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Ⅰ. 透明少女
第12話 向日葵
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掛け時計は17時5分を指している。カチカチという秒針の微かな音は聞こえない。ちょうど今、アルバムの最後の曲が終わった。ナンバーガールの『Eight Beater』。私は少し息を吐くとイヤホンを外した。
掛け時計の隣には、世界遺産の写真がついたカレンダーが掛けられている。
「ちょうどニヶ月前か」
カレンダーを見ながら、アカネは小さく呟いた。今日は7月7日。トリュフチョコレートくらいには特別感のある水曜日だ。微かな甘みと強い苦味を残しながら、霧の如く知らぬ間に薄れ姿を消す、そんな細やかな記念日。
「そうだね」
コーセーくんが本から目を離して反応した。
一方のアカネちゃんは棚の上に置かれた青い地球儀をクルクル回し続けている。155cmにギリギリ満たない身長では棚の上に届かないのか、僅かに背伸びしているのが愛らしい。彼女の少し伸びたボブヘアが風で揺らいだ。
「アカネさん、本当に地球儀が好きなんですね。地球儀と結婚するつもりなんですか?」
地球儀の台で頭を軽く殴られた。けっこう痛い。コーセーくんは柔らかに朗笑した。
「その地球儀、元々僕が家から持ってきたものなんだけど、すっかりアカネの物になっちゃったなぁ」
アカネちゃんはキョトンとして、
「あれ、そうだっけ?」
この人、ジャイアンみたいだなぁと思ったが、言うとまた殴られそうなのでやめておく。
「欲しかったらあげるよ」とコーセーくん。
「じゃあ、有り難くいただくわ」
アカネちゃんは大事そうに地球儀を抱きしめた。彼女は地球儀を愛おしそうに眺めると、もう一度棚の上に戻した。隣の花瓶には向日葵の花が7本も刺さっている。リナリアが枯れたのでコーセーくんが買ってきたらしい。7本の向日葵が西日を受けて煌めいていた。
「ところでヒマリ、ずっと気になってたんだけど、遺書に書いてあった『プレゼント』っていったい何だったの?」
ギクっ、もう二ヶ月もスルーされていたから、聞かれることはないと安心していたのに。首筋に汗が伝う。なんとか誤魔化さなくちゃ。
「えっと、その……そう、部活に入りたいって言ったんですよ。ほら、兼部したことで2つも部活に入れたでしょう?」
「わざわざサンタに頼まなくても、自分で勝手に入ればいいじゃない。それに、クリスマスに部活を欲する10歳なんて、聞いたことないわ」
コーセーくんも苦笑いしている。どうやら誤魔化すのは無理そうだ。天国のお姉ちゃんを少し恨む。
「その……絶対に笑わないでくださいよ」
アカネちゃんはトンと胸を叩いた。
「大丈夫。笑いを堪える準備は出来ているわ。もし笑ったら尻を叩いてくれて構わないわよ」
まだ大晦日まで半年近くあるのだが……私は大きくため息をつくと覚悟を決めた。
「友達です」
アカネちゃんとコーセーくんは目を丸くした。静寂に包まれた教室に秒針の音だけが響く。
「へ?」
「だから! 友達が欲しいって頼んだんです。友達、いなかったので……」
アカネちゃんが未だかつて、ここまで憐憫に満ちた表情を見せたことがあっただろうか。コーセーくんは気まずさのあまり顔を背けている。
「ヒマリ、その……友達がいないからって悲観することないわ。ほら、私たちもほとんど友達いないけど、なんとかうまくやってるし。ねっ、コーセー」
「う、うん。そうだよ。友達がいなくても学校生活は十分送ることが出来るし、気にすることないよ。えっと……そ、そうだ! 実際にはどんなプレゼントが来たの?」
「『トモダチコレクション』というゲームです」
「ああ……」
当時の私は本当にサンタがいると思っていて、願えば何でも貰えるものだと思っていたのだ。だから私が一番欲しかったものをサンタへの手紙に書いた。今思えば、サンタに友達を所望する娘を見て、親は涙を浮かべながらあのプレゼントを用意したのだろう。ママ、こんな娘で本当にごめんなさい……
「あれ、でもヒマリって生徒会にも入ってるし、知り合いが多いイメージだったけど……」
「知り合いは多いですよ。私の交友関係は、『広く浅く』の究極体です」
「究極体って……」
そう、私は『狭く浅く』な交友関係を、涙ぐましい努力によって、なんとか『広く浅く』にしているのだ。アルミ箔ぐらいには薄く脆い交友関係なのだが……私は一つ咳払いをした。
「そんなことより、そろそろ行きましょう」
「どこに?」
私は指を鳴らし、人差し指を窓の外に向けた。
「墓場です」
道中、花屋に寄って白い菊の花と向日葵の花束を買いながら、私たちは白幡墓地に向かった。白幡墓地は彩雅高校から自転車で10分ほどのところにある、四方を田んぼに囲まれた静かな墓地だ。夕陽が世界を黄金に染めていた。私は二人をお姉ちゃんのお墓に案内した。花瓶には既に花が挿されている。白いカーネーションだ。カラスが羽音を立てながら飛び去った。コーセーくんが花屋で買った菊の花を刺した。向日葵の花束はなぜか刺さない。私が線香をあげ、手を合わせると、二人も手を合わせた。
「お姉ちゃん、『プレゼント』ありがとね」
私が目を閉じながらそう言うと、2人の『プレゼント』が少し微笑んだような気がした。
「ところでコーセー、一つ聞きたいことがあるんだけど」
アカネちゃんが唐突に言った。コーセーくんは不意をつかれたような表情をする。
「コーセーはどのくらいの長さの髪が好き?」
「女の子のってことだよね?」
アカネちゃんはコクンと頷く。彼女の不安げな顔はコーセーくんの影で暗くなっている。彼女の手が少し震えているのが見えた。
コーセーくんは少し悩んだ後、
「短いほうが好きかな。いまのアカネぐらいがちょうどいいよ」
アカネちゃんは少し目を逸らし、少し顔を染めながら「そう」と言った。彼女の首筋に汗が伝う。墓地を吹き抜ける涼風が、彼女の髪を揺らした。気づけば夏はもう目前に迫っていた。
コーセーくんはアカネちゃんに微笑みかけた。
「どうしてそんなことが気になったの?」
アカネちゃんは、チラと私の顔を見た。そして、コーセーくんをじっと見つめた。黒くて大きな眼だ。アカネちゃんは両手の拳を強く握りしめ、なにか言おうとしたが、言葉ならなかった。
彼女はやけくそになってコーセーくんの頭上を指さした。コーセーくんは怪訝そうな顔で振り向く。そこには真っ赤な夕陽が燦然と輝いていた。
コーセーくんは後ろを向いたまま訊ねた。夕陽のせいか、耳が少し赤いように見える。
「『恋心は墓場まで』じゃなかったの?」
するとアカネちゃんは、コーセーくんの前に躍り出て、悪戯っぽく笑った。彼女の髪を夕陽が赫く染めた。
「なに言ってるのよ」
向き合った二人の目線が静かに交わる。
「ここは墓場じゃない」
コーセーくんは小さく笑った。
「これは、1本取られたな。いや、2本か」
コーセーくんは向日葵の花束をアカネちゃんに渡した。3本の向日葵は夕陽を受け黄金に輝いている。私は花屋で調べた花言葉を思い出した。3本の向日葵の花言葉は「愛の告白」だ。
「本当は僕から告白したかったんだけどな」
そう言って照れくさそうにするコーセーくんに、アカネちゃんは勢いよく飛びついた。
彼女の透明な肌を夕陽が茜色に染めた。茜色の恋は夕空のもとで激しく燃えた。日はぐんぐんと沈み、夕空の赤は夜空の青と静かに溶け合った。
彼女はもう透明ではなかった。
それを見て、私も二人に抱きついた。
茜色に染まる空に向かって白鷺が飛び立った。
掛け時計の隣には、世界遺産の写真がついたカレンダーが掛けられている。
「ちょうどニヶ月前か」
カレンダーを見ながら、アカネは小さく呟いた。今日は7月7日。トリュフチョコレートくらいには特別感のある水曜日だ。微かな甘みと強い苦味を残しながら、霧の如く知らぬ間に薄れ姿を消す、そんな細やかな記念日。
「そうだね」
コーセーくんが本から目を離して反応した。
一方のアカネちゃんは棚の上に置かれた青い地球儀をクルクル回し続けている。155cmにギリギリ満たない身長では棚の上に届かないのか、僅かに背伸びしているのが愛らしい。彼女の少し伸びたボブヘアが風で揺らいだ。
「アカネさん、本当に地球儀が好きなんですね。地球儀と結婚するつもりなんですか?」
地球儀の台で頭を軽く殴られた。けっこう痛い。コーセーくんは柔らかに朗笑した。
「その地球儀、元々僕が家から持ってきたものなんだけど、すっかりアカネの物になっちゃったなぁ」
アカネちゃんはキョトンとして、
「あれ、そうだっけ?」
この人、ジャイアンみたいだなぁと思ったが、言うとまた殴られそうなのでやめておく。
「欲しかったらあげるよ」とコーセーくん。
「じゃあ、有り難くいただくわ」
アカネちゃんは大事そうに地球儀を抱きしめた。彼女は地球儀を愛おしそうに眺めると、もう一度棚の上に戻した。隣の花瓶には向日葵の花が7本も刺さっている。リナリアが枯れたのでコーセーくんが買ってきたらしい。7本の向日葵が西日を受けて煌めいていた。
「ところでヒマリ、ずっと気になってたんだけど、遺書に書いてあった『プレゼント』っていったい何だったの?」
ギクっ、もう二ヶ月もスルーされていたから、聞かれることはないと安心していたのに。首筋に汗が伝う。なんとか誤魔化さなくちゃ。
「えっと、その……そう、部活に入りたいって言ったんですよ。ほら、兼部したことで2つも部活に入れたでしょう?」
「わざわざサンタに頼まなくても、自分で勝手に入ればいいじゃない。それに、クリスマスに部活を欲する10歳なんて、聞いたことないわ」
コーセーくんも苦笑いしている。どうやら誤魔化すのは無理そうだ。天国のお姉ちゃんを少し恨む。
「その……絶対に笑わないでくださいよ」
アカネちゃんはトンと胸を叩いた。
「大丈夫。笑いを堪える準備は出来ているわ。もし笑ったら尻を叩いてくれて構わないわよ」
まだ大晦日まで半年近くあるのだが……私は大きくため息をつくと覚悟を決めた。
「友達です」
アカネちゃんとコーセーくんは目を丸くした。静寂に包まれた教室に秒針の音だけが響く。
「へ?」
「だから! 友達が欲しいって頼んだんです。友達、いなかったので……」
アカネちゃんが未だかつて、ここまで憐憫に満ちた表情を見せたことがあっただろうか。コーセーくんは気まずさのあまり顔を背けている。
「ヒマリ、その……友達がいないからって悲観することないわ。ほら、私たちもほとんど友達いないけど、なんとかうまくやってるし。ねっ、コーセー」
「う、うん。そうだよ。友達がいなくても学校生活は十分送ることが出来るし、気にすることないよ。えっと……そ、そうだ! 実際にはどんなプレゼントが来たの?」
「『トモダチコレクション』というゲームです」
「ああ……」
当時の私は本当にサンタがいると思っていて、願えば何でも貰えるものだと思っていたのだ。だから私が一番欲しかったものをサンタへの手紙に書いた。今思えば、サンタに友達を所望する娘を見て、親は涙を浮かべながらあのプレゼントを用意したのだろう。ママ、こんな娘で本当にごめんなさい……
「あれ、でもヒマリって生徒会にも入ってるし、知り合いが多いイメージだったけど……」
「知り合いは多いですよ。私の交友関係は、『広く浅く』の究極体です」
「究極体って……」
そう、私は『狭く浅く』な交友関係を、涙ぐましい努力によって、なんとか『広く浅く』にしているのだ。アルミ箔ぐらいには薄く脆い交友関係なのだが……私は一つ咳払いをした。
「そんなことより、そろそろ行きましょう」
「どこに?」
私は指を鳴らし、人差し指を窓の外に向けた。
「墓場です」
道中、花屋に寄って白い菊の花と向日葵の花束を買いながら、私たちは白幡墓地に向かった。白幡墓地は彩雅高校から自転車で10分ほどのところにある、四方を田んぼに囲まれた静かな墓地だ。夕陽が世界を黄金に染めていた。私は二人をお姉ちゃんのお墓に案内した。花瓶には既に花が挿されている。白いカーネーションだ。カラスが羽音を立てながら飛び去った。コーセーくんが花屋で買った菊の花を刺した。向日葵の花束はなぜか刺さない。私が線香をあげ、手を合わせると、二人も手を合わせた。
「お姉ちゃん、『プレゼント』ありがとね」
私が目を閉じながらそう言うと、2人の『プレゼント』が少し微笑んだような気がした。
「ところでコーセー、一つ聞きたいことがあるんだけど」
アカネちゃんが唐突に言った。コーセーくんは不意をつかれたような表情をする。
「コーセーはどのくらいの長さの髪が好き?」
「女の子のってことだよね?」
アカネちゃんはコクンと頷く。彼女の不安げな顔はコーセーくんの影で暗くなっている。彼女の手が少し震えているのが見えた。
コーセーくんは少し悩んだ後、
「短いほうが好きかな。いまのアカネぐらいがちょうどいいよ」
アカネちゃんは少し目を逸らし、少し顔を染めながら「そう」と言った。彼女の首筋に汗が伝う。墓地を吹き抜ける涼風が、彼女の髪を揺らした。気づけば夏はもう目前に迫っていた。
コーセーくんはアカネちゃんに微笑みかけた。
「どうしてそんなことが気になったの?」
アカネちゃんは、チラと私の顔を見た。そして、コーセーくんをじっと見つめた。黒くて大きな眼だ。アカネちゃんは両手の拳を強く握りしめ、なにか言おうとしたが、言葉ならなかった。
彼女はやけくそになってコーセーくんの頭上を指さした。コーセーくんは怪訝そうな顔で振り向く。そこには真っ赤な夕陽が燦然と輝いていた。
コーセーくんは後ろを向いたまま訊ねた。夕陽のせいか、耳が少し赤いように見える。
「『恋心は墓場まで』じゃなかったの?」
するとアカネちゃんは、コーセーくんの前に躍り出て、悪戯っぽく笑った。彼女の髪を夕陽が赫く染めた。
「なに言ってるのよ」
向き合った二人の目線が静かに交わる。
「ここは墓場じゃない」
コーセーくんは小さく笑った。
「これは、1本取られたな。いや、2本か」
コーセーくんは向日葵の花束をアカネちゃんに渡した。3本の向日葵は夕陽を受け黄金に輝いている。私は花屋で調べた花言葉を思い出した。3本の向日葵の花言葉は「愛の告白」だ。
「本当は僕から告白したかったんだけどな」
そう言って照れくさそうにするコーセーくんに、アカネちゃんは勢いよく飛びついた。
彼女の透明な肌を夕陽が茜色に染めた。茜色の恋は夕空のもとで激しく燃えた。日はぐんぐんと沈み、夕空の赤は夜空の青と静かに溶け合った。
彼女はもう透明ではなかった。
それを見て、私も二人に抱きついた。
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