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本編
14.二度目の魔法
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華やかな王都テュッレーの街なか、歓楽街のすみっこ。薄暗い細道でひとり桃色の惚れ薬を指先で摘んで、ノーナはもう一度深呼吸をした。
先週シルヴァに会った日は、彼に言われたとおり早めに帰って泥のように眠った。仕事は残っていたけど、人に指摘されるほど隈が濃いのは良くないな、と素直に思ったのだ。
ノーナの肌は白くて、皮膚も薄い。だからこそ血色が悪いと歩くゾンビのように見えているだろう。生まれ持った容姿はどうしようもないが、他人に不快感や恐怖を与えるのはノーナも本意ではない。
そうして翌日出勤すると、トゥルヌスさんが戻ってきていたのだ。おかげで仕事の負荷は減った……というか元通りだ。ひとりで全部やっていたときより遥かにいい。
無事ゾンビを脱出したノーナはその週末を目前にした日、久しぶりにトゥルヌスさんからお誘いを受けた。
「なんだかノーナ、可愛くなったね」
「え……そ、そんなこと」
「今夜、来られる? 仕事は適当に終わらせればいい。いつもの宿で待ってるから」
局長室での会話だ。金箔貼りの脚を持つ優美なテーブルに頬杖をつきながら、トゥルヌスさんは慣れた口調でノーナを褒め、誘った。
二人が逢瀬を重ねるのはテュッレーにいくつかある連れ込み宿のうちのひとつ。歓楽街の路地裏にあって、わりと綺麗。こっそりと火遊びを楽しむ貴族のあいだでも人気の宿らしい。
トゥルヌスさんはいつも先に馬車で到着して部屋を取り、ワインをゆったりと飲みながらノーナを待っている。ノーナは慌てて家に帰って身体の準備をして、慌てて宿まで駆けつけるのがルーティーンだ。
街なかに家があればここまで大変ではなかったと思うけど、街の外れに家を買ったことは後悔していない。それに彼と関係を持ちはじめた頃と比べて、会う頻度もかなり少なくなっていた。
家を出る前、ガラス瓶に入った惚れ薬が目に入る。あと四個。
二度めの効果は二時間。初回は大失敗してしまったが、今夜はこれ以上ないチャンスだ。
浮つく心に水をかけるように、ピークスに言われたことが頭をよぎる。虚しいと分かっていても、もし告白するとしても……惚れ薬を使ってトゥルヌスさんの気持ちが少しでもノーナに傾いてからにしたい。
自分の心の弱さが情けない。けれど、誰かをあっさりと失うのはもう嫌だった。
歓楽街の中でも薄暗い小道に入って、ポケットから薬を取り出す。効果てきめんなのはもう分かっているため、緊張と期待で心臓がぴょんぴょん飛び跳ねる。
ノーナに恋したトゥルヌスさんは、どんな風に抱いてくれるだろう。今までとまったく違ったら……それはそれで切ないけれど。
ひと月前のシルヴァがすごく情熱的だったから、トゥルヌスさんもきっと……。そう考えた瞬間ハッとして、ノーナは頭をぶんぶん振った。抱かれた相手を比べるなんて、すごく奔放な人みたいだ!
気持ちを切り替えて、何度か深呼吸をする。飲み込むのが大変なことはもう学習済みである。
口の中に唾液を溜め、コロンとした薬を口に含んで一気に飲み込んだ。甘さが舌先から口内に広がって、本当に飴みたいだ。
うぐ……と声を出しかけて、口を押さえた。やっぱり喉の奥に詰まる。
でもこれはほんの少しのあいだのことで、数秒待てばスゥッと溶けていくのだ。それこそ魔法みたいに。
心臓の音は先ほどよりも重く響き、耳元で拍動が聞こえるようだ。ノーナはひとりごとでさえ発してしまわないように気をつけながら、通りに戻って宿に向かった。
休息日前日の歓楽街は、人通りがとても多い。もう酒に酔っている人もいてみんな楽しそうだ。ノーナは自分の目的に後ろめたさを感じ、うつむき加減で歩みを進める。
自分のようなトロい人種がそうするとどうなるか……想像できればよかったのだが、このときのノーナは惚れ薬のことで頭がいっぱいだった。
宿のある路地裏に入ろうと方向転換したとき、――ドンッと人にぶつかった。
「あっ、す……」
すみません。と言おうとして口をつぐむ。普通なら謝るべき場面だけど、いま声を掛けると魔法がかかってしまう。
(あぶな! あぶな~!! 今のは、セーフだよね?)
「……またお前か」
ノーナは「エ~ッ!」と内心大声を上げつつ、正面の大きな男……シルヴァを見上げた。なんでこんなところに、と気が遠くなるものの、彼も私服だから普通に非番なのだろう。
路地裏に入ると一気に怪しげな雰囲気が漂うが、手前のここには飲食店や劇場が立ち並んでいる。たくさん飲めそうな体格をしているし、誰かと酒を飲んできたのかもしれなかった。
いちおう顔見知り程度にはなっているのだから、一言二言交わすべきなのは分かっている。でも今は、だめだ。
サァっと顔から血の気が引いていくのを感じながら、ノーナは一歩後ずさる。しかしまた後ろを歩く人とぶつかりそうになってしまい、シルヴァに腕を引かれた。
「あっ」
「どうしてノーナはそんなに……注意力散漫なんだ? もっと周囲に気を配った方がいい」
ノーナは必死にコクコクと頷き、ペコリと頭を下げた。勢いで黒髪がバサバサと動く。シルヴァに違和感を感じられる前にこの場を去らないといけない。
そのままさり気なくまわれ右をし、今度こそ周囲を確認しながらノーナは目的地へと歩き出した。
人通りが少なくなったとたん、小走りになる。走って連れ込み宿に向かうなんて滑稽な姿だと思うけど、気持ち的には「危なかった~!」と叫びながら全力疾走したいくらいだ。
まだ、声は出せない。
先週シルヴァに会った日は、彼に言われたとおり早めに帰って泥のように眠った。仕事は残っていたけど、人に指摘されるほど隈が濃いのは良くないな、と素直に思ったのだ。
ノーナの肌は白くて、皮膚も薄い。だからこそ血色が悪いと歩くゾンビのように見えているだろう。生まれ持った容姿はどうしようもないが、他人に不快感や恐怖を与えるのはノーナも本意ではない。
そうして翌日出勤すると、トゥルヌスさんが戻ってきていたのだ。おかげで仕事の負荷は減った……というか元通りだ。ひとりで全部やっていたときより遥かにいい。
無事ゾンビを脱出したノーナはその週末を目前にした日、久しぶりにトゥルヌスさんからお誘いを受けた。
「なんだかノーナ、可愛くなったね」
「え……そ、そんなこと」
「今夜、来られる? 仕事は適当に終わらせればいい。いつもの宿で待ってるから」
局長室での会話だ。金箔貼りの脚を持つ優美なテーブルに頬杖をつきながら、トゥルヌスさんは慣れた口調でノーナを褒め、誘った。
二人が逢瀬を重ねるのはテュッレーにいくつかある連れ込み宿のうちのひとつ。歓楽街の路地裏にあって、わりと綺麗。こっそりと火遊びを楽しむ貴族のあいだでも人気の宿らしい。
トゥルヌスさんはいつも先に馬車で到着して部屋を取り、ワインをゆったりと飲みながらノーナを待っている。ノーナは慌てて家に帰って身体の準備をして、慌てて宿まで駆けつけるのがルーティーンだ。
街なかに家があればここまで大変ではなかったと思うけど、街の外れに家を買ったことは後悔していない。それに彼と関係を持ちはじめた頃と比べて、会う頻度もかなり少なくなっていた。
家を出る前、ガラス瓶に入った惚れ薬が目に入る。あと四個。
二度めの効果は二時間。初回は大失敗してしまったが、今夜はこれ以上ないチャンスだ。
浮つく心に水をかけるように、ピークスに言われたことが頭をよぎる。虚しいと分かっていても、もし告白するとしても……惚れ薬を使ってトゥルヌスさんの気持ちが少しでもノーナに傾いてからにしたい。
自分の心の弱さが情けない。けれど、誰かをあっさりと失うのはもう嫌だった。
歓楽街の中でも薄暗い小道に入って、ポケットから薬を取り出す。効果てきめんなのはもう分かっているため、緊張と期待で心臓がぴょんぴょん飛び跳ねる。
ノーナに恋したトゥルヌスさんは、どんな風に抱いてくれるだろう。今までとまったく違ったら……それはそれで切ないけれど。
ひと月前のシルヴァがすごく情熱的だったから、トゥルヌスさんもきっと……。そう考えた瞬間ハッとして、ノーナは頭をぶんぶん振った。抱かれた相手を比べるなんて、すごく奔放な人みたいだ!
気持ちを切り替えて、何度か深呼吸をする。飲み込むのが大変なことはもう学習済みである。
口の中に唾液を溜め、コロンとした薬を口に含んで一気に飲み込んだ。甘さが舌先から口内に広がって、本当に飴みたいだ。
うぐ……と声を出しかけて、口を押さえた。やっぱり喉の奥に詰まる。
でもこれはほんの少しのあいだのことで、数秒待てばスゥッと溶けていくのだ。それこそ魔法みたいに。
心臓の音は先ほどよりも重く響き、耳元で拍動が聞こえるようだ。ノーナはひとりごとでさえ発してしまわないように気をつけながら、通りに戻って宿に向かった。
休息日前日の歓楽街は、人通りがとても多い。もう酒に酔っている人もいてみんな楽しそうだ。ノーナは自分の目的に後ろめたさを感じ、うつむき加減で歩みを進める。
自分のようなトロい人種がそうするとどうなるか……想像できればよかったのだが、このときのノーナは惚れ薬のことで頭がいっぱいだった。
宿のある路地裏に入ろうと方向転換したとき、――ドンッと人にぶつかった。
「あっ、す……」
すみません。と言おうとして口をつぐむ。普通なら謝るべき場面だけど、いま声を掛けると魔法がかかってしまう。
(あぶな! あぶな~!! 今のは、セーフだよね?)
「……またお前か」
ノーナは「エ~ッ!」と内心大声を上げつつ、正面の大きな男……シルヴァを見上げた。なんでこんなところに、と気が遠くなるものの、彼も私服だから普通に非番なのだろう。
路地裏に入ると一気に怪しげな雰囲気が漂うが、手前のここには飲食店や劇場が立ち並んでいる。たくさん飲めそうな体格をしているし、誰かと酒を飲んできたのかもしれなかった。
いちおう顔見知り程度にはなっているのだから、一言二言交わすべきなのは分かっている。でも今は、だめだ。
サァっと顔から血の気が引いていくのを感じながら、ノーナは一歩後ずさる。しかしまた後ろを歩く人とぶつかりそうになってしまい、シルヴァに腕を引かれた。
「あっ」
「どうしてノーナはそんなに……注意力散漫なんだ? もっと周囲に気を配った方がいい」
ノーナは必死にコクコクと頷き、ペコリと頭を下げた。勢いで黒髪がバサバサと動く。シルヴァに違和感を感じられる前にこの場を去らないといけない。
そのままさり気なくまわれ右をし、今度こそ周囲を確認しながらノーナは目的地へと歩き出した。
人通りが少なくなったとたん、小走りになる。走って連れ込み宿に向かうなんて滑稽な姿だと思うけど、気持ち的には「危なかった~!」と叫びながら全力疾走したいくらいだ。
まだ、声は出せない。
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