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私の夫はまた嘘をつく。いつもと同じように、使用人の目をごまかすために。
「奥様がこのアンクレットを見て、嬉しくて泣いてしまったようで……」
メイドが焦りを隠さずに言った。侯爵は気難しい方だから、機嫌を損ねてしまえば自分がクビになってしまうと思ったのかもしれない。
「そうか。そんなに嬉しかったのか、フランソワーズ。また似たようなものがあれば買ってきてあげよう。そんなことで泣いてしまうだなんて可愛いね、フランソワーズは。」
そうやって囁く公爵は、口では甘いことを言っているが私に厳しい目線を浴びせかけている。私は公爵の顔を見ていないのにその視線を感じてしまい、とても居心地が悪くなった。
「ええと、ベッシーだったかな。もう君も下がりなさい。最近フランソワーズに気をかけてくれているんだね。フランソワーズは不安になりやすい、とても繊細な人だから、これからもそばに居てくれると助かるよ」
「はい、是非ともそうさせて頂きます。それでは、失礼致します」
メイドがはきはきとした口調で公爵に告げ、お辞儀を一回した後に部屋から出て行った。今まで私にそんな態度を一瞬でもとったことはないと言うのに。
公爵はその様子を見届けて、扉がしっかりしまり、足音が遠のいていくのを確認した後に私に視線を戻した。
「いつまでそうやってるつもり? 君は私の奥さんだろ? 早く顔を上げてこっちを見なさい」
公爵は私の座っているソファの向かいにある一人用のソファにどかりと座った。
そして、私に命令するのだ。
「顔を上げなさい」
私はその要求を無視した。顔を上げようにも、涙が溢れて止まらないのだからそんな醜い顔を見せることはできない。
公爵の命令を聞かない私を、公爵は反抗しているのだと見なしたようだ。私の顎を手ですくって、私の目を無理やり公爵と合うように上げる。
「君は耳まで悪くなってしまったのかい? これは気に入らなかったの? どうして泣いているんだ」
公爵は不機嫌そうに言う。
「違います、違うのです」
私は酷い声でそう言った。私が本当のことを言えば、公爵様は気分を害してまた私を貶めるだろうから。彼にはもう、あの言葉を言って欲しくなかった。ああ言われてしまうと、自分が誰なのかすらも分からなくなってしまう。また自分の価値がないと知ってしまう。
「だったらどうして泣いているんだ? 君だから仕方ないかもしれないが、ローズなら決してこんなことはしないだろうね。笑顔で私を出迎えて、礼を言って頰にキスしてくれるだろう」
公爵は前妻の、ローズ様のお話を始める。彼女がどんなに素晴らしい女性だったか、彼女はいつもどんな1日を過ごしていたか。それを見習え、と言われるのだ。
「いいね? 私がどうして君と結婚したと思う? 借金ばかりの君の実家と私のような公爵家が結婚できたと思う? 君はありがたく思わなければならないんだよ。こっちは泣かれるようなことを何一つやってないんだから。もう一度聞くよ、どうして君が私と結婚できたと思うんだ?」
私は幾度も繰り返されてきたこの質問に、いつもと変わらない返事をする。
「それは……わたくしが亡きローズ様そっくりの容姿をしていたからです」
その頃にはもう涙は収まっていて、私は腫れぼったくなった目を公爵に向けて話をしていた。
私は病弱な体で心の美しい、今は亡き前妻、ローズに対して敬意を表さなければならない。公爵にとって私とは、愛しい前妻の身代わりであった。私はこの屋敷では私ではない。私はあくまでもローズの身代わりでしかないのだ。
「その通りだよ、フランソワーズ。さぁ、アンクレットを付けてあげよう。足を出して。手紙は読んだよね?」
私は頷いた。もう考える気も、口答えする気も失せてしまった。
「そう、それは良かった」
公爵は私の足元に跪いた。アンクレットの箱をテーブルからとって、その中から美しく輝いているアンクレットを取り出した。細い金属の金具を外して、私の足首につける。ひんやりとした無機質な冷たさが私の肌に伝わった。公爵は金具を留めて、私にそのままでいるように指示した。
私がそのまま靴も履かずにソファに座っていると、公爵がソファから離れて私の足首をじっと見た。その表情には微笑みが浮かんでいる。
「やっぱりよく似合うよ。そのままずっとつけておいで。ああ、それと、今日贈ったドレスは今日の夕食の時に着て来なさい。きっとよく似合うだろう」
私は公爵にとって、ただの人形に過ぎなかった。私の中身など何もかもがいらないものであり、脳味噌にはおがくずでも入っていればもっと喜ばれるのではないかと思う。
「はい、公爵様」
つい、口が滑った。ただ一言だけ、私は間違えた。(早く言い直さなければ)焦りながらそう思った瞬間に、私はソファから投げ飛ばされていた。ソファが傾く音と、私がソファから投げ飛ばされてテーブルにぶつかった、耳を塞ぎたくなるような騒音が部屋中に響く。数秒後には、身体中に痛みが襲いかかってきた。
「違うだろう? 何度行ったら分かるんだ、君は。ローズはそんなこと言わなかったと言っただろう? もう一度言い直しなさい。君は今私のローズを侮辱したのだよ」
公爵が静かな声で言った。その静かさが気持ち悪くて、あまりにも恐ろしかったものだから私の表情が固まってしまう。
私は口の中に広がる鉄の味を感じながら、震える声で謝罪をした。本能が謝らなければいけないのだと理解してくれたようだった。もうこんな状況は何度も経験してきたのだから慣れていたはずなのに、それは私の気のせいだったようだ。
「ごめんなさい、どうか許して……フィリップ」
口の中のサビのような味でえずきそうになりながら精一杯の笑顔を向けて言う。それがローズのやり方だったから。
公爵は満足そうに笑って、床に倒れこんだ私のもとにしゃがんで頰にキスをした。頰にキスをされたら、私はそれを返さなければいけない。私は体の痛みに耐えながら必死に上半身を起こして、彼の頰に口付けた。公爵は私の目を一瞬見た後すぐに部屋から出ようとした。
その時、公爵は私の方にもう一度向き直って言う。
「まだ夕食まで時間があるだろうから、刺繍をしているか、読書をしているか、聖書の朗読をしておくんだよ。今の季節ならば、道端で凍死してしまう孤児が多いから、ローズならば聖書を読んで祈っているだろうね。もしかしたら、孤児院に慰問する時のために刺繍をしているかもしれないが」
「ええ、そうしておきます。夕食を楽しみにしているわ」
そこでもう一度笑う。今回は、先ほどより上手く笑えた気がする。
公爵は私に笑みを返してドアを閉めた。
私は起こしていた体を倒して、カーペットの上に寝転んだ。足には強くテーブルの角が当たったから、大きな痣ができているだろう。少しだけ皮膚が切れているかもしれない。身体中の痛みと足の痛みが混ざって、それすらも分からなくなってしまう。私は起き上がる力を持っていないから、重い腕をやっとの事で上にあげて、テーブルの上にあるメイドを呼ぶためのベルを手探りで探す。嬉しいことに、そのベルは思いのほか早く見つかった。
私はそのベルを微かに鳴らして、侍女のアリアが来るのを待つことにした。
「奥様がこのアンクレットを見て、嬉しくて泣いてしまったようで……」
メイドが焦りを隠さずに言った。侯爵は気難しい方だから、機嫌を損ねてしまえば自分がクビになってしまうと思ったのかもしれない。
「そうか。そんなに嬉しかったのか、フランソワーズ。また似たようなものがあれば買ってきてあげよう。そんなことで泣いてしまうだなんて可愛いね、フランソワーズは。」
そうやって囁く公爵は、口では甘いことを言っているが私に厳しい目線を浴びせかけている。私は公爵の顔を見ていないのにその視線を感じてしまい、とても居心地が悪くなった。
「ええと、ベッシーだったかな。もう君も下がりなさい。最近フランソワーズに気をかけてくれているんだね。フランソワーズは不安になりやすい、とても繊細な人だから、これからもそばに居てくれると助かるよ」
「はい、是非ともそうさせて頂きます。それでは、失礼致します」
メイドがはきはきとした口調で公爵に告げ、お辞儀を一回した後に部屋から出て行った。今まで私にそんな態度を一瞬でもとったことはないと言うのに。
公爵はその様子を見届けて、扉がしっかりしまり、足音が遠のいていくのを確認した後に私に視線を戻した。
「いつまでそうやってるつもり? 君は私の奥さんだろ? 早く顔を上げてこっちを見なさい」
公爵は私の座っているソファの向かいにある一人用のソファにどかりと座った。
そして、私に命令するのだ。
「顔を上げなさい」
私はその要求を無視した。顔を上げようにも、涙が溢れて止まらないのだからそんな醜い顔を見せることはできない。
公爵の命令を聞かない私を、公爵は反抗しているのだと見なしたようだ。私の顎を手ですくって、私の目を無理やり公爵と合うように上げる。
「君は耳まで悪くなってしまったのかい? これは気に入らなかったの? どうして泣いているんだ」
公爵は不機嫌そうに言う。
「違います、違うのです」
私は酷い声でそう言った。私が本当のことを言えば、公爵様は気分を害してまた私を貶めるだろうから。彼にはもう、あの言葉を言って欲しくなかった。ああ言われてしまうと、自分が誰なのかすらも分からなくなってしまう。また自分の価値がないと知ってしまう。
「だったらどうして泣いているんだ? 君だから仕方ないかもしれないが、ローズなら決してこんなことはしないだろうね。笑顔で私を出迎えて、礼を言って頰にキスしてくれるだろう」
公爵は前妻の、ローズ様のお話を始める。彼女がどんなに素晴らしい女性だったか、彼女はいつもどんな1日を過ごしていたか。それを見習え、と言われるのだ。
「いいね? 私がどうして君と結婚したと思う? 借金ばかりの君の実家と私のような公爵家が結婚できたと思う? 君はありがたく思わなければならないんだよ。こっちは泣かれるようなことを何一つやってないんだから。もう一度聞くよ、どうして君が私と結婚できたと思うんだ?」
私は幾度も繰り返されてきたこの質問に、いつもと変わらない返事をする。
「それは……わたくしが亡きローズ様そっくりの容姿をしていたからです」
その頃にはもう涙は収まっていて、私は腫れぼったくなった目を公爵に向けて話をしていた。
私は病弱な体で心の美しい、今は亡き前妻、ローズに対して敬意を表さなければならない。公爵にとって私とは、愛しい前妻の身代わりであった。私はこの屋敷では私ではない。私はあくまでもローズの身代わりでしかないのだ。
「その通りだよ、フランソワーズ。さぁ、アンクレットを付けてあげよう。足を出して。手紙は読んだよね?」
私は頷いた。もう考える気も、口答えする気も失せてしまった。
「そう、それは良かった」
公爵は私の足元に跪いた。アンクレットの箱をテーブルからとって、その中から美しく輝いているアンクレットを取り出した。細い金属の金具を外して、私の足首につける。ひんやりとした無機質な冷たさが私の肌に伝わった。公爵は金具を留めて、私にそのままでいるように指示した。
私がそのまま靴も履かずにソファに座っていると、公爵がソファから離れて私の足首をじっと見た。その表情には微笑みが浮かんでいる。
「やっぱりよく似合うよ。そのままずっとつけておいで。ああ、それと、今日贈ったドレスは今日の夕食の時に着て来なさい。きっとよく似合うだろう」
私は公爵にとって、ただの人形に過ぎなかった。私の中身など何もかもがいらないものであり、脳味噌にはおがくずでも入っていればもっと喜ばれるのではないかと思う。
「はい、公爵様」
つい、口が滑った。ただ一言だけ、私は間違えた。(早く言い直さなければ)焦りながらそう思った瞬間に、私はソファから投げ飛ばされていた。ソファが傾く音と、私がソファから投げ飛ばされてテーブルにぶつかった、耳を塞ぎたくなるような騒音が部屋中に響く。数秒後には、身体中に痛みが襲いかかってきた。
「違うだろう? 何度行ったら分かるんだ、君は。ローズはそんなこと言わなかったと言っただろう? もう一度言い直しなさい。君は今私のローズを侮辱したのだよ」
公爵が静かな声で言った。その静かさが気持ち悪くて、あまりにも恐ろしかったものだから私の表情が固まってしまう。
私は口の中に広がる鉄の味を感じながら、震える声で謝罪をした。本能が謝らなければいけないのだと理解してくれたようだった。もうこんな状況は何度も経験してきたのだから慣れていたはずなのに、それは私の気のせいだったようだ。
「ごめんなさい、どうか許して……フィリップ」
口の中のサビのような味でえずきそうになりながら精一杯の笑顔を向けて言う。それがローズのやり方だったから。
公爵は満足そうに笑って、床に倒れこんだ私のもとにしゃがんで頰にキスをした。頰にキスをされたら、私はそれを返さなければいけない。私は体の痛みに耐えながら必死に上半身を起こして、彼の頰に口付けた。公爵は私の目を一瞬見た後すぐに部屋から出ようとした。
その時、公爵は私の方にもう一度向き直って言う。
「まだ夕食まで時間があるだろうから、刺繍をしているか、読書をしているか、聖書の朗読をしておくんだよ。今の季節ならば、道端で凍死してしまう孤児が多いから、ローズならば聖書を読んで祈っているだろうね。もしかしたら、孤児院に慰問する時のために刺繍をしているかもしれないが」
「ええ、そうしておきます。夕食を楽しみにしているわ」
そこでもう一度笑う。今回は、先ほどより上手く笑えた気がする。
公爵は私に笑みを返してドアを閉めた。
私は起こしていた体を倒して、カーペットの上に寝転んだ。足には強くテーブルの角が当たったから、大きな痣ができているだろう。少しだけ皮膚が切れているかもしれない。身体中の痛みと足の痛みが混ざって、それすらも分からなくなってしまう。私は起き上がる力を持っていないから、重い腕をやっとの事で上にあげて、テーブルの上にあるメイドを呼ぶためのベルを手探りで探す。嬉しいことに、そのベルは思いのほか早く見つかった。
私はそのベルを微かに鳴らして、侍女のアリアが来るのを待つことにした。
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