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1.暗殺者のおれが命じられたのは、夫の殺害でした。

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「アクア、発情期はそろそろだな?次の仕事が決まった。場所は……」
「イエス、サー」

 暗殺者のアクアは、ギルド長から指示された内容にイエスと答えた。それ以外の選択肢はない。
 暗殺ギルドの隠れ家を出て、スラムの街を抜けて……人目がなくなったところでアクアは死に物狂いで走り出した。そうしないと叫び出しそうだった。

 やばい。――――まじでやばい!

 夜の丘を駆け上り、我慢できなくなったアクアは街に向かって盛大にツッコんだ。

「次のターゲット、旦那さまなんですけどぉっ!?」

 男にしては高い声が、白い息と共に夜空へ溶けていく。アクアの気持ちとは関係なく、空では満天の星がキラキラと輝いていた。

 

 アクアは十人中十人がオメガと称する見た目の男だ。長い金糸のような髪に水色の瞳、華奢な肢体。儚げな容貌はアルファやベータの庇護欲をそそる。
 この見た目は娼婦だった母親とどこかの貴族からの贈り物だ。物心つく頃に捨てられたけど。

 孤児だったアクアは暗殺を生業なりわいとしている。スラムで生活していたころ、裏社会に存在する暗殺ギルドの長に拾われ、暗殺技術を仕込まれたのだ。
 なぜなら、見た目に反してアクアは喧嘩にめっぽう強かった。頭の回転は早いし、生きるためなら卑怯なことでも躊躇わずになんでもやる。腕力で勝てない相手を負かすのは爽快で気持ちがいい。

 十歳を超えた頃、発情期が来てオメガだとわかった。なんとなく予感のしていたアクアは誰にも邪魔されない場所に引きこもり、ひとりでヒートを乗り越えたのだ。ひとりぼっちのアクアは、あくまで冷静だった。

 アクアの体質はちょっと特殊だ。発情期のいちばんひどい日――アクアは二日目と呼んでいる――じゃない限り、フェロモンの量を自分で調整することができるのだ。
 ギルド長は喜んだ。アクアは相手を油断させやすいため暗殺者としてはぴったりな上、フェロモンをコントロールできたらさらに完璧だから。

 いつの間にか付けられていた二つ名は『惑乱わくらんのアクア』。氷のような色の瞳に冷たい表情、けれど少し眠たげな二重と泣きぼくろが色っぽい。
 たいていのアルファやベータは、彼のようなオメガがベッドの上ではどんな風に乱れるのかを想像せずにはいられない。相手を誘惑し、思考力をフェロモンでとろっとろに溶かしている間にサクッと殺す。
 
 女好きのターゲットの場合は女装することもある。そのために髪を伸ばしているし、脱がなければバレない。そこまでする必要もなく殺せるから、相手とは寝ないのがアクアのモットーだ。

 しかし、アクアにはギルドにも秘密にしていることがあった。それは――――

 



「旦那さま、おはようございます」
「おはようアクア。今日も麗しいね」
「どうも」

 アクアは二年前、目の前に座る旦那さま――ブラッドと結婚していた。
 
 ブラッドは、この街で大きな商店を構えている成功者として有名なひとだ。艶のある黒髪をサイドバックにまとめ、彫りの深い顔に濃いグリーンの瞳をもつ色男。
 二次性はアルファである。
 
 ふたりは運命的な出会いをへて恋に落ち電撃結婚した……わけではなく、お互い納得づくの仮面夫婦、しかも白い結婚だ。つまりつがいにもなっていない。
 毎日朝食を一緒にとる以外の交流はないが、関係は良好だ。

 恋心こそないが、アクアはブラッドに深く感謝していた。彼のおかげで衣食住すべてが整えられ、発情期のときも安全な場所をわざわざ探す必要がない。
 アクアは夜こっそりと仕事に出かけることもあるが、朝まで干渉されないので朝食にさえ間に合えばいい。それ以外は自由時間だ。

 ブラッドはアクアを性的な目で見ないので、夫としての相手を求められることもない。こんなにも素晴らしい条件で結婚相手として迎え入れてくれる人は、彼以外にいないだろう。
 アクアにしかメリットがないかと思われるこの結婚はしかし、ちゃんとブラッドにも理由があった。

 若くして成功した彼には多くの釣り書が届き、取引相手にはお見合いを打診され、アルファゆえのハニートラップまであったらしい。
 とはいえ、ブラッドには少々ロマンチストな一面があった。
 
 『ちゃんと好きになった人と結婚したいという夢があるのに、好きな人がなかなかできない』らしい。それを聞いたときアクアは『死ぬほど理想が高いのかな』と思ったものの黙っておいた。

 互いの利害が一致し、ブラッドかアクアに好きな人ができたら円満に別れる、という条件で結婚したのである。
 ちなみにアクアは結婚にも恋愛にも夢を抱いていないので、相手も探さず現状に満足した日々を送っている。

(正直、旦那さまのおかげで生活できているから暗殺業は辞めてもいいんだけど……)
 
 結婚したことは秘密にしているし、業界から足を洗うことは簡単じゃない。それにいつか別れるとしたら、その先はやっぱりお金が必要なはずだった。
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