残影の艦隊特別編・伊庭八郎伝~岩を裂く剣

谷鋭二

文字の大きさ
上 下
3 / 6

沖田総司の恋

しおりを挟む
 元治元年(一八六四)、伊庭八郎は十四代将軍家茂に従い京へ赴くことになる。その際に新陰流、北辰一刀流など他の流派の剣客達と共に将軍警護のための奥詰衆の一人となった。二十歳の八郎にとり実に名誉な役割であった。
  八郎は筆まめで、京都の風景や四季おりおりの自然を克明に日記に残している。
「元治元年二月八日:愛宕山に参詣に行った。朝五つ時頃(午前八時)宿を出て、御室仁和寺、嵯峨野の釈迦如来に参詣。愛宕山に登り清滝で一休みした。天気の時は丹波亀山が見えるということだが、今日は雨なので見えなかった」

「同三月八日:嵐山に見物にいった。大秦明神へ参詣した。この社は桜が多い。大悲閣へ参詣した。虚空蔵へ参詣した。山のふもとで昼食。渡月橋は景色がよかった」
 
 当時京都は動乱の渦中にあったが、八郎は国士や志士をきどるわけでもなく実にほのぼのとしている。中には、虫歯が痛むので道場での剣術稽古を休んだなどという記録もある。後年の壮絶極まりない戦いの半生を思えば、不思議としかいいようのない八郎の姿がそこにあった。
 八郎が京都嵯峨の茶屋・峰屋で、旧友の沖田総司と久々に再会したのは文久三年の五月のことである。いよいよ京都の盆地特有の異様な夏の暑さが本格化しようかという頃のことだった。
 久々に会った沖田は、相変わらずまだあどけない顔をしているが、ただ眼光だけが以前と比べ強い殺気を放っているように思えた。それは幾度が人を斬った者だけがもつ異様な光といってよかった。八郎はふと、いつか試衛館に出稽古に赴き沖田と立ちあった時のことを思いだしていた。

 あの時は……たしか八郎は刀を正眼に構えた。
 一方の沖田は刀をやや右に開いて、刀を内側に向けた正しい正眼の構えをとる。八郎は鶴一足といわれる心形刀流独特の爪先立ちに近い足の動きから、一気に勝負を決すべく仕掛けた。その予想よりはるかに速い動きに、さしもの沖田もやや虚をつかれた。気がついた時には喉元に八郎の竹刀の先端が、烈風のようにせまっていた。これを間一髪でかわした沖田は、わずかに竹刀をひいて、これを迫ってくる八郎の脳天のあるあたりにぶん回した。これを八郎が身をかがめてやはり間一発でかわす。
 八郎は両小手、面と打ちこむもやはり剣の腕では沖田のほうが勝っていた。すべて想定のうちだったのである。横胴を払うも沖田は片膝をついた姿勢でこれをも防御した。
 両者はほぼ同時に後方に下がり、またしても互いに正眼に構える。その時、沖田の足がかすかによろめいたのを八郎は見逃さなかった。こんどは正眼から下段に構え胴を狙いにゆく。これを沖田が三たび凌いだ。右足を引いて流し、左足を引いて流し、再び右足を引いて流す。そして大きく後ろへ竹刀をひいた。これで八郎は前のめりの姿勢になった。次の瞬間沖田の右中段からの胴が深々と八郎の脇に入った。


「八郎さん、どうかしましたか?」
 しばし往時を思いだしていた八郎は、総司の声で我にかえった。両者の間にしばし沈黙があり、渓流の音だけが周囲に響いた。
 八郎は虫歯になるほどたいへんな甘党で菓子ばかり食っていたが、総司は鮎の塩漬けを注文した。やがて香魚ともよばれる良い香りの鮎が運ばれてきた。
 日本人と鮎の関係は古来までさかのぼる。通常、この川魚は塩漬けにする。しかし江戸初期に刊行された「料理物語」には、鱠、汁、刺し身、すし、焼きて、かまぼこなどの調理方法が記載されている。
 総司は鮎を頭からバリバリと食った。その有様は八郎には到底育ちがいいようには見えなかった。
「まだ子供なのだ」
 と八郎には、この剣客がおかしくおもえた。ところが食べ終わったとたん総司の様子が一変する。先ほどまでとはうって変わり、表情が暗い影をおびはじめたのである。
「八郎さんは知っていますか? 鮎はたったの一年しか生きられないそうですよ」
 八郎は総司が何をいわんとしているのかわからず、しばしいぶかしんだ。
「この都では鮎はおもに保津川や桂川でとれると聞いています。鮎の稚魚は海に下って冬をこし、春になって川を遡ってくるそうですよ。稚魚の時は生臭みがあり、それを味噌漬けにして食べる人もいるといいます。秋の彼岸ころに川の下流に下り、河口近くの浅瀬に産卵して死んでしまうそうです」
 そこで総司は一つため息をついた。
「時に八郎さんは恋をしたことがありますか?」
「は?」
 八郎は京の空を見上げ、爽やかな表情で自らの恋物語を語りはじめた。

 総司はその娘篠と、今いる場所で必ず末尾に「八」のつく日に逢引をしていたという。
 篠は医者の娘である。父は半囲玄節という蘭方医で、かって緒方洪庵の適塾で学んだという。総司は文久三年末頃から咳が止まらず微熱が続くことが多くなり、人のすすめでこの玄節の診療をうけたのが篠と総司の縁だった。この時総司は二十一歳、一方の篠はまだ十六歳だった。両者にとり、まさに青春のひと時といっていいうららかな恋だった。
 
 ところがこの恋をぶち壊しにする者がいた。総司の兄貴分の近藤と土方だった。
「最近総司の奴の様子がおかしい?」
 歳三はこっそり総司を尾行し、篠の存在をつきとめた。すぐに近藤に事を報告する。
「そうか、そんなにいい仲なのか? あいつも年ごろだし、ここは一つ俺たちで仲を取りもってやろうか」
 近藤は、新選組の情報網を駆使して篠の実家の蘭方医をつきとめた。そしてなんと近藤自ら篠を沖田の嫁にほしいと挨拶に出向いたのであった。むろん沖田はそのことをまだ知らない。余計なお世話といっても過言ではない。しかも総司にとっての不幸は、この半囲玄節なる蘭方医は京都・西本願寺の侍医も兼ねていたことだった。
 本願寺といえば戦国の頃、かの織田信長との間の十年にわたる石山合戦で有名である。その時、毛利家は食料や物資を輸送するなどし、あらゆる形で本願寺を支援した。そのため三百年たったこの時代でも本願寺は長州ひいきだった。事実、長州派の志士を密かにかくまうなどし、彼らの尊王攘夷運動を影から支援していた。
 長州の味方ということは、当然のことながら新選組にとり敵である。その「敵」が、何をしにきたのかと、それだけでも玄節はいぶかしんだ。しかし話の内容はさらに驚くべきものだった。娘を新選組の若い隊士の嫁にくれというのである。
 玄節は驚愕した。時おり診療する沖田総司という若者を、玄節はただの人のよい若侍としかおもっていなかった。まして娘といい仲であるなど寝耳に水である。当然交渉はうまくゆかない。近藤はついには半ば殺気をうかべて脅し口調にもなるも、玄節もまた肝が座っていた。
「よいですか。例えあなたが私に人を百人殺せといわっしゃったところで、私にはそれはできません。なぜなら殺すまいと思っていても、人を一人たりとも殺してしまう者は、前世から、あれいは先祖からの宿業の深い背景があるからです。長州がどうとか、幕府がどうとかいう以前に、そのような業を背負った者に、医者として大事な娘をやるわけにはゆきまへん」
 と玄節は親鸞聖人の言葉をも引用し、恐ろしい顔でいった。近藤ほど血の修羅場をくぐってきた者でも、しばし恐れた。
 交渉は不成立に終わった。近藤はこの事態をどうしても沖田に告げることができなかった。しかし玄節がこの縁談を断った理由は他にもあったのである。

 そうこうするうちに、また末尾が「八」の日時がやってきた。総司は茶を飲みながらいつものように篠が現れるのを待っていた。果たして篠がきた。心なしか悲しげな顔をしている。
 総司は篠に背後からやさしく抱きついた。その時、篠から思いもかけない言葉がかえってきた。
「沖田はん。どうしてももう一度会いたいからここに来たけど、今日でお別れやね」
「別れとは?」
 篠は振り返った。
「近藤さんや、土方さんから何も聞いておらんのどすか?」
 思いもかけない名前に総司はしばし茫然とした。自分が新選組であることを総司は隠してきた。それを篠が知っている。それだけでも総司には衝撃だった。
「うちは沖田はんのこと、心の底から好きなんよ。でも、でも父が総司はんとは縁を切れと……。じかに会ってきっぱり縁を切れと! 医者として、うちが人斬りと付き合うことは許せへんて……」
 篠は涙声になっていた。しかし沖田が受けた心の傷はそれ以上に深刻だった。沖田が口を大きく開けて放心状態の間に、篠は沖田に背を向けてどんどん遠のいていく。そして篠は再び振りむいた。この時、篠がいったことはさらに沖田の運命を左右するものだった。
「沖田はん、これだけはいわせて。父から口どめされていたけど、沖田はん結核なんよ。お願い、後生だから、沖田はん……死なないで」
 これが篠の最後の言葉だった。

 それっきり総司は篠と会っていないという。八郎もまた衝撃を受けた。なにせ当時結核は治療がきわめて難しい死の病なのである。しかし当の総司は相変わらず爽やかな表情をうかべている。何事かを悟ったかのようにその表情は澄みきっていた。
「自分がどんな業を背負った人間なのか、自分はまだ若いし正直わかりません。でもそれがどんな因縁によるものだろうと、自分には剣しかないんです。必要とあらば人を斬るしかないんです」
 そういいきった沖田の表情は晴れやかであるが、どこか悲しみをたたえているように八郎には思えた。ちなみにある新選組隊士は生前の沖田に印象についてこう語っている。

「沖田の奴は、いつも冗談ばかりいっていて、実に明るく和やかな奴でした」

 




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二
歴史・時代
この物語の舞台は主に幕末・維新の頃の日本です。物語の主人公榎本武揚は、幕末動乱のさなかにはるばるオランダに渡り、最高の技術、最高のスキル、最高の知識を手にいれ日本に戻ってきます。 しかし榎本がオランダにいる間に幕府の権威は完全に失墜し、やがて大政奉還、鳥羽・伏見の戦いをへて幕府は瓦解します。自然幕臣榎本武揚は行き場を失い、未来は絶望的となります。 榎本は新たな己の居場所を蝦夷(北海道)に見出し、同じく行き場を失った多くの幕臣とともに、蝦夷を開拓し新たなフロンティアを築くという壮大な夢を描きます。しかしやがてはその蝦夷にも薩長の魔の手がのびてくるわけです。 この物語では榎本武揚なる人物が最北に地にいかなる夢を見たか追いかけると同時に、世に言う箱館戦争の後、罪を許された榎本のその後の人生にも光を当ててみたいと思っている次第であります。

海将・九鬼嘉隆の戦略

谷鋭二
歴史・時代
織田水軍にその人ありといわれた九鬼嘉隆の生涯です。あまり語られることのない、海の戦国史を語っていきたいと思います。

化猫恋物語

句外
歴史・時代
時は江戸。妖怪たちの隠れ里に住む八末(やすえ)は、かつて人間に虐げられ右目を失った化け猫だった。 そんな彼女だが、ひょんなことから人間たちの住む町に行くこととなる。 たった一夜の娯楽のためのはずだった。しかし、八末はそこで矢助(やすけ)と呼ばれる、左目の無い男に一目惚れをしたのだ。 妖怪と人間。誰もが無茶だと思った恋は、今始まりの音を告げる――。

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~

水葉
歴史・時代
 江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく  三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中 「ほんま相変わらず真面目やなぁ」 「そういう与平、お前は怠けすぎだ」 (やれやれ、また始まったよ……)  また二人と一匹の日常が始まる

黒の敵娼~あいかた

オボロ・ツキーヨ
歴史・時代
己の色を求めてさまよう旅路。 土方歳三と行く武州多摩。

戦国九州三国志

谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。

地縛霊に憑りつかれた武士(もののふ))【備中高松城攻め奇譚】

野松 彦秋
歴史・時代
1575年、備中の国にて戦国大名の一族が滅亡しようとしていた。 一族郎党が覚悟を決め、最期の時を迎えようとしていた時に、鶴姫はひとり甲冑を着て槍を持ち、敵毛利軍へ独り突撃をかけようとする。老臣より、『女が戦に出れば成仏できない。』と諫められたが、彼女は聞かず、部屋を後にする。 生を終えた筈の彼女が、仏の情けか、はたまた、罰か、成仏できず、戦国の世を駆け巡る。 優しき男達との交流の末、彼女が新しい居場所をみつけるまでの日々を描く。

処理中です...