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Ⅱ. 革命
第肆話 世界平和と一人平和
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「ミドリお姉ちゃん、実は私たち、お姉ちゃんの話を聞きに来たの。ミドリお姉ちゃんなら何か知ってると思って」
そう言ってヒマリは、マシロ先輩の遺書の話、「屋上事件」の話、そして3枚のチケットの話をした。苅谷さんは真剣な面持ちで聞いていたが、あまり大きな反応はない。すでに知っていた話もいくつかあったのかもしれない。
「まず一つ言っておかなきゃいけないのは、」
ヒマリは前屈みになって聞こうとする。
「マシロは失恋で自殺するような人間じゃない」
アカネが渋面をつくる。自分の過去の説が真っ向から否定されたからだろう。
「そもそもアイツのモットーは『恋心は墓場まで』だったからね。恋愛成就なんて期待してないのさ」
「『恋心は墓場まで』……なんだか懐かしい響きだね」
僕がそう言うとアカネが目をそらした。本人の中ではちょっとした黒歴史になっているみたいだ。
「それに、アイツほど自殺と縁遠い人間はいないよ。なにせ、『死んでも死んでやらない』って言ってたぐらいだからね」
「死んでも死んでやらない」。なるほど、この言葉だけ見ると、よほどのことがない限り自殺はしなさそうだ。きっとタフな人だったに違いない。
「じゃあ、なんで自殺なんてしたんだろう?」
僕が当たり前の疑問を呈すと、苅谷さんは小さく息を吐いて答えた。
「私のせいだ」
ヒマリの顔が固まる。控室に数秒間の静寂が訪れた。
「どういうこと?」
当惑するヒマリをなだめるように、苅谷さんは自嘲気味に笑った。
「まあ、ゆっくり聞いてよ。唯一無二の親友を、自らの過ちで失った、馬鹿な私の話をさ」
苅谷さんはヒマリの頭を優しく撫でると、暫し目を瞑った。控室はまるで誰もいないかのようにしんとしている。彼女はドアを優しくノックするかのように語り始めた。
外は深い霧が立ち込んでいた。雨の日のライブハウスはいつもがら空きだ。客はほとんど来ない。ステージ前で、2、3のバンドのメンバーたちが退屈そうにしている。私以外のバンドメンバーたちもやる気を失っている様子だった。私は客席に座ってギターのチューニングを合わせていると、奥の方で扉が開いた音がした。
そいつはギターを背負ってずぶ濡れでやって来た。身長は低く150cmもないが黒い髪が腰まで伸びていた。肌を恐ろしく白く透き通っていた。
「なかなか気持ちいいシャワーだったわね。裸になれたらもっと気持ちよかったんだろうけど。ねえ、貴女たち、バンドやってるのよね。もしよければ、私も入れてくれない? ボーカルとギター、それと作詞もいけるわ」
最初は冗談かと思った。私を含め、ステージ前にいた人間はみんな彼女の相手をしなかった。彼女は少しムッとした表情をすると背負っていたギターを取り出し、私の隣の席で歌い始めた。andymoriの『Peace』。
酷い歌だった。音程はところどころデタラメ。ギターは荒削りだ。しかし、彼女は正真正銘本物のミュージシャンだった。彼女の歌には生命が宿っていた。そして、歌っている彼女は何よりも美しかった。彼女は歌い終わると、私の顔をじっと見つめた。黒くて大きな眼だ。じっと見つめていると、何だか吸い込まれそうな気がする。彼女は悪戯っぽく笑い人差し指を立てた。
「一品限り、早いもの勝ちよ」
気づけば私は彼女の人差し指を握っていた。
私のバンドはいわゆるインストバンドだった。ギターは苅谷緑、ベースは前田若菜、ドラムは田村萌恵、バンド名は『Green Sisters』。高校の同級生が集まった平凡なバンドだった。
「なんか陰気臭い名前ね。せっかく私入ったんだし、もっと愉快な名前にしましょうよ」
マシロは腕を組んで少し悩んだ後、目を輝かせまがら指を鳴らして見せた。
「こんなのはどうかしら?」
Green Peace Sisters
呆れる私たちに向かって、マシロは弾ける笑顔でピースサインを見せた。
Green Peace Sisters は小さなライブハウスの中で大きな人気を博した。マシロが作詞し、私が作曲した曲は、コピーバンドが演奏するヒットナンバーよりは青臭く不細工ではあったけれど、熱を求めてやってきた客たちの心を鷲掴みにした。曲だけではない。マシロの歌声は他のボーカルたちと一線を画していた。地声よりやや低いその声は、苦しいほどに真っ直ぐで剥き出しだった。マシロの熱狂的なファンも何人か現れた。しかし、彼女に最も惹かれていたのは間違いなく私だった。私はマシロの側でギターを弾きながら、彼女の才能に震えていた。
ある日、マシロが妹を連れてきた。さすが姉妹。低い身長といい、長くて黒い髪といい、豆粒みたいな童顔といい、マシロそっくりだ。
「初めまして。マシロの妹のヒマリです。いつも姉がお世話になっております」
ヒマリは慇懃に頭を下げる。前言撤回。姉とは正反対だ。もちろん、いい意味で。
私とヒマリはすぐに打ち解けた。私たちが楽しそうにしていると、マシロは私に嫉妬した。
「いいなあ。ヒマリったら私にはツンデレなんだもん」
「ツンデレじゃなくてただのツンだよ」
ヒマリは冷え切った目で姉を見つめる。私は声を上げて笑った。
「アンタが巫山戯てばっかなのが悪いんでしょ? それにしても、アンタ妹好きね。シスコンってやつ?」
私がからかうとマシロは意地悪そうに笑った。
「そうかもねー。私、ヒマリのためなら死んでもいいわ」
ヒマリは顔を染めた。
「な、なに言ってるのお姉ちゃん。恥ずかしいからやめてよ」
どうやら満更でもないらしい。口角が少し上がっている。
「ヒマリもお姉ちゃん好きね」
私がそう言うと、ヒマリは顔を背けながら小さく頷いた。なかなか愛らしい妹だ。
「ところでアンタって、どうしてバンドやろうと思ったの? なんか目的でもあるの?」
「あるわ」
マシロはピースサインをして答えた。
「世界平和」
私はマシロの頭をチョップした。マシロは痛そうな仕草を見せる。ヒマリは横で呆れたような顔をしている。
「分かった分かった。ちゃんと言うから。……このギターね、パパのなのよ」
「パパ?」
マシロは頷くと、ヒマリの頭を優しく撫でた。
「私が7歳の頃に死んじゃったんだけどね。当時5歳だったヒマリは、顔もよく覚えてないみたいだけど。でも、私はちゃんと覚えてる。パパは昔、バンドマンだったみたいなの。幼い私のためにいつもギターを弾いてくれてね。私はそのギターに合わせて歌を歌って。楽しかったわ。パパ言ってたわ。『マシロはいつか凄いシンガーになるぞ』ってね」
「それでバンドのボーカルに?」
マシロは小さく頷いた。俯くマシロの顔は影で暗く覆われていた。マシロは少し息を吸うと、思いっきりギターを掻き鳴らした。顔を上げて明るい顔を見せる。泣きそうな笑顔だ。
「私、パパのこと、忘れたくないのよ」
いつも太い芯が通っているように見える彼女は、今にも消えそうなほど儚かった。あの日、真っ白な霧の中から現れた少女は、本当は霧そのものだったのではないか。そんな気がした。
「私、世界平和なんていらないわ。嘘つきは死なない。争いはやまない。欲しいものは尽きない。悲しみは消えない。そして、パパはもういない。……でも、私がパパを覚えていることは出来る。パパが残してくれたものを愛することはできる。一方的な愛。それが私の世界平和。いや、一人平和ね。グリーンピースみたいにちっぽけだけど、悪くないでしょ?」
そう言って彼女はピースサインを見せた。
そう言ってヒマリは、マシロ先輩の遺書の話、「屋上事件」の話、そして3枚のチケットの話をした。苅谷さんは真剣な面持ちで聞いていたが、あまり大きな反応はない。すでに知っていた話もいくつかあったのかもしれない。
「まず一つ言っておかなきゃいけないのは、」
ヒマリは前屈みになって聞こうとする。
「マシロは失恋で自殺するような人間じゃない」
アカネが渋面をつくる。自分の過去の説が真っ向から否定されたからだろう。
「そもそもアイツのモットーは『恋心は墓場まで』だったからね。恋愛成就なんて期待してないのさ」
「『恋心は墓場まで』……なんだか懐かしい響きだね」
僕がそう言うとアカネが目をそらした。本人の中ではちょっとした黒歴史になっているみたいだ。
「それに、アイツほど自殺と縁遠い人間はいないよ。なにせ、『死んでも死んでやらない』って言ってたぐらいだからね」
「死んでも死んでやらない」。なるほど、この言葉だけ見ると、よほどのことがない限り自殺はしなさそうだ。きっとタフな人だったに違いない。
「じゃあ、なんで自殺なんてしたんだろう?」
僕が当たり前の疑問を呈すと、苅谷さんは小さく息を吐いて答えた。
「私のせいだ」
ヒマリの顔が固まる。控室に数秒間の静寂が訪れた。
「どういうこと?」
当惑するヒマリをなだめるように、苅谷さんは自嘲気味に笑った。
「まあ、ゆっくり聞いてよ。唯一無二の親友を、自らの過ちで失った、馬鹿な私の話をさ」
苅谷さんはヒマリの頭を優しく撫でると、暫し目を瞑った。控室はまるで誰もいないかのようにしんとしている。彼女はドアを優しくノックするかのように語り始めた。
外は深い霧が立ち込んでいた。雨の日のライブハウスはいつもがら空きだ。客はほとんど来ない。ステージ前で、2、3のバンドのメンバーたちが退屈そうにしている。私以外のバンドメンバーたちもやる気を失っている様子だった。私は客席に座ってギターのチューニングを合わせていると、奥の方で扉が開いた音がした。
そいつはギターを背負ってずぶ濡れでやって来た。身長は低く150cmもないが黒い髪が腰まで伸びていた。肌を恐ろしく白く透き通っていた。
「なかなか気持ちいいシャワーだったわね。裸になれたらもっと気持ちよかったんだろうけど。ねえ、貴女たち、バンドやってるのよね。もしよければ、私も入れてくれない? ボーカルとギター、それと作詞もいけるわ」
最初は冗談かと思った。私を含め、ステージ前にいた人間はみんな彼女の相手をしなかった。彼女は少しムッとした表情をすると背負っていたギターを取り出し、私の隣の席で歌い始めた。andymoriの『Peace』。
酷い歌だった。音程はところどころデタラメ。ギターは荒削りだ。しかし、彼女は正真正銘本物のミュージシャンだった。彼女の歌には生命が宿っていた。そして、歌っている彼女は何よりも美しかった。彼女は歌い終わると、私の顔をじっと見つめた。黒くて大きな眼だ。じっと見つめていると、何だか吸い込まれそうな気がする。彼女は悪戯っぽく笑い人差し指を立てた。
「一品限り、早いもの勝ちよ」
気づけば私は彼女の人差し指を握っていた。
私のバンドはいわゆるインストバンドだった。ギターは苅谷緑、ベースは前田若菜、ドラムは田村萌恵、バンド名は『Green Sisters』。高校の同級生が集まった平凡なバンドだった。
「なんか陰気臭い名前ね。せっかく私入ったんだし、もっと愉快な名前にしましょうよ」
マシロは腕を組んで少し悩んだ後、目を輝かせまがら指を鳴らして見せた。
「こんなのはどうかしら?」
Green Peace Sisters
呆れる私たちに向かって、マシロは弾ける笑顔でピースサインを見せた。
Green Peace Sisters は小さなライブハウスの中で大きな人気を博した。マシロが作詞し、私が作曲した曲は、コピーバンドが演奏するヒットナンバーよりは青臭く不細工ではあったけれど、熱を求めてやってきた客たちの心を鷲掴みにした。曲だけではない。マシロの歌声は他のボーカルたちと一線を画していた。地声よりやや低いその声は、苦しいほどに真っ直ぐで剥き出しだった。マシロの熱狂的なファンも何人か現れた。しかし、彼女に最も惹かれていたのは間違いなく私だった。私はマシロの側でギターを弾きながら、彼女の才能に震えていた。
ある日、マシロが妹を連れてきた。さすが姉妹。低い身長といい、長くて黒い髪といい、豆粒みたいな童顔といい、マシロそっくりだ。
「初めまして。マシロの妹のヒマリです。いつも姉がお世話になっております」
ヒマリは慇懃に頭を下げる。前言撤回。姉とは正反対だ。もちろん、いい意味で。
私とヒマリはすぐに打ち解けた。私たちが楽しそうにしていると、マシロは私に嫉妬した。
「いいなあ。ヒマリったら私にはツンデレなんだもん」
「ツンデレじゃなくてただのツンだよ」
ヒマリは冷え切った目で姉を見つめる。私は声を上げて笑った。
「アンタが巫山戯てばっかなのが悪いんでしょ? それにしても、アンタ妹好きね。シスコンってやつ?」
私がからかうとマシロは意地悪そうに笑った。
「そうかもねー。私、ヒマリのためなら死んでもいいわ」
ヒマリは顔を染めた。
「な、なに言ってるのお姉ちゃん。恥ずかしいからやめてよ」
どうやら満更でもないらしい。口角が少し上がっている。
「ヒマリもお姉ちゃん好きね」
私がそう言うと、ヒマリは顔を背けながら小さく頷いた。なかなか愛らしい妹だ。
「ところでアンタって、どうしてバンドやろうと思ったの? なんか目的でもあるの?」
「あるわ」
マシロはピースサインをして答えた。
「世界平和」
私はマシロの頭をチョップした。マシロは痛そうな仕草を見せる。ヒマリは横で呆れたような顔をしている。
「分かった分かった。ちゃんと言うから。……このギターね、パパのなのよ」
「パパ?」
マシロは頷くと、ヒマリの頭を優しく撫でた。
「私が7歳の頃に死んじゃったんだけどね。当時5歳だったヒマリは、顔もよく覚えてないみたいだけど。でも、私はちゃんと覚えてる。パパは昔、バンドマンだったみたいなの。幼い私のためにいつもギターを弾いてくれてね。私はそのギターに合わせて歌を歌って。楽しかったわ。パパ言ってたわ。『マシロはいつか凄いシンガーになるぞ』ってね」
「それでバンドのボーカルに?」
マシロは小さく頷いた。俯くマシロの顔は影で暗く覆われていた。マシロは少し息を吸うと、思いっきりギターを掻き鳴らした。顔を上げて明るい顔を見せる。泣きそうな笑顔だ。
「私、パパのこと、忘れたくないのよ」
いつも太い芯が通っているように見える彼女は、今にも消えそうなほど儚かった。あの日、真っ白な霧の中から現れた少女は、本当は霧そのものだったのではないか。そんな気がした。
「私、世界平和なんていらないわ。嘘つきは死なない。争いはやまない。欲しいものは尽きない。悲しみは消えない。そして、パパはもういない。……でも、私がパパを覚えていることは出来る。パパが残してくれたものを愛することはできる。一方的な愛。それが私の世界平和。いや、一人平和ね。グリーンピースみたいにちっぽけだけど、悪くないでしょ?」
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