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続章【逢魔】七日目①
丑三つ刻
しおりを挟む「良い? さっさと引き上げて……お家に帰るわよ!」
楓姉に背中を叩かれ、現実に引き戻される。
「…………ありがとう、楓姉。助かったよ」
「な、何よ、妙に素直じゃない? 何か調子狂うわね」
ぼりぼりと頭を掻きながら、楓姉は床下へと戻って行った。
天井を見上げ、木葉の行った異界の跡を見つめる。
「イサミ……お前に何があったかはわからない。だけど……いつか、連れ戻してやるからな」
床下に入った瞬間────。
……今度は祭壇の隅から樹木の妖が姿を現した。
「な……何よあれは!!」
「あれは────侵入者を追う妖だ! でも……何故?」
おかしい、あの妖は御神体に反応していた。
御神体を持ち出さない限りは襲ってこない筈なのに。
────構ってる暇は無い。
そのまま日の光が指す方向に床下を逃げ続けた。
……樹木の妖は追って来ない。
迷宮の魔力は……床下には通じないのだろうか?
お粗末な話だが、お陰で助かった。
程無くして、地上に出た。
相変わらず雨が降っていて澱んだ暗い空だ。
今が何時なのかさっぱり掴めない。
ただ、一切の光が無い場所から出てきたので、明るく感じた。
「……今は何時なんだ? まだ、そんなに時間が経ってない感じだけど」
「うぅん、今は深夜よ。木曜日の丑三つ刻……明け方に近いわ」
「……そんなに時間が経過していたのか」
体中がずきずき痛む。
全体的に熱っぽかった。
◇
楓姉と共に、境内へと移動すると……周りの様子に唖然とした。
神社はかなりの数の妖に埋め尽くされていた。
だが、その大半は眠っている。
一匹の妖がこちらに向かって来た。
────獏だ。
獏は嬉しそうに脚に飛びついてきた。
「そうか、獏でここら一帯の妖を眠らせたんだな」
「そうよ、昨日の晩から────あんまり効果が無い奴も居るしで……もう、ホントに大変だったんだから……」
そう言う楓姉もかなり眠そうだ。
眠っている妖もいれば、傷だらけで気絶している妖もいる。
楓姉に倒されたのだろう、強面の強力そうな妖達だった。
本殿中央には巨大な妖が鎮座していた。
深く眠っているが、その丸太の様な腕は────かなりの怪力を予想させる。
これでは確かに中に入れない……それ以前に、俺の命はかなり危険な状態にあったと言う事に身震いする。
「獏で眠らせながら、攻撃して倒せば経験値は稼げそうだけどね……」
「いったい何の話だよ? いきなりゲームの話か!?」
「でも、あれってさ。負けた方が経験値って入る気がしない?」
「ますます何の話だ!」
いつもの調子に戻ってきた。
だが、楓姉はへろへろの時ほど減らず口が多くなる。
眠っている妖に気付かれない様に石段へと進む。
妖の内、気が付いた一体がこちらに向かって襲い掛かって来た。
狙いは楓姉だ。鋭い爪が楓姉に襲い掛かる。
「────触るなッ!!」
身を乗り出し、傘化けで妖を打ち付けた。
「な、何だ何だ!?」
鳴り響く打撃音とともに傘化けが目覚めた。
「おはよう、傘化け。寝起きで悪いが……付き合ってもらうぞ」
妖は怯みながらも、再び襲い掛かって来る。
『……全く妖遣いの荒い姉弟だッ!』
襲い掛かる妖の両腕を弾き、がら空きの胴体が見える。
即座に身をかわし、胴体を突き通した。
妖の体は神門に直撃した。
神門に触れた妖は、悶え────苦しんだ。
呻き声とともに妖は倒れた。
「……? 神門にはこいつ等は近付けないみたいね────ッ!!」
門に近付き、動く事を確認する。
「この門で封鎖するわよ!!」
歴史を感じる古びた神門を左右から押し込んだ。
重苦しい門の閉まる音が周囲に鳴り響いた。
起き出した妖が騒いでいるが、この門から外には出られないらしい。
もはや門の向こう側の空間は、言い様の無い不吉な空気に満ちていた。
関係無い人物に「近寄らない」「立ち去ろう」と言う気を起こさせる何かがある。
人払いの結界の完成と言う訳か……。
◇
石段を降りて、大通りに出た。
「行こう、楓姉。他の奴等も今にも眼を覚ましそうだ」
「待って、修一郎。……あいつに車を用意してもらってるの」
「あいつ?」
境内の前に、高そうな車が止まっていた。
運転席の窓が少し開き、男が顔を覗かせる。
「────!!」
……その顔には見覚えがあった。
────鏡さんだ。
どうして鏡さんが楓姉と……?
しかも、普段のサングラスはしていなかった。
「弟君は無事救出出来たようだな。────後ろに乗れ。送ってやろう」
楓姉と一緒に後部座席に乗る。
獏や吽狛等の妖達も乗り込んだが、かなりのスペースがある為、窮屈に感じなかった。
(高級車なんて初めて乗るな……)
濡れた体でシートが汚れないか、気になってしまった。
その時、運転席から鏡さんが顔を覗かせた。
サングラスを外したその昏い瞳は……どことなく、見覚えがあった。
「危なかったな、狛君……いや、修一郎君」
「! 鏡さん……あなたは、楓姉と知り合いだったんですか?」
「もはや匿名である意味はないかな……俺の本名は鏡介だ、鏡を介すると書く」
(────!!)
……夢の中のキョウスケさんは、鏡さんだったのか……。
しかし、今のキョウスケ……鏡介さんには、あの夢の中で視たような例の”鏡”の妖は憑いていなかった。
「────御堂鏡介だ。妹が世話になっているそうだな、稲生修一郎君」
(しかも御堂のお兄さん……?)
「あ……どうも」
頭の整理が追い着かない。御堂の兄と聞くと、どう接すれば良いか困ってしまう。
「二人がラブラブな事はちゃんと話しておいたから」
「────楓姉! ふざけるなよッ!!」
楓姉の事だから、きっとある事ない事含めて、話したに違いない。
「ははは、まったく奇妙な縁だな。妹からは今まで浮いた話なんてひとつも聞かなかったからな、安心したよ」
「だ、だから違うんですって!」
「別に俺は父親じゃない。そんなに畏まる必要はないさ。それに……血は繋がっていないんだ」
そうだ────御堂も同じ事を言っていた。
戸籍上の兄がいると……どうも複雑そうだ。
「まあ妹の話はいずれしよう……早く此処から引き上げないとな」
エンジンキーを回され、エンジンが始動した。
「車の運転……大丈夫なんですか?」
鏡さんは眼が不自由と聞いた。運転は可能なんだろうか。
「いつの頃からか、昼は全く目が見えなくなった」
バックミラーに、鏡介さんの漆黒の瞳が見えた。
「だが……夜になると視力が回復するんだ。────君の顔もはっきりと見えるよ」
その漆黒の瞳が俺をとらえた。
「? 君とは以前にも────何処かで会ったかな?」
「ええ、何度か会ってます。不良に絡まれてるところを、助けてもらいました」
「不良? 悪いが覚えていないな」
鏡の妖の話をした事を────鏡介さんは覚えていないのか。
「しかし……目が見えていても、事故は起こるものさ。そうなっても恨まないでくれよ」
「恨むっつーの! なんならわたしが運転しようかしら?」
「はは、怪我人とどっちが安全だろうかな」
楓姉の横槍で、場は和んだ。
身内の知人だと言う事で、親近感が沸いてくるから不思議だ。
「……酷い怪我だな。救急車の方が良かったんじゃないのか?」
「んー、かかりつけの医者がいるから一旦家に帰ってから行くわ。こんな状態で行ったら、警察沙汰になりそうだし」
「犯人は見えない敵……か」
鏡介さんは、半ば自嘲するような笑みを浮かべた。
◇
アクセルが踏み込まれ、車が動き出す。
妖達は追って来ない。
ほとんど眠らされているせいもあるだろうが、妖はどうやら、神門を越える事はできないようだ。
「夜に君からの電話があった後、楓から連絡が入ってな。君が楓の弟だと言う事は昨日の時点でわかっていたのさ。だから君が魔に魅入られた友人を追って神社に向かった事を楓に知らせた」
「そうよ、電話も繋がらないし……鏡介からある程度の事情は聞いたけど、その木葉って子は一体どうしちゃった訳?」
祭壇での、木葉との一件を説明した。
自分自身もわからない事だらけだった。
────確実に言える事は。
「木葉は……異界に旅立った」
事の顛末を二人に説明した。
「異界ですって────!?」
楓姉の眼の色が変わった。険しい顔で黙り込む。
そうだ、親父が行った先と同じ場所かも知れないんだ……。
「異界か……これを見てくれ」
そう言って鏡介さんは、数枚の資料を見せてくれた。
ネットニュースを刷りだしたものだろうか。
「?」
それには、五年前に起きた行方不明事件が記載されていた。
「三津木市、小学生の男子 木葉勇君(11)神社で行方不明……?」
そこには『息子が、一人で遊びに出かけたまま戻ってこない』との通報を受け、同市消防本部などが付近を捜索したが、発見できず、捜索を打ち切った。────とあった。
「あ、この事件覚えてるわ。でも確か……見つかったはずだけど」
もう一枚の紙には半年後、同市同神社内で保護されたとあった。
虚脱状態で発見され、行方不明時の記憶に錯乱した部分が多く、警察の調べでは、不審者に連れられ他県を渡り歩いた誘拐事件ではないかと見られている……とあった。
「あんたの小学校じゃ噂にならなかったの? 隣町の小学校らしいけど」
「……あんまりそう言うの興味なかったからな」
最後の一枚には、趣向が少し変わっていた。
『神隠し』という見出しで、行方不明少年が語った真実の内容という特集記事だ。
────見た事がない文字の手紙。
想像上でしか有り得ない様な生き物や、食べ物、植物。
同行した人物の白装束の仙人の様な奇妙な風貌。
そして少年の身体能力が優れた方向に変化が見られた事。
オカルト好きのゴシップ記事、そう捉える事は簡単だった。
これが真実だとしても……公で取り扱われる訳がない。
鏡介さんは俺が読み終わるまで、無言で運転を続けていた。
いつのまにか楓姉は眠ってしまっていた。
あの境内の様子だと、一晩中────かなり暴れまわったに違いない。
「俺はその記事に最も興味を惹かれて、独自にあの神社を調べてたんだが……その時に君に遭遇したと言う訳さ」
「そうだったんですか……。イサミ…木葉を何とか連れ戻す方法はないでしょうか」
「君はそんな目に逢ってまで、まだそんな事を言っているのか? 忠告しておこう、“魔”にも────“魔に憑かれた者”にも関わるな」
鏡介さんが声を荒げる。珍しく感情的だ。
「…………」
イサミの顔が浮かんだ。
「────友達……なんです。異界に向かった原因が……変わってしまった原因が妖なら……妖を祓えば」
木葉に憑いた妖を思い返す。
────かなり強力な妖だった。
祓うなんておこがましい事なのかもしれない。
「以前に、俺が“魔”について研究している事は話したよな」
「? ……ええ」
「ああ、俺の妹も“魔”に取り憑かれているんでね────最も、君には説明不要だろうが」
「!! それは!」
「楓から聞いたよ。無害な妖怪……妖だとな」
俺が口を挟む前に、言葉を遮られる。
御堂に憑いている“覚”は、本当に無害な妖だ。
「本当に無害かな……? 俺の知る限り、あれは危険だ────恐ろしい魔物だよ」
「!! ……そんな! ただ心を読んで憑人に知らせるだけの妖ですよ」
「それは本当に真実なのかな? 歪んだ情報を盲信して────不幸な事件を巻き起こす恐れは無いと……言い切れるのかい?」
……考えた事がなかった。自分の認識があっと言う間に塗り替えられそうになる。
「一体、御堂に何があったって言うんです? 不幸って……」
「それは直接本人の口から聞き出してもらえないか。過去に何があったのか……妹はその件に関しては、深く心を閉ざしてしまっていてね。君の方が、より真実に近付けるかもしれない」
鏡介さんは窓を開け、煙草に火を点けようとする。
「煙草を吸っても大丈夫かな?」
「ダメよ。…と言いたいところだけど、あんたの車だし好きにすれば? 昔のあんたは絶対吸わないタイプだと思ってたけどね」
苦笑しつつ鏡介さんは煙草に火を点けた。
紫煙の中、御堂に対する不安が膨れ上がって来た。
「……だけど、“覚”は現在は御堂に憑いていません」
“覚”は現在────家で預かっている。自分に憑かせた事もある。
歪みの無い……善良な妖の筈だ。
「“魔”が祓われても、蝕まれた心は元には戻らない。俺が知りたいのは……真実さ」
バックミラーに映った鏡介さんの眼は────怒りを露わにしていた。
吸い込まれそうな程に黒い瞳が、闇を見据えていた。
◆
程なくして自宅へと到着した。
「それじゃ、これで失礼するよ」
「ありがとうございました。……寄って行かないんですか? お茶でも……」
半分寝惚けた状態の楓姉を引きずりだし、鏡介さんにお礼を言う。
「お茶? やっぱりお茶にはタイ焼きよねぇ~……」
寝起きが悪いのはいつもの事だが、獏が何やら夢を見せているらしい。
「牛乳にはカステラよねぇ~……コーヒーにはピーナッツ……いやいやゆで卵も捨てがたいわ……」
何だか向こう側で美味しいものを食べているみたいだ。……コーヒーにはチョコレートケーキだろう。
「有難いが遠慮しておくよ、日が昇ると運転出来なくなるんでね。もっとも、今日はこの天気だが……」
空を見上げる。昨日から降り続いている雨は、ますます強さを増していた。
「この雨はまだまだ続く。……台風が近付いているそうだ。気をつけてな」
エンジン音が次第に雨音に掻き消される。
車が見えなくなるまで見送った。
「ぷわー、すっきりした!」
洗面所から楓姉が出てくる。
血を洗い流し、念入りに止血をしながらガーゼと包帯で応急処置をほどこしていた。
親父の手当てを母さんと一緒に良くやっていたせいか、手馴れていた。
俺自身も良く手当てしてもらってたっけ……。
「さあ! 腹減ったー!!」
しかし、その状態のまま、楓姉は朝食を作ろうとする。
「怪我人は大人しく休んでろよ……腹減ったんなら俺が作るからさ」
「あんただって見かけが派手じゃないだけで、怪我人じゃないの!」
「打撲と打ち身だよ……今はとにかく、眠いかな」
「頭打ってない? ちゃんと見てもらった方が良いわよ」
俺よりずっと重症のくせに気遣ってくる。
とにかく落ち着かせ、休ませた。
「血液が足りない……レバーが食べたい。レバニラ炒めとか頼むわ」
「ニラはあるけどレバーがないよ」
「それじゃ意味がないじゃない! 他に何か食材ないの?」
「肉はない。鯖ぐらいしかないな……」
「サバニラ……!? いけそうね!」
ただ語感が気に入っただけと思うが、言われた通り作る事にする。
味噌汁やご飯は用意してあった。
どうも夕食も食べずに出てきたらしかった。
サバをから揚げにして、ニラとともに炒めた。
その匂いに釣られてか、又三郎が起きてきた。
「ふわ~ムニャムニャ……ニャんだか鯖の良い匂いがするニャ……」
二階から、のそのそと又三郎が降りて来た。
どうやら寝起きらしい。
「お! 修一郎!! 無事だったのかニャ!! あ! 姐御!? 一体どうしたんだニャ!?」
傷だらけの楓姉を見て、又三郎は驚く。
「うん、思ったより大変でさー……、激しい戦いだったわ」
阿狛や吽狛も頷く。
「まあ、今回の功労者はこの獏ちゃんだけどねー。この子が居なかったら危なかったわ……バナナ食べる?」
楓姉は獏を抱きかかえながら、優しく撫でる。
「獏ばっかりずるいニャ!! おいらも必死に自宅警備員やってたニャ!!」
「あんた、寝てたでしょ?」
「そんな象虎よりおいらの象さんの方が役に立つニャ!!」
そう言うと又三郎は楓姉に抱きついた。
「あ痛たたた!!」
傷にさわったらしく、すかさず楓姉の鉄拳が飛んだ。
「ギニャアアア!!」
「修一郎! レバー手に入ったわ!! 猫のだけど!!」
ボロ雑巾の様な又三郎がキッチンに捨てられた。
◇
「こ、これは……────いけるわ!」
サバニラ炒めは、思いのほか美味しく出来た。
楓姉はガツガツと豪快に食べていく。
「夏の鯖は脂が少ないし臭くて苦くて病気も怖いから苦手だったけど、これはいけるわよー」
じゃあ何で鯖を買ってるんだ……。
「安かったから。又三郎にあげようと思って」
「……酷いニャ」
────こう言ったやり取りを見てると家に帰って来たんだな、と落ち着く。
だが……木葉の件、大量の妖の出現。
そして鏡介さんが言った言葉────。
“あれは危険だ────恐ろしい魔物だよ”
不安の種は消えない。
「楓姉、“覚”はどうしたんだ?」
「────!」
楓姉の箸を持つ手が止まる。そして、深刻そうな面持ちで口を開いた。
「……あの子は、納屋に閉じ込めて居るわ」
「な、何だって? 酷い事するなよ! 御堂からの預かりモノなんだぞ!!」
「鏡介のところに会いに行った時に連れて行った時の事よ……」
*
わたし達はあの電話番号がきっかけで再会を果たした。
「やあ、まさかお前から連絡が来るとはな……久しぶりだな、楓」
「久しぶりね、鏡介。……五年ぶりくらいかしらね。全く、連絡のひとつも入れないで……てっきりくたばったのかと思ってたわよ」
「随分な挨拶だな、こいつをやられたからな。昔の知人に逢うのは極力避けたかったんだ」
鏡介は自分の目を指差す。
「……? あんた目が……!?」
「原因不明の病気でな……だが、夜になると見えるんだ。今ははっきりと見える」
「そうだったの……」
「止してくれよ。久々の再会なんだ。乾杯といこう」
「……わたしお酒ダメなんだよねー、……まあ、付き合いで飲むくらいはするけどさ」
「ふうん? 酒豪の様に見えるがな?」
「酒も煙草も駄目。あたしの目の前で煙草吸ったら不機嫌になるわよー」
「ふふ、わかった、喫煙は自制しよう。それぐらいはわきまえてるつもりさ」
鏡介の病気の事以外は、普通の何気ない再会だった。
昔話に花を咲かせ、現在の仕事の状況について語り合った。
家業を控えた状態で、都会の大学に通っているらしい。
現在は休みを利用して里帰りして来た……と言う事だった。
談笑は続き、お互いの話が盛り上がって来たところで、あんたの話を持ちかけた。
「ちょいと小耳に挟んだんだけど……あんた、悪魔とか妖魔とかオカルト的なものについて研究してるんだって?」
「どこでそんな話を? その事を知る人間は限られている」
「あんたが先週の土曜日の夕方、神社で会った少年よ。あれは────わたしの弟なの」
「成る程……そう繋がったか。どうも何処かであった事がある気がしたんだ。……不思議な少年でね、見えない犬を連れていた」
「あんた……妖が見えるの?」
「いや、今は見えない。日中、視力がなくなった時だけに感じるんだ。それが君の言うところの妖なのだろう」
「それが、あんたがそういうモノに興味を持ったきっかけ?」
「いや、きっかけは“魔”に出逢った事だ。俺はそいつが原因で視力を失った」
「どういう事?」
「妹が“魔”に魅入られた。それから妹はおかしくなった。俺の事を……いや、止そう。久々の再会で話す話題じゃない」
「良いわ、興味があるし。妹ってもしかして……紗都梨って名前じゃないかしら?」
「────!? どうしてその名前を……?」
「あたしには何でもお見通しなのよー。弟の同級生なの……御堂紗都梨。この辺りで御堂姓で、お金持ちと言ったら……あんたの家くらいしか思いつかないわよ、御堂鏡介」
「そうか、ますます話が早いな。妹とは最近再会した。相変わらず……深く心を閉ざしていたよ」
「心を閉ざしていた? んー……、とっても良い子だったけどね」
「ああ、妹に問題は無い。悪いのは……“魔”さ」
「……詳しく聞こうかしら」
「いや、これは俺自身の問題だ。個人的な事を話す趣味は無い。君が妹の知り合いなら尚更だ────言霊の力は恐ろしい。人の認識なんて言葉ひとつで大きく変わるものさ」
わたしは、“覚”で鏡介の心を読んでいた。
あいつ……あんたに変な事吹き込んでたみたいだし、信用ならないと思っていた。
だから電話番号のメモは処分し……関わらせないようにしようと思った。
────だけど、今までの情報に偽りはなかった。
……偽りがないとすれば、鏡介が言っている“魔”は────わたしが連れている“覚”と言う事になる。
「んー、じゃあ紗都梨ちゃんの事は話さなくて良いわ。問題はその“魔”ってやつよ。私はそれを知っている。別に……害になるような存在じゃないわ」
「……何でも知っているんだな、お前は。妹に憑いているのは、心を読む魔物……だろう?」
【良くそこまで……妹から聞き出せたものだな。一体……何があったと言うんだ?】
「なんだ、あんたもそこまで知ってるのね? 漫画とかで良くある精神感応者(テレパス)になってるみたいなものよ」
わたしは修一郎と紗都梨ちゃんの経緯を話した。
妖の事、妖が見えるわたし達の事、比較的すんなり受け入れてくれた。
「“覚”は……わたしの知る限り、害はないと思うわ。本人次第だけど」
「君の知る限り────な。妹も……その魔物を庇う」
鏡介は煙草に火を点ける。
【…を殺……と認識させ、…に俺を……………落……せた。………忌々し……物を……庇う……?】
思考にノイズが入ってきた。
不機嫌なサインだと気付くのには、時間がかからなかった。
「────あれは恐ろしい魔物だよ」
【…から……を奪った……】
更に────全体的に背筋を走る嫌な感覚がした。
【……許さない………必ず…………てやる】
(悪意?)
悪意に対するシグナル……そう判断した。
頭が痛い。不快な感情が湧き出し、気分が悪くなった。
「うぅ……」
「どうした?」
「何でもないわ、少し気分が悪くなっただけ」
「……済まない、こんな話じゃ酒が不味くなるな。気を取り直して乾杯といこう」
【これは俺個人の問題だ。今は忘れよう、……────忘れるんだ】
鏡介はあらためて酒を注文する。
「そうね、わたしもあんたが弟に近付いた理由がわかっただけで満足よ」
わたしも“覚”を使役するのを止め、それに付き合った。
*
楓姉の話は、そこでひとまずの区切りをつけた。
「いけ好かない奴だニャッ!! 姐御と酒を飲むなんて十年早いニャッ!!」
男と二人で酒を飲んだと聞いて、又三郎はご立腹だ。
「あんたとマタタビの匂い嗅ぎあってもねえ……」
楓姉は休憩を挟んで、食後のデザートに興じ出した。
「やっぱお茶には和菓子よねー……相性ってあると思わない? 理由はわからないけど、鏡介は“覚”を恨んでる……紗都梨ちゃんは“覚”を庇う為にあなたに預けたんじゃないかしら」
「……でも、それだけじゃ“覚”を納屋に閉じ込める理由にならないじゃないか」
「実際に見てもらった方が話が早い様ね、ついてらっしゃい」
◇
全員で納屋に移動し、扉を開ける。
納屋は旧家跡を改築したもので、倉庫代わりに使われたりしている。
中の半分は、妖の遊び場となっていて、妖にとっては居心地の良い空間にはなっていた。“覚”は納屋の中の隅の方で、ひっそりとうずくまっていた。
傍では小人達が、懸命に“覚”の体をほぐしていた。
“覚”の体は、かなり弱っていて、気枯れていた……。
所々、歪みが生じている。
「ど、どうしたんだよこれは……」
「昨日よりだいぶ収まったけど……いくら気生めても良くならないの。清らかな空間だった神社は、あの有様だし……空気は澱んでるしで、比較的穏やかなこの場所に安置しているのよ」
「そんな────」
“覚”を抱きかかえ、体をほぐす。
初めて会った時よりも気枯れている……。
「俺が気生めるよ。御堂に……申し訳がたたない」
「それでも昨日よりはマシになっているわ。今は、あんたの体を心配しなさい。わたしもあんた自身もボロボロだって事、忘れちゃ駄目よ。そろそろ病院に行かなきゃ」
「…………」
自分より重症の楓姉に言われては、反論出来ない。
時刻は、診察時間に近付いていた。
学校に病欠の連絡をし、病院に向かう事にした。
◇
馴染みの外科医院にやって来た。
曾婆ちゃんの代からお世話になっていると言う、年季の入った小さな病院だ。
初老の院長先生に、久しぶりだと歓迎される。
この怪我を見ても、あんまり驚かないのは、生傷が絶えなかった親父や、お互いの子供時代によるものだろう。
お陰で姉弟喧嘩として処理されてしまった。
楓姉の後に、木葉とやり合った際の打ち身や打撲の診察を受ける。
幸いにして、CTスキャンやレントゲンの結果、ヒビや血腫は見当たらないと診断された。
湿布をもらい、しばらく安静に自宅療養しなさいと言われた。
「……あんたって顔に似合わず、本当に頑丈よねー……そこんとこだけ親父似かしら?」「楓姉、診察の結果は?」
「ヒビと脱臼が数箇所……用心の為、数日間入院だってさ。道理で痛いと思ったわ……とほほ」
泣きそうな顔になりながら、入院手続きの書類にサインしている。
「楓姉……ごめん」
「もう、辛気臭いわねー。悪いと思ってるなら、お菓子の差し入れを持ってきなさい!」「わかった。何が良い?」
「そうねー……ラ・メゾン・デュ・ショコラのコフレ・プラリネの16粒入りで良いわ!」「え? 何だって? 何の呪文だ!?」
「冗談よ、お菓子なら何でも良いわ。それよりあんたの電話で編集部の人に電話かけといてくれないかしら? ……何かもうあんたや親父が10回ほど死んだ事になってるから、病気や怪我とか言っても信用してくれないのよねー」
ああ、何か締め切り前の修羅場の時に“また父が死にまして”とか言ってたっけ。
家に帰り、楓姉に聞いた編集部の人に電話する。
“何ですって? 今度はどこの怪我ですか! 右手は、右手は大丈夫ですか?”と返された。
「箸は綺麗に持ててました」と言うと
“お見舞いに行きます”と言ったので、病院の場所を教えといた。
まさか売れっ子とは言え、入院患者に描かせたりはしないだろう。
◇
ひと段落着いたので、納屋に向かう。
相変わらず、小人が交代しながら“覚”を気生めていた。
“覚”を抱きかかえ、小人の代わりに気生めの作業に入る。
マシになったとか言っていたが、かなりの歪みだ……。
一体何が起こったって言うんだろう。
気生めの作業をしてあげると“覚”は弱々しくも、気持ち良さそうにしている。
とても鏡介さんが言うような、恐ろしい魔物だとは思えなかった。
雨音が鳴り響き、静かに時が流れる。
ふと、納屋の中の本棚に将棋の本が置いてあるのを見つけた。
「……懐かしいな。これを読んでイサミに勝とうと躍起になってたな」
夢の内容が思い出される。
駒の配置まで記憶している程の鮮明さだ。
飛車角の大駒も取られたあの状態で、逆転しようなんて無謀も良いところだ。
木登りやかけっこは負けなかった。
だがオセロや囲碁や、こういった頭を使うゲームはさっぱり勝てなかった。
(それがどうしても悔しくて……何度も挑んでたっけ……)
《七日目①終了 追憶編⑧に続く》
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相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
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