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本編
23.
しおりを挟む週末になり、ノーナはそわそわとシルヴァを待っていた。彼が自らこの家に来るなんて信じられない。ほんとうに律儀な人だ。
家で使っている椅子は特に思い入れのあるものではなかった。この家を購入したときに前の居住者が使っていた家具がそのまま置かれていて、使えそうだからといただいた年季の入ったものだ。
家具やこの家の雰囲気からして、以前も小柄な人が一人で住んでいたのだろうとノーナは推測している。
ノーナは部屋の掃除を終えて椅子に座り、ふんふん鼻歌を歌いながら無意識に揺れていた。子どもみたいにギシッ、ギシッと椅子を鳴らすのが地味に楽しい。
しばらくすると、コンコンとドアノックを鳴らす音が聞こえた。きっとシルヴァだ。
ノーナが「はーい!」と応え、椅子から立ちあがろうとする。
そのとき、急に支えのなくなった感覚がして――
「っうわぁ!?」
「なんだ! 大丈夫か!?」
ドスン! と床に尻もちをついてしまった。
尻と腰に激痛が走る。椅子の板は尻を上に乗せたまま床に落ち、足の部分がバラバラに分かれてもう椅子の形状を成していない。
同時にバキィ! と家の入口から音が聞こえ、シルヴァが焦ったように駆け寄ってくる。……ん? いまの音、なに?
「いったぁ……」
「大丈夫か。怪我は?」
突然重力がなくなったかのようにふわっと横抱きにされ、部屋の奥の寝室へと運ばれる。恋する相手にベッドへ運ばれるなんて夢みたいな状況だ。とはいえそれどころじゃない痛みに思考が支配され、しばらく動けなかった。
横向きに丸まっていると痛みは落ち着いてきて、やっと状況を把握する。ベッドの脇で眉間にしわを寄せ、婦女子に怯えられそうな顔をしたシルヴァがノーナを見つめている。
ノーナには、彼が本気で心配してくれていることが分かる。余計な心配をかけてしまったと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「シルヴァさん……すみません」
「俺のせいだ。申し訳ない! 動けるか?」
どう考えても原因は、ノーナが壊れそうな椅子に座って遊んでいたからだ。そう説明してもシルヴァは難しい顔を崩さない。
ノーナが休んでいるあいだに壊れた椅子を片付け、わざわざ馬車を手配して運んできたらしい椅子を持ってきてくれる。彼は寝室まで椅子を見せに来てくれて、ノーナは横になったまま目を丸くした。
背もたれに繊細な彫刻が施されたつくりは、王宮でも度々見かける流行りの形だ。まさに貴族の家にありそうな優美さでノーナには不釣り合いに思えるのに、艶やかに磨かれた木の色がこの家の素朴な雰囲気に意外にもマッチしている。
そして、やっぱり新品に見えた。とってもお高そうだ。
「こ、こんなに良い物を二脚も!? い゙ッ」
つい大きな声を出したら腰に響く。うめき声に驚いて駆け寄ってきたシルヴァが、ノーナの腰に手を添えさすってくれる。
下心のまるでない手付きが優しくて温かくて、なんだか泣きそうになる。この人の手が好きだ。
気に入ってもらえたならよかったと安心したように告げたシルヴァはしかし、深刻な表情のままノーナに謝ってきた。
「実はさっき……家の錠を壊してしまったんだ。すぐに手配するが、本当に申し訳なかった」
「あ、あの音! あははっ、全然いいですよ。この家に誰かが来ることなんてないし、正直錠なんて必要ないくらいなんです」
「だめだ! 危ないだろう」
誰かに襲われたらどうするんだと怒られ、そんなことあり得ないからキョトンとする。だが信じられないことにシルヴァは、新しい錠を取り付けるまで王宮内の部屋でよかったら使ってくれと申し出てきた。
ポカンと口を開け彼を見上げたまま、ノーナは問う。
「シルヴァさんは……お人好しすぎませんか?」
「……そんなこと初めて言われたな。ただ、不思議とノーナからは目を離せなくて心配なんだ。なにを仕出かすかわからないから、かな」
少しはにかんだ様子で答えたシルヴァの言葉を聞いた瞬間、ノーナは茫然とした。彼自身も不可解に感じる心の動きは、もしかして……惚れ薬の残留思念じゃないだろうか?
もし、奇跡的にシルヴァがノーナの恋心に応えてくれたら嬉しい。でもそれは、魔法の効果ではだめなのだ。
以前は惚れ薬という反則技を使ってでも誰かの心を手に入れたいと考えていたが、いまは違う。ノーナの心持ちは正反対になり、浮かんでいた気持ちがしおしおと萎んでいく。
もっとも、シルヴァのなかでノーナが一時的に王宮に住まうことは決定事項になっているらしい。こちらを気遣いながらも荷物をまとめるよう指示してくる。
少し動けるようになってきたノーナは、抵抗する気力もなく手伝ってもらいながら準備をした。
気のせいだといい。惚れ薬はたった二回しか使っていないのだから……これはきっと偶然だ。
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