海将・九鬼嘉隆の戦略

谷鋭二

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【伊勢湾制圧編・最終章】新兵器・大鉄砲

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(一)

   小浜民部は、その居城小浜城の一室に厳かな祭壇を設けた。香を炊き、そして神仏に祈り、呪文を唱えた。一人の夫人が横たわっていた。あの麻鳥だった。小浜民部は一睡もせずに神仏に祈った。そして奇跡はおこった。意識不明の重態だった麻鳥が目を覚ましたのである。
「私は……?   一体どうしたというのだ?」
 小浜民部は思わず、麻鳥の細い体を強く抱きしめた。
「よかった、本当によかった。お前は命拾いしたし、御主にとりついていた呪縛も解き放たれた。これで忍術も元通り使えるようになるだろう」
 麻鳥もようやく己を取り戻した。
「私の敵は九鬼嘉隆」
 だが麻鳥の胸中には、嘉隆への憎悪とともに、別な複雑な想いもまた去来していたのである。

 


   織田勢はついに、北畠氏の南伊勢防衛における本丸ともいえる大河内城を、十重二十重に包囲した。
 大河内城は、阪内川と矢津川との間に南北に伸びた丘陵に築かれていた。現在伊勢道が通っており、概ねこれより北側が城域となっていた。南北五百メートル程の広さがあったといわれる。
 現在大河内神社の境内となっている場所が本丸、その西に西の丸、東下に馬場、納戸、そして二の丸があった。本丸と西の丸の間には堀切があり、この辺りはまむし谷と呼ばれていた。西の丸は北と西下に腰曲輪があり、その先の尾根にそれぞれ一条ずつ堀切が残っている。二の丸の北端から西へ伸びた尾根には虎口のような方形の窪地、その先には城内でもっとも規模の大きい大堀切があった。

 
 なかなかに堅城である。織田方は七万の大軍といえど、この城を落とすには、ある程度の覚悟が必要だった。
 織田方は城の南方に滝川一益・稲葉一鉄・蒲生賢秀等が布陣し、西に氏家ト全・安藤守就・佐久間信盛等が布陣、東に陣を構えるのが柴田勝家・森可成・佐々成政等の将である。そして信長自身は桂瀬山に本陣を置いた。果たしてこの完璧なる布陣は、大河内城にこもった北畠具教には、どのようにうつったであろうか。

 
 八月十九日未明、信長の近辺はにわかに慌しくなった。馬廻衆・小姓衆、さらには信長の親衛隊にして、織田軍中のエリート中のエリート集団といわれる赤母衣衆等などが、ひっきりなしに信長の本陣と各方面部隊との間を行き来した。
 辰の刻の頃(午前七時)、織田勢はついに池田恒興を先陣とし、大河内城総攻撃を開始した。対する北畠勢は、武勇の士として名高い日置大膳亮をしてこれに当たらせた。両軍は大手門広坂口あたりで激戦となり、弓矢・鉄砲の他、巨大な石、さらには熱湯までもが城を守る兵器として使用された。
 俗に城を攻めるには、守る側の三倍の兵力が必要という。ただでさえ平野で育った織田方の兵士達は、他国の兵に比べ弱兵といわれ、剽悍な北畠勢が守る城を攻めあぐねた。初日の戦いは、織田方が予想外の損害をだし一時撤退。その後たびたび織田方は大軍を繰り出すも、七万の大軍をもってしても城はびくともせず、やがて九月をむかえた。
 

 さらに事ここに及んで、織田の陣中によからぬ噂が流れだした。なんとあの甲斐の武田信玄が、同盟関係にある北畠氏を救うため、水軍を伊勢目指して出航させたというのである。実はこれはまったく根も葉もない話だったのだが、織田の陣営はこれに激しく動揺した。
 なんとか大河内城を犠牲を最小限に抑えて落とすため、最良の策といえば、やはり兵糧攻めである。しかし兵糧攻めのためには、敵の補給路を完全に断たなければならない。特に南の紀州方面からの兵糧や武器弾薬の輸送、これを断つため信長の命を受け、ついに九鬼嘉隆率いる織田水軍は、伊勢・桑名の港を出港したのである。九月七日のことだった。


 ちなみにこの時の九鬼嘉隆率いる織田水軍の全容といえば、全て合わせて八十艘ほどの船である。安宅船は地之果丸一艘、四十挺艪の関船が二艘、小早船が十四艘ほどにして、後はすべて漁船だった。武者は合わせて五百人ほど、その中に滝川一益から借りた兵が、百人ほど混ざっている。水主は八十人ほどである。
 水軍として申し分ないが、だが果たしてまことに戦に勝てるのか? 嘉隆は一夜眠れずに過ごした。
 しかし配下の将兵達は違った。大事な合戦を前にしながら、船中で大酒を飲み泥酔し、軍規などあってなきようなものだった。所詮、出自が海賊に等しい者達である。厳しい規律を徹底するにも限度があった。金剛九兵衛や滝川市郎兵衛達でさえ、その体たらくであった。
「お前達、そんなに酔っていて、本当に戦になるのか?」
 さすがに嘉隆がたまりかねて、厳しい言葉をかけた。
「なに心配することはない。今の俺達の軍船の数や威容を目の当たりにすれば、敵なんざ戦わずに降伏するに決まっている」
 と、金剛九兵衛は取り合う様子すらなかった。
 
 
 
   翌日の昼頃、嘉隆の船団の前に目指す大淀城が迫ってきた(画像・大淀城に迫る嘉隆の水軍)大淀城は、北畠具教の晩年の隠居城として建造された城といわれ、眼下に伊勢湾をのぞむ絶景の地にあった。嘉隆はただちに全船団の帆をおろし櫓走に切り替える。嘉隆率いる織田水軍の真価が問われる時が来たのである。
 だが、やはり実際の海戦は甘くはなかった。北畠勢の死にもの狂いの抵抗もさることながら、嘉隆の最大の誤算は、滝川一益から借りた兵士達が、ほとんど使い物にならなかったことである。彼等は揺れる船の上での戦に慣れておらず、弓矢を放っても敵に当たらなかった。いやそれ以前に、彼等の多くはひどい船酔いをおこし、戦闘ができる状態ですらなかった。
 嘉隆は強行に上陸を試みるも、陸の上では今度は嘉隆配下の将兵達が、まさしく丘の上の河童だった。精強な北畠武士に太刀打ちできなかったのである。
 二日、三日と時が空しく過ぎ、武器・弾薬だけがどんどん減っていった。


「市郎兵衛、例の大鉄砲は使えぬか?」
 開戦四日目、嘉隆はついに業を煮やし、市郎兵衛にたずねた。
「大鉄砲でござるか? あれはまだ試作の段階で実戦で使えるか否か」
「構わぬ、ならばなおさらのこと、ここで試してみるがよかろう」
 大鉄砲は銃身ざっと五尺五寸はある。台を含めれば七尺、弾丸は三十匆玉である。通常の火縄銃ならおよそ三尺、六匆玉である。重くて一人では扱えないので、二人がかりで弾込めや発射を行わざるをえないほどの代物である。


「なにやら、敵の様子がおかしゅうござるな。この数日、必ず夜明けとともに攻撃を仕掛けてきたというに、今日はまだ動きらしい動きがない」 
 九月十一日の明け方、海上に浮かぶ北畠勢の船団の側では、敵になにやら策ありと警戒を強めていた。その時だった。突如として敵の船の方角から太鼓の音が響いてきた。さては攻撃開始の合図かと思い、北畠勢に緊張が走った次の瞬間の出来事だった。
 海上に、今まで聞いたこともないような鈍い衝撃音が響き、一時の間だけ北畠勢に静寂がおきた。やがてなにやら得体のしれぬ物体が、味方の船団めがけて飛来してきた。それを眼前で目撃した小早船の水主は、得たいの知れぬ物体の着弾の際の衝撃で、そのまま海めがけて放り出された。多くの水主や兵士達が同様の運命にみまわれた。
 はたして大鉄砲の威力は想像を絶するものだった。あっという間に、敵方の小早が一艘、粉々になり海に消えていく。
『やったぞ! これが大鉄砲の威力だ!』
 その光景を目の当たりにし、九鬼嘉隆と配下の兵士等から大歓声がおこった。一方、北畠勢は瞬時のうちに沈黙した。恐怖ともなんともいいようのない感覚が全軍をおしつつんだ。
 続いて二発目、三発目、敵の船はおろか大淀城の櫓までもが破損し崩れていく。


「よし今こそ船団を旋回させよ。敵は動揺している。敵の船に肉薄し、ありったけの火縄銃を浴びせてやる」
 敵の混乱を見てとった嘉隆は、船団で敵を包囲するかのごとくし、鉄砲を大量にあびせた。そして機を見て嘉隆自身は、安宅船から漁船に乗り移り浜に上陸する。多くの将兵が嘉隆に続いた。
 嘉隆は上陸と同時に、浜に巨大な『九』の字の旗を押し立てた。
「よいか皆よう聞け! 九は十に満たぬ最高の数字である。満ちぬがため、常に前進する宿命を背負っておる。鬼はすなわち、前進する者の気概を意味している。皆、我に続け! 今日こそ鬼となれ!」
  かくして嘉隆に率いられた九鬼勢は、前進する鬼と化した。昨日までの陸での戦い方を知らぬが如き有様とは異なる、決死の闘志のありように北畠勢もまた動揺する。しかし軍の先頭で敵をなぎ倒す嘉隆は、やはり一軍の将として突出しすぎた。


「主、危のうござる。退いてくだされ」
 滝川市郎兵衛の言葉も、嘉隆には聞こえないも同然だった。そして悲劇はおこった。
「伝令、船より伝令でござる」
 九鬼家の七曜の旗を背に差した騎馬武者が一騎近づいてくる。市郎兵衛は、この武者になにかよからぬものを感じた。果たして武者は、味方を偽った敵の回し者だった。矢の射程距離まで迫ると、騎乗したまま弓を引いた。
「危ない!」
 振り返った嘉隆の前で、嘉隆の代わりに市郎兵衛が矢を右の胸に受け、そのまま昏倒した。
「己! 狼藉者!」
 刺客はその場で斬殺されたが、市郎兵衛はすでに顔面が蒼白だった。
「しっかりしろ! 市郎兵衛!」
「殿……。生きてくだされそれがしの分まで」
 と、一言いうと市郎兵衛は意識を失った。
「誰か! 市郎兵衛を早く船に連れていけ!」
 嘉隆は絶叫した。どうしても市郎兵衛を死なせたくなかった。
 

 だが嘉隆は、戦闘を中止するわけにはいかなかった。生死定かならぬ市郎兵衛のためにも、この合戦どうしても勝ちたかった。そして正午頃、大淀城はついに陥落した。敵将安西昌綱は自害し、七曜の旗が城に颯爽とひるがえる。勝ち鬨が七度までも響きわたった。嘉隆は、己が船大将として成長していくという手ごたえをしっかりとつかんだ。しかし払った代償はあまりに大きかった。
「市郎兵衛しっかりせい、勝ったのだ! 俺達は勝ったのだ!」
 戦の後、安宅船の船中で嘉隆は、重体の市郎兵衛の手をしっかり握っていった。
「わしはそなたには、二度までも命救われた。そなたがいればこそ、わしは今日までこれたのだ」
「いや礼をいわねばならぬのはわしのほうだ。わしのほうこそ、あの時は殿に命救われた。仕える主が殿のような方で、わしは幸運であった」
 市郎兵衛は力なくいった。
「市郎兵衛あきらめるな! 唐・天竺まで共に行くと約束したではないか。いやこの世は広い。信長様は申しておった。天竺の先には南蛮があり、その先にもあらたなる土地があると。ともに行こう天竺よりはるか遠い世界へ、死ぬなよ、死ぬなよ」
 嘉隆は泣いていた。そして市郎兵衛のために祈った。
「殿が……地の果てへ赴くとき、それがしも共に……」
 それが市郎兵衛の最後の言葉だった。結局、嘉隆の祈りは通じなかったのである。滝川市郎兵衛は二十五歳だった。


(二)
 

 嘉隆には、市郎兵衛の死を悲しんでいる余裕さえなかった。大河内城への補給を断つべく、嘉隆はさらに落とさねばならぬ城があった。松ヶ島城である。
 松ヶ島城は、伊勢神宮への参宮古道沿いにあって伊勢湾に面し、ちょうど海陸の要衝にある。現在城址には「天守山」と呼ばれる小高い丘があるだけで、ここに石碑と案内板が建てられている。
「恐れながら、敵船が見えまするぞ。あれは小浜民部の旗ではござらぬか」
 金剛九兵衛のいうとおり、それはまぎれもなく小浜家の軍旗であった。しかし数が多すぎる。恐らく嘉隆率いる織田水軍の三倍の船の数はありそうである。
「ただちに大鉄砲を用意せよ。奴とは、いつか戦いたいと思っていたのだ」
「それが前の大淀城の戦いで、あらかた弾薬は使いはたしてしまったとのこと」
「なんだと? ならばただちに全軍に合図を出せ。車懸かりの陣形を敷き、敵を粉砕する」
「いずれにせよ、敵の数が多すぎまするぞ。ここは一つ相手の出方を見たほうがよいかと」
 さしもの金剛九兵衛も、やや消極的な作戦を口にした。
「いや見たところ敵の船は、そのほとんどが小早と漁船のみ、船を接近させ肉薄させれば必ず勝てる」

 
 かくして太鼓の合図とともに、嘉隆の織田水軍は海上に鮮やかな車懸かりの陣を敷いた。それに対抗するかのように小浜民部の水軍は鶴翼の陣形をしいた。
 やがて両軍の間で激しい矢の打ち合いが始まった。しかし信じられないことがおこった。小浜民部の水軍が放つ矢は、見事、的確に嘉隆揮下の兵士達を射抜いてゆくのに、嘉隆の水軍の放った矢は、敵の船に当たったかと思うと、そのまま影に矢を放つようにすりぬけてしまった。
「うむ、これはなんらかの妖術に違いない。よし例の鏡を持て」
   嘉隆は、この海戦に先立ち、久方ぶりに夢で篠と語りあった。
『この近くに桑名宗社へおこし下さい。そこに巨大な鏡が置いてあります。その鏡は、必ずや戦で役に立つことでしょう』
 はたして桑名宗社へ赴いてみると、問題の鏡は祭壇の前にあった。
 嘉隆は、篠から託された鏡にかぶせられた布をはがした。すると信じられないほど強い光が、周囲を照らした。その光と同時に敵の兵船がどんどん消えていった。鶴の翼も三分の一ほどに縮んでしまった。そして嘉隆は、鶴翼の中央の関船の舳先に、口に巻物をくわえた女が肩膝をつき、呪文を唱えている様を目の当たりにする。


「お前は麻鳥、生きておったか」
「己、私の術をやぶるとは!」
 今度は麻鳥は口笛を鳴らし、そして天に向かって人差し指を突きあげた。すると天が黒くなるほどの烏の群れが出現し、一斉に嘉隆配下の水軍の水主に襲いかかった。
「水主には目隠しをさせよ。鳥獣は火に弱い。ありったけの火矢を天に向かって放て!」
 嘉隆の指示は的確で、烏の群れもいつのまにか消滅し、嘉隆の水軍はまたしても危機を脱した。
「ならばこれならどうだ!」
 麻鳥が呪文を唱えると、突如として巨大な水柱が上がった。それによって小早一艘と漁船数艘が沈没した。
「もう我慢ならん! あの女一人のために!」
 ついに嘉隆は火縄銃を構え、麻鳥めがけて狙いを合わせた。
「九鬼嘉隆、お前に私が撃てるのか? 撃てるものなら撃ってみるがよい」
 と麻鳥が挑発した。
「己! 今度という今度こそは、我が兄と妻の仇とらせてもらうぞ!」
 嘉隆はついに銃の引き金を引いた。衝撃音とともに鮮血が見てとれた。麻鳥は短いうめき声の後、そのまま海へ転落した。


「今ぞ! 邪魔者は消えた。全軍突撃せよ!」
 ただちに決戦の合図を告げる押太鼓が響きわたり、車懸かりの陣形の嘉隆配下の水軍は、数でははるかに劣る小浜民部の水軍に攻めかかった。そしてさして苦もなく、旗指物を大量に並べた敵の大将船とおぼしき船を包囲した。
「恐れながら、あっけないにもほどがありまするぞ。もしや何かの罠では?」
 さすがに、嘉隆のかたわらの金剛九兵衛が疑念をもった。
「何をいうか! あれに見えるが大将船だ。今こそ小浜民部の首討ち取ってくれん」
 血気にはやる嘉隆に、九兵衛の忠告など耳に入らなかった。橋げたが嘉隆の安宅船と、敵将船とおぼしき関船との間にかけられ、嘉隆が先頭をきってわずかな兵とともに乗りこんでゆく。しかしほどなく嘉隆は、火薬の臭いを察した。瞬時にして背筋が凍てつくほどの身の危険を感じた。
「いかん! 皆退け! 退くのだ!」
 背後から迫ってくる兵士達に、嘉隆は狂ったかのような声をあげた。しかしもう遅かった。どこからともなく火矢が数本飛来してきた。
「ははは! かかったな九鬼嘉隆」
 女の声だった。たちまち嘉隆を乗せた船は大炎上し、嘉隆はわずかな兵とともに、炎の中にとり残された。大将船とおぼしき船は、実は火薬を大量に積んだ、敵をおびきよせるためのおとり船だったのである。
 

 金剛九兵衛等が救助を試みようとしたが、火の回りが早くどうすることもできない。嘉隆が気がつくと、敵の小早船が見えた。そして先程、海の藻屑と消えたはずの麻鳥が立っていた。そしてそこからはるかに距離をおいて、別な小早にあの小浜民部の姿もあった。
「嘉隆、今度こそ覚悟しろ」
 麻鳥は火縄銃に着火した。
「己、小浜民部!」
 灼熱の炎の中、嘉隆は麻鳥に目もくれず、小浜民部のほうめがけて弓を引いた。しかし矢はわずかに外れ、民部の右の肩をかすめ、服を裂いただけに終わった。さしもの嘉隆も、今一度矢を放つ気力は残っていなかった。
 麻鳥は銃の引き金に手をかけた、殺気が両眼にうかんでいた。嘉隆が観念したその次の瞬間、信じられないことがおこった。麻鳥は突如として銃口を小浜民部の方角に向け、銃を発射したのである。小浜民部は、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。


「気でも違ったか麻鳥。それともお前やはり嘉隆に……」
「勘違いするな。私は嘉隆に惚れてなどいない。嘉隆はじきに死ぬ。なれどお前にも死んでもらわなければならない」
「なんだと?」
「お前は私の愛した男ではない。その証拠に、いつか私がお前の右の肩につけたはずの傷がない」(志摩騒乱編・くの一麻鳥の罠参照)
「恐らく私が愛した男は、お前の影武者。ここまで似ているということは、双子の兄と弟といったところであろう。以前お前に、いやお前の弟に斬られた時から怪しいと思っていた。ときおりなにかがおかしいとも思っていたが、二人で私の体を慰み者にしていたとはな。女として決して許せん!」
 麻鳥はあくまで冷静に喋ろうとしたが、やはり興奮のせいか声が震えた。
「己! この期に及んで! なんと愚かな女であることよ……」
 小浜民部は立ち上がろうとしたが大量に血を吐き、結局、そのまま死出の旅路へ赴いた。その光景を見とどけながら、麻鳥は海の底深くへと潜り、そのままいずこかへ姿を消してしまった。
 
 
 一方、嘉隆は紅蓮の炎の中で脱出できず、やがて意識が遠のいてゆく……。
「嘉隆様、嘉隆様」
  己を呼ぶ声で、嘉隆は目を覚ました。己は死んだのか? それとも生きているのか? それさえもわからない。目の前に川がある。
「そうか、これが有名な三途の川か……。やはり俺は死んだのだ」
「嘉隆様、あなたはまだ死んではおりません。いえ、まだ死んではいけないのです」
 聞き覚えのある声だった。
「もしやおまえは篠なのか? いや、わしは死んでもかまわん。今一度お前と会えるなら」
 嘉隆は大声で叫んだ。
「いえ、貴方は生きねばならぬのです。生きてください」
 声がだんだん遠のいてゆく。


「篠! 待ってくれ篠!」
 嘉隆はようやく目を覚ました。目の前に金剛九兵衛はじめ重臣達の顔があった。
「よかった! 殿がようやく目を覚ましたぞ!」
 嘉隆はしばし己がおかれていた状況を思いだせなかったが、おいおい自分が戦の最中だったこと、敵の罠にかかり深手を負ったことなどを思いだした。恐らくここは船の中であろう。
「わしは、まだ生きておるのか? 城は? 松ヶ島城はどうなった」
「心配いたさずとも、松ヶ島城はすでに我等の手に中でござる。戦は大勝利でござる」
「そうか、それはよかった。なれどわしは何故まだ生きておるのだ? 確かに死んだものとばかり思っていたが……」
 いや、我等もさすがに殿は死んだものとばかり思って、あきらめておりました。なれど、戦が一段落して、殿が砂浜に倒れておるのを足軽の一人が発見いたしました。なぜあのような場所に倒れていたのか? しかも驚くべきことに、傷一つ負ってはおりませなんだ。まさに殿におかれては、神仏の加護でもあるとしかいいようがござらぬ。
「神仏の加護か……」
 嘉隆は遠い目をした。
   
 
   一方、大河内城では、いまだ織田勢と北畠勢が激戦を展開していた。しかし九鬼嘉隆等の活躍により、城への補給路は完全に断たれた。いまや天険の要塞・大河内城の落城は目前に迫っていたのである。
 

 
 
 
 

 

 

 

 
 
 
 

 

 
 








 



 


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