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 アクアがたまに仕事で夜出かけて行くのは知っていた。屋敷の警備担当には彼を見逃すように伝えてあったし、彼の行動を制限するつもりはなかったからだ。

「僕はアクアさんになら命を預けられます」
 
 スピネルはギルドにスパイとして入り込んだ頃に失敗をして、始末されかけたところをアクアに救われたらしい。暗殺者として育ってきたアクアにとってその行動はきっと偶然だったが、ファミリーの仲間は恩義を忘れない。彼はのちのちギルドを一掃するときもよく働いてくれた。
 
 ブラッドはアクアが暗殺者だと初めから知っていたし、彼に殺されるならそれが自分の天命だとすら思っていた。
 
 半年前、自分がターゲットになることを知っていたブラッドはアクアに賭けていたのだ。もちろん簡単に殺されないよう対策はしていたが、二年も一緒に暮らした彼がどんな決断を下すのか興味があった。
 任務だからと無感情にこなすのか、なにか躊躇いを見せるのか。

 結果は――想像以上だった。アクアはブラッドを殺そうとしなかった。さらには姿を見せないまま逃げてしまい、大いに慌てたのである。彼を追いかけたいが、数日も経たないうちに暗殺ギルドが動き出すだろう。指示に従わない人間は殺される。
 ブラッドは苦渋の決断で自ら探して回ることを一旦は諦め、ギルドの始末を優先した。街の治安改善はほぼ終わり、ブラッドに盾突くギルドなどもう必要ない。
 並行して追跡に特化したファミリーにアクアを探させていたが、街を出るとマフィアの力は弱い。
 
 アクアの潜伏能力は無駄に高く、街中に出てこなければ見つけられなかった。いや、無駄じゃないな。オメガは発情期中、自分の身もままならない。安全な場所を見つけることがその身を守ることに直結するのだから。

 アクアが居なくなってからの毎日は恐ろしくつまらない。一日一回アクアの顔を見られるだけで、どれだけ元気をもらっていたのか思い知らされた数カ月間だった。
 ブラッドにはたくさんのファミリーがいる。だがその中の誰でさえも、アクアの代わりにはなり得ない。会えない期間に思い出が美化されたような気がした。綺麗で可愛い私の奥さん……ほんとうにそこまでだっただろうか?

「旦那さまぁっ」
「えっ……私の奥さん、こんなに可愛かったか!?」

 実物は思い出を遥かに超えてきた。再会したときもブラッドの命を救おうとしたアクアは、突然ひしっとくっついてきたのだ。そもそも彼から抱きついてくることなんて、今までなかったのに……。
 唐突に、これが恋なのだと自覚した。
 いつからこんなにも好きになっていたのか。恋した時点ですでに奥さんって……最高すぎるんだが!?

 もう、手放せない。浮かれて気が抜けている間にまたアクアは逃げてしまったものの……今度こそ捕まえて、一緒にいることを許してもらえた。
 彼がブラッドに恋愛感情を抱いていないことは分かっていたから、少しずつ口説くつもりだったのだ。

 ――こんなにも早く手に入るなんて。

 朝日が昇ってもなかなか起きないアクアを見つめながら幸せを噛みしめる。髪の色より少しだけ濃い金色のまつ毛が目元に影を落とし、目尻の泣きぼくろはいつ何時も色っぽくてたまらない。
 その中身は幼い子供のように、あらゆる感情や自我を覚え始めたばかりだ。この屋敷で過ごすなかで、すくすくと育っていってほしいと思う。

 見目が美しい上に性根も優しい子だから、すぐに人たらしを発揮しそうで心配になるが……ブラッドがいる限り、アクアに手を出そうとするものはいないだろう。

 指の背でアクアの頬を撫でると、くすぐったそうに頬がひくついた。それが微笑んでいるようにも見えて、胸の中に温かい感情が生まれる。
 出会った当初、アクアはぴくりとも笑わなかった。しかし最近などは、ときどき笑顔を見せてくれるようになったのだ。それが死ぬほど可愛くて、ブラッドは何度か心臓が止まった。さすが、実力派の元殺し屋なだけある。

 アクアの顔を間近で見つめすぎたのか、ようやく彼が目を覚ます。長いまつ毛が震え、薄水色の瞳が現れる。
 この瞳以上に透明感のある色を自分は知らない。色はあるのにクリアで、いつまでも見つめていたくなる。最初にブラッドの心が奪われたのはこの美しい目だったかもしれない。
 
「おはよう、お寝坊な奥さん」

 蕩けるように幸せな顔をしたブラッドが映り込んでいる瞳。その目が柔らかく細められ、アクアは小さな口を開いた。

「おはようございます、旦那さま。……今日も、だいすきです」
「あ~!!うちの、奥さんが!~~~かわいいっ!!!」

 そのまま朝の一戦になだれ込もうとしたブラッドは、スピネルによってアクアから引き剥がされた。自分よりもアクアを優先しているとしか思えない部下に、なんとも言えない気持ちになる。
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