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続章【逢魔】三日目
少年時代の記憶
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早朝、九条庵に向かう事にした。
楓姉の部屋は静かだが、締切り前なので、おそらく半徹夜だろう。
流しに食器が置いてあったが、朝食なのか夜食なのかわからない。
自分はパンと牛乳で、軽い食事で済ませた。
このパターンだとあっちで食事を取る事になりそうだからだ。
「行ってらっしゃーい、じいちゃんによろしくねー」と、気の抜けた言葉で見送られた。
九条庵は繁華街を抜けた辺りにある。
家からは5km程の距離だ。
自転車は使わず、トレーニング代わりに走って行く事にした。
月曜には猫柳と100M走の勝負をすると言ってしまった。
瞬発力と足の回転の速さ、フォームを気にしながら全力で走る。
──……道端では妖達が徘徊し始めていた。
俺と視線が合うと、追って来る輩も多い。
普段からこういう妖から逃げているから、足腰は鍛えられているのかもしれない。
全力で逃げるのは短距離の練習になる。
おかげ様で、この辺りのどの妖より足が速くなっていた。
全力で走るとあっという間にバテて、呼吸を整え落ち着いたらまた走り出す。
何とか休憩中に妖に襲われないように気をつけて走った。
住宅街を抜け、繁華街の方まで来た。
ここまで来ると逆に楽だ。
住宅街となるとそうもいかないが、繁華街ではどこか建物など逃げ込める場所が多い。
妖にはそれぞれ行動範囲や、縄張りがあるからだ。
妖側からも、人が多いところでは見えている俺の存在に気付き難いらしい。
何とか人込みが少ない道を選び、走り抜ける。
そんな事を繰り返していると、九条庵に辿り着く頃にはすっかりバテていた。
到着したのは良いが、九条庵はまだ準備中だった。
入口までたどり着いたものの、少し躊躇してしまう。
息切れして落ち着かないというのもあったが、爺ちゃんはやはり苦手だった。
父親である風太郎も爺ちゃんと同じく、A級ライセンスを持っている程にボクシングが強い。
又三郎が言うには、その拳は妖をも[ruby text=はら]祓い、怖れられてたと聞く。
……その親父が爺ちゃんの事を、妖も含め喧嘩で勝てない唯一の男だと言っていた。
子供の頃、ボクシングの基礎を色々教えてもらったりもしたが……俺には才能がなかった。
というより、人と殴り合うのがどうしても楽しいと思えなかった。
…………それは今も変わらない。
そんな俺にがっかりしてるんじゃないかって……そう考えると、会い辛くなってしまってた。
いきなり扉が開き、中から主人である爺ちゃんが出てきた。
「……修一郎か? 何をしている、さっさと入れ」
気難しそうな頑固親父という風貌で、見る物を圧倒させる。
もう六十歳近いと言うのに、余り老いを感じさせない。
「あ、うん。……おはよう、爺ちゃん……お邪魔するよ」
何となく萎縮してしまっていた。
だが、同時に入ってきた鰹としょう油出汁の美味しそうな匂いが、食欲をそそり安心感を与えた。
九条庵は創業三十年で、地元だけでなく他県からも名店として親しまれている。
初代主人である爺ちゃんもまだまだ充分現役だ。
店自体は年季以上の風格を漂わせていた。
座敷で待機しているように言われる。
此処に座るのも数年ぶりだ。
子供の頃は、家族五人で食事をする事も多かった。
「まあ、食べろ」
と言って差し出された爺ちゃんの手料理は、本当に美味しかった。
主役の蕎麦は小さい器で程ほどに、焼き魚や山芋付きの麦飯と、高級旅館さながらの質の高い食事を出された。
熟成の出汁が疲れた体に染み渡る。
「……走って来たのか?」
しばらく一言も発せず黙って正面に座っていた爺ちゃんが口を開いた。
「うん、良い運動になるかって思ってさ」
「陸上、頑張ってるのか?」
ぽつりぽつりと質問をしてくる。
祖父は寡黙な人だ、良く喋る時は機嫌の良い時だって親父が言ってたっけ。
食べ終わり、落ち着いた頃に携帯電話の契約同意書を爺ちゃんは差し出した。
「たまには連絡よこせ」
書類を受け取りながら、うんとだけ答えた。
立ち上がった時、爺ちゃんは何を思ったか俺の尻や太腿をぱんぱんと叩き出した。
「うわ!? 何するんだ爺ちゃん?」
「お前、腕はひょろっとしてるが……脚は引き締まった良い筋肉をしているな、種目は何だ?」
「中距離が専門だけど……昨日から短距離の練習もしている」
「……時間あるか? ちょっと走ってみろ」
……何だか妙な事になった。
爺ちゃんは店の事は従業員に任せて、近くの公園まで俺を連れて行った。
爺ちゃんの見ている前で全力で走らされる。
「うむ……良い走りだ」
黙って俺の走りを眺めていた爺ちゃんは、何本目かでやっと口を開いた。
「スタートの時に、力み過ぎだ。肩をさげろ。そして前傾で前へ前へ踏み込むリズムに注意して走れ、お前は後半伸びる走りの方が向いている。最初は遅くても良い」
「う、うん……」
言われたとおりに従う。
(今日の爺ちゃんは良く喋るな……?)
「地面を蹴って、力を伝えるんだ」
またしばらく走ると今度は別のアドバイスが来た。
それに従い、また走りこむ。
爺ちゃんは順序を踏んで力強い言葉で俺に助言をし続けた。
「……お前の走りは何かから逃げている様な感じがするな」
「え……?」
…………逃げている、確かにそうかもしれない。
子供の頃から妖から逃げる為に走り続けた。
常に背後を────追い着かれないように必死に走った。
「妖……か」
爺ちゃんはぽつりと呟き、また黙り込む。
爺ちゃんは妖は見えない。
親父も元は見えなかったと聞く。
母さんの血筋が原因だ……その事を、爺ちゃんはどう思っているんだろう。
「逃げる事が悪いとは言わん」
再びぽつりと呟いた。
次は逃げずに闘え……そう言われる気がした。
だが、なかなか次の言葉は出ず……爺ちゃんは遠くを見つめる。
その背中は逞しく、大きかった。
こんなに大きかったのかと、吸い込まれそうになる。
その背中を通して出てきた言葉は予想とはかなり……違ってた。
「────前を追え」
「…………前を?」
────爺ちゃんと同じ方向を見つめる。
目の前には青空があった。
「そうだ、もっと速い何かを追って走れ」
「…………うん」
青空はどこまでも続き、広がっていた。
◆
携帯電話…いわゆるスマートホンの新規加入手続きは最初にパンフレットを見せられた瞬間、事細かな料金体系に一瞬眩暈がしたが、楓姉の契約指示があったので何とかスムーズに済んだ。
どうも法人契約だとプランが色々限られるらしい。
中間くらいのコースを選ぶ。
一人で選ぶと一番安いプランを選びそうだった。
楓姉曰く、それは罠だ。
最初は調子に乗って色々かけたりするのを見越しての契約内容……らしい。
出来るだけシンプルに……とシニア向けのやつを選んだ。
最低限のメール機能やカメラ機能はついている。
アプリやLINEだのと楓姉の言葉の意味を理解するのに相当時間がかかった
自分にとってはこれくらいが都合がいい。
それでも、何かと多機能だ。
無料便利アプリなどを色々とすすめられたが、すべて耳を通り抜けていった。
全部断っていると、あっと言う間に契約が成立した。
ガラケーだかスマホだか違いが良くわからないのですべて「ケータイ」と認識することにした。
充電を頼むと、1時間後に来てくれと言われた。
その間、スポーツシューズ専門店を覗く事にする。
というのも帰り道、爺ちゃんは磨り減った俺の靴を見て、靴を替えろと言って小遣いをくれたからだ。
……靴代にしては少し多い気がしたが、出来るだけ良い靴を買えと突っぱねられた。
スポーツ専門店に入り、格好良い靴に目移りする。
マラソンシューズに惹かれ見ていると肩をぽん、と叩かれた。
「よお、稲生じゃねえか。お前も靴買いに来たのか?」
……村井先輩だ。
「あ、先輩……どうも、こんにちは」
「はは、こんな所で会うなんて奇遇だよな。陸上用スパイクか? ……そうだ、そういや行人の奴が昨日のお前の幅跳びについて妙な事言ってたな」
「……猫柳が? 妙な事……って何です?」
「いやなに、お前の幅跳び……跳躍時間が長いんじゃないかって言ってたんだ」
「……はは、ひょっとして上に跳んだんじゃないのか? お前」
上に……?
「……どうなんでしょう、良く覚えてません」
「俺はお前の幅跳びは高跳びに近かったんじゃねえかって思う。次さ、高跳びやってみろよ」
「高跳び……ですか?」
「跳ぶ瞬間は俺も観たんだ。助走が意味ないくらい踏ん張って跳んだろ、あれで5M越えなんてある意味凄いバネを持ってるのかもな」
「あはは、それは……持ち上げ過ぎですよ」
村井先輩はその後、陸上用のスパイクを物色する。
先輩は色んな競技をやって、現在の投擲に落ち着いた。
他の競技に対する知識もかなりのものだった。
この靴なんかどうだ、と俺に色んなタイプの靴を差し出して説明する。
先輩と二人だけの会話なんて部活ではなかった。
話していく内にかなり世話好きな先輩だということがわかった。
結局、先輩が薦めた短距離から中距離・幅跳びまでオールラウンドで使える陸上用スパイクが気に入り、買ってしまった。
こんな高い靴は初めてだ、思わず高揚してしまう。
良いなあ、と先輩は物欲しそうに眺める。
それがますます、高揚感を高めた。
友達と待ち合わせてると言う先輩とはそこで別れた。
どうやら初デートらしい……余程嬉しいのか聞いてないのにその事を話してきて、絶対に言うなと口止めされた。
相手は同じ陸上部の女子の先輩だ。
そうだったのか……、喧嘩ばかりしてたから仲悪いのかと思ってた。
*
人の秘密を知ると不思議な気持ちになる。
────知ってしまって良いのだろうかと不安になる。
『修一郎君、私ね……実は後悔してる。この子の事……心が読める事をあなたに話してしまった事を』
…………御堂の言葉が思い出される。
俺はそれに対する言葉を、未だに見つけられないままでいた。
そうしている内に1時間経っていたので、携帯電話を取りに行った。
店員から受け取り操作説明を受け、試しに楓姉にかけてみた。
*
*
*
*
【もしもしー? お、ケータイ買ったみたいね? そうそう、何か修一郎の友達から電話があったわよ?】
「……友達?」
【うん、ニャンコ柳とか言ったかしら? 携帯番号聞いたからあんたの携帯番号教えとくわ】
「え? 俺の携帯番号わかるのか!?」
【……あんたいつの時代の人間よ、まあ良いわ。伝えとくからー】
そう言って電話は切れた。
程なくして電話がかかってくる。
「あ……、えっと……これか?」
通話ボタンの代わりに終了ボタンを押すベタな間違いは何とかしなくて済んだ。
【おぉ!? 修一郎、ついにケータイ買ったのかよ!? いやー良いタイミングだよ、お前。……修一郎、お前今どこにいる?】
「……? 繁華街だけど? 大型電気店を出たところだ」
【おぉー、そうか! なあ、今ヒマか?】
用事は全部済んでしまった、ヒマかと言われればそうだ。
「まあ後は帰るだけかな」
「そうか……よし! 駅前に来いよ、天狗の銅像の前だ。じゃあ、待ってるからな!」
「?」
返答も待たずに切れてしまった。
◆
ここから駅までは歩いて5分もかからない。
駅の改札口を出て正面には、大きな天狗の銅像がどっしりと構えている。
この町────三津木市は、天狗の伝説が残り崇められてる霊山が観光地として有名だ。
標高も2000M近くとかなり高く、登山客が訪れる事も多い。
良く行く神社の裏山だ。
子供の頃は親父に連れられ、良く登ったものだ。
天狗の銅像を確認し、ふと昔の記憶が蘇る。
…………天狗、元気にしてるかな?
子供の頃に…………俺は天狗と会っていた。
妖が見える俺には、天狗が見えた。
……常人ではあり得ないそんな思い出に浸っている間に、天狗像の前に辿りついてしまった。
猫柳の姿は────ない。
「あれぇ!? 修ちゃん、何でこんなところにいるの!?」
────!?
振り返るとそこには生八橋が立っていた。
「何で……って、そりゃこっちの台詞だ。俺は猫柳に呼ばれて……」
「……あ、なんだそっかー、あたしも猫ちゃんと待ち合わせしてたんだよ」
そんな時、生八橋のケータイに着信がある。
どうもメールらしい、ケータイをみて目を見開いて驚いてた。
「……ね、猫ちゃん来ないんだって」
「え? 何でだよ、あいつはここに居るってさっき電話で話したぞ」
「えぇ!? 電話ってどこで? 修ちゃん、ケータイ持ってるの?」
生八橋にケータイを買った事と事の経緯を説明する。
番号とアドレスを聞かれ、そのまま交換しながら話をする事になった。
俺が登録に苦戦してる間に、凄まじい速さで登録を済ませた生八橋が話しかけてくる。
「あ、あのさ……修ちゃん、実はお願いがあるんだけど……ってコラ!! 何で登録者名が“なまやつはし”なのよ!?」
「わ!?」
ケータイを奪われ入力し直される。
帰ってきた携帯には“*:.。☆美生☆。.:*”と登録されていた。
…………キラキラしてるなぁ。
「あのね……昨日、舞台のチケット貰ったでしょ? お姉ちゃんも大喜びしてたけど……でも、お姉ちゃんが急に来れなくなっちゃったんだあ……」
「あ……そうなんだ、それは残念だな」
「で、代わりに友達誘おうと思ったんだけど急には来れないって言われて……で、仕方ないから猫ちゃん呼び出したの」
「そしたら代わりに俺が来た……と言う訳か」
事情は理解できた。
……ん? てことはつまり……。
「うん、だからね……一緒に舞台に行かない?」
「────……は?」
「もうあんまり開演まで時間がないのよー、今から電車に乗っていけば間に合うよ! ね、行こう?」
「ま、待てよ! いきなりそんな事言われても……俺ジャージだし!」
「大丈夫だって! ……うん、爽やかスポーツマンって感じ!」
何を納得したのか半ば強引に改札の方へと連れて行かれた。
公演のある県の中心地までは電車で30分程の距離だ。
気軽に行ける距離だが、都心部の方なんて久しく行ってない。
都心部の妖は遭遇率は低いが……より一層性質が悪い。
人込みが苦手なのもあって、自分から行こうとは余り思わなかった。
「都心部なんて久しぶりだな……」
「どれくらい行ってないの?」
「数年は行ってない気がする」
「えぇ!? 一体どんな中学時代送って来たのよ!?」
「うーん……何やってたんだろうな」
生活で必要なものは、この町の繁華街で充分だし……。
「友達いなかったってホント?」
「……悪かったな」
すねるように応える。
「……むー。前も思ったんだけどホントっぽいね…」
「…………」
*
勉強は頭が悪いなりにも、比較的頑張った気がする。
それ以外は……ただひたすら無味乾燥な毎日を送ってた。
思い出自体が余りなく、希薄だった。
……小学の頃は、どうだろうか。
────他人に見えないものが見える。
幼い俺はその事を隠して器用に生活するという事が出来なかった。
妖にばかり意識が集中し、囚われていた。
学校の先生は皆の輪の中に入れと言う。
だが俺は妖と遊ぶのが好きで、決して輪の中に入ろうとしなかった。
次第に“薄気味悪い奴”というイメージが浸透し……周囲は俺を避けるようになった。
中学では、小学生の時のようないじめはなくなったが、イメージは残ったままだった。
何処のグループにも入れてもらえず、孤独に慣れた。
……違うな、入ろうともしなかった。
無関心を決め込むと周囲も俺に対し、無関心になった。
────相互不干渉と言った形に落ち着いた。
教師も小学生の時みたいに口出しはして来ない。
それはそれで居心地は悪くなかった。
何とかそこそこ偏差値が高い私立高校に合格し、そこからは環境は一新された。
遅刻を繰り返す俺の隣にいる生八橋ともいつの間にか仲良くなった。
そして隣の席の人懐っこい奴……猫柳が友達になってくれた。
そしてそれから……。
*
電車が来て車内に乗り込むまでの間、考え込んでしまった。
生八橋が俺の目の前に手を振りかざし、我に返る。
「もー、暗いなあ! 現在はいじめられるなんて……そんな事ないんだから良いじゃない!! そんなのでストレス発散しているのは中学くらいまでだよ! それに、ここだけの話……修ちゃんのこと、ちょっと良いなって言ってる女の子もいるよ?」
「…………は?」
生八橋の言葉で現実に引き戻された。
「修ちゃんって、ちょっとミステリアスじゃない? あと、クール?ドライって言うか……落ち着いてる感じ?」
「……そんな事言われたの初めてだ」
褒め言葉かどうかは良くわからないけど。
「でも最近……何か明るくなったって言うか、感じが良くなったって言われてる」
「……待て、俺の事なんて何で話題にのぼるんだ?」
「あはは、女の子は話題に事欠かないわよー? クラスの男子なんて全員ひと通り話題にあがるんだから!」
「怖いなっ! 猫柳とかはどうなんだ?」
「あー、猫ちゃんかー? あのエロ柳はちょっと変態だからねぇ……でも案外走ってる姿はカッコいいとか言われてるよ。中学の時はそこそこ女の子とか付き合ってたし、意外とモテるのかも」
「……はー、皆色々見てるんだなぁ」
電車の中で、生八橋は色々な話題をふってくる。
俺が買った靴を物色し出したりもした。
「うわー、何か本格的だねー……意外」
「どうして意外なんだ?」
「うん、もっと適当に部活やってると思ってた」
────別に間違ってない、頑張りだしたのは最近だ。
何だかんだで人は見る所見てるんだな、って感慨にふけった。
電車に揺られ、生八橋は色々な話題をふってくる。
淡白な俺の受け答えにもお構いなしに喋り続ける。
あらためて見ると、生八橋は──……可愛い。
私服のせいもあるが、男子女子問わず人気があるというのも頷ける。
そんな生八橋と……これじゃまるでデートじゃないか……。
異性として意識すると、何だか落ち着かない。
だがそれ以上に、生八橋はいつもの調子だ。
かろうじてペースは乱されずに済んだ。
都心部はしばらく来ない内にだいぶ変わっていた。
駅前がだいぶ改装され、巨大なショッピングモールが組み込まれていた。
綺麗な店舗に目移りする。
大型の本屋やスポーツ用品店もあり、ちょっと興味を惹かれた。
「開演まであと30分かあ、何とか間に合いそうだね」
生八橋はそう言いつつも、雑貨屋の商品に釘付けになっている。
それが終わると今度はシュークリーム屋に興味津々だ。
「早く行かないと始まっちゃうんじゃないのか?」
シュークリーム屋に並ぼうとしていた生八橋を呼び止めた。
「うー……えへへ、買った後走って行ったらギリギリ間に合う……んじゃないかなあ?」
遅刻癖はここでも発揮されていた。
結局並んで、シュークリームを買う。
更にブティックに興味をしめし始めたので、無理矢理連れて行くことにした。
早足で来たので、何とか開演までに間に合った。
全席指定の為、会場のホールは混雑もなくすんなり入れた。
映画館に比べると高級感があり、あらためてジャージ姿の自分が恥ずかしくなる。
しかもS席だ……学生が気安く手に出せる値段じゃない。
……まあ、お題目がお題目なだけに親子連れも多いので何とか救われた。
「館内は飲食不可だぞ、どうするんだ?」
「うぅ……、ロビーで食べるよぉ」
ロビーに座り、シュークリームを取り出す。
「はい、修ちゃんの分」
「え? ……俺の分もあるのか?」
「うん、あたしのおごり! チケットと付き合ってくれたお礼!」
「……いつも人の弁当を奪う生八橋に物をもらうなんて」
「こらっ! 奪うだけじゃないでしょ!? ちゃんと代わりの物あげてるじゃない!」
……ろくなモノを寄こさない────確実に等価交換じゃない。
でも、このシュークリームは嬉しかった。
何気にチケットのお礼も含まれている事を聞き逃さなかったが……。
ウゥ、と吽狛が唸り声をあげた。
(……………………?)
…………妖の気配を感じる。
近くに……妖が居るのか?
「何? どうしたの? 怖い顔して……」
「いや、何でもない……これ、美味いよな」
「でっしょー? いつもはもっと行列出来てるんだよ!」
……こういう場所には、一匹や二匹くらい妖はいるものだ。
別段気にする事じゃない。
食べ終わる頃には開演ブザーが鳴った。
さすがにS席の客層は社会人や、上品な人が多く気が引けた。
しかし、席に着き舞台に集中するとそれも気にならなくなった。
むしろ前方に感じる微かな複数の妖の気配が気になった……。
別に襲ってくる訳でもなく、誰かに憑いているだけでも吽狛が気配を察知する。
電車の中でもホールでも感じた事だし、気にし出したらキリがなかった。
音楽と共に舞台が始まった。
S席のせいもあるが……臨場感が凄い。
舞台俳優達は誰もが歌唱力が優れており、ワイヤーを使った空中アクションも多彩だ。
何より、ファミリー向けとして、飽きさせない構成になっている。
昨日読んだ物語が眼の前で再現される。
照明や演出、俳優の演技も相まって……自分が想像した本の中の世界を遥かに凌ぐ世界観を構築していた。
ピーターを女性が演じてるのは違和感を感じたが、少年の演技力では追い着けない部分もあるんだろう……おかげで余り感情移入の出来なかったピーターがとても魅力的に思えてしまった。
正直ウェンディより美人な気がする……。
フック役の俳優が出て来た瞬間、隣の生八橋がはう、と微かな感嘆の声をあげる。
どうもこのフック役の俳優がお目当てらしい。
……なるほど、確かに女性ファンが多そうな容姿と声だ。
演技力も抜群で、その存在感は舞台の空気を変えていた。
やはり、一番魅力的だったのはワイヤーにより空を飛ぶ演出だった。
惜しみなく回転し、空中浮遊感を演出する。
臨場感も手伝って、まるで本当に人が空を飛んでいるかのような錯覚にとらわれた。
…………空を。
………………?
何か、不思議な感覚がした。
……何だろう、空を……飛べたら……。
………………わからない。
空中を浮遊する俳優を見ていると…………忘れていた何かを思い出しそうになった。
途中休憩が入り、手洗いに行く事にした。
二時間半もあるので、子供達も休憩を入れないと耐えられないのだろう。
俺自身も慣れてないのでこの休憩はありがたかった。
用を足して、人込みを掻き分ける。
……女性洗面所の前には、行列が出来ていた。
混雑の原因は子供連れだが、同年代らしき女の子もいて安心した。
……………………?
感じた事のある妖の気配がした。
さっきのものとは別物だ。
この妖の感覚はどこかで…………あれ?
────────!!!?
……一瞬、自分の眼を疑った。
あれ……? どうして……?
何でこんな所に……御堂が居るんだ?
思わず隠れてしまう。
どうしてそんな行動を取ってしまったのかわからない。
私服なので人違いかと思った。
だが、その子には“覚”が憑いていた。
同じ妖が憑いた御堂に似た子なんて恐らく世界中探しても見つからないだろう……。
どうしよう、話しかけた方が良いんだろうか。
やましい事をしてる訳じゃない。
御堂をもう一度そぉっと観察する。
・
・
……御堂に憑く“覚”は……相変わらずその瞳を閉じていた。
そして前にも増して……気枯れているようにも見えた。
さらに御堂は……時折ハンカチを眼に当てている。
…………泣いている?
どうして…………?
公演はまだ終わっていない。
ラストは確かに……泣けるシーンではあるかもしれない。
だが、まだ中盤のウェンディがさらわれたところで……泣ける部分は余りない筈だ。
その証拠に、御堂以外の他の観客達で泣いている人達はいない。
話しかけようかどうしようか迷っている内に……御堂は洗面所の中に入って行ってしまった。
出てくるまで待つか……?
だけど何て言って話しかけたら良いのかわからなかった。
泣いている所なんて……普通、誰にも見られたくないものだ。
「何やってんの? 修ちゃん」
「うわっ!?」
「遅いよー、待ってられないから荷物持ってきちゃった。はい、これ持って戻ってて」
そう言って、荷物を渡される。
……確かに女性洗面所の方が混んでる。
こんな所で待ちぶせする訳にもいかない……。
大人しくホールに戻る事にした。
・
・
『ウゥ…』
吽狛が唸る。
今度は別の妖の気配がした。
…………正直、今の俺には妖なんてどうでも良い。
無視を決め込んでホールに戻ろうとすると、妖の気配は近付いてくる。
コツコツという杖の音が聞こえる。
…………こんな時に。
振り向くと見覚えのある男が立っていた。
────盲目の……先日神社で会った人だった。
「やあ、奇遇だな? 君は……狛君だろう?」
「────……鏡さん?」
気が付くと、妖の気配は消えていた。
何なんだ……?
何でさっきは──この人から妖の気配がしたんだ……?
昨日会った時は……何も感じなかったのに。
吽狛が更に唸る。
「……ここはペットは禁止じゃないのか?」
その言葉にドキッとする。
この人は……吽狛を感じる事が出来る。
「い、いえ……あの、実はこの犬は──普通の人には見えないんです。……守護霊獣というか、お守りみたいなものなんです」
誤魔化しがきかないので、正直に話した。
逆に、この人なら理解してくれると思えた。
「……ほう、それは興味深いな。どれ、詳しく教えてくれないか?」
鏡さんに吽狛の事を出来るだけ簡潔に、説明する。
鏡さんはすんなり事情を受け入れた。
新鮮な感覚だった。
「守護霊獣か────面白い。ふふ、君とその犬は似ているな、とても。まるで君の別人格の様にも感じられるよ」
……吽狛と俺は霊的に繋がっている。
俺が産み出した分身の様なものだ、潜在的に似ている部分も多い。
だが、こうも言い当てられると、薄ら寒いものを感じる。
「気を悪くしないで聞いてくれよ。もしかすると危険な使い方も出来るんじゃないのかい?」
『ウゥ…』
吽狛が唸る。
俺は吽狛を黙らせる。
……聞き返す必要はなかった。
言葉通りの意味だ。
吽狛は、人を傷付ける事も可能だ。
悪意が無いと理解はしても、不快な気持ちになった。
「そう……かもしれません」
「いや……すまない、怒らせてしまったようだな」
鏡さんはそのまま、煙草を取り出し一服し始めた。
喫煙フロアに煙が立ち昇る。
吽狛が少し嫌な顔をする。
妖の中には煙草を嫌う輩も多い、吽狛もそ内の一匹だ。
「煙草は嫌いかい?」
「好きではないですが……別に気になりません」
「はは、正直だな。喫煙者はどんどん肩身が狭くなっていくよ。だが、体に悪いのを知っていながら止められない」
鏡さんは苦笑しながら煙草を吸う。
「しかしこんな所で再会するなんてな、君は舞台が好きなのかい? 一人で来たのかな?」
「友人とです、俺はまあ……付き添いというか」
「そうか、今日の俺の連れとは久々の再会でね……。この舞台のチケットをプレゼントしたんだよ」
「そうだったんですか……お連れさんは喜んでくれましたか?」
何でそんな事を聞くんだろう、余り突っ込んで聞く話題でもないのかもしれない。
「いや、とても悲しんでたよ。それで困ってしまってね……」
鏡さんは煙草を吸い終わると、しばらく黙り込んでしまった。
俺はどう言葉をかけていいのかわからない。
言葉を探していると鏡さんはゆっくりと口を開く。
「俺の連れはね……“魔”に取り憑かれているんだ」
「────!? “魔”……ですか?」
きっとこの人の言う“魔”は“妖”と同義だ、だとしたら……俺にも見る事が出来るのかもしれない。
「そうだ、君なら理解出来るかもしれないな……君は、“魔”を見る事が出来るのか?」
……どう答えれば良いのだろう。
俺はまだこの人を充分に信用した訳じゃない。
「……さっき君は“この犬は普通の人には見えない”と言ったな」
「…………」
「ますます君に興味が出てきたよ、狛君。俺の連れに会ってやってくれないか」
開演のブザーが鳴る。
休憩終了のアナウンスが流れた。
「……時間か、終了後また時間をとれるかな?」
「友達と来てるんで……ちょっと難しいかもしれません」
「連絡……今度こそしてくれるとありがたいかな。俺が渡したメモはまだあるかい?」
「ええ、持ってます。それじゃ……また」
軽くお辞儀をして、ホールへと戻る事にした。
鏡さんと終了後に会う約束をした方が良かったんだろうか。
……だが、それ以上に御堂の事が気にかかる。
御堂はこの会場に来ているのだ……しかも泣いていた。
……────気になる。
一体こういう時はどうすれば良いんだろう。
そっとして置くべきなのだろうか……。
「遅い~ッ!! 何やってたのよ、修ちゃん!」
席に戻ると生八橋が怒ってた。
だが、文句も聞き終わらないうちに公演が再開された。
御堂の姿を探そうと思ったが、照明が落ち……それも困難となった。
後半の舞台が始まった。
……後半の見所は何と言ってもピーターとフックの一騎打ちだ。
海賊船の上での決闘──華麗な剣さばきに光と火花のエフェクトが舞台を盛り上げた。
フック船長の最期は……原作と少し違っていた。
ワニに追い詰められて、海へと投げ込まれてしまったのだ。
ピーターは止めを刺さないし、足蹴にして突き落としたりはしなかった。
おかげでフック船長のあのニヒルな魅力が失われ……少し納得がいかなかった。
物語はエピローグに差し掛かり、全体的に照明が明るくなった。
前方の観客席に、御堂の姿を見つける。
……というよりも妖の“[ruby text=サトリ]覚”を見つけたという訳だ。
やはり前の席に居たのか……。
御堂の隣には────鏡さんが座っていた。
二人の細かい表情まではわからない。
だが、御堂はずっと俯いて……悲しそうだった。
鏡さんは御堂に何か小声で話しかけている。
────……連れとは久々の再会だと鏡さんは言った。
二人は……知り合いなのか、兄妹なのか? それとも……。
二人の事が気になって舞台に集中出来ない……。
それからエピローグの間、ずっと御堂の事を考えていた。
『俺の連れはね……“魔”に取り憑かれているんだ』
鏡さんはそう言った。
“魔”と言うのは妖の“覚”の事なのだろうか……?
だとすれば、誤解は解かなければならない。
“魔”と言う言葉はどうも悪いイメージがある。
御堂は本当に“覚”を大事に思っている。
“覚”は御堂にとって……お守りみたいなものだ。
泣いている御堂も気になる。
しかし、親密そうに見える二人の間に……入り込める余裕はない。
もやもやとした感情を抑えきれなかった。
大きな拍手と共に、舞台挨拶が済んだ。
席を立つ観客の中に紛れて御堂と鏡さんの姿が見えない。
立ち上がり、目で追おうとする。
「修ちゃんごめん、ちょっと待ってて」
「…………?」
見ると生八橋はハンカチで目を覆っていた。
「泣いてるのか……?」
ラストは二人が気になって余り頭に入らなかったが……確かに最後のシーンは切ない。
「こっち見ないでよ!」
ちーん、と鼻を噛む。
周囲にもちらほらと泣いている女性の姿が見られる。
その年齢層はどちらかと言えば高めだ。
この舞台は原作に忠実で、現実世界に戻ったウェンディと弟達のその後も演出されていた。
希望に満ち、ネバーランドに旅立ったピーターとウェンディの孫娘よりも……現実に残されたウェンディ達に感情移入をしてしまう。
ティンクに至っては、死んだ事すら忘れられてしまう。
同じ作品でも世代や性別で、また見方が変わってくるのかもしれない。
感情移入の先もまた人それぞれなのだと実感した。
生八橋が泣き止むまで待っていると、二人はもう居なくなっていた。
会場を出て、駅の方へ向かう。
周囲はもうすっかり日が暮れていた。
生八橋がご飯でも食べに行こうと言うので、楓姉にその旨を伝える。
友達と夕食を外で食べてくると俺が言うと、そんなに珍しいのか必要以上にあれこれ詮索してきたがそのまま電話を切った。
結局夕食は生八橋の提案もあり、ファーストフードに落ち着いた。
……またハンバーガーか。
生八橋は舞台をとても満足してくれたらしく、はしゃぎながら感想を述べていた。
フック役の人が目当てだったが、今回は特にタイガーリリーを気に入ったようだ。
「ウェンディもそうだけど……タイガーリリーが可哀想で……」
「タイガーリリー? ウェンディでもティンクでもなくて?」
タイガーリリーはフック船長と敵対するインディアンの勇敢な娘だ。
「……あの子もピーターが好きだったのに……最後、すごくないがしろにされてるんだもん」
タイガーリリーはピーターの事が好きだったのか……。
────全然気が付かなかった。
自然にフェードアウトして行き、扱いが雑だったのが、いたく不満らしい。
「ピーターは最後、ネバーランドに戻っていったろ?」
何となくフォローをしてやった。
「それ、別にタイガーリリーのところに戻ったって訳じゃないじゃん!! ウェンディには何回も逢いに来てるし」
ぶぅー、と不平をもらす。
「結局ウェンディにも子供達にも裏切られたんだよね……」
「裏切った訳じゃないさ、ピーターにもこっち側に留まる選択肢はあった」
「何で留まらなかったんだろうね」
「……もう大人とは決別してるんじゃないのか」
だから同じネバーランドの仲間でもある大人の象徴であるフックを殺した……。
「永遠に子供って訳だよねぇー……。ウェンディの事もお母さんとしてしか見てなかったし……女としては見れないのかもね」
────……確かに異性として意識してる感じじゃなかった。
大人びた生八橋の意見に驚く、普段は子供っぽくはしゃいでるのでなお更だ。
「ねぇ、修ちゃん子供の時ってさ……どんなだったの?」
「来る時に話したろ。あんまり良い思い出じゃないよ」
「んー……どうして苛められてたのかな?」
前回は余り触れようとしなかったが、今回は身を乗り出して聞いてくる。
「別に面白い話じゃないよ」
「んー……でも聞きたい! 興味ある!」
興味を持たれるのは悪い気はしなかった……でも、本当の事を話しても理解してくれるんだろうか。
「…………俺、お化けが見えるんだ」
「えぇ!?」
生八橋は、乗り出した身を引く。
この手の話は大の苦手の筈だ。
「……って本気で言ったら、皆に気味悪がられた」
「あー、びっくりした。……しゅ、修ちゃんって霊感強いの?」
「いや、霊は見えないよ。まあ、何と言うか……子供の頃、妖怪とかお化けが好きでさ、そういうのが本当に居ると思ってた」
「う……うーん、妖怪かあ~……それならまだ大丈夫かな。何か可愛いのもいるし」
「生八橋は怖い話苦手だろ? この辺にしておこう」
「い、いいよ! 幽霊ならともかく妖怪の話とかだったら大丈夫…………だよー?」
生八橋の声のトーンが小さくなった。
……あんまり大丈夫じゃなさそうだ。
幽霊は相手を特定する事が多いが、妖怪は相手を選ばない。
……正直言えば妖怪の方が性質が悪い。
「……例えば、百々目鬼(どどめき)って妖怪がいるんだ。こいつに取り憑かれた奴は窃盗癖が出てくる……って言われている」
「ある時俺は……、万引きの現場を目撃した。だけど本人が否定するから────……怖がらせようと、妖怪の……百々目鬼が憑いてるって言ったんだ」
事実は逆だ──……百々目鬼が憑いてたから犯罪を犯してると言う事がわかってしまった。
────あの妖は、罪を犯した人間にしか憑かない。
「……そいつはしばらくして再び万引きして補導された」
「あ! あたし……その話、聞いたことがある」
「……え?」
「あたしの友達で、四ノ原志穂(しのはらしほ)って……修ちゃんと小学校同じだったらしいよ? 覚えてる? あの子から聞いたの」
四ノ原は、生八橋のグループの一人だ。
直接話した事はほとんどないが、顔と名前は知っていた。
「四ノ原ってあの大人しい子だろ? 知ってるけど……あの子、俺の同級生だったのか?」
さっぱり覚えてない。
一度も話したことがないのだろう。
「あはは、やっぱり覚えてなかったんだね。本人もほとんど話さなかったし、覚えてないだろうって言ってた。でも……志穂は修ちゃんの事覚えてたよ?」
……思い出せない。
それどころか、小学校の頃のクラスメイトなんてほとんど思い出せない。
「志穂が言うには……当時、修ちゃんが万引きしたって噂を流してた子が居たらしいの。余り評判の良い子じゃなかったけど、修ちゃんを異様に嫌ってたみたい。ただ何となく、補導されるまでの間……修ちゃんに対して怯えてるような様子が印象に残ってたらしいの。……志穂を含めて皆は、本当はその子が怪しいんじゃないかって思ってた」
そこまで言って、生八橋は身を乗り出してきた。
「────修ちゃん。重要な部分が抜けてるじゃない、修ちゃんは濡れ衣を着せられてたんだよ?」
生八橋は不機嫌そうに、詰め寄る。
……まさか、当時の事を生八橋が聞いてるとは思わなかった。
「そんな事は話す必要はないだろう?」
あの時は、皆、あいつの言う事を信じてたと思ってた。
「……そっちの方が必要だと思うんだけどなあ。志穂も他のクラスメイトも皆……疑った事を謝りたかったそうよ? でも、修ちゃんは一言も言い訳しなかったし、何だかその時には近寄り難い雰囲気だったって」
「…………」
今更そんな事実を知らされてもどうしたら良いか、わからない。
その頃の事は、あまり良く覚えていない。
色々な事に、興味をなくした時期だった気がする。
────どうでも良かった。
「……どうでも良かったんだよ、きっと」
まるで他の人間の事のように感じた。
「悪いのはそいつじゃん! それが原因だとしたら何だか切ないよ……」
生八橋は当時の事を自分が体験したかのように代わりに怒ってくれた。
……嬉しかった。
あの当時に味方は一人も居なかった。
ただ……幼い自分は味方が居たとしても、受け入れなかっただろう。
「原因はそれだけじゃない。……壁を作ってたのは俺なんだ」
「そうなんだ……。そんなに酷い苛めを受けたの?」
────ただ黙って首を振る。
きっと原因はそんな事じゃない。
次第に、うっすらと記憶が蘇ってくる。
小学校高学年の夏休み以降……他人と関わるのを極端に嫌ってしまった時期があった。
「……思い出せない。覚えていないんだ」
きっと……何かあった。
それは良い思い出だった様な気もするし、悪い思い出だった様な気もする────とても不安定な代物だ。
思い出そうとすると……苦しくなる。
「……言いにくい事聞いてごめんね。────よし! これでこの話はお終い! もっと楽しい話をしようよ!」
生八橋はスィッチを切り替えるように明るい笑顔を見せた。
「わだかまりは残ってるかもしれないけど……今度志穂に謝らせるから勘弁してあげてよ!」
「別に……普通に接してくれればそれで良いよ。あの頃は性格悪かったし……本当に気にしてないんだ」
「大丈夫だよ。志穂も最近の修ちゃんは本当に穏やかで怖くなくなったって言ってたし」
「……怖がらせてたのか」
「うん、誤解があったんだと思う。修ちゃんが本当は優しいのは知ってるから! ……いつも弁当くれるし」
「それは生八橋が勝手に奪ってるだけだろ!?」
「こら! いい加減生八橋はやめてよね! 美生って呼べ!」
「呼んだら何か良い事あるのか?」
「もう弁当取らない!」
「それは当たり前の事だろう! ……というか本当に取らないのか?」
「うん♪」
ニコニコと生八橋は頷く。
「嘘だな、その手には乗らないぞ生八橋」
「このぉー! だったら弁当は奪っちゃうけど構わないよね!?」
「何でそうなる!?」
「……でも、やっぱり優しいよ! チケットくれたし」
「生八橋の言う優しい基準は“物をくれる”って事なのか?」
「……今日もこうして付き合ってくれてるし」
ニコニコと生八橋は笑いながら言う。
「………………」
(生八橋が呼んだのは猫柳じゃなかったのか……?)
言わば代役だ、俺と居て何が楽しいのか疑問だった。
自分としては、過去の話である種のもやの様なものが晴れ、楽しい時を過ごせた。
まるでデートのようで緊張したが、いつもの生八橋だ。
────その後、取りとめもない話が続いた。
生八橋の違った一面もまた新鮮で心地良い。
他人との距離が近付く事を恐れていた時期はもう過去の事だと言う事を実感した。
◆
家に戻る頃にはすっかり夜になっていた。
楓姉はどうも寝ているらしかった。
早寝じゃなくて……徹夜続きで電池が切れたんだろうな。
きっと凄い遅寝なんだ。
俺も午前中に走りっ放しだったのでクタクタだった。
妖達も今晩は珍しく静かだった。
……今夜はゆっくり眠れそうだな。
風呂に入り、眠い眼をこすりながら課題を済ませた。
ひと段落し……ふと、新しい靴にほくそ笑む。
いつまで眺めても飽きなかった。
「……そうだ、ケータイも買ったんだっけ」
ケータイの説明書を読む。
……余りの機能の多さと、説明書の分厚さに眠くなってきた。
自室に戻り、就寝の準備をする。
今日はいつもと違った休日で新鮮だった。
大きい買い物をしたし、爺ちゃんや、村井先輩、生八橋との事を思い返す。
特に生八橋とは……あれはまるでデートだ。
そして……眠る前にどうしても御堂の事が気になってくる。
どうして御堂は泣いていたんだろう、鏡さんとはどういう関係なんだろう……と、あれこれ詮索をしてしまう。
ここまで他人の事が気になるなんて、一昔前までの自分には、考えられない事だった。
……やめよう、誰だって知られたくない事はある。
触れて欲しくない秘密は、誰にもあるものだ。
……だが、今日の生八橋には、触れて欲しくない事を色々知られた気がする。
生八橋はお喋り好きで、駅に着いてからも一緒のバスに乗ったので、ファーストフードを出てからも、ずっと話づくめだった事になる。
それは不快じゃなくて、むしろわだかまりが解けて行く、心地の良いものだった。
話題は必然的に過去のものが多かった。
ただいつも……肝心な事は思い出せないままだった。
────覚えているのは、楓姉に死ぬほど引っ[ruby text=ぱた]叩かれたこと。
────覚えているのは、その時期を境に他人にほとんど興味がなくなったこと。
────覚えているのは……一人だけ、仲が良かった奴が……いた様な気がすること。
いや……むしろ仲は悪かったのかもしれない。
色白で、女みたいな顔した嫌味な奴だった。
名前も……思い出せない。
友達なんて珍しかったから良く覚えているはずなのに覚えていない。
ある日、突然会わなくなった。
必死にその時期の事を思い出そうとした。
まどろみの中で、うっすらとそいつの顔が浮かんでくる。
そうだ、あいつと会ったのは……近くの裏山の中だったっけ…………。
《三日目終了 追憶編①に続く》
楓姉の部屋は静かだが、締切り前なので、おそらく半徹夜だろう。
流しに食器が置いてあったが、朝食なのか夜食なのかわからない。
自分はパンと牛乳で、軽い食事で済ませた。
このパターンだとあっちで食事を取る事になりそうだからだ。
「行ってらっしゃーい、じいちゃんによろしくねー」と、気の抜けた言葉で見送られた。
九条庵は繁華街を抜けた辺りにある。
家からは5km程の距離だ。
自転車は使わず、トレーニング代わりに走って行く事にした。
月曜には猫柳と100M走の勝負をすると言ってしまった。
瞬発力と足の回転の速さ、フォームを気にしながら全力で走る。
──……道端では妖達が徘徊し始めていた。
俺と視線が合うと、追って来る輩も多い。
普段からこういう妖から逃げているから、足腰は鍛えられているのかもしれない。
全力で逃げるのは短距離の練習になる。
おかげ様で、この辺りのどの妖より足が速くなっていた。
全力で走るとあっという間にバテて、呼吸を整え落ち着いたらまた走り出す。
何とか休憩中に妖に襲われないように気をつけて走った。
住宅街を抜け、繁華街の方まで来た。
ここまで来ると逆に楽だ。
住宅街となるとそうもいかないが、繁華街ではどこか建物など逃げ込める場所が多い。
妖にはそれぞれ行動範囲や、縄張りがあるからだ。
妖側からも、人が多いところでは見えている俺の存在に気付き難いらしい。
何とか人込みが少ない道を選び、走り抜ける。
そんな事を繰り返していると、九条庵に辿り着く頃にはすっかりバテていた。
到着したのは良いが、九条庵はまだ準備中だった。
入口までたどり着いたものの、少し躊躇してしまう。
息切れして落ち着かないというのもあったが、爺ちゃんはやはり苦手だった。
父親である風太郎も爺ちゃんと同じく、A級ライセンスを持っている程にボクシングが強い。
又三郎が言うには、その拳は妖をも[ruby text=はら]祓い、怖れられてたと聞く。
……その親父が爺ちゃんの事を、妖も含め喧嘩で勝てない唯一の男だと言っていた。
子供の頃、ボクシングの基礎を色々教えてもらったりもしたが……俺には才能がなかった。
というより、人と殴り合うのがどうしても楽しいと思えなかった。
…………それは今も変わらない。
そんな俺にがっかりしてるんじゃないかって……そう考えると、会い辛くなってしまってた。
いきなり扉が開き、中から主人である爺ちゃんが出てきた。
「……修一郎か? 何をしている、さっさと入れ」
気難しそうな頑固親父という風貌で、見る物を圧倒させる。
もう六十歳近いと言うのに、余り老いを感じさせない。
「あ、うん。……おはよう、爺ちゃん……お邪魔するよ」
何となく萎縮してしまっていた。
だが、同時に入ってきた鰹としょう油出汁の美味しそうな匂いが、食欲をそそり安心感を与えた。
九条庵は創業三十年で、地元だけでなく他県からも名店として親しまれている。
初代主人である爺ちゃんもまだまだ充分現役だ。
店自体は年季以上の風格を漂わせていた。
座敷で待機しているように言われる。
此処に座るのも数年ぶりだ。
子供の頃は、家族五人で食事をする事も多かった。
「まあ、食べろ」
と言って差し出された爺ちゃんの手料理は、本当に美味しかった。
主役の蕎麦は小さい器で程ほどに、焼き魚や山芋付きの麦飯と、高級旅館さながらの質の高い食事を出された。
熟成の出汁が疲れた体に染み渡る。
「……走って来たのか?」
しばらく一言も発せず黙って正面に座っていた爺ちゃんが口を開いた。
「うん、良い運動になるかって思ってさ」
「陸上、頑張ってるのか?」
ぽつりぽつりと質問をしてくる。
祖父は寡黙な人だ、良く喋る時は機嫌の良い時だって親父が言ってたっけ。
食べ終わり、落ち着いた頃に携帯電話の契約同意書を爺ちゃんは差し出した。
「たまには連絡よこせ」
書類を受け取りながら、うんとだけ答えた。
立ち上がった時、爺ちゃんは何を思ったか俺の尻や太腿をぱんぱんと叩き出した。
「うわ!? 何するんだ爺ちゃん?」
「お前、腕はひょろっとしてるが……脚は引き締まった良い筋肉をしているな、種目は何だ?」
「中距離が専門だけど……昨日から短距離の練習もしている」
「……時間あるか? ちょっと走ってみろ」
……何だか妙な事になった。
爺ちゃんは店の事は従業員に任せて、近くの公園まで俺を連れて行った。
爺ちゃんの見ている前で全力で走らされる。
「うむ……良い走りだ」
黙って俺の走りを眺めていた爺ちゃんは、何本目かでやっと口を開いた。
「スタートの時に、力み過ぎだ。肩をさげろ。そして前傾で前へ前へ踏み込むリズムに注意して走れ、お前は後半伸びる走りの方が向いている。最初は遅くても良い」
「う、うん……」
言われたとおりに従う。
(今日の爺ちゃんは良く喋るな……?)
「地面を蹴って、力を伝えるんだ」
またしばらく走ると今度は別のアドバイスが来た。
それに従い、また走りこむ。
爺ちゃんは順序を踏んで力強い言葉で俺に助言をし続けた。
「……お前の走りは何かから逃げている様な感じがするな」
「え……?」
…………逃げている、確かにそうかもしれない。
子供の頃から妖から逃げる為に走り続けた。
常に背後を────追い着かれないように必死に走った。
「妖……か」
爺ちゃんはぽつりと呟き、また黙り込む。
爺ちゃんは妖は見えない。
親父も元は見えなかったと聞く。
母さんの血筋が原因だ……その事を、爺ちゃんはどう思っているんだろう。
「逃げる事が悪いとは言わん」
再びぽつりと呟いた。
次は逃げずに闘え……そう言われる気がした。
だが、なかなか次の言葉は出ず……爺ちゃんは遠くを見つめる。
その背中は逞しく、大きかった。
こんなに大きかったのかと、吸い込まれそうになる。
その背中を通して出てきた言葉は予想とはかなり……違ってた。
「────前を追え」
「…………前を?」
────爺ちゃんと同じ方向を見つめる。
目の前には青空があった。
「そうだ、もっと速い何かを追って走れ」
「…………うん」
青空はどこまでも続き、広がっていた。
◆
携帯電話…いわゆるスマートホンの新規加入手続きは最初にパンフレットを見せられた瞬間、事細かな料金体系に一瞬眩暈がしたが、楓姉の契約指示があったので何とかスムーズに済んだ。
どうも法人契約だとプランが色々限られるらしい。
中間くらいのコースを選ぶ。
一人で選ぶと一番安いプランを選びそうだった。
楓姉曰く、それは罠だ。
最初は調子に乗って色々かけたりするのを見越しての契約内容……らしい。
出来るだけシンプルに……とシニア向けのやつを選んだ。
最低限のメール機能やカメラ機能はついている。
アプリやLINEだのと楓姉の言葉の意味を理解するのに相当時間がかかった
自分にとってはこれくらいが都合がいい。
それでも、何かと多機能だ。
無料便利アプリなどを色々とすすめられたが、すべて耳を通り抜けていった。
全部断っていると、あっと言う間に契約が成立した。
ガラケーだかスマホだか違いが良くわからないのですべて「ケータイ」と認識することにした。
充電を頼むと、1時間後に来てくれと言われた。
その間、スポーツシューズ専門店を覗く事にする。
というのも帰り道、爺ちゃんは磨り減った俺の靴を見て、靴を替えろと言って小遣いをくれたからだ。
……靴代にしては少し多い気がしたが、出来るだけ良い靴を買えと突っぱねられた。
スポーツ専門店に入り、格好良い靴に目移りする。
マラソンシューズに惹かれ見ていると肩をぽん、と叩かれた。
「よお、稲生じゃねえか。お前も靴買いに来たのか?」
……村井先輩だ。
「あ、先輩……どうも、こんにちは」
「はは、こんな所で会うなんて奇遇だよな。陸上用スパイクか? ……そうだ、そういや行人の奴が昨日のお前の幅跳びについて妙な事言ってたな」
「……猫柳が? 妙な事……って何です?」
「いやなに、お前の幅跳び……跳躍時間が長いんじゃないかって言ってたんだ」
「……はは、ひょっとして上に跳んだんじゃないのか? お前」
上に……?
「……どうなんでしょう、良く覚えてません」
「俺はお前の幅跳びは高跳びに近かったんじゃねえかって思う。次さ、高跳びやってみろよ」
「高跳び……ですか?」
「跳ぶ瞬間は俺も観たんだ。助走が意味ないくらい踏ん張って跳んだろ、あれで5M越えなんてある意味凄いバネを持ってるのかもな」
「あはは、それは……持ち上げ過ぎですよ」
村井先輩はその後、陸上用のスパイクを物色する。
先輩は色んな競技をやって、現在の投擲に落ち着いた。
他の競技に対する知識もかなりのものだった。
この靴なんかどうだ、と俺に色んなタイプの靴を差し出して説明する。
先輩と二人だけの会話なんて部活ではなかった。
話していく内にかなり世話好きな先輩だということがわかった。
結局、先輩が薦めた短距離から中距離・幅跳びまでオールラウンドで使える陸上用スパイクが気に入り、買ってしまった。
こんな高い靴は初めてだ、思わず高揚してしまう。
良いなあ、と先輩は物欲しそうに眺める。
それがますます、高揚感を高めた。
友達と待ち合わせてると言う先輩とはそこで別れた。
どうやら初デートらしい……余程嬉しいのか聞いてないのにその事を話してきて、絶対に言うなと口止めされた。
相手は同じ陸上部の女子の先輩だ。
そうだったのか……、喧嘩ばかりしてたから仲悪いのかと思ってた。
*
人の秘密を知ると不思議な気持ちになる。
────知ってしまって良いのだろうかと不安になる。
『修一郎君、私ね……実は後悔してる。この子の事……心が読める事をあなたに話してしまった事を』
…………御堂の言葉が思い出される。
俺はそれに対する言葉を、未だに見つけられないままでいた。
そうしている内に1時間経っていたので、携帯電話を取りに行った。
店員から受け取り操作説明を受け、試しに楓姉にかけてみた。
*
*
*
*
【もしもしー? お、ケータイ買ったみたいね? そうそう、何か修一郎の友達から電話があったわよ?】
「……友達?」
【うん、ニャンコ柳とか言ったかしら? 携帯番号聞いたからあんたの携帯番号教えとくわ】
「え? 俺の携帯番号わかるのか!?」
【……あんたいつの時代の人間よ、まあ良いわ。伝えとくからー】
そう言って電話は切れた。
程なくして電話がかかってくる。
「あ……、えっと……これか?」
通話ボタンの代わりに終了ボタンを押すベタな間違いは何とかしなくて済んだ。
【おぉ!? 修一郎、ついにケータイ買ったのかよ!? いやー良いタイミングだよ、お前。……修一郎、お前今どこにいる?】
「……? 繁華街だけど? 大型電気店を出たところだ」
【おぉー、そうか! なあ、今ヒマか?】
用事は全部済んでしまった、ヒマかと言われればそうだ。
「まあ後は帰るだけかな」
「そうか……よし! 駅前に来いよ、天狗の銅像の前だ。じゃあ、待ってるからな!」
「?」
返答も待たずに切れてしまった。
◆
ここから駅までは歩いて5分もかからない。
駅の改札口を出て正面には、大きな天狗の銅像がどっしりと構えている。
この町────三津木市は、天狗の伝説が残り崇められてる霊山が観光地として有名だ。
標高も2000M近くとかなり高く、登山客が訪れる事も多い。
良く行く神社の裏山だ。
子供の頃は親父に連れられ、良く登ったものだ。
天狗の銅像を確認し、ふと昔の記憶が蘇る。
…………天狗、元気にしてるかな?
子供の頃に…………俺は天狗と会っていた。
妖が見える俺には、天狗が見えた。
……常人ではあり得ないそんな思い出に浸っている間に、天狗像の前に辿りついてしまった。
猫柳の姿は────ない。
「あれぇ!? 修ちゃん、何でこんなところにいるの!?」
────!?
振り返るとそこには生八橋が立っていた。
「何で……って、そりゃこっちの台詞だ。俺は猫柳に呼ばれて……」
「……あ、なんだそっかー、あたしも猫ちゃんと待ち合わせしてたんだよ」
そんな時、生八橋のケータイに着信がある。
どうもメールらしい、ケータイをみて目を見開いて驚いてた。
「……ね、猫ちゃん来ないんだって」
「え? 何でだよ、あいつはここに居るってさっき電話で話したぞ」
「えぇ!? 電話ってどこで? 修ちゃん、ケータイ持ってるの?」
生八橋にケータイを買った事と事の経緯を説明する。
番号とアドレスを聞かれ、そのまま交換しながら話をする事になった。
俺が登録に苦戦してる間に、凄まじい速さで登録を済ませた生八橋が話しかけてくる。
「あ、あのさ……修ちゃん、実はお願いがあるんだけど……ってコラ!! 何で登録者名が“なまやつはし”なのよ!?」
「わ!?」
ケータイを奪われ入力し直される。
帰ってきた携帯には“*:.。☆美生☆。.:*”と登録されていた。
…………キラキラしてるなぁ。
「あのね……昨日、舞台のチケット貰ったでしょ? お姉ちゃんも大喜びしてたけど……でも、お姉ちゃんが急に来れなくなっちゃったんだあ……」
「あ……そうなんだ、それは残念だな」
「で、代わりに友達誘おうと思ったんだけど急には来れないって言われて……で、仕方ないから猫ちゃん呼び出したの」
「そしたら代わりに俺が来た……と言う訳か」
事情は理解できた。
……ん? てことはつまり……。
「うん、だからね……一緒に舞台に行かない?」
「────……は?」
「もうあんまり開演まで時間がないのよー、今から電車に乗っていけば間に合うよ! ね、行こう?」
「ま、待てよ! いきなりそんな事言われても……俺ジャージだし!」
「大丈夫だって! ……うん、爽やかスポーツマンって感じ!」
何を納得したのか半ば強引に改札の方へと連れて行かれた。
公演のある県の中心地までは電車で30分程の距離だ。
気軽に行ける距離だが、都心部の方なんて久しく行ってない。
都心部の妖は遭遇率は低いが……より一層性質が悪い。
人込みが苦手なのもあって、自分から行こうとは余り思わなかった。
「都心部なんて久しぶりだな……」
「どれくらい行ってないの?」
「数年は行ってない気がする」
「えぇ!? 一体どんな中学時代送って来たのよ!?」
「うーん……何やってたんだろうな」
生活で必要なものは、この町の繁華街で充分だし……。
「友達いなかったってホント?」
「……悪かったな」
すねるように応える。
「……むー。前も思ったんだけどホントっぽいね…」
「…………」
*
勉強は頭が悪いなりにも、比較的頑張った気がする。
それ以外は……ただひたすら無味乾燥な毎日を送ってた。
思い出自体が余りなく、希薄だった。
……小学の頃は、どうだろうか。
────他人に見えないものが見える。
幼い俺はその事を隠して器用に生活するという事が出来なかった。
妖にばかり意識が集中し、囚われていた。
学校の先生は皆の輪の中に入れと言う。
だが俺は妖と遊ぶのが好きで、決して輪の中に入ろうとしなかった。
次第に“薄気味悪い奴”というイメージが浸透し……周囲は俺を避けるようになった。
中学では、小学生の時のようないじめはなくなったが、イメージは残ったままだった。
何処のグループにも入れてもらえず、孤独に慣れた。
……違うな、入ろうともしなかった。
無関心を決め込むと周囲も俺に対し、無関心になった。
────相互不干渉と言った形に落ち着いた。
教師も小学生の時みたいに口出しはして来ない。
それはそれで居心地は悪くなかった。
何とかそこそこ偏差値が高い私立高校に合格し、そこからは環境は一新された。
遅刻を繰り返す俺の隣にいる生八橋ともいつの間にか仲良くなった。
そして隣の席の人懐っこい奴……猫柳が友達になってくれた。
そしてそれから……。
*
電車が来て車内に乗り込むまでの間、考え込んでしまった。
生八橋が俺の目の前に手を振りかざし、我に返る。
「もー、暗いなあ! 現在はいじめられるなんて……そんな事ないんだから良いじゃない!! そんなのでストレス発散しているのは中学くらいまでだよ! それに、ここだけの話……修ちゃんのこと、ちょっと良いなって言ってる女の子もいるよ?」
「…………は?」
生八橋の言葉で現実に引き戻された。
「修ちゃんって、ちょっとミステリアスじゃない? あと、クール?ドライって言うか……落ち着いてる感じ?」
「……そんな事言われたの初めてだ」
褒め言葉かどうかは良くわからないけど。
「でも最近……何か明るくなったって言うか、感じが良くなったって言われてる」
「……待て、俺の事なんて何で話題にのぼるんだ?」
「あはは、女の子は話題に事欠かないわよー? クラスの男子なんて全員ひと通り話題にあがるんだから!」
「怖いなっ! 猫柳とかはどうなんだ?」
「あー、猫ちゃんかー? あのエロ柳はちょっと変態だからねぇ……でも案外走ってる姿はカッコいいとか言われてるよ。中学の時はそこそこ女の子とか付き合ってたし、意外とモテるのかも」
「……はー、皆色々見てるんだなぁ」
電車の中で、生八橋は色々な話題をふってくる。
俺が買った靴を物色し出したりもした。
「うわー、何か本格的だねー……意外」
「どうして意外なんだ?」
「うん、もっと適当に部活やってると思ってた」
────別に間違ってない、頑張りだしたのは最近だ。
何だかんだで人は見る所見てるんだな、って感慨にふけった。
電車に揺られ、生八橋は色々な話題をふってくる。
淡白な俺の受け答えにもお構いなしに喋り続ける。
あらためて見ると、生八橋は──……可愛い。
私服のせいもあるが、男子女子問わず人気があるというのも頷ける。
そんな生八橋と……これじゃまるでデートじゃないか……。
異性として意識すると、何だか落ち着かない。
だがそれ以上に、生八橋はいつもの調子だ。
かろうじてペースは乱されずに済んだ。
都心部はしばらく来ない内にだいぶ変わっていた。
駅前がだいぶ改装され、巨大なショッピングモールが組み込まれていた。
綺麗な店舗に目移りする。
大型の本屋やスポーツ用品店もあり、ちょっと興味を惹かれた。
「開演まであと30分かあ、何とか間に合いそうだね」
生八橋はそう言いつつも、雑貨屋の商品に釘付けになっている。
それが終わると今度はシュークリーム屋に興味津々だ。
「早く行かないと始まっちゃうんじゃないのか?」
シュークリーム屋に並ぼうとしていた生八橋を呼び止めた。
「うー……えへへ、買った後走って行ったらギリギリ間に合う……んじゃないかなあ?」
遅刻癖はここでも発揮されていた。
結局並んで、シュークリームを買う。
更にブティックに興味をしめし始めたので、無理矢理連れて行くことにした。
早足で来たので、何とか開演までに間に合った。
全席指定の為、会場のホールは混雑もなくすんなり入れた。
映画館に比べると高級感があり、あらためてジャージ姿の自分が恥ずかしくなる。
しかもS席だ……学生が気安く手に出せる値段じゃない。
……まあ、お題目がお題目なだけに親子連れも多いので何とか救われた。
「館内は飲食不可だぞ、どうするんだ?」
「うぅ……、ロビーで食べるよぉ」
ロビーに座り、シュークリームを取り出す。
「はい、修ちゃんの分」
「え? ……俺の分もあるのか?」
「うん、あたしのおごり! チケットと付き合ってくれたお礼!」
「……いつも人の弁当を奪う生八橋に物をもらうなんて」
「こらっ! 奪うだけじゃないでしょ!? ちゃんと代わりの物あげてるじゃない!」
……ろくなモノを寄こさない────確実に等価交換じゃない。
でも、このシュークリームは嬉しかった。
何気にチケットのお礼も含まれている事を聞き逃さなかったが……。
ウゥ、と吽狛が唸り声をあげた。
(……………………?)
…………妖の気配を感じる。
近くに……妖が居るのか?
「何? どうしたの? 怖い顔して……」
「いや、何でもない……これ、美味いよな」
「でっしょー? いつもはもっと行列出来てるんだよ!」
……こういう場所には、一匹や二匹くらい妖はいるものだ。
別段気にする事じゃない。
食べ終わる頃には開演ブザーが鳴った。
さすがにS席の客層は社会人や、上品な人が多く気が引けた。
しかし、席に着き舞台に集中するとそれも気にならなくなった。
むしろ前方に感じる微かな複数の妖の気配が気になった……。
別に襲ってくる訳でもなく、誰かに憑いているだけでも吽狛が気配を察知する。
電車の中でもホールでも感じた事だし、気にし出したらキリがなかった。
音楽と共に舞台が始まった。
S席のせいもあるが……臨場感が凄い。
舞台俳優達は誰もが歌唱力が優れており、ワイヤーを使った空中アクションも多彩だ。
何より、ファミリー向けとして、飽きさせない構成になっている。
昨日読んだ物語が眼の前で再現される。
照明や演出、俳優の演技も相まって……自分が想像した本の中の世界を遥かに凌ぐ世界観を構築していた。
ピーターを女性が演じてるのは違和感を感じたが、少年の演技力では追い着けない部分もあるんだろう……おかげで余り感情移入の出来なかったピーターがとても魅力的に思えてしまった。
正直ウェンディより美人な気がする……。
フック役の俳優が出て来た瞬間、隣の生八橋がはう、と微かな感嘆の声をあげる。
どうもこのフック役の俳優がお目当てらしい。
……なるほど、確かに女性ファンが多そうな容姿と声だ。
演技力も抜群で、その存在感は舞台の空気を変えていた。
やはり、一番魅力的だったのはワイヤーにより空を飛ぶ演出だった。
惜しみなく回転し、空中浮遊感を演出する。
臨場感も手伝って、まるで本当に人が空を飛んでいるかのような錯覚にとらわれた。
…………空を。
………………?
何か、不思議な感覚がした。
……何だろう、空を……飛べたら……。
………………わからない。
空中を浮遊する俳優を見ていると…………忘れていた何かを思い出しそうになった。
途中休憩が入り、手洗いに行く事にした。
二時間半もあるので、子供達も休憩を入れないと耐えられないのだろう。
俺自身も慣れてないのでこの休憩はありがたかった。
用を足して、人込みを掻き分ける。
……女性洗面所の前には、行列が出来ていた。
混雑の原因は子供連れだが、同年代らしき女の子もいて安心した。
……………………?
感じた事のある妖の気配がした。
さっきのものとは別物だ。
この妖の感覚はどこかで…………あれ?
────────!!!?
……一瞬、自分の眼を疑った。
あれ……? どうして……?
何でこんな所に……御堂が居るんだ?
思わず隠れてしまう。
どうしてそんな行動を取ってしまったのかわからない。
私服なので人違いかと思った。
だが、その子には“覚”が憑いていた。
同じ妖が憑いた御堂に似た子なんて恐らく世界中探しても見つからないだろう……。
どうしよう、話しかけた方が良いんだろうか。
やましい事をしてる訳じゃない。
御堂をもう一度そぉっと観察する。
・
・
……御堂に憑く“覚”は……相変わらずその瞳を閉じていた。
そして前にも増して……気枯れているようにも見えた。
さらに御堂は……時折ハンカチを眼に当てている。
…………泣いている?
どうして…………?
公演はまだ終わっていない。
ラストは確かに……泣けるシーンではあるかもしれない。
だが、まだ中盤のウェンディがさらわれたところで……泣ける部分は余りない筈だ。
その証拠に、御堂以外の他の観客達で泣いている人達はいない。
話しかけようかどうしようか迷っている内に……御堂は洗面所の中に入って行ってしまった。
出てくるまで待つか……?
だけど何て言って話しかけたら良いのかわからなかった。
泣いている所なんて……普通、誰にも見られたくないものだ。
「何やってんの? 修ちゃん」
「うわっ!?」
「遅いよー、待ってられないから荷物持ってきちゃった。はい、これ持って戻ってて」
そう言って、荷物を渡される。
……確かに女性洗面所の方が混んでる。
こんな所で待ちぶせする訳にもいかない……。
大人しくホールに戻る事にした。
・
・
『ウゥ…』
吽狛が唸る。
今度は別の妖の気配がした。
…………正直、今の俺には妖なんてどうでも良い。
無視を決め込んでホールに戻ろうとすると、妖の気配は近付いてくる。
コツコツという杖の音が聞こえる。
…………こんな時に。
振り向くと見覚えのある男が立っていた。
────盲目の……先日神社で会った人だった。
「やあ、奇遇だな? 君は……狛君だろう?」
「────……鏡さん?」
気が付くと、妖の気配は消えていた。
何なんだ……?
何でさっきは──この人から妖の気配がしたんだ……?
昨日会った時は……何も感じなかったのに。
吽狛が更に唸る。
「……ここはペットは禁止じゃないのか?」
その言葉にドキッとする。
この人は……吽狛を感じる事が出来る。
「い、いえ……あの、実はこの犬は──普通の人には見えないんです。……守護霊獣というか、お守りみたいなものなんです」
誤魔化しがきかないので、正直に話した。
逆に、この人なら理解してくれると思えた。
「……ほう、それは興味深いな。どれ、詳しく教えてくれないか?」
鏡さんに吽狛の事を出来るだけ簡潔に、説明する。
鏡さんはすんなり事情を受け入れた。
新鮮な感覚だった。
「守護霊獣か────面白い。ふふ、君とその犬は似ているな、とても。まるで君の別人格の様にも感じられるよ」
……吽狛と俺は霊的に繋がっている。
俺が産み出した分身の様なものだ、潜在的に似ている部分も多い。
だが、こうも言い当てられると、薄ら寒いものを感じる。
「気を悪くしないで聞いてくれよ。もしかすると危険な使い方も出来るんじゃないのかい?」
『ウゥ…』
吽狛が唸る。
俺は吽狛を黙らせる。
……聞き返す必要はなかった。
言葉通りの意味だ。
吽狛は、人を傷付ける事も可能だ。
悪意が無いと理解はしても、不快な気持ちになった。
「そう……かもしれません」
「いや……すまない、怒らせてしまったようだな」
鏡さんはそのまま、煙草を取り出し一服し始めた。
喫煙フロアに煙が立ち昇る。
吽狛が少し嫌な顔をする。
妖の中には煙草を嫌う輩も多い、吽狛もそ内の一匹だ。
「煙草は嫌いかい?」
「好きではないですが……別に気になりません」
「はは、正直だな。喫煙者はどんどん肩身が狭くなっていくよ。だが、体に悪いのを知っていながら止められない」
鏡さんは苦笑しながら煙草を吸う。
「しかしこんな所で再会するなんてな、君は舞台が好きなのかい? 一人で来たのかな?」
「友人とです、俺はまあ……付き添いというか」
「そうか、今日の俺の連れとは久々の再会でね……。この舞台のチケットをプレゼントしたんだよ」
「そうだったんですか……お連れさんは喜んでくれましたか?」
何でそんな事を聞くんだろう、余り突っ込んで聞く話題でもないのかもしれない。
「いや、とても悲しんでたよ。それで困ってしまってね……」
鏡さんは煙草を吸い終わると、しばらく黙り込んでしまった。
俺はどう言葉をかけていいのかわからない。
言葉を探していると鏡さんはゆっくりと口を開く。
「俺の連れはね……“魔”に取り憑かれているんだ」
「────!? “魔”……ですか?」
きっとこの人の言う“魔”は“妖”と同義だ、だとしたら……俺にも見る事が出来るのかもしれない。
「そうだ、君なら理解出来るかもしれないな……君は、“魔”を見る事が出来るのか?」
……どう答えれば良いのだろう。
俺はまだこの人を充分に信用した訳じゃない。
「……さっき君は“この犬は普通の人には見えない”と言ったな」
「…………」
「ますます君に興味が出てきたよ、狛君。俺の連れに会ってやってくれないか」
開演のブザーが鳴る。
休憩終了のアナウンスが流れた。
「……時間か、終了後また時間をとれるかな?」
「友達と来てるんで……ちょっと難しいかもしれません」
「連絡……今度こそしてくれるとありがたいかな。俺が渡したメモはまだあるかい?」
「ええ、持ってます。それじゃ……また」
軽くお辞儀をして、ホールへと戻る事にした。
鏡さんと終了後に会う約束をした方が良かったんだろうか。
……だが、それ以上に御堂の事が気にかかる。
御堂はこの会場に来ているのだ……しかも泣いていた。
……────気になる。
一体こういう時はどうすれば良いんだろう。
そっとして置くべきなのだろうか……。
「遅い~ッ!! 何やってたのよ、修ちゃん!」
席に戻ると生八橋が怒ってた。
だが、文句も聞き終わらないうちに公演が再開された。
御堂の姿を探そうと思ったが、照明が落ち……それも困難となった。
後半の舞台が始まった。
……後半の見所は何と言ってもピーターとフックの一騎打ちだ。
海賊船の上での決闘──華麗な剣さばきに光と火花のエフェクトが舞台を盛り上げた。
フック船長の最期は……原作と少し違っていた。
ワニに追い詰められて、海へと投げ込まれてしまったのだ。
ピーターは止めを刺さないし、足蹴にして突き落としたりはしなかった。
おかげでフック船長のあのニヒルな魅力が失われ……少し納得がいかなかった。
物語はエピローグに差し掛かり、全体的に照明が明るくなった。
前方の観客席に、御堂の姿を見つける。
……というよりも妖の“[ruby text=サトリ]覚”を見つけたという訳だ。
やはり前の席に居たのか……。
御堂の隣には────鏡さんが座っていた。
二人の細かい表情まではわからない。
だが、御堂はずっと俯いて……悲しそうだった。
鏡さんは御堂に何か小声で話しかけている。
────……連れとは久々の再会だと鏡さんは言った。
二人は……知り合いなのか、兄妹なのか? それとも……。
二人の事が気になって舞台に集中出来ない……。
それからエピローグの間、ずっと御堂の事を考えていた。
『俺の連れはね……“魔”に取り憑かれているんだ』
鏡さんはそう言った。
“魔”と言うのは妖の“覚”の事なのだろうか……?
だとすれば、誤解は解かなければならない。
“魔”と言う言葉はどうも悪いイメージがある。
御堂は本当に“覚”を大事に思っている。
“覚”は御堂にとって……お守りみたいなものだ。
泣いている御堂も気になる。
しかし、親密そうに見える二人の間に……入り込める余裕はない。
もやもやとした感情を抑えきれなかった。
大きな拍手と共に、舞台挨拶が済んだ。
席を立つ観客の中に紛れて御堂と鏡さんの姿が見えない。
立ち上がり、目で追おうとする。
「修ちゃんごめん、ちょっと待ってて」
「…………?」
見ると生八橋はハンカチで目を覆っていた。
「泣いてるのか……?」
ラストは二人が気になって余り頭に入らなかったが……確かに最後のシーンは切ない。
「こっち見ないでよ!」
ちーん、と鼻を噛む。
周囲にもちらほらと泣いている女性の姿が見られる。
その年齢層はどちらかと言えば高めだ。
この舞台は原作に忠実で、現実世界に戻ったウェンディと弟達のその後も演出されていた。
希望に満ち、ネバーランドに旅立ったピーターとウェンディの孫娘よりも……現実に残されたウェンディ達に感情移入をしてしまう。
ティンクに至っては、死んだ事すら忘れられてしまう。
同じ作品でも世代や性別で、また見方が変わってくるのかもしれない。
感情移入の先もまた人それぞれなのだと実感した。
生八橋が泣き止むまで待っていると、二人はもう居なくなっていた。
会場を出て、駅の方へ向かう。
周囲はもうすっかり日が暮れていた。
生八橋がご飯でも食べに行こうと言うので、楓姉にその旨を伝える。
友達と夕食を外で食べてくると俺が言うと、そんなに珍しいのか必要以上にあれこれ詮索してきたがそのまま電話を切った。
結局夕食は生八橋の提案もあり、ファーストフードに落ち着いた。
……またハンバーガーか。
生八橋は舞台をとても満足してくれたらしく、はしゃぎながら感想を述べていた。
フック役の人が目当てだったが、今回は特にタイガーリリーを気に入ったようだ。
「ウェンディもそうだけど……タイガーリリーが可哀想で……」
「タイガーリリー? ウェンディでもティンクでもなくて?」
タイガーリリーはフック船長と敵対するインディアンの勇敢な娘だ。
「……あの子もピーターが好きだったのに……最後、すごくないがしろにされてるんだもん」
タイガーリリーはピーターの事が好きだったのか……。
────全然気が付かなかった。
自然にフェードアウトして行き、扱いが雑だったのが、いたく不満らしい。
「ピーターは最後、ネバーランドに戻っていったろ?」
何となくフォローをしてやった。
「それ、別にタイガーリリーのところに戻ったって訳じゃないじゃん!! ウェンディには何回も逢いに来てるし」
ぶぅー、と不平をもらす。
「結局ウェンディにも子供達にも裏切られたんだよね……」
「裏切った訳じゃないさ、ピーターにもこっち側に留まる選択肢はあった」
「何で留まらなかったんだろうね」
「……もう大人とは決別してるんじゃないのか」
だから同じネバーランドの仲間でもある大人の象徴であるフックを殺した……。
「永遠に子供って訳だよねぇー……。ウェンディの事もお母さんとしてしか見てなかったし……女としては見れないのかもね」
────……確かに異性として意識してる感じじゃなかった。
大人びた生八橋の意見に驚く、普段は子供っぽくはしゃいでるのでなお更だ。
「ねぇ、修ちゃん子供の時ってさ……どんなだったの?」
「来る時に話したろ。あんまり良い思い出じゃないよ」
「んー……どうして苛められてたのかな?」
前回は余り触れようとしなかったが、今回は身を乗り出して聞いてくる。
「別に面白い話じゃないよ」
「んー……でも聞きたい! 興味ある!」
興味を持たれるのは悪い気はしなかった……でも、本当の事を話しても理解してくれるんだろうか。
「…………俺、お化けが見えるんだ」
「えぇ!?」
生八橋は、乗り出した身を引く。
この手の話は大の苦手の筈だ。
「……って本気で言ったら、皆に気味悪がられた」
「あー、びっくりした。……しゅ、修ちゃんって霊感強いの?」
「いや、霊は見えないよ。まあ、何と言うか……子供の頃、妖怪とかお化けが好きでさ、そういうのが本当に居ると思ってた」
「う……うーん、妖怪かあ~……それならまだ大丈夫かな。何か可愛いのもいるし」
「生八橋は怖い話苦手だろ? この辺にしておこう」
「い、いいよ! 幽霊ならともかく妖怪の話とかだったら大丈夫…………だよー?」
生八橋の声のトーンが小さくなった。
……あんまり大丈夫じゃなさそうだ。
幽霊は相手を特定する事が多いが、妖怪は相手を選ばない。
……正直言えば妖怪の方が性質が悪い。
「……例えば、百々目鬼(どどめき)って妖怪がいるんだ。こいつに取り憑かれた奴は窃盗癖が出てくる……って言われている」
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「あ! あたし……その話、聞いたことがある」
「……え?」
「あたしの友達で、四ノ原志穂(しのはらしほ)って……修ちゃんと小学校同じだったらしいよ? 覚えてる? あの子から聞いたの」
四ノ原は、生八橋のグループの一人だ。
直接話した事はほとんどないが、顔と名前は知っていた。
「四ノ原ってあの大人しい子だろ? 知ってるけど……あの子、俺の同級生だったのか?」
さっぱり覚えてない。
一度も話したことがないのだろう。
「あはは、やっぱり覚えてなかったんだね。本人もほとんど話さなかったし、覚えてないだろうって言ってた。でも……志穂は修ちゃんの事覚えてたよ?」
……思い出せない。
それどころか、小学校の頃のクラスメイトなんてほとんど思い出せない。
「志穂が言うには……当時、修ちゃんが万引きしたって噂を流してた子が居たらしいの。余り評判の良い子じゃなかったけど、修ちゃんを異様に嫌ってたみたい。ただ何となく、補導されるまでの間……修ちゃんに対して怯えてるような様子が印象に残ってたらしいの。……志穂を含めて皆は、本当はその子が怪しいんじゃないかって思ってた」
そこまで言って、生八橋は身を乗り出してきた。
「────修ちゃん。重要な部分が抜けてるじゃない、修ちゃんは濡れ衣を着せられてたんだよ?」
生八橋は不機嫌そうに、詰め寄る。
……まさか、当時の事を生八橋が聞いてるとは思わなかった。
「そんな事は話す必要はないだろう?」
あの時は、皆、あいつの言う事を信じてたと思ってた。
「……そっちの方が必要だと思うんだけどなあ。志穂も他のクラスメイトも皆……疑った事を謝りたかったそうよ? でも、修ちゃんは一言も言い訳しなかったし、何だかその時には近寄り難い雰囲気だったって」
「…………」
今更そんな事実を知らされてもどうしたら良いか、わからない。
その頃の事は、あまり良く覚えていない。
色々な事に、興味をなくした時期だった気がする。
────どうでも良かった。
「……どうでも良かったんだよ、きっと」
まるで他の人間の事のように感じた。
「悪いのはそいつじゃん! それが原因だとしたら何だか切ないよ……」
生八橋は当時の事を自分が体験したかのように代わりに怒ってくれた。
……嬉しかった。
あの当時に味方は一人も居なかった。
ただ……幼い自分は味方が居たとしても、受け入れなかっただろう。
「原因はそれだけじゃない。……壁を作ってたのは俺なんだ」
「そうなんだ……。そんなに酷い苛めを受けたの?」
────ただ黙って首を振る。
きっと原因はそんな事じゃない。
次第に、うっすらと記憶が蘇ってくる。
小学校高学年の夏休み以降……他人と関わるのを極端に嫌ってしまった時期があった。
「……思い出せない。覚えていないんだ」
きっと……何かあった。
それは良い思い出だった様な気もするし、悪い思い出だった様な気もする────とても不安定な代物だ。
思い出そうとすると……苦しくなる。
「……言いにくい事聞いてごめんね。────よし! これでこの話はお終い! もっと楽しい話をしようよ!」
生八橋はスィッチを切り替えるように明るい笑顔を見せた。
「わだかまりは残ってるかもしれないけど……今度志穂に謝らせるから勘弁してあげてよ!」
「別に……普通に接してくれればそれで良いよ。あの頃は性格悪かったし……本当に気にしてないんだ」
「大丈夫だよ。志穂も最近の修ちゃんは本当に穏やかで怖くなくなったって言ってたし」
「……怖がらせてたのか」
「うん、誤解があったんだと思う。修ちゃんが本当は優しいのは知ってるから! ……いつも弁当くれるし」
「それは生八橋が勝手に奪ってるだけだろ!?」
「こら! いい加減生八橋はやめてよね! 美生って呼べ!」
「呼んだら何か良い事あるのか?」
「もう弁当取らない!」
「それは当たり前の事だろう! ……というか本当に取らないのか?」
「うん♪」
ニコニコと生八橋は頷く。
「嘘だな、その手には乗らないぞ生八橋」
「このぉー! だったら弁当は奪っちゃうけど構わないよね!?」
「何でそうなる!?」
「……でも、やっぱり優しいよ! チケットくれたし」
「生八橋の言う優しい基準は“物をくれる”って事なのか?」
「……今日もこうして付き合ってくれてるし」
ニコニコと生八橋は笑いながら言う。
「………………」
(生八橋が呼んだのは猫柳じゃなかったのか……?)
言わば代役だ、俺と居て何が楽しいのか疑問だった。
自分としては、過去の話である種のもやの様なものが晴れ、楽しい時を過ごせた。
まるでデートのようで緊張したが、いつもの生八橋だ。
────その後、取りとめもない話が続いた。
生八橋の違った一面もまた新鮮で心地良い。
他人との距離が近付く事を恐れていた時期はもう過去の事だと言う事を実感した。
◆
家に戻る頃にはすっかり夜になっていた。
楓姉はどうも寝ているらしかった。
早寝じゃなくて……徹夜続きで電池が切れたんだろうな。
きっと凄い遅寝なんだ。
俺も午前中に走りっ放しだったのでクタクタだった。
妖達も今晩は珍しく静かだった。
……今夜はゆっくり眠れそうだな。
風呂に入り、眠い眼をこすりながら課題を済ませた。
ひと段落し……ふと、新しい靴にほくそ笑む。
いつまで眺めても飽きなかった。
「……そうだ、ケータイも買ったんだっけ」
ケータイの説明書を読む。
……余りの機能の多さと、説明書の分厚さに眠くなってきた。
自室に戻り、就寝の準備をする。
今日はいつもと違った休日で新鮮だった。
大きい買い物をしたし、爺ちゃんや、村井先輩、生八橋との事を思い返す。
特に生八橋とは……あれはまるでデートだ。
そして……眠る前にどうしても御堂の事が気になってくる。
どうして御堂は泣いていたんだろう、鏡さんとはどういう関係なんだろう……と、あれこれ詮索をしてしまう。
ここまで他人の事が気になるなんて、一昔前までの自分には、考えられない事だった。
……やめよう、誰だって知られたくない事はある。
触れて欲しくない秘密は、誰にもあるものだ。
……だが、今日の生八橋には、触れて欲しくない事を色々知られた気がする。
生八橋はお喋り好きで、駅に着いてからも一緒のバスに乗ったので、ファーストフードを出てからも、ずっと話づくめだった事になる。
それは不快じゃなくて、むしろわだかまりが解けて行く、心地の良いものだった。
話題は必然的に過去のものが多かった。
ただいつも……肝心な事は思い出せないままだった。
────覚えているのは、楓姉に死ぬほど引っ[ruby text=ぱた]叩かれたこと。
────覚えているのは、その時期を境に他人にほとんど興味がなくなったこと。
────覚えているのは……一人だけ、仲が良かった奴が……いた様な気がすること。
いや……むしろ仲は悪かったのかもしれない。
色白で、女みたいな顔した嫌味な奴だった。
名前も……思い出せない。
友達なんて珍しかったから良く覚えているはずなのに覚えていない。
ある日、突然会わなくなった。
必死にその時期の事を思い出そうとした。
まどろみの中で、うっすらとそいつの顔が浮かんでくる。
そうだ、あいつと会ったのは……近くの裏山の中だったっけ…………。
《三日目終了 追憶編①に続く》
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