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08.夢の終わり

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 そんな彼女の様子に、少しあきれた様子で、青年は言った。

「そんなに泣くもんじゃないよ。せっかくのかわいい顔が台無しじゃないか。」
 そう言って、青年は懐から取り出した布で、ルディグナの涙でくしゃくしゃになった顔を拭こうとした。

 けれど、ルディグナはその手をなぎ払った。
 すると、支えを失った彼女の体はバランスを崩し、寝台に倒れ込んでしまった。

「ほらほら、あんまり無理しちゃいけないよ」
 まるでルディグナの身を案じているかのような優しい口調で、青年は言った。

 ーーけれど、ルディグナは騙されなかった。

 自分を穢れた身にしたのは、目の前にいる青年に他ならなかったからだ。
 河の神の花嫁にふさわしい、一度も大地を踏みしめたことのない清らかな足の裏を、地面にこすり付けてしまった。

 長年の夢を粉々に打ち砕かれたルディグナは、怒りの炎に身を焼かれるような思いだった。

(これが魔物の仕業でなくして、一体なんだというのだろうか?)

「わたしの幸福を奪ったそなたには、きっと大きな災いが降りかかるであろう」
 ルディグナは、涙をたたえた瞳で、青年をにらみつけながらそう言った。

 この国では、河の神の花嫁の言葉には言霊が宿ると言われていた。
 だからこそ、巫女たちはルディグナの言葉を恐れ、その機嫌を損なわぬようになった丁重に扱って来たのだ。万が一彼女が怒りの言葉を発しようものなら、巫女たちは怯えて許しを乞うのが常だった。
 しかし、青年は少しも動じた様子は見せなかった。

「君は、僕が不幸になるところが見たいのかい?」
 やたらとのんびりした口調で青年は言った。

「見届けてやろうではないか。わたしのこの目で!!」

「でも、それは無理そうだね。私はもうじきここから逃げようと思う。
 君は輿に乗らなくては動けないんだろう? 自分の足で一歩も歩けないような君じゃあ、僕の後を追いかけることなんてできるはずもないじゃないか」

 ーー君には無理だよ。

 言外にそう言われた気がして、ルディグナは挑戦的な口調で言った。
「ならば、這ってでもわたしはそなたの後を追ってみせよう。もはやこの身は穢され、河の神の花嫁にふさわしくない身となってしまった。
 ならば、せめてそなたの苦しみだけでもこの目で見届ける!!」

「穢されたって、そんな大袈裟な!?」
 青年は少しばかり戸惑った様子を見せた。

 けれど、ルディグナはそんなことはおかまいなしに、相手に対して宣戦布告をした。
「忘れるな! わたしはきっとそなたの後を追ってみせるぞ!」

「楽しみにしているよ」

 あっさりとそう答えられ、ルディグナは拍子抜けしてしまった。
 忘れることができないのはその顔だった。

 にっこりと笑ったその顔。
 ひどく堂々としていて、自信にあふれたその笑顔。

 それは人から疎まれ、恐れられるという魔物にふさわしくないとても人の良さそうな笑顔だったので、ルディグナは余計に腹が立った。

 どうしようもない怒りと悲しみで、涙が次から次へとあふれてきて止まらなかった。
 ルディグナの目の前の景色が涙のせいでぐしゃりと歪んだ。

 相手をにらみつけ、もっと怒鳴ってやりたかった。
 しかし、自分の意思とは関係なしに嗚咽がこみ上げ、喉をふさいだ。
 ついに彼女は寝台の上で身を丸めて泣き出してしまった。

 青年は、そんな少女の様子を見ると、そっと近づいて彼女の背をさすりはじめた。

 その手の温かさにほっとしてしまった自分にも、ルディグナは腹が立った。

(魔物なら、もっと魔物らしく振る舞え)
 そう、彼女は怒鳴りたかった。

 けれど、そんな言葉の代わりに喉から出たのは、声にならぬ嗚咽だけだった。
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