……一昨日この家に戻られてから、毎晩、怯えるようにうなされ続けています。
今晩の夕食後、鏡介様の計らいで……お嬢様はとあるところに治療の為に連れて行かれます」

「何ですって? 一体何処に……?」
「その場所はわかりません。ですが鏡介様は『お嬢様が悪魔に取り憑かれている』との二人の会話を耳にしました。
その鏡介様の様子に……私は何だか恐ろしいものを感じました。立場上……私は何も出来ませんが、せめてその事だけでもお嬢様の親しい人に伝えようと思い、参上した訳です」

そう言って、悲痛な表情をしたまま……深々と頭を下げる。
「お願いします……お嬢様を……お守り下さい……」
この人は……イサミの日記に出てきた雪子さんだ。
あの時のイサミが唯一、心を開いてた相手だった。
「……わかりました。高橋さん、伝えてくれてありがとうございます」
そう聞いて、安心したのか高橋さんは顔を上げて優しく微笑んだ。
「あなたが…………トシゾーさん?」

「え…………?」

どうして……その名前を知っているんだろう。
ただ黙って頷くしかなかった。

「立派に……なられましたね」
……そうだ。この人は…………気付いていた。
イサミが家を脱け出して、俺と会っている事を。
その様子を確認しながらも、今までずっと黙っていたのだ。
「ないしょですよ」
そう言って、人差し指を口元にあて、再び門の前に移動する。
車に乗り込み、この場を去るまでの間、ずっとお辞儀をしていた。




雪子さんは夕食の後と言っていた。
まだ夕方までは時間があった。
楓姉と二人で、一旦家に戻り、準備を整える。

その後再び、車に乗り込む。
張り込む準備をする為に、再び御堂邸付近まで車を走らせた。
「時間稼ぎが出来なくて悪かったわね。あいつもどうやら、立て込んでたみたいなの。
それにしても……悪魔……ねえ、悪魔憑き、悪魔祓い……エクソシストにでも逢わせようって言うのかしら?
今の鏡介なら……あり得る話だわね」
「そんな……漫画じゃあるまいし」
「あんたねえ、拝み屋もどきの親を持って、何を言ってるのよ。別に不思議な話じゃないわ。
とある国では、医者に治せない病はシャーマンに、シャーマンに治せない病は医者に頼ると言われているわ」
「御堂は……病なんかじゃない。そう勝手に判断されてるだけなんだ」
「鏡介は……少し独善的なところがあるけど、あれはあれで紗都梨ちゃんを救いたい気持ちは強いのよ。
────それがきっと紗都梨ちゃんを逆に苦しめているのかもしれない」
鏡介さんは本気で御堂から悪魔を取り除こうとしていた。
それは本当に義妹を守りたい一心からの行動なんだ……。
楓姉が“覚”で確認した心の声だ。
それは真実なのだろう。
「とにかく夕方まで……此処で二人が出てくるのを刑事ドラマよろしく張ってみましょうか」

星ヶ丘付近で一旦車を止めた楓姉は、乾パンをガリガリと男らしく食べながら、難しい顔をしていた。
「張り込みにはあんぱんと缶コーヒーと行きたい所だけど……乾パンと水しかなかったわ」
「まるで被災者だな……ごめん、買出しとか雑になってて」
ここ数日、簡単な料理しかしていない。
やはり食べたがりが居ないと、作り甲斐がなかった。
「全く……こちとら病院食をいかに美味しく食うか悪戦苦闘してたってのに」

「そう言えば、チョコのお見舞いもしてなかったな」
「……担当さんが代わりに持ってきてくれたわ、超高級チョコ。食ったら逃げられないチョコと小一時間闘ったから、もうチョコは良いわ……」
どんな攻防戦が繰り広げられたんだろう……。



しばらくの時が流れた。
その間、頭の中は五年前の8月8日の事で一杯だった。
もう少しで……何かを思い出せそうだった。
『……台風の目に入ったな』
傘化けの声で、我に帰る。
────気が付くと、雨音がしなくなっていた。

窓を開け、空気を入れ替え……気分を落ち着けた。
だが、相変わらず空には暗雲が立ち込め、町全体の空気は澱んでいた。
もう夕方近くの時刻だが……この天気では判断し辛い。
星ヶ丘からは、町全体の様子が見渡せる。

────そんな中、窓の向こう側にふと、神社の様子が見えた。
傘を差した人影が二つ、神社の鳥居の前でたむろしていた。
……門の様子はここからは見えない。
まずい……今は神社の門の内側は妖で埋まっている。
悪戯に門を開けるのは危険だった。
「楓姉、ちょっと神社のところまで向かってくれ」

神社の前で止めてもらい、車を降りる。
鳥居の奥の二人の姿を確認して驚いた。
そこに居たのは……八橋と猫柳だった。
「おい二人とも、そんな所で何をやってるんだ!?」

だが二人ともこちらの声が聞こえないのか、そのまま門の方向へと進んで行く。
石段を登って、鳥居をくぐる。
石畳を歩いていくと────……目の前の光景に愕然とした。



……門が開いていた。
門の奥に妖の姿は見えなかった。
────しかし、確かに入って行った筈の二人の姿も見えない。
此処から門の向こう側も見渡せる。
……そんなに遠くに行ってない筈だ。
「修一郎、どこに行こうって言うの!? 今のこの場所は危険よ!」
状況を理解できず、呆気に取られていると、箒神を持って楓姉がやってきた。
「か、楓姉、二人が……消えてしまったんだ。もしかすると……あの門の奥に入って行ったのかもしれない」
「何ですって!?」

楓姉は門の方を見る。
「……妖が居ない。でも……何か様子が変だわ」
────大声で二人の名前を叫んだ。
だが……返事はなかった。
「……此処はわたしが調べておくから、あんたは車に戻って獏を連れて来て!」
「わかった、すぐ戻ってくる……!」
引き返し、鳥居を抜け石段の所に差し掛かる。
時刻を夕方頃と判断したのか、石段下の電灯が点きはじめていた。
────その時……同時に石段を上がって来た人物と目が合った。
電灯を背にしていたため、逆光でその姿を確認するまでに時間がかかった。

その人物は……コツコツと杖の音をさせながら、ゆっくりと登って来た。
「────鏡介……さん」
「おやその声は……、こんな所でまたもや偶然だな? ちょうど良い、そろそろ連絡を取ろうかと思っていたんだよ」
杖を付きながら、ゆっくりと階段を上がってくる。
「鏡介さん、こっちに来てはいけない。今のこの場所は危険です!」
「ああ、“魔”が充満しているな」
黒眼鏡の中の瞳が、門の向こうを見つめる。

構うことなく鏡介さんは石段を登りきった。
とにかく……今は、八橋達を救い出さなければならない。
「すみません、とにかく中には入らないで下さい」


石段を降り、車内の獏を連れに行こうとした。
────だが……脚がまるで鉛の様に動かない。
「な……?」
「まだ話は終わっていないんだ────逃げるなよ、稲生修一郎」
上半身はかろうじて動いた。一体自分に何が起こってるのか確認する。
────だが、自分の目には何の妖の姿も見えない。
鏡介さんは黒眼鏡を外し……鋭い目でこちらを見た。
「ついにわかったんだよ、五年前……俺から視力を奪った奴の事を」
見覚えのある吸い込まれそうな昏い瞳だ。
それと同時に稲光が光った。
相手を見据えて、吽狛が唸る。
明らかに敵意のある威嚇の仕草をした。

「一昨日────楓とお前は……此処で見えない敵と戦っていた。その光景を改めて確認した時に違和感を感じた。……疑惑が確信に変わるまでに時間がかかったよ」
何故だ……? ……どうして今そんな話を……?

「俺をおとしめた“魔”の正体は稲生修一郎……お前だ!」

「な……なんだって!?」

……思考にノイズが走る。
耳をつんざく様な雷鳴が轟いた。
雷鳴とともにノイズが霞のような記憶を切り裂き、まるで走馬灯の様に次々と失われてた記憶を思い出していく。

*
*

五年前のあの日────雨の中……一人の男と争っていた。
────思い出したのは、自分が怒りに我を忘れた事。
────思い出したのは、俺は武器を持って、相手を激しく打ちつけた事
────思い出したのは、吽狛は暴走し、相手の急所に噛み付いた事。
────思い出したのは……

足を踏み外し、崖から落ちそうになっている男。
俺はその男に近付き、手を伸ばした。
……男はそのまま、崖の下へと墜落して行った。

*
*

「そ、そんな……嘘だッ!!」

頭を掻きむしり、蘇った記憶を払拭ふっしょくしようとする。
だが、一度蘇った記憶は鮮明に残り……頭の中から消えなかった。
眼の前に立っている男がまさに────記憶の中の男、そのものだったからだ。
「……やはり忘れていたか。俺自身にも曖昧な記憶しかなかった。だが、犬に襲われた傷はしばらく癒えなくてね────まだ傷痕は残っている」

そう言って、袖をまくり上げ腕の傷を見せた。
爪の痕が────生々しく残っていた。
「────道理で不愉快だと思ったんだよ、その犬の化物がな」

白杖で、吽狛うんこまを指す。
吽狛は互いの間に入り、吼えた。

そして鏡介さん……御堂鏡介は白杖を構え、不敵な笑みを浮かべる。
「来いよ、化物……消し去ってやろう」
「吽狛……止めろ! 待ってくれ、俺はあなたとやり合う意思はない!」
吽狛に命令し、抑え付ける。
だが、襲い掛かる敵意にどうしても反応してしまう。
「誤魔化しても無駄だ────俺はお前が本当は恐ろしい悪魔憑きだと言う本性を知っている」
足が……体が動かない。
黒い影のようなモノがうっすらと視えた。
足元から次第に体の自由がどんどん奪われていった。




《九日目②終了 九日目③に続く》
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