糠味噌の唄

猫枕

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 平成3年。町子18才。

 町子は商業高校を卒業すると東京の会計事務所に事務職として就職した。

 町子は学力は充分進学高校から大学へのルートが狙えたが、早く就職して親元を離れたかったので就職に有利な商業科を選んだ。
 時はバブル全盛で、女子大生が男達にブランド物を貢がせて我が世の春を謳歌していた。

 たまに遭遇する中学時代の同級生たちは、今どき高卒で就職するのか?と町子を気の毒なものを見るような目で見たが、何年も経たない内に、町子の選択は悪くはなかったということがバブル崩壊によって示された。
 
かつての同級生たちは就職氷河期の煽りをまともにくらうことになったからだ。

 町子とて大学生生活に憧れが無かったわけではないが、常に心の隅に引っかかる『手首』の記憶が、とにかく一刻も早くこの土地から離れたい、と思わせた。

 あれから丸6年が経った。

 未だ事件発覚の情報は無い。

 母は人を殺したのだろうか?

 確かめることのできない疑いがずっと胸の中にある。

 被害者はどんな人だったのだろう?

 その人にも家族がいただろうに。

 今でも行方を探しているんじゃないだろうか?

 
 そう考えると胸が苦しくなる。

しかし一方で町子は事実が明るみに出ることを恐れている。

 自分も弟たちも、まともな人生は歩けなくなることは容易に想像がついたし、そんな重荷を背負って生きていく勇気はどうしても持てなかったからだ。

  じっと何も知らないふりをして日々をやり過ごしながら、自分たちのまがりなりにも平穏な時間の反対側で、誰かが不幸に陥っているのだという事実が町子の精神を削った。




 町子が商業高校に行くと言った時、両親は意外そうな顔をして、地元の女子大くらい行ったらどうか?と聞いてきた。

 しかし町子が、

「弟たちが大学に行くのにお金がかかるから」

 と言うと両親、特に母はむしろホッとしたような顔になって、それ以上進路について口を挟むことはなかった。

 あの一件を境に明るかった町子は無口で陰鬱な性格になっていった。

 「反抗期なんだろ?」

 父はさほど気にもしていない様子だったが、母は町子との関係にぎこちなさを感じていた。

 母が積極的に自分と関わろうとしないことは町子にとって都合が良かったが、たまにじっと母が自分に向けてくる視線は、

 『本当は知ってるんでしょ?』

 と語っているようで、町子は怖くて体が硬直しそうになるのだった。



 そうして町子は高校卒業と同時に、逃げるように故郷の町を後にした。

 
 パソコン導入と紙の時代のはざまの時期で、町子は両方のやり方で仕事を覚えた。
 
 千代田区にある事務所から板橋区にあるアパートに帰る。
 池袋で乗り換える時、自分と同じ年頃の女の子達が着飾って遊びに繰り出すのとすれ違う。

 艶っ艶なワンレングスの髪にタイトなミニのワンピース。
 ブランド物のバックにアクセサリー。

 どれも町子とは無縁のものだ。

 アパートに帰った町子は週末に作り置きしていたオカズで夕食を済ませる。

「電子レンジ欲しいな」

 誰もいない部屋で声を出してみる。

  町子は極力 他人と関わらないようにしていた。

 誰かと親しくしていつか事件が明るみに出たときに迷惑をかけるのも嫌だったし、仲良くなった相手から軽蔑されるのも耐えられないと思ったからだ。

 町子は大ヒット中のドラマ、東京ラブラブストーリー、を見ながら

「週末は大山商店街に買い出しにいこう」

 と呟いた。

 「トレンディードラマに出てくる若者たちは皆、すっごいお洒落な部屋に住んでいるけど、一体お給料いくらもらってんだよ」
 
 最近、独り言が多くて困るなー。

町子はカラーボックスが置かれた狭い部屋を見回してフフと笑った。

 


 



 

 
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