そこは眷恋の檻

柊あまる

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第一章

再会_02

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 馬車に同乗してここまで一緒に来たラウルは、ずっと不機嫌さを露わにしていた。
 常に冷静で一見してわかりにくい表情の変化も、長年の友人というポジションにいるフレデリクにはハッキリと判別がつく。
 今日は、ラウルの母で侯爵夫人のリュシエンヌが主催するサロンが、郊外にあるヴェルネ侯爵家の別邸で開かれている。
 肝心の夫人が体調を崩して家に引きこもっているとかで、サロンの仕切りは夫人の知人が引き受けていた。だがそれでは参加者に面目が立たないという理由で、今日は息子のラウルが代わりにサロンへと足を運んでいる。
 社交の場が嫌いなラウルは、逆にそれが得意なフレデリクを急遽呼び出し、無理矢理ここへ同伴させたのだ。
 馬車を降り、二人が並んで庭園を歩いていくと、不意にラウルの足が止まった。
 どうしたのかと振り返れば、彼は付き合いの長いフレデリクでも見たことがない表情をしている。
 それは驚きと喜び、そして――
「フレデリク、悪い」
「……何が?」
 ラウルは前を見つめたまま、傍に群がってくる女性たちの間をすり抜けながら言った。
「後を頼む」
(は?)
 フレデリクが呆けている間に、彼はとっとと駆け出した。
「ちょっ、おいラウル!」
 あっという間に姿を消した友人に、フレデリクは心の中で悪態をつく。
 自分はただの同伴者なのに『後を頼む』ってなんだ。こんな大勢の女性の相手を一人でこなせと言うのか? 二人で手分けをするなら相手のしようもあるが……
「サマン公爵さま、今日のお召し物も素敵ですわ」
「ヴェルネ伯爵さまも、サマン公爵さまも、昼間のサロンにお顔を出されるのは珍しいですわね」
 盛んに話しかけてくる女性たちに、フレデリクは仕方なく社交用の人懐っこい笑顔を向ける。
「ラウルに引っぱり出されてね。でもお嬢さん方の可愛らしい昼間のお姿が見られて嬉しいですよ」
 フレデリクの言葉に、女性たちは揃って歓声を上げた。
 一通りお相手をすると満足したのか、彼女たちは次々とラウルのほうを気にしだす。
「ヴェルネ伯爵さまと一緒にいる女性、どなたかご存知?」
「見かけない方だわ」
「でも何だかとても親しげよ」
「サマン公爵さまは、彼女をご存知ですの?」
 そう聞かれて離れた場所にいるラウルへ視線を向けると、確かに彼は見慣れぬ女性と一緒にいた。
 その女性の、遠目にも可憐で美しい姿にしばし見惚れる。
「サマン公爵さま?」
 呼ばれてフレデリクはハッとした。
「いや……知らないね。でも大変可愛らしい人だ」
 正直にそう漏らせば、周囲の女性たちは一様に不満げな顔をした。
「デビューしたばかりかしら」
「どなたも顔を知らないくらいですもの。辺鄙な田舎から出ていらしたのよ、きっと」
 少々意地の悪い憶測も飛び交う。
 フレデリクには彼女の正体に思い当たる節があり、話が白熱する前に釘を刺しておくことにした。
「でもこうして侯爵夫人のサロンにいるわけですし、実際にラウルの知り合いのようです。彼女が何者かは、後で確かめてみましょう」
 皆はそこで素直に黙ると、しばらくしてまた違う話題へと移っていった。

   ***

 先ほどまでエレーヌと座っていた長椅子に、二人で腰掛ける。
 およそ二年ぶりに顔を合わせたラウルとシャルロットは、お互いの姿を眩しげに見つめ合った。
「もうデビューするような年齢になったんだな。最後に会ったときは、まだまだ愛らしさが残っていたのに」
 ラウルの言葉に、シャルロットは目を丸くする。
「私……もう愛らしくない?」
 不安な気持ちを隠さないまま、素直にそう問いかけるシャルロットの顔を見つめて、ラウルは苦笑した。
「見た目はね。愛らしいというより可憐でとても美しくなった。でも中身はどうやら、あの頃と変わってないみたいだね」
 暗に子どもっぽいと指摘されて、シャルロットは不満げに唇を尖らせる。
「それは相手がラウル兄さまだからだわ。つい懐かしくて……。私だってもう、ちゃんと淑女らしく振る舞えるのよ。舞踏会でも沢山ダンスに誘われたんだから」
 シャルロットが言い募ると、ラウルの表情は少しだけ寂しげな笑みに変わった。
「そうだろうね。君が目の前にいたら、僕も迷わずダンスに誘うだろう」
「本当?」
 シャルロットは首を傾げ、大きなトパーズ色の瞳をきらめかせてラウルを見上げる。
「ああ。きっと独占して放さないよ。君のデビュタントドレスが見られなかったのが残念でならない」
 それは、社交界にデビューするときだけ身に着ける真っ白なドレス――
 シャルロットはラウルの言葉が嬉しくて、頬をほんのり赤く染めた。
「私も、本当は一番にラウル兄さまと踊りたかったの。でも……」
 ラウル本人があまり社交を好まないせいで、どうしても外せない催し以外はめったに姿を見せない。そしてラウルが参加する催しはたいてい上級貴族だけが出入りできるもので、シャルロットが出られるものとは格が違うのだ。
 彼女が口にしなかった言葉の続きを、ラウルはきちんと読み取った。
 そして彼はシャルロットの手を取り、そっと握りしめる。
「じゃあ僕がエスコートするから……今度の宮廷舞踏会に一緒に出る?」
「えっ!?」
 シャルロットは驚き、大きな瞳で何度も瞬きを繰り返した。
 それはむしろ、シャルロットのほうが頼みたかったこと。
 本当は今日、伯母のリュシエンヌと会って、それを直接頼んでみようと思っていたのだ。
 伯母が急に体調を崩し、代わりにラウルと会えたことは、シャルロットにとって嬉しい誤算だった。
「本当に? いいの?」
 さっきまでは、ラウルに頼んでもきっと伯母同様、断られるものと思っていた。
「もちろんだよシャルロット。一番初めのダンスを僕と踊って欲しい」
 優しく微笑んでうなずくラウルを見て、シャルロットは満面の笑顔になる。
「嬉しいっ! ありがとう、ラウル兄さま」
 昔のように思いきり甘えて抱きついてしまいたいのを、シャルロットは辛うじて堪えた。
 代わりに握られていた手を、両手でギュッと握り返す。
 ラウルは銀色の前髪からのぞく薄青の目を細めて、眩しげにシャルロットを見つめた。

 その時、不意に背後から声が掛かる。
「ラウル。君たち、ものすごく注目浴びてるけど……自覚ある?」
 二人同時に声のしたほうを振り返ると、背後の大きな木の向こう側から、金色に輝く髪に緑色の瞳をした貴公子――サマン公爵が姿を見せた。
「フレデリク」
 ラウルの声は、明らかに不満げな響きを帯びている。
 一方のフレデリクもまた不満そうに返した。
「邪魔したのは悪いと思ってるよ、ラウル。でも一人であんな大勢のご婦人方を相手にするのは、さすがの俺でもしんどい」
「そうだな。悪かった」
 納得したのか素直に謝ると、ラウルはシャルロットを見て表情を緩めた。
「シャルロット、彼はフレデリクだ。昔何度か話を聞かせたことがあっただろう?」
 シャルロットはうなずき、立ち上がってフレデリクに軽く膝を折る。
「はじめまして、サマン公爵さま。私は……」
「フレデリクでいいよ、シャルロット。君のことも聞いている。ラウルがとても可愛がっている従妹だとね」
 控えめに微笑んだシャルロットを見て、フレデリクはラウルに意味深な目を向けた。
「けどこんなに美しい人だとは聞いてなかった。わざと隠してたろう、ラウル」
 ラウルはつい先ほどまで彼女に対して見せていた優しい顔が嘘みたいに、いつもの冷たい横顔を取り戻していた。
「そんなことはしない。彼女はまだデビューしたばかりだ」
「あれ、もしかして……。この間噂になってたデビュタントって、彼女のことかな?」
 フレデリクの言葉に、シャルロットは首を傾げる。
 噂とは一体何のことだろう――?
「『ミルクティー色の髪にトパーズの瞳』だ。間違いなくシャルロットだろう」
(私――?)
 シャルロットが不安げにラウルを見つめると、彼はまた柔らかい眼差しで微笑んだ。
「心配するようなものじゃないよ、シャルロット。下世話ではあるがね……」
「美しい女性を見かけると、男というのはつい話題にしたくなるのさ」
 二人の言葉に、シャルロットは少し困ったように頬を染めてうつむいた。
 それを見たフレデリクが軽く目を見張ると、すかさずラウルはシャルロットの肩を抱き、自分のほうに引き寄せる。
「ラウル兄さま?」
 頬にラウルの固い胸が当たる。ジレ越しに温もりも伝わってきて、シャルロットの胸は急速に早鐘を打ち始めた。
 フレデリクはラウルの行動にも驚き、ますます目を丸くする。
 この調子では断られそうだと思いながらも、フレデリクはラウルに尋ねてみた。
「ラウル……そろそろ他の女性たちの相手もお願いしたいんだが」
「まだダメだ。フーリエ伯爵夫人から、シャルロットの傍にいるよう頼まれている」
 二人がほんの一時睨み合うのを、シャルロットはラウルの腕に抱かれたまま、息を呑んで見つめる。
 すると、フレデリクは大きなため息を吐いて肩をすくめた。
「わかったよ。じゃあ俺はフーリエ伯爵夫人を探してくる」
 ラウルは微かに口端を持ち上げると、「急がなくていいぞ」と答えた。そしてシャルロットを促し、再び長椅子に並んで腰掛ける。
 フレデリクはそれを横目で見ながら、呆れたように再び肩を落とした。

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