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魔女見習いはじめました(7)

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 アルブが町に走って小一時間後、屋敷の東に広がる森の前には、多くの捜索隊とともにアルブが戻ってきていた。

「マリア先生、その手どうしたんですか」

「あー、飼い猫に引っかかれたといいますか。ガッツリいってます」

 殺菌と止血を兼ねた包帯グルグル巻の手は何かと目立つ。けど、俺の怪我なんてどうでもいいことだ。

 目に見える怪我なんてものはそのうち治る。痛々しいのも、目に見えるから似すぎない。痛みも傷も、時間が解決してくれる。

 けれど、大事な人を失う辛さは、きっとその比ではないだろう。断言できないのは、俺にその経験がないからだが。

 捜索隊はこちらを見てはヒソヒソとしている。捜索開始の合図を待っているのかと思ったが、どうやらその様子ではないらしい。

『あー、やっぱりですねー。知ってた知ってた』

「ン?」

 マリアがそういうということは、――マリア自身のことか?

「先生が屋敷の外にまで出ることはほとんどありませんからね。みんな、先生のお世話にはなっているけれど、この状況が不思議なんです。私も、昨日の先生を知らなければ驚いていました」

 マリアという魔女の人となりがよくわからんな。人助けの魔女とか言う割には、安楽椅子探偵のように引きこもりだったのだろうか。

 まあ、俺も似たようなものだったが。

「先生。オルクスが消えたってのは本当か? 認知症だとか、オークに限ってそれは誤診じゃないのか? ヒト種特有の病気だろ?」

 捜索隊の中から、恰幅のいい男が声を上げた。見た目は亜人には見えないから、こいつはヒト種なのだろう。

「正確のことはまだわかりませんが、状況的にそれに近いものを患っていてもおかしくありません。一度保護をしてから、詳しく調べないと」

「オークなんだから、酒の飲みすぎじゃないのか。アルブの手前ここまで来たが、さすがに酔っ払いの捜索で樹海に入るのは流石に、なぁ……」

 樹海? そんなに深い森なのか。なら、やっぱり奥まで捜索するのは危険度が高そうだ。けど、――

「みなさん、急なお話なのに、ここに集まっていただいてありがとうございます。オークのオルクスさんが、今日の十四時に私のところから帰ってからの動向がわかっていません。認知症の疑いがあるのは、アルブさんからの話と、今日の彼の行動からの推察です。オーク種だからそれはない、というレアケースは不問にして、捜索の協力をお願いします」

 全体に対して声をあげても、それでも捜索隊の表情は暗い。捜索そのものが億劫というわけではなく、この樹海という存在が大きいのかも知れない。

「危険度の高い森の奥は私の使い魔で対処します。ですので、日が暮れるまで短いですが、森のフチを横展開での捜索をお願いします」

「わたしからもお願いします。どうか、オルクスの無事を知りたいんです」

 無事――それは、今の状況だけでなく、病そのものについてもだろう。

「……わかったよ。オルクスには昔から世話になってるんだ。酒も奢ってくれるし、俺の家はオルクスが建てた。それも格安で、それでいて全然朽ちてない。その恩を、安くても少しだけでも返したいしな。お前たち、半々に分かれて展開しよう! お互いの位置の確認を忘れるなよ! ヒト喰いの樹海に取り残されるなよ!」

 ヒト喰いの樹海だなんて物騒だ……。けど、この森がそれだけ危険ということを表すのには十分で、それ以上にオルクスの身の安全を早急に確認しなくては。

 散り散りとなっていく捜索隊。マリアの言葉だけでは、きっとこうは動いてくれなかっただろう。

 慕われるヒトってのは、こういうときに周りが助けてくれる。オルクスというオークの人となりは、きっとみんなにとって重要だったんだ。

「俺たちも動こう」

「あ、一人で奥まで行くと危にゃいニャ!」

「わたしも行きます! 先生、待って!」

 グイグイと森に入っていく俺を追ってマタタビとアルブがついてきた。奥が危険とわかっていてもそれを顧みないアルブの決心を肌で感じた。

///

「やばいな。日が暮れてきた。これ以上の深入りはミイラ取りがミイラにになるぞ」

 マタタビの黒猫を展開しながら奥へ進んできたが、背の高い木々の葉に阻まれて薄暗い。どこを見ても似たような風景が広がっている。

 ヒト食いの樹海ってのは、きっと迷い込むと方角がわからなくなることから言われたのだろう。

 狩猟に長け、森でも比較的自由に動けるエルフ種ですら迷うほど。それだけの森を進めているのは、マタタビによる黒猫の統括ができているからにすぎない。

「一度戻ろう。このままだと道がわからなくなる」

 足場の悪い中を進んできたこともあり、あたりに光が入らなくなれば、完全に方向を失う。そうなれば、朝まで遭難だ。

 ただでさえ元の世界よりも一日の時間が違うんだ。その長さは体力を奪うだけではすまないし、この森にもきっと野生の動物がいる。

「待ってください! なら、オルクスは!?」

「深追いは危険です。ミイラ取りがミイラになることが一番まずい」

「なら、わたしだけでも探します!」

「話聞いてました!? アルブさんだけとか、なおさらダメです!」

「二人とも落ち着くニャ!」

 単独で動こうとするアルブの腕を掴むために手を伸ばす。それに気付いたアルブは――

「わたしは大丈夫だから離してください!」

「あっ――」

 手を振り払われた勢いで、視界が急旋回した。

「いでっ……痛……」

 全身に感じる衝撃。アルブとマタタビの姿がひっくり返ったと同時に、足場が消えた。そう錯覚するほど、ものの見事に足を踏み外し、急斜面を滑り落ちてしまった。

「ゴシュジン! 無事かニャ!?」

「せ、先生!? ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

 頭上から二人の慌てた声がわずかに聞こえる。岩場や木々に隠れて姿は見えない。思った以上に落ちてしまったらしい。

 ひとまず全身を確認する。泥だらけで擦り傷だらけだが、体を強打もしておらず、骨か折れたなどの怪我はなさそうだ。

「大丈夫だ! 動けるから問題ない!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 アルブの焦りを感じる。自分のせいで落ちたと思っているかもしれない。早めに上に戻らなくては……。

「けど、別の意味で骨が折れるぞ、これ……」



「――マリア、先生?」



 後ろの暗闇から、低く響く声が聞こえた。


 その声には聞き覚えがある。振り返れば、うずくまっているオルクスがいた。

「オルクスさん! よかった、ここにいたんですね!」

 オークの体はうずくまっても大きい。彼の手には、うちから帰る際受け取った薬の袋と、小さな花が握られていた。

「どうしたんだ、先生。ここになにか用か?」

「用って、オルクスさんを探していたんです。うちから出て行方がわからなくなっていたから」

「んん? 俺は普通に家に向かって……あれ。ここはどこだ? 俺、なにしてたんだろう」

 やっぱり言動がおかしい。素人目に見てもはっきりとわかる。早く上に戻って、暗くなる前に森を出なければ。

「上に行くのかい? この斜面は土が柔らかいから、登ろうとしても崩れて落っこちてしまう。こっちだ」

 立ち上がったオルクスが緩やかな斜面を指差す。隣の斜面に比べ、木々の根っこによって隆起していた。

「土ってのはそれだけだとどうも弱い。あそこの草はすぐに抜け落ちるだろう。足場が不安定だから獣すら寄り付かないってわけさ。逆にこっちは木の根っこがいい足場になるんだよ」

「詳しいんですね。それに、――」

 足取りが、妙に慣れている。自分ではどこにいるのかもわかっていない様子なのに、彼の目は自然と最適な道を選び、足はしっかりと地面を踏みしめていた。

「ゴシュジン!? アルブ、ゴシュジンが戻ってきたニャ!」

「ああ、先生。わたしのせいで、……え。オルクス!?」

「アルブもいたのか。今日のデートはピクニックかな」

「バカ! どれだけ心配したと思ってるのよ!」

 行方知れずになっていたオルクスを見つけたアルブが思わずオークの厚い胸板にうずくまる。力強く叩く拳が低い音を出す。それを困った表情を浮かべたオルクスは静かに受け止めていた。

「オルクス、暗くにゃる前に見つかってよかったニャ。ニャーたちの索敵範囲もここが限界ニャ。急いで戻るニャ」

「ああ、そうだな。捜索隊にも早く知らせなくちゃ」

///

 森を抜けるときには、日は完全に暮れていた。時間的にもギリギリのところだったと思う。森に沿って広がっていた捜索隊にも徐々に情報が伝わり、散発的ではあるが戻りつつあった。

 捜索隊のほとんどはオルクスと顔なじみなのだろう。戻ってきたそばから彼とハグをし、無事を確認できたことで安心して笑い声を上げながら帰路についていく。

 小一時間ほどした頃にはすべての捜索隊は解散し、症状のことも含めてオルクスとアルブも一緒にマリアの屋敷に一度戻ることとした。


「オルクスさん。大事なことなので隠さずはっきりといいます。今のあなたは、ヒト種でいうところの認知症の症状が出ています。進行がどれほどに達しているかはまだわかりませんが、今後の生活に関しての話し合いをしてもいいですか」

「認知症……? ハッハッハッ! 先生は冗談がすぎるな。俺はオークだぞ。ボケてもいなければ健康体さ。それに、まだそんな歳じゃない」

「病に歳は関係ありません。そして、誰も悪くない。そうなってしまったという事実だけがあります。なってやむなしという行動で発生するものでもない。ですので、今の私から言えることは、――受け入れることです」

 アルブが驚きと困惑の表情をしている。当の本人であるオルクスは、未だ現実味のない様子で俺とアルブの両方の顔を伺っていた。

「残念ながら、俺はこの病気に深い知識はありません。けど、ヒトにとってはとても重要で、いずれ来る問題の一つでもあります」

「先生! それじゃあ諦めるってことですか!? 治療はしないんですか!?」

「ちょっ、アルブ。落ち着けよ」

「落ち着いてられないわよ! あなたの病気よ!」

「大げさだよ。俺はお前と話ができてるし、体だって俄然頑丈だ。丸太の一つや二つ担いでも平気なほどにな」

 オルクス自身、やはり危機感がない。けど、仕方ないのかもしれない。

 目に見える負傷は、だれもが同情する。そこに傷があるから、視覚として認識できる。転んで足が折れていればギブスを巻くし、料理で誤って指先を切れば絆創膏を貼る。

 けど、心の病を含めたものは、当人ですら受け入れがたい。

 うつ病が如何に治りにくいのか。それは外にそれが見えず、本人はそれに負い目がでるが故に受け入れない。受け入れない以上、根本的な解決のための行動をとれない、または、とらない。そして、それを穴埋めするための人員は、それを疎ましく思う。だからこそ、自分がもし同じ状況になった場合すら心から排除する。

 悪循環しかない。俺はそれを多く経験したし、だからこそ落ちぶれた。そうなれば、健康だったはずの体も次第に蝕み、次第にになってしまう。

 だからこそ、受け入れることが一番の薬なのだ。この体になったことで、それがわかった。

「アルブさん、受け止めると諦めるは似ていますが、違います。俺が言うのは、先に進むためです。認知の問題は、およその回復は難しいかもしれない。けど、解決するためには、前向きにならなければいけない。無理矢理にもです」

 回復するまでの道は、きっと絶壁から伸びる細い道だ。踏み外せば奈落、けど道自体も危うい。絶壁の上は風も吹くし鳥も飛ぶだろう。茨の道すら凌駕する困難なものだ。

「だからこそ、受け止めて、前向きに進んで、――諦めない。オルクスさんも、アルブさんも、そして俺も、この先の人生はきっと長い。長いからこそ、きっと躓くこともある。けど、成るようには成ります。俺に、そのお手伝いをさせてください」

 
 アルブは唇を噛んで、睨みつけてくる。他人事だと思って、と思っているのだろう。投げ出された当人たちは、ずっとこの重圧を耐えていかないといけないから。

 オルクスは隣でなにも言わない。けど、その手にあるものは、あの時からずっと離さない。

「……オルクスさん、一つ聞いていいですか」

「ああ、なんだい、先生」

「そのお花、森の中からずっと持っていましたね。それはどうしたんですか」

 決して綺麗な花とは言えない。どこにでも咲いていそうな――もっともこの世界のものだから俺にとっては初めて見る――花だが、オルクスはそれをずっと離さず持っている。

 そして、俺が斜面を滑って落ちたのとは違い、オルクスは進んであそこに来たように感じた。だって、彼の体は、ほとんど汚れていなかったから。

「あの森の中で、あなたは何かをしようとしていたのではありませんか? それを、途中で忘れてしまっただけかもしれない。今なら思い出せませんか?」

「あの森って確か……」

 そう言葉を口にしたアルブの表情が変わる。彼女はなにかに気付いたようだ。俺の予想と一緒なら、――

「あそこには……亡くなった妻の墓が……ああ、そうだ。墓があるんだよ。ちょうど、先生が落ちてきたところさ。あの花は、妻が好きだったものだ。花の名前は――」

「……アイセンマ。奥様の名前はアイセム。奥様の名前の由来になったお花です」

「ああ、そうだ。アイセンマ、アイセンマだよ、先生。そうだ。俺は先生のところからの帰りに、道に迷ったんだ。どうして迷ったんだろう。普段から使う道だったのに、進む先がわからなくなったんだ。
 けど、この花を見つけたんだ。最近は全然見かけなくてね。思わず摘んだんだ。そして、久しぶりに墓参りに行こうと思ったんだ」

「なぜ、あの森にお墓を? すいません、あなたの事情に口を出すつもりではないんですけど」

「妻のお願いだったんだ。あそこは昔、祠だった。オーク族にとっては重要な場所でね。妻はそこの巫女の末裔だったんだ。廃れてしまった文化だけど、彼女だけはあそこを大事にしていた。だから、あそこに墓を建てたんだ」

 多くのことを突然忘れてしまう状況でも、花を見つけたきっかけで亡くなった妻のことと、お墓のことを思い出した。そして、動けた。なら、彼の行動には、"きっかけ"が必要だ。

「アルブさん。認知症という病はヒト種でも改善されない以上、治らないものかもしれない。けど、オルクスさんは、きっかけがあれば思い出せる。これなら、進行は遅れさせることができるかも」

 なにかと問題はあるだろう。それはほとんど、介護に近い。

「これは、例え夫婦であっても、親子であっても生半可なことじゃない。このまま病が進行して、全部忘れてしまうかもしれない。忘れたことすら忘れてしまって、あなたのことが自分に付け入る悪い人に見えるかもしれない。あなたが先に死ねば、更に問題は山積みになるかもしれない。不安になる可能性を上げればきりがないですが、今のあなたに、それを――」

「あります!」

 言葉を食い気味に止められた。オルクスも驚いている。

「あります! だって、わたしはオルクスに髪をあげました。お互いに幸せになろうって。彼が奥様を愛していたように、わたしが旦那様を愛していたように、、わたしたちの愛は本物だった。今も、その気持ちは変わりません」

 エルフ族の髪のプレゼント。それが、彼女の思いの形で、それを受け取るということは、その思いも本物ということか。

 アルブはオルクスの後ろに移り、首に腕を回すように抱きついた。

「アルブ?」

「わたしは、オルクスが好きです。お互い大切な人を失って、それ以降の人生を添い遂げるために、……ううん。これも運命だと思う。わたしたちは、二度本当の愛に出会うんです。わたしは旦那様、オルクスは奥様、その時を過ごした時間も、そして今のわたしたちの時間も、同じくらい本物です。だから――」

 深く息を吸うアルブ。噛みしめるように、自分に言い聞かせるように、そして、これからを誓うように。

「わたしは、死ぬまでオルクスのそばにいます。わたしが、オルクスを守ります。わたしに、オルクスを添い遂げさせてください」

 アルブの言葉は、俺に、自分に、そしてオルクスに当てたもの。そのどれもが、彼女の汚れのない純粋なものだと、心で理解した。

「なんだよ、俺が死ぬみたいじゃないか。俺はお前より先には死なないぞ」

「ええ、そうね。勝負よ、オルクス。負けた方は、先で待っててね」

 アルブが軽くオルクスの頬にキスをする。少し照れたようなオルクスに、アルブが女の覚悟をみせつける。

「マリア先生、わたしやってみます。奥様みたいに、いい女になってみせます。だから、見ていてください」

「はい。いつでもお手伝いします。決して、一人で背負わないで、誰かに頼ってください。あなたも彼も、人に恵まれていることはさっきわかりましたから」

 人となりってのは、困ったときこそ現れる。彼女たちの未来には、きっと支えてくれる人が多いと思う。

 それこそが、彼にとっては最優の治療薬になることだろう。
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