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「けっこう凝ってましたね。強いストレスが、溜まってませんか?」
「そうかもしれないです。あはは……」

 たった三十分でかなりストレスが溜まった。身体は軽くなるどころか重くなり、頭は鈍い痛みを訴え始めている。
 定期的に通うことを勧められて、曖昧に返事をする。きっと彼女の手元には柊のカルテがあって、ちゃんと読めばどれだけ頻繁に通っていたか、誰にずっと担当されていたかくらい分かるはずだった。
 
 彼女は相当噂好きらしい。柊が夕里のことを気にしていたからだろうが、店を出る間際の柊をわざわざ呼び止め、声を顰めて追加情報を寄越してきた。

「夕里、プロスポーツ選手だったのにゲイバレして干されたらしいです。もともと問題ある人だったんですよ~。そんな人と一緒に働いてたなんて、嫌になっちゃう」
 
 エレベーターの扉が閉まった途端、はぁ~っと大きく息を吐く。柊を囲む鉄の箱と一緒に、自分の心も地の底まで沈んでいく。

 彼が自分に何も言わずに辞めることはないと、心のどこかで楽観視してしまっていた。
 カルテには柊の連絡先が書いてある。店の情報の個人利用は認められたものではないだろうが、自分たちの仲なら最後に一本電話くらい入れてくれたってよかったのに……
 夕里はそんなこと、しないか。そもそもそんな暇もなく、いきなり解雇された可能性もある。

「僕のせいで……」

 もう嫌われてしまったかもしれない。そもそも全ては一瞬の気の迷いで、こんな結果を生むのなら無かったことにしたいと結論づけていたっておかしくない。
 もう一度会いたいと、ふたりでちゃんと話したいと思っていたのは自分だけで……

 何を想像してもズンと落ち込み、もう二度と会えないと思うと泣きそうだ。自棄になって、目に入った立ち飲み屋へと入りビールを注文する。
 出てきたのは細い瓶に入ったメキシコビールだ。瓶の口にライムのくし切りが差し込まれていて、妙におしゃれなところに来てしまったことに気付く。
 
 周囲を見渡せば、数箇所にモニターが設置されていて海外サッカーの試合が映し出されていた。深夜といえる時間でも、ドリンク片手に真剣に試合を観戦している人たちがいる。いわゆるスポーツバーみたいな使い方もできるらしい。
 
 ――というか……本当にスポーツ選手だったのか。夕里と一緒に飲んだとき、本格的にスポーツをしていたとは聞いたけど、プロだったとまでは思わなかった。
 もし、彼女の言うとおりだったとしたら、店で噂になったことは彼の嫌な思い出を掘り起こしてしまったかもしれない。

 ライムを瓶の中に落とし、そのまま瓶を煽る。酸味の加わった癖のないビールが舌を伝っていく。
 飲み口が軽いはずのそれは、喉に詰まったように上手く飲み込めない。中華料理屋で夕里と飲んだビールはあんなにも美味しかったのに、今は全く美味しいと思えない。

「あー、マッサージのあとはお酒だめなんだっけ……」

 今日のマッサージで血行が良くなったとは思えないから、まぁいいか。
 もう深夜だ。こんな時間にもなれば、腹も空いている。空きっ腹に酒だってよくないと分かっているものの、またカウンターへ行って食べ物を注文するのは億劫だった。

 誰かがゴールを入れたのか、モニターを真剣に見ていた一角がわぁっと歓声を上げた。

 ぼんやりとモニターの向こう側のことを考えてみても、プロの世界なんて想像もつかない。アマチュアのスポーツ選手とは違ってそれでお金を貰うのだから、甘えは許されないし生活にも関わってくる。
 注目を浴びながら一つの競技を続けるのは、肉体的ストレスだけでなく精神的にも多大な負荷がかかるだろう。
 
 ひと握りの才能を持つ人しか見れない世界。たとえもう辞めていたとしても、夕里はすごい人だったのだ。
 自分は夕里のことを少し知った気になっていたけれど、全く知らなかった。爽やかな笑顔の向こうで、思い悩んでいたかもしれない。
 
 アルコールが頭をぼんやりとさせる。柊は誘惑に負けて、スマホの検索フォームに『夕里 選手』と入力した。
 店で使っている名前は実名じゃないのかもと思ったが、考えるまでもなく検索結果のトップに出てくる。

暁月あかつき夕里かぁ……やっぱ下の名前だったんだな」

 使っている漢字が珍しいからだろう。すぐに彼の情報がずらっと出てきて、情報社会の便利さと恐ろしさに眩暈がした。
 
 元プロハンドボール選手。夕里は中高大とハンドボール部でいい成績を残し、日本ハンドボールリーグへの参加チームを持つ企業へと就職している。
 二年前に引退したらしい。引退の理由は膝の怪我。それからしばらくして、三年勤めた企業を退職している。

「うわ……かっこよ」

 画像をタップすると、現役時代と思しき夕里の写真がたくさん見られる。今よりもっと若々しさ溢れる彼の、真剣に打ち込む姿や弾けるような笑顔。
 やはりルックスがいいからか様々なバリエーションの写真が載っており、思わずまじまじと見つめてしまった。心なしか体温が上がって、さらにぼんやりしてきた。

 ハンドボールってこんなに飛ぶのかと驚くほど、シュートの瞬間の写真は全て空中に浮いていた。
 確かに……膝の怪我は致命的だろうな。スポーツ選手として入社した人が、スポーツを続けられなくなってからも同じ会社に居続けるのは辛いだろう。

 画像一覧をスクロールしていくと、カラフルな中に突然モノクロが混じって違和感に手を止める。頭に冷や水を浴びせてくるような……

 ――週刊誌の記事だった。
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