アルデリク家の兄弟

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弟の話

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「早く、ほら」

 初めて兄が地下室へ閉じ込められた日、俺はその様子を後ろから眺めていた。朝ごはんを作っていた兄が、パンを焦がしたことが原因で、父が激怒し、彼の二の腕を掴み、殴りかかった。
 いくら俺に暴力の矛先が向かないとはいえ、大柄な男に抵抗できるほど、当時の俺は大人ではなかった。「父さん、やめてよ」と震える声も虚しく、兄は引き摺られ、地下室へ押し込まれた。

「あっ」

 不意に兄が足を滑らせ、階段を転げ落ちた。激しい物音に身を強張らせていると、父が舌打ちをした。兄の呻くような声も聞こえ、全身の血の気が引く。
 父の背中越しに兄の様子を伺った俺は、悲鳴をあげた。
 彼はまるで糸の切れた人形のように地下室の冷たいコンクリートの上に転がっていたのだ。足は変な方向に曲がっていたし、頭から血が出ていた。

「大袈裟だ」

 父が鼻を鳴らし、壁に這ったパイプに、あらかじめ用意してあった手錠を固定する。そこへ兄の左手を拘束し、逃げられないようにした。兄は小さく悲痛な声をあげていたが、父は興味がないのか、そのまま階段を登り地下倉庫の扉を閉めた。
 「父さん、あのままじゃ、兄ちゃんが死んじゃうよ」。震える声を絞り出し、父の服を引っ張った。彼は不機嫌さを瞳に孕ませながらも、実の息子には手を上げられないのか、数秒悩んだあと「死なないさ」と一言漏らした。続けて「早く学校へ行け。アイツが休みだってことは俺から伝えておくから、お前は何も言うなよ」と言い、スクールバッグを渡す。背中を押され、俺は力の入らない足を縺れさせ、家を出た。
 学校へついても、兄のことが頭から離れなかった。あの薄暗い倉庫で、兄が徐々に冷えきり、死んでいく様子を思い浮かべ、指先が震えた。鼻の奥がツンとし、目の前が歪む。
 授業がまともに受けれないほど、俺の心は波立った。学校が終わり次第、急いで帰宅し、車庫に車がないことを確認する。父の仕事が終わるまで、まだ時間がある。俺は家の中へ入り、地下倉庫の扉を開けた。電気をつけると、そこにはぐったりとした兄がいた。俯かせていた顔を起こし、眩い光に目を細めている。

「おと、うさ……」
「俺だ、グランドだよ。兄ちゃん、大丈夫?」

 階段を駆け下り、彼の元へ近づく。額から垂れていた血は固まり、触ればパラパラと地面に落ちた。幸い、命に別状はないらしい。ホッと息を漏らしたが、しかし。足は歪なままだった。

「痛い?」
「へいき。もう、感覚が、まひしてるから、痛くない」

 兄は虚ろとしていて、呂律が回っていない。朝食を食べていない彼は、昨日の夜から何も口にしていないはずだ。どうにか手錠を解いてやろうと試みるが、固くて子供の力じゃどうしようもなかった。

「今、クッキーとお水を持ってくるから」

 まず、彼に何かを与えねばいけないと思った。階段を駆け上り、棚に保管されていたクッキーとミネラルウォーターを手に取る。地下へ入り、兄にそれを与えた。封を開封し、口元へ運ぶ。乾いた唇が切れていて、血が滲んだ。

「ありがとう、ごめんね。めいわくかけて」

 ゆっくりと咀嚼し、嚥下する彼を眺めながら、俺はボロボロと泣いてしまった。泣きたいのはきっと兄の方だ。けれど、俺は自分の情けなさが耐えきれなかった。

「あんなやつ、死んじゃえばいい」

 憎しみを込めて呟く。兄は困ったように笑った。

「そんなこと、言っちゃダメだよ。しんでいい人なんて、いないんだ」

 綺麗事だ、そんなの。世の中、死んだ方がいい人間なんて、無数いる。そう反論できないまま、唇を噛み締めた。

「足、動く?」
「うごくよ。大丈夫。やさしいね、グランドは」

 優しい? どこが? 俺はその言葉を呟けないまま固まった。俺は彼を助けることができない、非力な子供だ。彼が殴られ、虐げられている様を、父の広い背中越しに見ることしかできない卑怯者だ。自分が安全圏にいると自覚しているから、余計に父が憎いと思うし、自分が嫌で堪らない。

「……グランド」
「な、なに?」

 兄が掠れた声で俺の名前を呼ぶ。他に何かして欲しいことがあるのか、と耳を傾けた。

「ぼくのこと、好き?」
「え?」

 予想外のことを聞かれ、拍子抜けする。兄のことは、好きだ。彼は優しいし、穏やかで……俺を本当の弟のように愛してくれる。だから、そんな彼を嫌う道理がない。

「好きだよ、当たり前じゃないか」
「……よかった。そのことばが聞けて」

 ふふ、と小さく微笑み、目を瞑る。そのまま死んでしまうのではないかと思い、俺は慌てて彼の肩を撫でた。

「……お母さんと、お父さんに、きらわれちゃったけど、君だけはぼくを好きでいてくれる。それだけで、すごく幸せだ」

 ポツリと呟いた兄が穏やかに微笑む。思わず、彼の冷えた手をぎゅうと握った。湿った俺の手のひらを、ティエリは嫌がる表情ひとつ見せず、握り返した。
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