12 / 15
12
しおりを挟む
午後は公務がないようなので、ミレは食事を終えたあと、聖書をぱらぱらとめくってみた。目次は旧約と新約の二編で構成されていて、旧約の初版が不明なのに対し、新約はまだ五十年ほど前に作られたばかりのようだった。
旧約聖書は、原語と訳語の二つが併記されていたが、原語はみみずが這ったような文字で、どこが単語の区切りなのかも分からない。訳語には太陽神がもたらした人類繁栄の歴史のほか、太陽神と人間の王が言葉を交わし、恋に落ちた伝承が記されていた。描かれた太陽神は感情豊かで、親近感がわき、まるで孤児院の絵本のように瞬く間に読んでしまった。
ページをめくる手が遅くなったのは新約聖書に入ってからだ。見慣れた文字に安心したのもつかの間、太陽神は突然、おそろしい一面をあらわにする。笑えば飢饉が起こり、泣けば人が死に、国土は二回、焼け野原に変わったと記されている。同じ神の所業なんてにわかに信じがたかったが、神とは人知を超えた存在だから、受け入れるしかないのかもしれない。理不尽な変化に頭を抱えながら、一行ずつ読み進めていると、扉がノックされ、ミレは急いで眉間の皺を消した。
「あんたの婚約者が呼んでいるらしいが、客間に移動するか?」
気づけば、床に伸びる自身の影が、ずいぶん長くなっていた。やってきた運び屋は、相変わらずの悪人顔だったが、昼に見たときより髪が乱れて、少しだけ若返って見えた。鼻の頭が赤らんでいて、どうしたんだろうと思っていると、節ばった指が聖書に伸びて、その上にブリキの楕円を置いていった。ミレはぽかんと口を開けたまま、楕円と運び屋を交互に見た。少し形が潰れているが、なくしたはずの、おもちゃの指輪だった。
「なんで……? 昨日諦めろって言ってたのに」
「夜に探すのは無理だろうが。日が出たから拾ってきただけだ、いらないなら捨てていい」
ミレは、赤鼻を穴が開くほど見つめた。孤児院から王城までの果てしない道を、これだけのために、辿って探してくれたのだろうか。
胸がくすぐったくて、じんわり温かくなるが、同時に苦い思い出がよみがえるから、何を言えばいいのか分からなくなる。口を開くが、言葉にならなくて、水の中でもないのに溺れそうになる。
「移動するのか?」
ミレが逡巡するうちに、運び屋は指輪への関心をなくし、最初の質問に戻ってしまう。ミレは何の話だっけと記憶を辿りながら、指輪を鎖に通して首にかける。その動作を頷いたと受け取ったのか、間髪入れず横抱きに持ち上げられ、ミレは慌てて運び屋の首に抱きついた。至近距離で目が合い、頬が勝手に熱くなる。
「びっくりして、反射で」
意図的ではないと言い訳したいのに、悪人顔は最後まで言わせてくれない。
「オレは、あんたが落ちなければ何だっていい」
客間に移動するまでの間、ミレは言いそびれたお礼の代わりに、運び屋に抱きついたままでいた。この腕を通して、名前のつけられないこの気持ちが、届けばいいのにと思った。
旧約聖書は、原語と訳語の二つが併記されていたが、原語はみみずが這ったような文字で、どこが単語の区切りなのかも分からない。訳語には太陽神がもたらした人類繁栄の歴史のほか、太陽神と人間の王が言葉を交わし、恋に落ちた伝承が記されていた。描かれた太陽神は感情豊かで、親近感がわき、まるで孤児院の絵本のように瞬く間に読んでしまった。
ページをめくる手が遅くなったのは新約聖書に入ってからだ。見慣れた文字に安心したのもつかの間、太陽神は突然、おそろしい一面をあらわにする。笑えば飢饉が起こり、泣けば人が死に、国土は二回、焼け野原に変わったと記されている。同じ神の所業なんてにわかに信じがたかったが、神とは人知を超えた存在だから、受け入れるしかないのかもしれない。理不尽な変化に頭を抱えながら、一行ずつ読み進めていると、扉がノックされ、ミレは急いで眉間の皺を消した。
「あんたの婚約者が呼んでいるらしいが、客間に移動するか?」
気づけば、床に伸びる自身の影が、ずいぶん長くなっていた。やってきた運び屋は、相変わらずの悪人顔だったが、昼に見たときより髪が乱れて、少しだけ若返って見えた。鼻の頭が赤らんでいて、どうしたんだろうと思っていると、節ばった指が聖書に伸びて、その上にブリキの楕円を置いていった。ミレはぽかんと口を開けたまま、楕円と運び屋を交互に見た。少し形が潰れているが、なくしたはずの、おもちゃの指輪だった。
「なんで……? 昨日諦めろって言ってたのに」
「夜に探すのは無理だろうが。日が出たから拾ってきただけだ、いらないなら捨てていい」
ミレは、赤鼻を穴が開くほど見つめた。孤児院から王城までの果てしない道を、これだけのために、辿って探してくれたのだろうか。
胸がくすぐったくて、じんわり温かくなるが、同時に苦い思い出がよみがえるから、何を言えばいいのか分からなくなる。口を開くが、言葉にならなくて、水の中でもないのに溺れそうになる。
「移動するのか?」
ミレが逡巡するうちに、運び屋は指輪への関心をなくし、最初の質問に戻ってしまう。ミレは何の話だっけと記憶を辿りながら、指輪を鎖に通して首にかける。その動作を頷いたと受け取ったのか、間髪入れず横抱きに持ち上げられ、ミレは慌てて運び屋の首に抱きついた。至近距離で目が合い、頬が勝手に熱くなる。
「びっくりして、反射で」
意図的ではないと言い訳したいのに、悪人顔は最後まで言わせてくれない。
「オレは、あんたが落ちなければ何だっていい」
客間に移動するまでの間、ミレは言いそびれたお礼の代わりに、運び屋に抱きついたままでいた。この腕を通して、名前のつけられないこの気持ちが、届けばいいのにと思った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
今日は私の結婚式
豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。
彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる