身代わり神子の、失恋のあと

さき

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 この国では、ムカリの館から太陽がのぼる。厚い紺の雲を散らして、夜の王都から輪郭を掘り起こす。あと数時間もすれば、この西端の町にも朝がやってくるはずだ。
 今日が特別なことは、誰の目にも明らかだった。数日前に木枯らしのように舞った新聞の号外を皮切りに、商店街には季節外れのヒマワリが造花で飾り付けられ、朝日に掘り出された屋根には太陽の旗がたなびいている。二十五年ぶりの太陽祭なのだという。まだ住人は寝静まったままでも、鳥は歌いだし、草木は踊りだしている。
 ミレは裏庭の井戸から水をくみ上げ、炊事場に持ち込んだ。ジャガイモの皮を丁寧に剥き、一口大に切ったあと、ニンジンと一緒に炒め、小麦粉をふるったあと、水を加えて煮詰めていく。隣の窯では、小麦粉の固まりが膨れ、卵黄を塗った表面がつややかに焼けている。香ばしいにおいを鼻の奥まで吸い込むと、応じるようにお腹がきゅうと鳴った。
 鍋の火加減を少し強めたくて、ミレは手元にあった「二十五年ぶり」の文字が強調された号外紙をちぎった。大量に刷ったが余ったそうで、新聞社でアルバイトをしている孤児院の年中組の一人が、もらってきたらしい。野菜の包み紙のほか、掃除道具の代わりとしても、院のあちこちで見かけるので、すっかり記事を暗記してしまった。
 この国は、太古から太陽神を祭っている。表立って伝説と事実の境界を論じるのは不敬にあたるが、その末裔がムカリ様で、代々母から娘へ神の力が継承され、今日もムカリ様の力で太陽が上っているのだという。力が強大すぎるためかムカリ様は代々短命なので、子供を産める年齢に達したら速やかに娘を産み、次代へ力を継承することを望まれてきた。太陽祭とは、今代ムカリ様の初潮を祝うお祭りなのだ。
 記事には先代ムカリ様の夫であり、今代ムカリ様の父である国王から太陽祭を迎えられる感謝の言葉が数行と、その何十倍もの新聞社の下馬評が載っていた。世間では数年前から今か今かと待望され、御年十六にして遂にこの日を迎えられたが、実はすでに婿が内定しているとか、いないとか。内定者候補の名前にひっかかるところもあったが、同じく今年十六を迎えたミレにとって、こんな風に初潮を公表されるなんてという同情は絶えない。孤児院の暮らしぶりを考えれば致し方ないが、本当ならこんな記事の新聞はすぐにでも焼き払ってしまいたい。デリカシーのない新聞社への腹立ちをこめて、ちぎった新聞紙を炎の海に投げ入れた。
 鍋に心ばかりの牛乳を加え、塩で味を整えていると、勝手口の方が騒がしくなった。もしかしてとはやる気持ちを抑え、耳をすますと、動物の荒い息遣いが聞こえた気がした。心臓が早鐘をうつ。
 今すぐ走り出したい気持ちを抑え、鍋を火から下ろし、パンを竈から取り出す。割烹着を脱ぎ、太陽色のワンピースの裾を整えると、服の中からネックレスを取り出した。首の位置で一つに結んでいた髪を下ろし、手櫛を通してから、深呼吸して外へ出る。馬の背を撫でる後ろ姿が見えたとき、世界の彩度が高くなった。
「ウィリアム!」
「やあ、……ミレ。久しぶりだね」
 振り向いたウィリアムは、ミレより拳二つほど背が高かった。膝を少し曲げて視線を合わせたあと、透き通るような青の瞳を細めて、彼の柔らかい手がミレの髪を撫でる。
「六ヶ月と十二日ぶりよ。いつもは三ヶ月くらいで来てくれるのに、何かあったんじゃないかって心配しちゃった」
 言いながら、唇が弓を描くのを堪えられない。体中の血液が沸騰し、ぽかぽかしてくる。
「そんなに空いてたのか、心配かけてごめんよ。院長先生にもご挨拶したいんだけど、お元気かな」
「ええ。ちょうど朝食ができたから、良かったら一緒にどうかしら」
「ありがとう。みんなの顔が見られると思うと、楽しみだな」
 ウィリアムが白い歯を見せて頷くので、ミレは眩しさに目を細めた。
 半年ぶりのウィリアムは、以前より少し厚手のコートに身を包んでいるためか、たくましくなったように見えた。なんの紋章か分からないけれど、胸のバッチが一つ増え、頬は少し痩せたけれど、丁寧に撫でつけられた金髪は相変わらず王子様然としている。院のそばにある常緑樹に馬をつなぐ間にも、その紋章に気づいた町の人から頭を下げられるのに、ウィリアムは余裕の笑顔を返していた。
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