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本編

3.狼騎士の帰還

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 ノーナが働いているのは、エレニア王国の王都テュッレーにある王宮だ。
 
 成人したころは下働きだったが、読み書きができ計算も得意だったため前の上司に引き立てられた。いまは文官となって経理局に勤めている。
 文官はほとんどが貴族で構成されているので、なにげに大出世である。

 平民でも、多くのお金を収めないといけない学園に通わせてくれていた両親には感謝だ。家の手伝いをしていたおかげで計算が得意になったのも、ノーナの財産といえる。
 
 仕事は大変だけど、やり甲斐もある。恩のある上司はご高齢で引退してしまったけど、今の上司に出会えたことも幸運だ……と思っていた。

「おはようございます」
「ノーナ、おはよう。さっそくで悪いんだけど、この書類を片付けてほしいんだ」

 局内でただひとりノーナに返事をし、爽やかな笑顔で仕事を持ってきたのが、王宮経理局局長のトゥルヌスさんだ。
 輝く小麦色の髪を首の後ろで括り、瞳も優しい焦げ茶色。齢四十だが、背が高くて中年太りとは無縁のスタイルを維持している。
 
 実は新しい上司としてトゥルヌスさんが来た頃、ノーナは彼が苦手だった。

『なんで平民がいるんだ?』

 文官になってから何度も言われてきた言葉だ。前の上司が身分を笠に着ることを嫌っていたから、ぬるま湯に浸かって油断していたノーナは傷ついてしまった。
 
 それでも、給料を貰っているんだから働くしかない。生きるためだ。
 トゥルヌスさんはそれきり口を開かなかったし、同僚は無口で数字とだけ会話するような人が多かった。自分の局は全然マシだったのだ。

 ノーナは真面目に職務に邁進した。人付き合いが苦手な同僚に代わって他局と交渉したり、内容も確かめずに承認しようとする上司に代わって書類を精査したり……毎日遅くまで仕事をして、よれよれになっていたある日。
 
 ――トゥルヌスさんが口説いてくるようになった。

「濡れたような黒髪がセクシーだね」
 
(昨晩遅くに帰って即寝落ちしちゃったから、今朝あわてて髪を洗って乾かす時間もなかったんです……)

「ノーナの目元が物憂げで、どうしてか目が離せないんだ。ここがドキドキするよ」
 
(たぶん隈ができてるだけです……)
 
 それでもノーナは、そんな風に褒められたことがなかったから照れて喜んでしまった。
 平民に多い黒髪は艶のない直毛で、肩上でばっさりと切っている何の変哲もないボブヘア。明るい緑色の瞳だけはノーナの自慢だが、両親や学園時代の友人と会えなくなってしまってからは、誰にも褒められたことがない。

 トゥルヌスさんは手練手管に長けていた。相変わらず仕事はあんまり真面目じゃないけど、局長室でノーナと二人きりになると甘い言葉を吐く。
 彼もこっち側の人なんだと気づいたときにはもう、ノーナは期待してしまっていたのだ。
 
 なし崩し的に身体の関係を持ち、初めて恋人ができたと舞い上がった。貴族のトゥルヌスさんは家の仕事も忙しいらしく、外で会うことはほとんどできない。
 でも職場に行けば恋人がいるなんて状況、浮かれずにいられるだろうか?

 職場の局長室でされる軽いペッティングも、急に呼び出されて連れ込み宿で抱かれることも、ノーナは単純に嬉しかった。男の自分でも性的に求められるんだと実感することは、ノーナの承認欲求を大いに満たしてくれたからだ。
 
 徐々に、徐々に違和感に気づきはじめたのは付き合いはじめて一年以上経ってから。彼女ができたばかりの友人の話を聞いていると、自分とトゥルヌスさんみたいな関係性とは決定的に違った。

 男同士の恋愛が一般的ではないから、外で手を繋いでデートすることが難しいのはわかっている。まぁ、たまに堂々としているカップルを見かけると羨ましくて胸が苦しくなるけど。それにお互いの家で会ったり、性的な触れ合いのない時間を二人で過ごすことさえ皆無だ。
 
 セックス前後の甘い時間もない。初めのころだけは前戯をいろいろしてくれていたのだが、いまやその記憶も曖昧だ。ノーナはトゥルヌスさんの生活の一部にもなれていないとたびたび感じる。

 わかっていてもノーナはトゥルヌスさんのことが好きだった。こんな風に自分を相手にしてくれる人なんて、他にいないから。彼のことを考えると苦しくて寂しくて切ない。これが男同士の恋ってものなんだと思っている。
 
 友人には「やめとけ」って、何回も言われているけれど……誘われると断れない。ノーナは両親を喪った孤独を埋める方法を、無意識にずっと求めているのかもしれなかった。
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