7 / 18
第一章「とある雪の日の邂逅」
05
しおりを挟むぱりん、と食器が割れる音でハッとした。
がたがたと傍らで震える幽々子と、俺たちを守るように前に出るユキさん。
そうして、俺たちと対峙する『黒い影』を模した魔女。
彼女は顔に大きな目玉が一つ。裂けたように大きな弧を描く口。
体躯は小学生ほどで、その舌ったらずなしゃべり方も年相応といえばそうだ。
「わたしはただ、そこのわるーいおんなを、けしたいだけなのに」
細い首に支えられた大きめの頭が、こくり、と傾く。
「どうして、じゃまをするのかしら」
「その『わるーいおんな』の子をね、僕らは助けたいからさ」
「じゃあ、あなたは、わるいまほうつかいなのね」
影は両手を広げる。
ずず、と広がった暗闇から、また髪の毛がたくさんあふれ出てきた。
「さんにんまとめてころして、せんせいを、まもる」
背筋がぞっとした。
彼女からは確かに、『殺気』というものが溢れ出していた。
「おい、幽々子。先生って誰だよ。なんかやったのか?」
「な、なにもしてない、けど……直希、学校の先生だから……」
「じゃあお前の恋人の生徒ってことか」
ごき、と拳を鳴らす。
相手が子供だと思ったら『恐怖』が『怒り』を下回った。
一歩前に踏み出すと、足元の光もまた、俺に合わせて移動した。
「ユキさん」
「うん?」
「あのガキ、一発殴らせてくれ」
俺の言葉に、ユキさんはちょっと目を丸くした。
「いいけど……あれもまた本体じゃないよ。使い魔のようなものだろうね」
「ちょうどいいわ。だったら思い切りぶん殴れる」
こうしている間にも、黒い影は部屋を侵食していた。
壁、床、天井。
ありとあらゆる場所に髪の毛が這っている。
俺とユキさん、幽々子の足元だけはユキさんのおかげで無事だが、それ以外はもうほぼすべて埋め尽くされていた。
「ふむ。まあ、キミは僕の眷属だからね」
ユキさんは、ぱちん、と指を弾いた。
目の前がチカチカした。
俺の周りで足元の光がきらきらと瞬いている。
「キミは僕の剣。キミは僕の盾。キミは僕の、失われた片腕だ」
光は俺の周りで定着したようだった。
体の周りをなぞるように、張り付いているようだ。
不思議な感覚だった。
いつも以上に体が軽い。いつも以上に、力が湧いてくる。
これもきっとユキさんの魔法なのだろう。
ユキさんは、とん、と俺の背中を押した。
「さあ、いっておいで」
「──おう」
一歩踏み出す。
辺りを覆う髪の毛が、一斉に動き出して、棘のような形を象り始めた。
その矛先は俺に向いているようだ。
「やばんなおとこのひとはきらぁい」
彼女は、両手を胸の前に当ててぶりっ子のようにすると、ぱちり、とその大きな目玉をウインクさせた。
「!」
途端に上からその棘たちが俺めがけて降り注いだ。
しかし見えないほど早いわけじゃない。
掴んで握りつぶすと、それはあっけなくハラハラと消えていった。
(ユキさんの魔法を纏ってるみたいだ)
走るでもなく、ただ歩いて、距離を詰める。
降り注いできたそれらを全部防いで、その前に立つ。
「な、なによ、なんで、そんなに」
「おいたが過ぎたな、クソガキ」
はー、と息を吐きだす。
それから思い切り、その頭に拳を振り落とした。
いわゆる、ゲンコツである。
「ギャッ!」
真っ黒な影はそんな小さな悲鳴と共に、バツンと消え去った。
そのあまりのあっけなさに、俺は思わず茫然としてしまった。
みるみるうちに、髪の毛が消えていく。
ずる、ずる、と退いていく。
──そうして、それは隣の部屋へと消えていくようだった。
「ユキさん」
「うん、隣にきっと何かあるね」
思いっきり振りかぶる。
そうして、それから、壁をぶち抜くように、拳を振り下ろす!
ドッ
生前は鍛えたって出来る自信はないが、今はユキさんのおかげだろう。
壁はあっけなくガラガラと崩れ、隣の部屋があらわになった。
「ちょ、え、そんな!」
慌てて幽々子が駆け寄ってくる。
しかし彼女が口にしたのは、壁を壊したことへの反応ではなかった。
「どうして……空き家のはず、なのに!」
崩れた壁からは、その質素な部屋があらわになっていた。
誰も住んでいないはずのその部屋には、小さな寝袋と、ランタンがある。
それから、どこから手に入れたのか燭台と、真っ黒な蝋燭が二本、真っ赤な蝋燭が一本。
床の真ん中には絵の具で描いたような魔法陣があり、その真ん中には幽々子の写真が置かれていた。
「ふむ、ここに寝泊まりして呪術を仕込んでいたのか。相当な手練れだな」
子供とは思えない、とユキさんがぽつり呟いた。
確かに子供とは思えない所業だ。
けれど、置かれた寝袋はまぎれもなく子供サイズで、とてもじゃないが成人女性が寝れる代物じゃない。
「……ええ、そうよ。わたし、ほんとうはこどもじゃないもの」
「!」
押し入れから声がした。
バッと視線をそちらに向ける。
ぎぎ、と音がして、そこから小さな女の子が出てきた。
「ああ、なるほど。転生した魔女だったか」
「転生って、最近よくフィクションにある……?」
「それはよくしらないが、魔女は永久を生きるためにたまに転生するんだ。知識や記憶を持ったまま転生し、また人生を繰り返す」
その蝋燭の灯に照らされた四肢は色白で、細い。
満足にものを食っているのかどうかすら怪しい。
「現代では子供一人で生きていくというと、厳しいからね。よくぞ生き抜いてきたものだよ」
「ふふふ。それは、どうもありがとう」
彼女は小さく会釈した。
幽々子はまだ、目を丸くしている。
今日一日で彼女の人生には大きな影響を及ぼしていることだろう。
「じゃ、じゃあ、この子は、親もなく、一人でここに……?」
「そうだろうね」
幽々子のつぶやきに、ユキさんは頷いた。
それに、彼女もだ。
「みよりのないわたしに、せんせいはとてもやさしくしてくれた。だからたくさん、まほうをかけた。わたしのものになってほしくって」
少女はその小さな手のひらをぼうと見つめていた。
「でも、だめだった。せんせい、うまれながらにまほうのきかないひとだったから」
「霊感がない人間にはたまにあることだね」
「だから、きくほうをけそうっておもったの」
じろり。
少女の青色の目が、幽々子を見つめた。
見つめられた幽々子は、びくっと震えて崩れ落ちる。
これが普通の人間の反応なのだろう。顔色がひどく悪い。
俺も背筋にぞくりと冷たいものは感じるが、崩れ落ちるほどじゃない。
「それで? わたしをどうなさるおつもりかしら」
悪びれる様子が、彼女にはまるでなかった。
床の上に足を横にして座るさまは、とてもじゃないが小学生にはみえない。
「ユキさん、どうすんだこれ」
「そうだね……力を一つ削いでも強力だったしね。本当は殺してしまうのが王道なんだろうけど……」
ちらり。ユキさんの視線が幽々子に向く。
「こ、ころすのは、ちょっと。直希の生徒だし……」
そんなお前は殺されかけたんだぞ、とは言わなかった。
それを言うのは俺の役目じゃない。
たぶん、これは──
「幽々子!」
「えっ……」
隣室のドアを蹴破って現れたのは、身長一七〇はありそうな女だった。
いや短い髪とその端正な顔立ちは男のようにも思えるが、胸がある。
名前は聞かずともすぐにわかった。
「直希……どうして……」
「せんせい……」
二人がこう、呟いたからである。
俺は目を丸くしていた。
ぴちっとスーツに身を包んだ彼女は、足早に室内を見渡しながら入ってくる。
そうして、俺を見るなり「キッ」と文字が浮かびそうなほど睨みつけた。
「お前があんなメッセージをくれるから、予定を何日も繰り上げて帰ってきてしまった」
声も低めだ。
女にしては珍しいかもしれない。
「よく無事で……」
「直希……」
ぎゅっと抱き合う二人をみて、ユキさんはなぜか俺の腕辺りを掴んでいた。
何だろう。何かやるせなくなったのだろうか。
(にしても、まさか女とは)
名前の響きや、幽々子のイメージからまさか同性と付き合っているとは思わなかった。
いやそこに対して何かネガティブなイメージを持っていたりはしないのだが。
そういうのは人それぞれで、たぶん誰かが口を出していい範囲なんかじゃないのだ。
「お前をこんなにしたのは誰だ? そこの男か?」
「えっ、俺?」
思わず身構えてしまった。
それほど濃い殺気が、彼女からは滲み出ている。
「ち、違うよ直希。信じられないかもしれないけど、その……」
慌てて幽々子が彼女をぐいと引っ張った。
そうして、
「わたしよ。せんせい」
少女が、自分を指さしてそう告げた。
「……カティ……」
「これでしんじてくれるかしら。わたしが、まじょだって」
どこか切なげな微笑みに、彼女は何とも言えない顔をした。
滲み出ていた殺気が揺らいで、どこかへと消えていく。
さすがの彼女も、教え子にそんな感情は向けられないのだろう。
「まあ、積もる話もあるだろうし、とりあえずは皆落ち着いて……」
しんと静まり返った空間を切り開いたのは、何でかユキさんだった。
「僕の阿久津くんの入れてくれたコーヒーでも飲みながら、今後のことを話し合おうじゃないか」
「……何で! 俺が! いれるんだよ!」
それも他人、いや知り合いの家で!
勝手がわからないにもほどがある。
こういうのは普通、家主である幽々子か直希とやらがいれるべきなのでは!
あとさりげない『マウント』はなんなのだろう。
「ちなみに僕は疲れたからお砂糖たくさんいれてね」
「ならわたし、さとうとみるくがたくさんはいったやつがいいわ」
「ええ、どうせならココアが飲みたいな私は」
「……自分は紅茶で」
「自由かお前ら!」
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
賢者となって逆行したら「稀代のたらし」だと言われるようになりました。
かるぼん
BL
********************
ヴィンセント・ウィンバークの最悪の人生はやはり最悪の形で終わりを迎えた。
監禁され、牢獄の中で誰にも看取られず、ひとり悲しくこの生を終える。
もう一度、やり直せたなら…
そう思いながら遠のく意識に身をゆだね……
気が付くと「最悪」の始まりだった子ども時代に逆行していた。
逆行したヴィンセントは今回こそ、後悔のない人生を送ることを固く決意し二度目となる新たな人生を歩み始めた。
自分の最悪だった人生を回収していく過程で、逆行前には得られなかった多くの大事な人と出会う。
孤独だったヴィンセントにとって、とても貴重でありがたい存在。
しかし彼らは口をそろえてこう言うのだ
「君は稀代のたらしだね。」
ほのかにBLが漂う、逆行やり直し系ファンタジー!
よろしくお願い致します!!
********************
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる