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本編
33.
しおりを挟むその場で立ち尽くしていたとき、さっきノーナたちがいた部屋から慌てた様子で人が出てきてノーナはギョッとした。よく考えたら奥にもう一つ扉があったような……? とはいえ、人がいたなんて思いもしなかった。
「あの! すっ、すみません!」
「え? あ、あなたは……」
顔見知りだったこともあり、ノーナは彼を元の部屋に両手で押し込んだ。相手は騎士団本部にいる事務官の男の子だ。
突然現れたノーナの行動に目を見開いている。当然だ。
彼は薄い水色の髪をしていて、背中まで長さがあるためいつも首の後ろで結んでいる。騎士団の中では背が低めかもしれないがノーナよりはもちろん大きいし、細身ながらも触ったかんじは筋肉がしっかりとついていた。
騎士団本部の事務官にはそのために雇われた人と、怪我などの理由で騎士を続けられなくなった人がいる。彼は後者だろう。
騎士団本部へ書類を持っていくとノーナにも挨拶してくれる人当たりのいい子で、シルヴァと同い年くらいに見える。確か、ピークスと仲がいいのもこの子だったはずだ。
ノーナはもしかしたら会話を聞かれていたかもしれないと思い、背筋に冷や汗が伝っていく。なにから訊けば、と口ごもっていたノーナに、先に質問してきたのは相手だった。
「答えて下さい。数分前この部屋にいました?」
「はい、えーっと……事務官の方ですよね」
「パテルです。さっきの話、詳しく聞かせて貰えますか?」
「っ! いっ……」
急にパテルはノーナの腕を掴み、背中側に捻り上げた。流れるような動作で拘束され、非力なノーナに抵抗手段はない。
やはり話を聞かれていたのだ。痛みに呻きながら、彼はどっち側なんだろうと瞬時に考える。
もしシルヴァの味方だったら、なんとか説明して分かってもらいたい。彼なら内部の人間だし、企みを阻止することに協力できるはずだ。そしてギリギリとノーナの腕を押さえつけてまで、彼が怒っているということは……
「僕は、ウィミナリス様の味方です!」
「嘘をつくな」
「さっきは情報を得ようとしていたんです。なんとか彼を救いたくて」
「……本当に? 証拠はあるのか。あの男とずいぶん親しげだったな」
証拠はない。でもパテルがシルヴァ側だと判断できたことで、ノーナは勝負に出た。
情けないが今できることは……惚れ薬の件も含めて、正直に全部話すこと。簡単に信じてもらえるとは思っていないが、情報を洩らした男の態度を説明する方法が他になかった。
彼はピークスと似たところがあるようだ。ノーナが事実を話すにつれて疑わしげな表情から真剣な表情へと変わり、最後は拘束を解いて呆れた顔をしながらも耳を傾けてくれた。
シルヴァが好きだから、自分は彼の危機を排除してから離れるつもりなのだと話し終えたときには、パテルは目の前で「はぁ~っ」と大きなため息をついたのである。
「ねぇ……君、馬鹿なの?」
「おっしゃるとおりで……」
「ピークスが言ってたのはノーナさんのことだったのか。正直、魔法の薬については信じられないけど、問題が起きかけているのは分かったよ。恐ろしいほどおっちょこちょいな親友がいるって聞いてたから」
恐ろしいほど、と言われてもノーナは言い返せない。今だって、完璧にミッションを達成したと思っていたのに結局話を聞かれていたのだ。
パテルは「ごめん、年上だと思えないから敬語じゃなくていい? おれにも敬語使わなくていいから」と言ってくれて、ノーナはほっとした。
彼も貴族出身だろうに、気兼ねのない良い人だ。切れ長の目が特徴の涼しい顔が今は疲れて見えるのは、明らかにノーナのせいなので申し訳ない。最終的に、パテルは自分がなんとかすると言ってくれた。
ノーナの話は六割方信じてくれたような感じだ。やっぱり惚れ薬なんてものの存在を信じるなんて、長年の付き合いがあるピークスくらいじゃないと難しいだろう。あのときだって説明にすごく時間を要したのだ。
パテルもあの男が話す計画を聞いていたからこそ、問題についてはちゃんと認識してくれているようだった。
「俺に任せて。シルヴァ様は騎士団の宝だ。あの人なら自分でなんとかしちゃう気もするけど……俺の方でも調べてから、必ず防いでみせる。ノーナさんは噂のこともあるし、これ以上目立つことは避けた方がいい。ピークスを通じて連絡はするからさ」
さっそく味方になってくれそうな心当たりに相談してみる、とパテルは部屋を去っていった。
ひとり残されたノーナは、解決の糸口が見えてほっとしたような、問題から切り離されてどこか寂しいような感情を持て余していた。
どこまでもシルヴァに関わっていたいと思ってしまう心が我ながら浅ましい。恋ってこんなに粘ついた、醜いものだっただろうか。
少し前まで雑然としていた部屋はきっちりと片付けられていて、この部屋みたいに、パテルなら心配するまでもなくササッと解決してくれるかもしれないと思う。
これでいい。ノーナは問題に気づき、裏を取って騎士団関係者に伝えることができた。パテルの言うとおり、シルヴァなら味方に騙されても簡単に怪我を負ったりしないだろう。
彼の前から消えるつもりのノーナがこれ以上できることはない。あくまで騎士団内部の問題なのだ。
もうノーナにできるのは、噂が消えるようなるべく早急に王宮を立ち去って、シルヴァの無事を祈ることだけだ。今度こそ、それでいい。
退職が受理されるまで、目立たないようにして過ごそう。
精神的に疲れた気持ちで経理局へ戻ると、待っていた顔でトゥルヌスさんが話しかけてきた。残念だけど、と前置きして彼は宣告する。
「ノーナ、書類が受理されたよ。もう来週から、来なくていい。今までお疲れさま」
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