あやかしよりまし

葉来緑

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続章【逢魔】追憶編②

天狗の弟子の弟子

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セミの鳴き声が聞こえる。
照り付ける太陽の中、仰向けに寝転がる。
青空は何処までも広がっていて────普段むかついてる色んな事がくだらなく思えてきた。
爽やかな気分に浸っている時にいつの間にか虫に刺されていた。
蚊は血を吸いすぎたのかのろのろと飛んでいる。

血を吸う蚊は全部メスで、卵を産む為の行為だとか楓姉が言っていた。
────そんな話を聞いたおかげで、あんまり殺したくなくなってしまっている。
言いながらも楓姉はお構いなし叩いてたけど……。
ちっと舌打ちをしながら起き上がる。
よりによって目の上を刺されてしまった。
何でわざわざこんな場所を狙うんだ。
目の上をぼりぼり掻きながら正面を眺めた。



目の前には自分の住む町が収まるぐらいに小さく広がっていた。
もうすぐ山の頂上付近だ。
夏休みに入ってからも、飽きもせず毎日此処に来ていた。
(今日こそは天狗に一撃を……)
と、勇んで出発したものの日が照りすぎて疲れてしまった。
だから天狗に会う前に一休みしようと思ったが、蚊に邪魔された。
立ち上がり、最後の難関である岩場を目指す。
照り付ける太陽を一身に浴びた岩は、熱したフライパンの様に熱かった。

「あっ熱~~~ッ!! ……こりゃ、今日は諦めた方が良いかな」

天狗の所を訪れるようになってから半年くらい経つ。
雨の日や、学校の日以外はほぼ毎日通っていた。
だが、いつまで経っても天狗に一方的にもて遊ばれてる始末だ。
“一本でも取れば親父の事を教えてもらえる”……当初の目的はそれだったが、ここまで長引くとは思わなかった。
何度も突き落とされ死にかけたにも関わらず、意地になって何度も挑戦している。
怪我をする度に楓姉に怒られ、踏んだり蹴ったりだ。
一本取る事も、諦める事も出来ずに時が流れていった。
それにしても今日は暑すぎる……。
熱射病になる前に下山する事にした。
少し降りたところで清水が湧いている。
────そこで休憩してから帰ろう。
下山時の方がバランスを崩しやすいので、慎重に降りて行った。
木々が覆い茂ってるところに入り、涼しくなった。
清水までもう少しだ────水筒の水を飲み干しながら進む。



「…………?」
清水の所に誰か居る。
ここはけもの道だから、人が来る事は……。
(……あいつだ)
この前会ったヤツだ。
(……名前、何だっけ?)
清水の側でぐったりしながら項垂れてる。
「おい、またお前か? こんな所で何やってんだ」
「あ……、ああ、君か。ふふ、奇偶……だね」
俺が近付くまでぜえぜえと息を切らしてた癖に……そいつは余裕の表情を見せた。
「奇遇だね。じゃねえよ。此処は危ないから来るなって言っただろう?」
「……そんなの……ぼくの勝手……だろ」
何だか朦朧もうろうとしている。
「お前、高山病じゃねえのか? バーカ、急いで登るからそんな目に会うんだよ」
「うるさいな……、ぼくは天狗に……会いに来た……んだ。これしきの事で……ハア」
「ああ? お前、まだそんな事言ってるのか? 天狗なんかいねえよ」
「……いるよ、沢山の伝承が……この山にはあるんだ、君こそ……何でいつもここに居るのさ」
「お、俺は……その、なんだ。修行だよ、修行」
「嘘っぽいなあ。君さ、天狗の事……何か知ってるんじゃないの?」
「はあ? 何でだよ!? 俺がいつそんな事言った!?」
「どうして居ないって決め付けるのさ? 不自然だよ」
「ふん、だったら登って探して来いよ」
俺は相手するのも馬鹿馬鹿しくなって清水で顔を洗う。
「今日はダメだ、もう疲れちゃった。一緒に降りようか?」
「馴れなれしい奴だな、一人で降りろよ」
「冷たいなあ。君、友達いないでしょ?」
「う、うるせえな! そんな事お前に関係ねえだろ!」
「あれ? 図星? ふふ、わかりやすいね、君は」
こいつ……さっきまであんなにへばってた癖に、どんどん元気になって嫌味を言う。



結局、そいつと一緒に降りる事になった。
だが、やっぱり具合が悪いらしくふらふらと付いて来る。
「お前、もうちょっと休んだ方が良いんじゃないのか?」
「だからお前じゃないって……イサミだよ。……っとと」
滑って転げようとしたそいつ────イサミを抱きかかえる。
ひょろっとして、痩せてる。
……こんな体で良く此処に来ようと思ったもんだ。
「は、離せよ! 大丈夫だって!」
俺の腕を振り払う、意地っ張りな奴だ。
先に進みすぎると待ってとか言うし、こいつに付き合ってたら日が暮れちまう。
「……お前さあ、そんな体力ねえ癖に天狗に会ってどうするんだよ?」
「天狗なんて居ないって言ってたじゃないか」
「居たら、の話だよ」
「…………そうだねえ、空の飛び方を教えてもらいたいかな。あと、どこかに連れて行って欲しい」
「はあ? どこかってどこだよ?」
「天狗の里ってあるんじゃないの? お伽話じゃ良く子供を攫ってどこかに連れてくじゃないか。ふふ……宇宙人って説もあるよね」
天狗……あいつと一緒にどこかに行くなんて考えただけでも寒気がする。
「宇宙人? 何しに地球に来てるんだよ? 侵略とか利用するためか?」
「はは、地球に来れる様な文明の発達した高度な生命体が、わざわざ侵略なんてするとは思えないよ。せいぜい知的好奇心から来る調査だろうね」
「……なんだそれ? 何が言いたいんだよ?」
「宇宙人だとしても安全な可能性は高いって事さ」

天狗────あいつが宇宙人……自分の事を神様とか言ってるけど、俺が知ってるのはただの暇な爺さんだ。
それに乱暴な奴だし、こいつの言ってる事はてんで的外れだ。
イサミは一人で勝手に喋ってる。
「……空を飛ぶってどんな感じなんだろうね。トシゾーみたいに体が動かせたら気持ちが良いだろうな」
────へろへろの癖に口だけは減らない奴だ。

「どこまでも飛んで行けそうだよ」

空を見上げてイサミは呟いた。



まだ日が照っているうちに家へと辿りついた。
おかげで夕暮れ時に多くなる妖に襲われる事もなかった。
玄関前で、楓姉に怒られないよう、ちゃんと泥を払って玄関に入る。



「ただいまー……?」
玄関の戸を開けて、中に入ると────……知らない男が家から出るところだった。
背が高くて、顔立ちの整った清潔な感じのする奴だった。
楓姉の友達かな……?
「────こんにちは」
ぺこりと挨拶をすると、そいつはにっこりと笑った。
「こんにちは、弟さんかい? はは……、なるほど似ているな」
そいつに見つめられると……、奇妙な気持ちになった。
よどんだ黒くくらい瞳────我を忘れて吸い込まれそうになった。
「あれ修一郎、早かったね? お帰りー」
楓姉が奥から出てきた。
「……あ! あんたまた泥だらけで!! それに何よその靴……もうこんなに痛めちゃったの?」
「……うるせえなあ、普通に使ってたらこうなったんだよ」
「あんたみたいに毎日山に登るのは普通じゃないわよ」
そう言ってボロボロになった靴を拾い上げる。
……何だか今日の楓姉は、小言っぽい。
「へえ、小さいのに登山かい? 健康的だな」
「……ところが不健全なのよ。友達とじゃなくて一人で遊んでてさあ……」
自分の事を話題にされるのは面白くない。
そっぽを向いて、その場を離れる事にした。

「下らない人間も多い……別に無理に群れる必要はないさ。一人で登山なんて、逞しい弟じゃないか」
背後で男の声が聞こえた。
下らない人間ってのがひっかかった。
確かにクラスの連中は下らない奴らばかりだ。
でも……見ず知らずの相手に理解してもらってもちっとも嬉しくない。
喉が渇いたので、そそくさと家の中に入り、台所に向かった。



「お、修一郎、帰ってきたニャ? ……あいつはもう帰ったかニャ?」
裏口からそぉっと顔を覗かせて又三郎が小声で話しかけてくる。
「ん? ああ、帰ったんじゃねえの? ……で、何でお前隠れてるんだ?」
「おいらは普通の人間にも見えるニャ。黙ってれば普通の可愛い猫だけど、あいつ……何か勘が良さそうだったニャ」
「だから隠れてたって訳か……良いじゃん、バレたって」
「良くニャいニャ! おいらは恋のキューピットだニャ! おいらが出張るとあの二人がくっついてしまうニャ!!」
「んあ? あいつ、楓姉のカレシか?」
「……さあ? でも、何だかあいつ虫がすかニャいニャ。野生の勘だニャ」
「ふーん、楓姉にカレシねえ……」



今日の晩御飯はコロッケだった。
楓姉の作るコロッケは美味い。
外側の衣はサクサクと揚げられているし、中のじゃがいものタネも何か隠し味を入れているのか柔らかく、味がまろやかだった。
最近家に棲みついた小人の妖がやって来て、揚げたてのコロッケを次々と運んでくる。
さらにキャベツの千切りを取り分けてくれてた。

吽狛や他にやってきた妖達にも取り分けてくれる。
おおかむろはコロッケをひとつ平らげると、もう満足したのかテレビを見だした。
俺も同じ様に黙々とテレビを見ながら食べてると、やっと一仕事を終えた楓姉が席についた。
楓姉も、俺と同じ様に黙々とコロッケを食べている。
いつもは一人でべらべらと喋ってるのに今日の楓姉は静かだ……。
楓姉に憑いている阿狛は舌を出して、大きな欠伸をしていた。
……こう言う状態の時は、大抵楓姉は機嫌が悪い。

……あの男、あいつが原因だろうか?
どうでも良いことだけど、少し気になった。
「……楓姉、あいつ誰だよ? カレシ?」
「ほお? ……へへー、彼氏だったらどうする?」
「いや、ないな。あり得ない」
「おやあ? 修ちゃんもしかしてジェラシー? 大事なお姉ちゃん取られるー、みたいな?」
────いつもの楓姉に戻った。
にやにや馬鹿にしたような感じで笑いかけてくる。
「背が高くてハンサムな彼氏なんて……ガサツでお調子者で恥知らずな楓姉にはあり得ない」
「ほっほー……。あんたのコロッケ、血の味にしてやろうかしら?」
「あいつの眼、何だか不気味だった。それにあいつ────……変な妖が憑いてた……何だあれ?」
「…………ああ、あの鏡の妖の事?」
黙って頷く。
楓姉はフォークをくるくる廻しながら、そっぽを向いた。



変な妖────鏡の様な姿をしていた。
……付喪神つくもがみかなと思ったけど、それが良いものか悪いものかわからなかった。
ただ、その鏡に自分が写ると、良くない事が起こりそうで……そそくさと家の中に入った次第だ。
楓姉はしばらく黙り込み、しばしの沈黙が流れた。
「あの妖……あれは照魔鏡しょうまきょうだって、わたしは判断したわ」
「照魔鏡?」
「あいつ……見かけはあんなだけど正義感が強い奴でね。……人の悪意みたいなものに敏感なの。生徒だけじゃなくて教師も────今まであいつに敵意を持って、痛い目みた輩は多いわ。あいつ自身が武術の心得があるのもあるんだけど……跳ね返すのよ」
「跳ね返す?」
「うん、例えばあいつにむかついてボールを投げてぶつける。でも、いずれ別の機会に……そのボールはそのまま自分に向かって返ってくるの。……本人の預かり知らない所でね。わたしはそれが妖の仕業だって気付いた。────悪意を映し出し、悪意を跳ね返す守護の妖……だから照魔鏡と言うわけよ」
「なんだそれ……おっかない妖だな」
「まあ、あいつに危害を加えない限り心配はないわ。……ちょっと強力すぎる守護だと思うけど」
宿主に害を与える妖もいれば、守護をする妖もいる。
阿狛や吽狛もその類だ。



「ただ最近、家庭内で色々あった所為か……あいつは荒れてるのよ。他生徒との衝突も多くて────妖も少し歪になってきていた」
楓姉は一通り説明を終え、長い溜め息を吐く。
「とにかく、いくら二枚目だろうと……あいつの性格は好きになれないわ。全然タイプじゃないし────パスパス!!」

楓姉は首を振って、腕を交差させながらバッテンマークを作る。
まあ別に彼氏だろうが何だろうが、構わないけど……。
「おお、さすが姐御だニャ! 男はこのコロッケみたいに中身が肝心だニャ!!」
「このコロッケの外側の衣、美味いよな。サクサクしててさ」
程よく揚がってて、食感が良い。
「でもそれなら何の用だったんだ? 家に人をあげるなんて珍しいな」
「うーん、さっきも言ったようにあいつは荒れていた……だからあたしが一肌脱いだってわけ」
「あ、姐御!! あいつの為に脱いだのかニャ!?」
楓姉は又三郎の背中をつまんだ。
「あんたの猫皮も、わたしの創作三味線の為に脱がない? 猫の皮は丈夫で、音も繊細らしいわよ?」
「ご、ご勘弁願うニャ。創作はもっと平和的なのをお願いするニャ」
「ま……そうよ。あいつは案外絵が巧くてねー、あのエネルギーは平和的に────創作活動に使ってもらおうと美術部に掛け持ちで、と勧誘した次第よ」
楓姉は微妙に嬉しそうな困った様な複雑な表情をした。
「そしたらあいつ……わたしの絵が見たいって言い出して来て、ちょっと見せてたのよ」どうも自分の作品の事が絡むと楓姉は本調子じゃなくなるらしい。
「ムムム……まんざらでも無さそうな顔してるニャ!!」
「まあ……その件に関しては悪い気はしなかったわ。でもあいつ……わたしに言い寄って来たのよ。だから丁重にお断りしたわ」
「い、言い寄られたのかニャ!? 姐御を選ぶニャんて良い趣味してるニャー」
又三郎は襟首を掴まれ、口の中にキャベツを大量にいれさせられた。
「ぶわっ!? やめるニャ! 猫にキャベツは結石にニャるニャ!!」
コロッケをガツガツ食ってる癖に何を言ってるんだ……。

「何で断ったんだ? 楓姉、いつもカレシが欲しいって言ってたじゃねえか」
「んー……あいつは今、弱ってるだけよ。相手は誰でも良いんだと思う。
わたしに言い寄ったのも本心じゃないわ。それに……何だか遠くを見ている感じがするのよねー」
遠くを見ながら楓姉はぼやいた。
「そしたら絵が見たいってのも口実なんじゃないかって思えてね、むかついたの」
「……良くわからねえ」
「むふー、修一郎にはちょっと早い話かな? それよか今日は随分はやかったわね?」
早い話って言うか……学校じゃ皆はしゃぎながらそんな話ばっかりしてる。
誰が誰を好きかなんて、くだらない。
「暑くてやってられないから、帰ってきた。天狗とやり合ってもバテててどうせ勝てっこねえし」
「……あんたもうあいつと遊ぶの止めたら? そんな事ずっとやってると友達出来ないわよ?」
「────楓姉が親父が何処に行ったのか教えてくれないからあいつの処に聞きに行ってるんじゃねえか」
「だからわたしも知らないって、何度も言ってるじゃない。長い旅に出たとでも思えば良いのよ、その内ひょっこり帰ってくるって」
「……もう半年も帰ってこないじゃねえか。まさか────母さんと同じで“神隠し”に遭ったんじゃ……」

“神隠し”と聞くと楓姉は少し怖い顔になる。
「親父は神隠しになんて遭うようなタマじゃないわよ」
そう言って楓姉は、食器を片付け始めた。

楓姉は何か隠してる……親父が居なくなった日にも落ち着いてて、捜索願いを出すくらいの事しかやらなかった。
爺ちゃんも同じで、いつか帰ってくるくらいの事しか言わない。
もともとあんまり喋らない苦手な爺ちゃんだけど……。

「どっかで死んでたらどうするんだよ」
「あいつは殺しても死ぬ様なヤツじゃないわ。知ってるでしょ?」
食器を洗いながら、いつものやり取りをする。
自分も手伝おうとすると断られた。
「余計な事に囚われてないで、あんたは友達作って遊んだり、勉強してれば良いのよ」

この話題を振ると、楓姉は途端に母さんより母さんらしく振舞う。
口うるさくなるし、肝心な事は一切教えてくれない。
母さんの事も気になる……“神隠し”と言う言葉では納得出来なかった。
親父は仕事の合間に、ずっと母さんの事を探していた。
長期の休みにはふらりと旅に出て、ふらりと帰ってきたり……。
……今回もいつもの事だと思ってたけど────長過ぎだ。



────やっぱり天狗から聞き出すしか無いな。
書斎に入り、沢山の蔵書の中から棒術の本を取り出し読む。
古い書物で何が書いてあるのかさっぱり理解出来ないが、不思議と頭に入る。
親父が言うには、この書物の中には本の妖も多数含まれているようだ。
読ませようとする本の意思が、理解を扶(たす)けてくれるらしかった。
心構えから「打ち」「突き」「払い」「斬り」さらに「投げ」と型の説明へと頭に入れていく。
どれもが奥深く、学ぶ事は尽きなかった。
いつの間にか本に魅了され、夜が更けるまで読み耽った。





再び天狗の相撲場にたどり着く。
今日は朝早くから山に登った。
まだ太陽は昇りきってなくて、まだそんなに暑くない。
木々の間に吹く風が気持ち良い。

「何じゃ修の字、今日は随分と早いの?」
ふわあ、と欠伸をしながら天狗がどこからか現れた。
「夏休みだよ、────今日こそ決着をつける」
山登りでの疲れも少ない。
良いペースだ。
今日は……いけるか?



互いの六尺棒を手に、いつもの棒試合が始まった。
激しい打ち合いの後、天狗の隙を伺う。
だが、天狗は隙だらけに見える……明らかに俺の攻撃を誘っていた。

天狗にしては軽く、俺にしては重く攻め込んだ後、一呼吸を置き攻めて来いと言わんばかりに無駄な動作を織り交ぜた。
────……一撃で良いんだッ!!
天狗が誘う前に、顔面目掛けて打ち込んだ。
だが、天狗はそれを避けもせず、自らの得物で絡め取り、俺ごと真横に投げつけた。
「うわっ!?」
そのまま地面に叩きつけられた。
「かかか、自分の得物で身動きが取れなくなってるではないか? 零距離は不利よの」
(くそ────ッ!!)
すかさず立ち上がり、横一線に足元目掛け棒を払う。
ふわりと天狗はそれをかわす────だが、着地と同時に頭上へと打ちつけた。

天狗はそれを受け、そのまま自分の後方へと受け流す。
「!?」
バランスを崩し、そのまま前のめりに倒れこみそうになる。

案の上、背中に向かって棒が振り下ろされようとした。
「────吽狛ッ!! 喰らい付け!!」
吽狛が咄嗟にその棒に喰らい付く。
自身はそのまま六尺棒を軸にして、蜻蛉返りをして追撃を避けた。
が────目の前に吽狛が飛び込んできた。
「────!!」
そのまま吹っ飛ばされて来たのだ。
「かかか、桂は控えて打て」
視界を遮る吽狛と同時に────横一文字に六尺棒が振り払われた。
受けきれず、同時に衝撃を喰らい、吹き飛んだ。
「…………!!」
身体はそのまま大木にぶつかった。
前回みたいな墜落は逃れたが────体が痺れてしばらく動けそうにない。
吽狛は目を回し……のびていた。
「今日は随分な気合の入り様じゃな? 負け癖が付いて来たので、喝を入れようと思ったがその必要はなさそうじゃな」
天狗は木に寄りかかり、一服しだした。
「攻めはそこそこ好し。だが、儂の攻撃をその畜生で防いだ際に打ち付けるべきよ。相変わらず詰めは甘いの」
詰めが甘い────拳闘を教えてもらった時に、親父や爺ちゃんにも言われ続けた言葉だ。
最後の最後でどうしても一歩引いてしまう。
やはりこういう相手を追い詰める勝負事は……向いてないのかもしれない。
拳闘もそれで、余り好きになれなかった。
だけど……今はそうも言ってられない────親父の事を天狗から聞きださなきゃ。
「くそ……! ……もう一回だ!」
体の痺れを押し退け、立ち上がる。
吽狛もそれに合わせて、体を奮い起こした。

「かかか、 まあ待て。今日はこの辺にしとこう────儂はちと忙しい。最近日照り続きでな……木霊こだまに水を与えねばならん。修の字、お前も付き合え」
そう言って、天狗は六尺棒を捨て、代わりに木桶を俺に渡した。
「な? 何だってこんな事やらされなきゃいけないんだよ!?」
「弟子が師匠に歯向かうな、教えを乞うならそれなりに代価は必要よの?」
「誰がいつお前の弟子になったよ!? それにほっとけば雨くらい降るだろう」
「戯け、そうそう都合よく雨が降るものか。何の為に雨乞いの儀式がある? それにお前は木霊こだまに礼くらいせい、いつも助けられておろう?」
木霊こだま? 別に助けられてなんか……」
「お前がここから落ちて大きな怪我をせんのは、木霊こだまのお陰じゃ」
「…………え?」
崖から突き落とされる時には、木の茂みがいつもクッション代わりになっていた。
────木霊こだまは、古い大木に宿る精霊だ。
ふわふわと浮遊している印象しかなかったけど……そんな事をしていてくれたのか。


川から木桶に水を汲み取り、天狗と共に木霊こだまが特に多い山の中心部を目指す。
足場の悪いところに汲んだ水をバランスよく運ぶのは大変で……結構な量を溢してしまった。
「かかか、覆水ふくすいも水泡には帰さんぞ。他の草木にも与えてやると良い」

木霊こだまが集まる処へと辿りついた。
皆暑さでぐったりとしていたが、水を撒いてやるととても喜んだ。
天狗は水を口に含み、霧状にして飛ばした。
「さて、次へ行くかの」
「ええ!? まだやるのかよ!?」



再び川に戻り、水を汲み、今度は別の場所で同じ事をやった。
五回目くらいでバテて座り込んだ。
「いい加減、途方もないぞ……もう帰りてえよ」
「何、これも鍛錬と思えば一石二鳥じゃ。山は手入れをせんとすぐ荒れる。ここ最近────何の手入れも施されん。……山の所有者が変わったか」
天狗は、木々が鬱蒼うっそうと固まり澱んだ場所を指した。
「だからこうして何本かこうやって間引く事もする訳よ」

一本の大木がめきめきと天狗の力に拠り押し倒され、ずううん、と大きな音を立てた。
間引かれた大木は、そのまま軽々と天狗が担ぐ。
「げ……、勝手にそんな事して良いのか?」
「かか、“天狗倒し”じゃ。これは人の植えし木々よ、撒いた種も刈り取れんから儂がこうして刈っておる訳じゃ」

「でも、だからって間引くって可哀想……じゃないのか」
木霊こだまを見たせいか、間引かれた木に同情した。
「均衡を保つには後押しと排除は必要であろう、人の世もまたそうではないのか?」
木が無くなった事で、日の光が澱んでいた木立に当たった。

────植林後、間伐と言って、形の悪い木を除去しないと森の力が衰えて、土砂災害を起こしやすいと……社会の時間に習った気がする。
天狗はさらに別の場所でも何本か大木を倒した。

「儂は先に帰る。ご苦労だったな修の字、だがお前はあそことあそこの木霊こだまに水を撒いてから帰れ」
大木を数本抱え、俺に指示を出して天狗は去っていった。
もう既に、体力の限界だった。
このまま帰ってしまいたい気持ちで項垂れた。
だが、そこはすぐ近くに清水が沸いている場所だった。



清水の側まで歩き、喉の渇きを潤した。
ひとまず落ち着いたが、もうクタクタでこのまま倒れて眠ってしまいそうだった。
「師匠やら水汲みやら……香港映画かってんだ」
だが、木霊こだまは俺以上にぐったりとしてて苦しそうに見えた。
休むのは後で良いか……木桶に水を汲み、肩に担いだ。

溢れないようにバランスを保とうとして、肩がぎしぎしと痛む。
だがそれでも水を撒いてやると、木霊こだまは本当に嬉しそうだったから気分は良かった。
一回目の水撒きが終わると、どっと疲れが出た。
木霊こだまはふわふわと座り込んでバテている俺の周りを浮遊する。

「…………」
「……元気になったか? 良かったな、木霊こだま
気分が良くなり、木桶を拾い上げ再び水を汲みに行こうとした。
「こだま? 君、誰に話しかけてるの?」
「────……?」
聞き覚えのある声がした────あいつだ。
イサミ……とか言う奴。
「そこに、誰かいるの? あれ、ひょっとして木に話しかけてるとか?」
「……木に話しかけちゃ悪いのかよ?」
(犬や猫に話しかけてる奴なんか、沢山いるじゃねえか。……まあ、家の猫は喋るけど)
「ふーん、水を撒いてあげてたんだ? 君、意外と優しいんだね」
そいつはにっこりと微笑む。
不思議と馬鹿にした感じはなかった。
「ああ、ぼくの事は気にしないで続けて良いよ?」
そう言って俺の水汲みに付いて来る。



水を運び、天狗に指定された最後の木霊に水を撒いた。
肩で息をしている俺の背中をイサミはぽんと叩いた。
「お疲れ様ー。……良い事教えてあげようか? 明日は雨だよ」
「雨!?」
(天狗の奴……天候とか読めねえのか? 天気予報なんて……見る訳ねえしなあ)
くすくすとイサミは笑う。

だが、雨が降る事を聞いて安心した。
他にも沢山、水分を求めている草木が居るんだ。
「そうか……良かったな、木霊こだま。明日は雨だってよ」
木霊こだまに向かって語りかけると、みんな嬉しそうに飛び跳ねた。
「…………」
イサミはいつの間にか笑うのを止め、じーっと俺を見つめる。


「君さ、本当に木と話せるんだね。 こだまって……木霊こだま? 精霊みたいなものかな」
「なんだお前、馬鹿にしてたんじゃないのかよ」
「うん、してた。でも……ここには本当にそう言う精霊みたいなのが居る気がするよ」
イサミは両手を広げて、木々を見つめていた。
イサミの周りにも木霊こだまが集まる。
何もしてないのに、気に入られたようだ。

「……トシゾーはここに何かが見えるの?」
イサミは自分の左右を指差して尋ねてくる。
「? 何でそんな事を聞くんだよ」
「視線がビミョーにずれてるんだよね、何も見えない所を目で追っている」
(良く見てるな……こいつ)
「まるで見えないものが……見えているみたいだ」
イサミは怪訝そうに、じっと俺を見つめてくる。
「見えているから何だって言うんだ? ここにもそこにもあそこにも、木霊はふわふわと浮いてるぜ?」
「! …………何だよ、隠してるんじゃなかったの?」
「はあ? 隠すって何だよ? 知ってたかの様な口ぶりだな……って、こんな話信じるのかよ?」
「居るって言うんだから、そこに居るんだろう? ……信じるよ」
「……お前、変なやつだな」
「ふん、君に言われたくないな」
もともと隠すつもりなんかない、居るものは居るんだ。
────でも、こういう事を言うと、大抵気味悪がられた。
こいつのこの反応は、ちょっと予想外だ。
「でもそれなら……君、天狗がもし居たら見えるんじゃないの?」

天狗の事を聞かれてどう答えるか迷った。
あいつくらいの妖になると、普通の人に姿を見せる事も造作もない事だ。
ただ、あいつがそれを望むかどうかわからない。
何だかんだで選り好みする奴だからな……。
「天狗の事を知ってるなら……教えてよ。僕、天狗に会いたいんだ」

天狗に会ったら遠くに連れてって欲しい……とか言ってたな、こいつ。
俺と棒試合をして楽しんでるあいつにしてみりゃ、格好の遊び相手なんじゃないだろうか。
【先程から愉快な話をしておるの……かか、良かったな修の字。トモダチが出来たか】
「────!」



上空からか……林からか……響くように天狗の声が聞こえる。
イサミはきょとんとしている。
どうも天狗の声は聞こえてないようだ。

木霊こだまを通して話は聞こえた、今も木霊こだまを通じて伝えておる】
……いつもの声は、木霊こだまを使っていたのか。
【なかなかどうして感心な童よの。だが、そいつは儂の処に連れてくるな。連れてきても相手にはせんぞ】
(────? どうしてそんな事を言うんだ? こいつはお前に会いたがってるんだぞ)

【……好かん匂いがする。何処か遠くに行きたいなら、彼岸にでも連れて行ってやるか? かか】
響き渡った声は薄れ、やがて消えていった。



(……これじゃ、こいつを連れて行っても無駄だな……)
「……悪いが天狗の事は知らねえな」
イサミにしてみれば長い沈黙の後の答えだったろう。
だが、イサミは俯いたままで俺の話を聞いてるのか聞いてないのかわからない。
「そう……残念だね、諦めるよ」

俯いたままイサミは呟いた。
「?────ずいぶん諦めが良いんだな?」
「うん、うまくいかない時は切り替えて次のやり方を考えるのが一番さ」
そう言ってイサミは腕を組み、おでこをぽんぽんと叩いている。
そして徐(おもむろ)に顔を上げ、俺の手をぎゅっと握った。
「じゃあ、君が代わりでも良いや」
「は?」
「僕に飛び方を教えてよ、この前やったみたいなやつ」
「はあ!? 何言ってんだ?」



────妙な話になった。
馬鹿馬鹿しいと、無視して歩き出してもイサミはずっと付いて来る。
まるで普段相手にしている妖みたいだった。
結局、俺も根負けして一本の手頃な木の前でイサミに話しかけた。

「お前、木登り得意か?」
「う、うーん……あんまりやった事ないけど」
「登ってみろよ」

イサミに登らせる、その動きはぎこちなくて何度も滑り落ちてた。
「よい……しょ……」
「そう、そこのくぼんだ所に足をひっかけて、枝に手を伸ばして……。お前さ……木登りも出来ないんじゃ怪我するだけだぞ」
半ば呆れるように呟くと、イサミはむきになって登ろうとする。



何回かの失敗の後、イサミは一本目の枝を登りきった。
2Mくらいの高さだ。
だが、そのままイサミは枝にしがみついてへばってしまった。
「どうしたんだ?」
「……お、降りれない……」
「そこから落ちても怪我しねえよ、そのままぶら下がって落ちてしまえ」



それでもごねたイサミに、俺の肩に足をかけさせてようやく下ろすことが出来た。
「まあ、無理だな。これでわかったろ、諦めろよ」
イサミは黙り込んでまた考え事をし始めた。
「……もう一回やってみる」
「何だ、諦めが良いんじゃなかったのか?」
「出来そうな事は出来る様になるまでやりたいよ」
「出来てねえじゃん」
「出来るさ!」
そう言ってまた木を登り出す。
何回も何回も繰り返す内に、少しづつイサミは登れるようになっていった。



いつの間にか日が沈みそうになっていたので二人で下山した。
天狗の声はあれからしなかった。
「また、木登り教えてよ」
「いやだ、面倒臭い」
「教えてくれたら、僕も良い事教えてあげるよ?」
「? 良い事って何だよ」
「ふふ、また教えてくれるって約束してくれたら教えるよ」
「ふーん……、まあ木登りくらいだったら」



待ち合わせや日時も決めないまま、次に会ったら互いに教え合うと約束した。
「……良い事って何だろう」
少しだけ楽しみだった。




《追憶編②終了 追憶編③につづく》
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