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本編

22.苦くてあまい

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 魔女の家は迷いの森の奥深くにあった。ノーナは彼女に案内されながらでないと、決してたどり着けなかっただろう。
 
 そこから自分の家に戻るときだけひとりで歩いた。そのときは「あの月の方向に歩けばいい」と魔女に教えられ、昼間でもうっすらと見えた三日月を頼りに歩くと本当に帰れたのだ。……魔法かな?

 まぁつまり、また魔女に会いたいと思ってもノーナの意思では会いに行けないということだ。どうしてこんなことを考えているかというと、決してまた惚れ薬を作ってほしいとか、記憶をなくす薬を作ってほしいとかじゃない。
 
 お礼を、伝えたいと思ったのだ。魔法の惚れ薬はノーナが彼女を家まで運んだくらいでもらうには、すごすぎるものだった。

 トラブルはたくさんあったが、結果としてノーナは自分の本当の望みに気づくことができたのだ。
 トゥルヌスさんに愛されても、もう幸せにはなれない。そしてノーナ自身が愛したいと願う相手ができたことは、大きな収穫だった。
 
 ――たとえ決して叶わない思いだとしても。
 
 シルヴァのなかでノーナの印象が最悪だとすれば、完全に自業自得のものだ。幸いにして、ノーナは無視されていることもない。見かければ会釈してもらえるし、タイミングさえ合えば言葉を交わすこともある。
 彼がお人好しすぎるのはやっぱり心配だけど、いまのノーナにとっては都合がよかった。好きな人と少しでも接点を持てることが、ここまで嬉しいことだなんて。

 シルヴァを遠目に見つけただけで幸せな気分になって、言葉を交わせば一日中ハッピーだ。騎士団関係の書類はわざわざ自分で持っていくようになったし、騎士団本部に近づくと、ことさらゆっくりと歩いたりする。
 
 たまに彼の方も経理局に書類を持ってきてくれるから、そのときは大ボーナス。逆に自分が不在の時に来てしまって、書類だけが机の上に置かれていたらすごく落ち込む。

 恋って楽しい。ときおり切なくて、夜も眠れないほど胸が苦しくなる日もあるけど……シルヴァと恋人になりたいなんて高望みをしなければ、それほどつらくはなかった。

 ひとつだけ気になっているのは、シルヴァがノーナの家に来たときの記憶を保っているらしいことだった。
 彼は帰り際、ノーナの年齢を知って二度目の謝罪をした。ノーナはそのままでいいと伝えたのだが、その代わりに「家名でなく名前で呼んでほしい」と言われたのだ。
 
 あの夜のように呼び捨てにするわけにもいかず、ドキドキしながら「シルヴァ様」と彼の名を呼んだ。好きな人の名前は、舌に乗せるとすぐに溶けてしまう砂糖菓子のように甘かった。
 
 しかし彼はまた首を振り、ノーナが「シルヴァさん?」と首を傾げながら尋ねると、彼は口元を片手で覆って「今はそれでいい」と答えたのだ。
 よく分からないが、名前の呼ばれ方には並々ならぬこだわりがあるらしい。

 もしあのとき魔法が解けてしまっていたとしたら、彼はどんなふうに状況を理解したのだろうか。ノーナの目には不自然な様子は映らなかった。まぁ、頭をぶつけたりミントティーにむせたりはしていたけれど。
 魔法の効果時間的には余裕だったと思うのだ。うーん、こればかりは考えてもわからない。魔女に訊いてみたいが、もう惚れ薬も使うつもりはないからなぁ。


 ◇


 ある日ノーナが自分の席で仕事していると、シルヴァが書類を持ってやってきた。今日はボーナスデーらしい。
 ノーナが内心「やったー!」と飛び上がっていたとき、彼はわざわざノーナのところまで近づいてきて書類を置いた。
 
 正直、ついでだとしても書類なんてもっと下っ端の事務員が持って来ればいいのだ。シルヴァは若いけど実力があって幹部候補で、新人を指導する立場にもあるのに……これも彼の生真面目さの一端なんだろう。そんなところも好ましい。

「わざわざありがとうございます。ウィミナリス様」
「ノーナ、話があるんだが外に出られるか?」

 周囲の目があるため堅苦しい態度で対応したノーナに、シルヴァは思いもよらないことを言った。あえて話すようなことが思いつかないものの、断る理由もなくて席を立つ。
 
 目立つ人物の登場にさり気なく注目していた同僚たちが哀れな目でノーナを見てくる。絶対に「あいつ何かやらかしたんだな……平民だし」と思われているに違いない。なにもしてないし! ……してないよね?

 連れ立って部屋をでる際ちょうど戻ってきたトゥルヌスさんとすれ違う。シルヴァの大きな影に隠れて、その表情は窺い知れなかった。
 少し廊下を進んだところの水場で立ち止まり、周りに人がいないことを確認してからシルヴァは話しだした。

「突然すまない。あの、だな。ちょうど使わない椅子があるんだが……ノーナの家にどうだろうか」
「え、椅子ですか?」
「俺が壊しかけてしまっただろう」

 驚いた。そこからシルヴァは覚えているのか。たしかに彼が一度座った椅子は、あれ以来座るたびにギシッ、ミシィ、と不穏な音が鳴る。
 意外と壊れないからそのまま使っているけど、彼は自分が壊したと思って気にしていたようだ。

「気にしなくていいですよ。元々、もう一脚買おうと思っていたので、どうせなら二脚揃ったものにしたくて」
「二脚ある」
「え……いいんですか?」

 二脚セットの椅子を使わないからくれるだなんて、明らかにノーナにとって都合が良すぎる。彼は責任感が強そうだから、もしかしてわざわざ買ってくれた?
 もしそうならここで追及するのもシルヴァに悪いかもしれない。彼は使わないと言っているし、ノーナが要らないと言ったら不要なものとして捨てられるだけだろう。

 申し訳ない気持ちにはなるけれど、厚意は嬉しいから素直に受け取ろう。そう結論づけたノーナはニコニコとお礼を伝えた。自然と口角が上がってしまうのは止められなかった。

「ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えて……嬉しいなぁ」
「あっ……あぁ。では次の週末に持っていく」

 心がふわふわと浮き立つ。シルヴァと会って話せただけでなく、週末に会えるだなんて!
 
 ノーナはどれだけ仕事が忙しくても、罵倒されても、その週はずっと上機嫌だった。座っていないと今にもスキップしてしまいそうな様子に、同僚たちは若干引いていたと思う。
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