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1.雲上の楽園へようこそ

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 ひいらぎは疲れていた。

「はぁ。終電まであと一時間もあるな……今日は早く終われたみたいだ……」

 働きすぎで、正常に思考が働かない。

「癒やしが欲しい……犬とか飼いたい……」

 ひとり暮らしでほとんど家にいない自分に、ペットなんて夢のまた夢。

「おにーさん!癒やしが欲しいなら、マッサージ。いかがです?」

 そっち系のマッサージはちょっと……恥ずかしいっていうか。片手でもだいぶご無沙汰だし、疲れすぎて秒で終わるに違いない。

「違うちがう。純粋な、ヘッドマッサージですよ。身体の疲れまじで取れるんで!てか……お兄さん顔色やばくないです?」
「えっちなのはちょっと……疲れるだろ。ん?ヘッド……頭?」

 ひとりごとのように返事をしていた柊は、ようやく自分の話している相手の存在に気づき視線を上げた。そう。男らしくサバ読んで平均身長はある柊が見上げるほどの、体躯。百八十……いや、百九十はあるに違いない。
 スポーツ選手のような広い肩の上に、やけに爽やかな顔がちょこんと乗っていた。

「顔ちっちゃ」
「あはは、肩広いからそう見えるんですよー。お兄さんの顔のほうがよっぽど……てか隈やば」

 わざわざ腰をかがめ、柊の肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。夜も煌々と明るいコンビニの照明に照らされた、しょうもない三十路男の顔をまじまじと見るなんて趣味の悪い。
 
 男らしくて、いかにもモテそうな奴だ。若くてリア充感があって、苦労なんてしたこともなさそう。劣等感がチクチクと刺激される。
 キャッチのくせに黒髪で、香水の匂いもしない。こんな夜の照明より、青空の似合いそうな男が目の下を親指で撫でてきた。

「んっ……おい。僕は疲れてるんだ。勧誘なら他所でやってくれ」
「……それがですねー。疲れたお客さんを探してたんですよ!ヘッドマッサージ、どうです?基本的には頭だけ、触っても肩から上だけです。めちゃくちゃ癒やされますよー」
「え、ガチのマッサージだったのか?」

 苛々して男の手を振り払った柊は目を丸くして、口をあんぐり開けた。
 
 職場の最寄り駅近くの繁華街。夜のネオンが眩しいなかでは全ての客引きが妖しく見える。
 特にマッサージは成人男性向けのいかがわしい店とそうじゃないものの境界が曖昧で、自分はどうやら勘違いしていたらしいことに気がつく。
 
 一階にコンビニの入っているビルの六階にその店はあるらしい。少し薄暗いエレベーターホールに誘導されると、メニューの書かれた立て看板が置いてあった。男はそれを柊に見せながら、メニューの説明を始める。

 三十分、六十分、九十分……全てにカウンセリングがつく。けっこう長いメニューもあるんだな。ショートコースで三十分ねぇ。
 そんなに長時間頭だけ触ったら、髪がボロボロと抜けるんじゃないだろうか。柊はストレスによる抜け毛を気にし始めるお年頃だ。

「悪いな。毛根を大事にする僕にはちょっと……」
「その髪、綺麗に染めてるのかと思ったら地毛なんですね。目も薄茶色だし、色素が薄いのかぁ……。あ、どっちかというと抜け毛防止にも効果ありますよ? 眼精疲労、不眠、あとはリフトアップにも抜群に効きます」

 リフトアップはどうでもいいが、一日中パソコンと向き合っている自分にとって眼精疲労とは長年の付き合いだ。さいきんは仕事のことを考えていると、なかなか寝付けない日も多い。
 
 この前なんてついに白髪を発見して愕然としたのだ。個人差はあると知っていたけど、自分にはまだ無縁のものだと信じていたのに。
 夜な夜な調べてみれば、ストレスによる自律神経の乱れで老化と関係なく白髪が増えることもあるらしい。うん、どっちにしろ嫌だ。
 
 男の告げたマッサージの効果は自分にとって都合が良すぎて、逆に怪しむ気持ちが湧いてくる。価格だって……場所柄もあるだろうが、安いとは言い難い。

「ほんとうに、ガチのマッサージ店なんだな?」
「もちろんです!深夜まで営業してるので、よく間違われますけど。ビジネスマンのお客様が一番多いですね。通常コースが六十分で、内容は……」

 ふむふむと詳しい話を聞きながら、なんだか眠くなってきた。若そうな割には落ち着きがあるせいか、男の低く耳に心地いい声が脳を麻痺させる。
 内容に興味がないわけではないのだが、仕事で緊張しきっていた頭はもう限界を迎えているのだ。失礼だと思っても、かみ殺しきれないあくびがふぁぁと漏れる。



――――――――――



新連載です!久しぶりに現代物。
中~長編になりますのでよろしくお願いいたします!

主人公は喜多(きた)柊(ひいらぎ)くんです♡
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