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本編
15.
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宿に入って受付をスルーし、階段を登る。どこの部屋にトゥルヌスさんがいるのかは、ドアノブに茶色のリボンを結びつけてあるからわかる。彼の目の色だ。
この習慣は彼が考えたものなのだが、じわじわとこの宿で浸透し、ときどき他の人も待ち合わせなのかドアノブにリボンを付けているのが可笑しかった。
しかしこの日はそのブームに悩まされる羽目となった。いくつも並ぶドアの2つに、茶色のリボンが結んであったのだ。
(えー……どっち!?)
間違えて違うドアを開けてしまったら大惨事だ。先ほどの緊張がまだ続いていて、気持ちが急いてしまう。
ノーナはなんとかリボンの材質や結び方からトゥルヌスさんらしさを見出そうと、ドアノブに顔を近づけて考える。そんな、端から見ればとても怪しい行動をしていたとき。
「何をしている!」
「えっ、いや! 違います!」
叱責するように声をかけられて、ノーナは飛び上がった。これは決して、不審者とかじゃないんです……ていうか……
ああーーーーー!!!!!
またやってしまった! 今度はだれ?
ノーナはびくびくと怯えながら声の主を確認しようとした。いや待って、声に聞き覚えが…………
階段のところから――さっき別れたはずのシルヴァが見ていた。
さすがに偶然じゃないだろう。でもどうして追いかけてきたのかわからない。あんぐりと口を開けたままでいると、彼はズンズン近づいてきてノーナの腕を握り、外へと導いた。
宿の外に出たところで立ち止まって、彼は複雑な表情でノーナを見つめる。
「ノーナは……どうしてこんなところに」
「あっ、えーと……」
「誰かとあそこで会う約束を?」
最悪だ……また、シルヴァに魔法がかかってしまったに違いない。彼は好きな人が連れ込み宿を訪れているのを見て、どう思っただろうか。
感情的になっているようには見えないけれど、ノーナは浮気が見つかったみたいに罪悪感で胸がいっぱいになった。
それに、あの部屋でトゥルヌスさんが待っているのに……どうしよう。自業自得すぎるが、ノーナは板挟みになってしまった。
なにもかも放りだして、強い酒をカッと煽りたい気分。びっくりボーナスは一度でいいのだ。わーだめだめ、現実逃避している場合じゃない。
「あの……ウィミナリス様。お察しの通り、僕はあそこで人と待ち合わせをしています。だから、行かせてください」
「俺も行く」
「えぇっ。そんな、会ってどうするんですか」
「決闘を申し込む」
瞬殺だよぉ……。
それに、魔法でノーナに惚れているシルヴァをトゥルヌスさんに会わせたら、シルヴァも男が好きなのだと勘違いされてしまうに違いない。それは彼にとって、絶対に良くない醜聞だ。
逆に今からこの人を置いて、予定通りトゥルヌスさんに会いに行ったとしても……もはやそんな気分になれる気がしなかった。
ああ、なんて自分勝手なんだろう。ノーナはなにか理由をつけて、今日の逢瀬は断らせてもらおうと決心する。
「とにかく、今日は断ってきますから……少し時間をください」
「ノーナは、俺のことが好きなんじゃなかったのか?」
「え……」
「俺が断ったから、もう次の男へ?」
「えーっと……」
そうか。騎士団本部の近くで会った日のノーナの言葉は、魔法と関係ないから覚えているのか。じゃぁ、ひと月前の記憶はどうなってる? もし残っていたとしたら、とてもおかしな記憶になっているはずだ。
いまの言動からシルヴァに何かを思い出したような混乱は読み取れない。魔法にかかっているあいだの記憶は、完全に消えている可能性が高かった。
ノーナは仕方なく頷く。眉間に皺を寄せているシルヴァは、つらさをこらえているようにも見える。胸は痛むけれど、ここで彼の幻の恋心に好きだと応えてしまう方が不誠実だろう。
不甲斐ない自分に嫌気が差して視線を合わせられず、唇を噛む。自分はいさぎよく諦めて、次の恋に進んだのだと説明するしかなかった。
落ち込むシルヴァを説得し、トゥルヌスさんにお断りしようとノーナはひとりで宿へと戻る。体調が悪いということにさせてもらおう。さすがにそんな状態でも抱かせろというような人じゃない。
……最近は嘘をついてばっかりだ。
ところが今度は、リボンの付いたドアノブが見つからずノーナは途方に暮れた。たぶん、ノーナが遅いから帰ってしまったのだろう。トゥルヌスさんは忙しい人だから、逢瀬のあとも宿に長居したことはない。
トボトボと元の場所へ戻り、シルヴァと合流する。大きな影は人の邪魔にならないよう、もう閉まっている店の軒先で立っていた。
姿勢が良くどこにいても目立つ彼は、ノーナの姿を見つけた瞬間ほんのわずかに頬をゆるませる。
――もう、戻ってこないと思っていたのかもしれない。
シルヴァは表情をあまり崩さないから、ノーナは胸に込み上げてくるものを抑えるのに必死になった。自分が彼に対して、柔らかい感情を持つ資格なんてない。
この習慣は彼が考えたものなのだが、じわじわとこの宿で浸透し、ときどき他の人も待ち合わせなのかドアノブにリボンを付けているのが可笑しかった。
しかしこの日はそのブームに悩まされる羽目となった。いくつも並ぶドアの2つに、茶色のリボンが結んであったのだ。
(えー……どっち!?)
間違えて違うドアを開けてしまったら大惨事だ。先ほどの緊張がまだ続いていて、気持ちが急いてしまう。
ノーナはなんとかリボンの材質や結び方からトゥルヌスさんらしさを見出そうと、ドアノブに顔を近づけて考える。そんな、端から見ればとても怪しい行動をしていたとき。
「何をしている!」
「えっ、いや! 違います!」
叱責するように声をかけられて、ノーナは飛び上がった。これは決して、不審者とかじゃないんです……ていうか……
ああーーーーー!!!!!
またやってしまった! 今度はだれ?
ノーナはびくびくと怯えながら声の主を確認しようとした。いや待って、声に聞き覚えが…………
階段のところから――さっき別れたはずのシルヴァが見ていた。
さすがに偶然じゃないだろう。でもどうして追いかけてきたのかわからない。あんぐりと口を開けたままでいると、彼はズンズン近づいてきてノーナの腕を握り、外へと導いた。
宿の外に出たところで立ち止まって、彼は複雑な表情でノーナを見つめる。
「ノーナは……どうしてこんなところに」
「あっ、えーと……」
「誰かとあそこで会う約束を?」
最悪だ……また、シルヴァに魔法がかかってしまったに違いない。彼は好きな人が連れ込み宿を訪れているのを見て、どう思っただろうか。
感情的になっているようには見えないけれど、ノーナは浮気が見つかったみたいに罪悪感で胸がいっぱいになった。
それに、あの部屋でトゥルヌスさんが待っているのに……どうしよう。自業自得すぎるが、ノーナは板挟みになってしまった。
なにもかも放りだして、強い酒をカッと煽りたい気分。びっくりボーナスは一度でいいのだ。わーだめだめ、現実逃避している場合じゃない。
「あの……ウィミナリス様。お察しの通り、僕はあそこで人と待ち合わせをしています。だから、行かせてください」
「俺も行く」
「えぇっ。そんな、会ってどうするんですか」
「決闘を申し込む」
瞬殺だよぉ……。
それに、魔法でノーナに惚れているシルヴァをトゥルヌスさんに会わせたら、シルヴァも男が好きなのだと勘違いされてしまうに違いない。それは彼にとって、絶対に良くない醜聞だ。
逆に今からこの人を置いて、予定通りトゥルヌスさんに会いに行ったとしても……もはやそんな気分になれる気がしなかった。
ああ、なんて自分勝手なんだろう。ノーナはなにか理由をつけて、今日の逢瀬は断らせてもらおうと決心する。
「とにかく、今日は断ってきますから……少し時間をください」
「ノーナは、俺のことが好きなんじゃなかったのか?」
「え……」
「俺が断ったから、もう次の男へ?」
「えーっと……」
そうか。騎士団本部の近くで会った日のノーナの言葉は、魔法と関係ないから覚えているのか。じゃぁ、ひと月前の記憶はどうなってる? もし残っていたとしたら、とてもおかしな記憶になっているはずだ。
いまの言動からシルヴァに何かを思い出したような混乱は読み取れない。魔法にかかっているあいだの記憶は、完全に消えている可能性が高かった。
ノーナは仕方なく頷く。眉間に皺を寄せているシルヴァは、つらさをこらえているようにも見える。胸は痛むけれど、ここで彼の幻の恋心に好きだと応えてしまう方が不誠実だろう。
不甲斐ない自分に嫌気が差して視線を合わせられず、唇を噛む。自分はいさぎよく諦めて、次の恋に進んだのだと説明するしかなかった。
落ち込むシルヴァを説得し、トゥルヌスさんにお断りしようとノーナはひとりで宿へと戻る。体調が悪いということにさせてもらおう。さすがにそんな状態でも抱かせろというような人じゃない。
……最近は嘘をついてばっかりだ。
ところが今度は、リボンの付いたドアノブが見つからずノーナは途方に暮れた。たぶん、ノーナが遅いから帰ってしまったのだろう。トゥルヌスさんは忙しい人だから、逢瀬のあとも宿に長居したことはない。
トボトボと元の場所へ戻り、シルヴァと合流する。大きな影は人の邪魔にならないよう、もう閉まっている店の軒先で立っていた。
姿勢が良くどこにいても目立つ彼は、ノーナの姿を見つけた瞬間ほんのわずかに頬をゆるませる。
――もう、戻ってこないと思っていたのかもしれない。
シルヴァは表情をあまり崩さないから、ノーナは胸に込み上げてくるものを抑えるのに必死になった。自分が彼に対して、柔らかい感情を持つ資格なんてない。
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