アルデリク家の兄弟

中頭かなり

文字の大きさ
上 下
6 / 20

6

しおりを挟む
「お、邪魔、します」

 震える声を絞り出し、不法侵入を試みた。ギシリと軋んだ床の音が、耳鳴りがするほど静かな空間に響く。異様なほど高鳴る心臓が、口から飛び出そうだ。大丈夫、俺はティエリの安否を確認したいだけだ。だから、これは犯罪行為じゃない。「ティエリ?」。彼の名前を呼んでみる。返答はない。部屋中を探し回るが、彼の残り香さえ感じない。
 ────ここを、見ていない。
 部屋を捜索しまわった俺は、ある扉に目が釘付けになった。玄関から入って左にある扉。固く閉ざされていたそこが、薄く開いている。もしかして。俺は急いで扉を開けた。中は、真っ暗だった。倉庫特有の埃っぽさが鼻腔を擽る。「ティエリ?」。名前を呼んでみる。手探りでライトのスイッチを探す。指先に感じた突起を押すと、電気がついた。

「ティエリ!」

 俺は思わず叫んだ。備蓄された食料や、もう使われていない自転車が収納された地下倉庫に、ティエリは居た。壁に這ったパイプに手錠で左手を固定された彼は、ぐったりと顔を俯かせ座り込んでいる。俺の声に反応したのか、緩やかに顔を上げた。
 「あれ……君は……」。掠れた声を溢し、ティエリが無理に微笑む。その顔には大きな痣があり、悲鳴をあげた。階段を急ぎ足で駆け下り、彼の元へ向かう。
 ティエリは不気味なほどに穏やかだった。こんな倉庫に監禁されているにも関わらず、彼は落ち着き払っている。俺は手錠を外すため、手を伸ばした。

「レムシュ、大丈夫だ。気にしないで」
「き、気にしないで……って……」

 ティエリは元々白い顔をさらに白くさせている。カサついた唇は割れていて、血が固まっていた。ぼんやりとした瞳を彷徨わせ、乖離しかけていた意識をなんとか繋ぎ止めている。

「大丈夫、いつものことだから」

 いつものこと。俺はその言葉を身に受け、心臓が跳ねた。こんなことが、いつものこと? 意味が分からず、何も言えないまま固まった。「気にしないで。僕は平気だから」。俺を混乱させまいとしているのか、やけに静かな声でつぶやいた。

「ほ、本当に大丈夫なの? 嘘だろ? こんな状況で?」
「うん、大丈夫。あぁ、そうだ。一つ、お願いをしていいかな?」

 なんでも言ってくれ、と前のめりになる。ティエリはフフと微笑み、手錠で拘束されていない右手をゆっくりと動かす。扉を指差した。

「キッチンの戸棚にある、食べかけのクッキーを一つ持ってきて。一つだけでいいから」

 今にも消えてしまいそうなほど疲れ切った声音が鼓膜を掠め、不安になる。「水は? 水を飲んだ方がいいよ」。俺の言葉に、ティエリが弱々しく首を横に振った。

「大丈夫。飲んだら、漏らしちゃうから。あはは。ね? だから、クッキーだけで良い。お願い」

 グゥ。彼が言葉を発したと同時に、腹が鳴った。俺は頷き、駆け足で階段を上がる。キッチンへ向かい、戸棚を開いた。隅々まで探し回り、ようやく箱を見つける。食べかけのバタークッキーが中に入っていて、湿気で柔らかくなっていた。一つで良いのだろうか? と思案し、けれど彼に言われた通り一つを摘んだ。

「ありがとう」

 ティエリの元に急いで帰り、彼の口元にクッキーを押し付けた。狐色のそれを喰み、咀嚼した彼が苦しそうに嚥下する。喉がカラカラに乾いているから、飲み込みにくいのだろう。俺はその薄い背中を摩った。

「弟に、こんなことをされたの?」

 震える声が倉庫内に響く。ティエリが否定も肯定もしない表情を浮かべた。

「母さんを呼んでくる。この程度の手錠なら、壊せるペンチが家にあるはずだ」

 立ち上がった俺の服を、ティエリが掴んだ。

「本当に平気だよ、いつものことなんだ。だから心配しないで」

 瞬間、外から車のエンジン音が聞こえた。二人の間に流れていた空気が一気に凍る。「早く出ていって」。ティエリが鋭い声を上げる。衝動的に体を起こし、踵を返した。

「君まで巻き込みたくない。ほら、早く」

 振り返るとティエリが微笑んでいた。じゃあね、と手を振る彼に後ろ髪を引かれながら階段を駆け上がる。扉をゆっくりと閉め、裏口に向かった。同時に、玄関が開く音が聞こえる。静かに家から抜け出し、自宅まで全速力で走る。

「どうしたのよ、あんた」

 家の中に入り、扉を閉める。全身に汗を滲ませ、呼吸を乱す俺を見て、ちょうど玄関先にいた母が目を見開いた。驚いた表情を浮かべた彼女を見て、一気に安堵感が押し寄せた。その場に倒れそうになり、母に抱きつく。「何よ、甘えて」と何処か嬉しそうな声を上げた。
 脳裏に、あの光景が浮かぶ。手錠で拘束されたティエリ。本当に助けなくて良かったのだろうか、と後悔の念が俺を襲う。母に縋った手に力が籠る。きっと、俺が踏み込んでは行けない領域だったのだ。そう自分に言い聞かせる。

「暖かいココアでも飲む?」

 母の穏やかな笑みに促され、リビングへ向かう。地下に閉じ込められたティエリのことを思い出さないよう、必死に記憶の底へ閉じ込めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冒険者を引退してバーのマスターになりました

ぜーたまっくす
ファンタジー
感想で指摘していただいた箇所の大幅修正いたしました 大学卒業してバーでバイトするフリーターの俺 テンプレな異世界転移スタートだったが戦闘に使える祝福が貰えませんでした。 とりあえず冒険者になって軍資金を貯めてバーのマスターになりたい! この際世界はどこでもいいや・・・ 主人公が無双して世界を救う話ではありません ハーレムルートも期待できません R15は念の為 残忍な描写も話の中で出てきそうなので念の為 基本はほのぼの進行で最後まで行きたいと思います。 <注>この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 最後に、5000人を超える方々のお気に入り登録、心から感謝いたします。 完結までお付き合いいただけたら幸いです。 新規ブースト期間も終了しこの先は細々と消えていく未来が見えます。 お気に入り登録まだの方で今後も読んでくださる方、是非!お気に入り登録の方よろしくお願いします。

BL妄想垂れ流し話

ブルーホース
BL
タイトル通り妄想を垂れ流していきます。話を作るのは下手です。それでもよければどうぞ

死にたくないので真っ当な人間になります

ごろごろみかん。
恋愛
公爵令嬢セシリアは《王妃の条件》を何一つ守らなかった。 16のある日、セシリアは婚約者のレイアルドに「醜悪だ」と言われる。そしてレイアルドはセシリアとの婚約を無に帰し、子爵令嬢のエミリアと婚約を結び直すと告げた。 「龍神の贄としてセシリア。きみが選ばれた」 レイアルドは人柱にセシリアが選ばれたと言う。しかしそれはただ単純に、セシリアを厄介払いする為であった。龍神の贄の儀式のため、セシリアは真冬の冷たい湖の中にひとり飛び込み、凄まじい痛みと凍えを知る。 痛みの中、セシリアが思うのは今までの後悔と、酷い悔しさだった。 (やり直せるものならば、やり直したいーーー) そう願ったセシリアは、痛みのあまり意識を失ってしまう。そして、目を覚ますとそこは自室でーーー。 これは屑で惰性な人生を歩んでいたセシリアが、何の因果か10歳に戻り、死なないために真っ当な人間になろうとするお話です。

【R18】両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が性魔法の自習をする話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 「両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が初めてのエッチをする話」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/575414884/episode/3378453 の続きです。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

AIアプリに射精管理される話

ミツミチ
BL
知らない間にインストールされていたクソエロアプリに射精管理されて7日間弄ばれる話 おまけ: https://mitsumichi.fanbox.cc/

型録通販から始まる、追放令嬢のスローライフ

呑兵衛和尚
ファンタジー
旧題:型録通販から始まる、追放された侯爵令嬢のスローライフ 第15回ファンタジー小説大賞【ユニーク異世界ライフ賞】受賞作です。 8月下旬に第一巻が発売されます。 300年前に世界を救った勇者達がいた。 その勇者達の血筋は、三百年経った今も受け継がれている。 勇者の血筋の一つ『アーレスト侯爵家』に生まれたクリスティン・アーレストは、ある日突然、家を追い出されてしまう。 「はぁ……あの継母の差し金ですよね……どうしましょうか」 侯爵家を放逐された時に、父から譲り受けた一つの指輪。 それは、クリスティンの中に眠っていた力を目覚めさせた。 「これは……型録通販? 勇者の力?」 クリスティンは、異世界からさまざまなアイテムをお取り寄せできる『型録通販』スキルを駆使して、大商人への道を歩み始める。 一方同じ頃、新たに召喚された勇者は、窮地に陥っていた。 「米が食いたい」 「チョコレート食べたい」 「スマホのバッテリーが切れそう」 「銃(チャカ)の弾が足りない」 果たして勇者達は、クリスティンと出会うことができるのか? ・毎週水曜日と土曜日の更新ですが、それ以外にも不定期に更新しますのでご了承ください。  

モブだった私、今日からヒロインです!

まぁ
恋愛
かもなく不可もない人生を歩んで二十八年。周りが次々と結婚していく中、彼氏いない歴が長い陽菜は焦って……はいなかった。 このまま人生静かに流れるならそれでもいいかな。 そう思っていた時、突然目の前に金髪碧眼のイケメン外国人アレンが…… アレンは陽菜を気に入り迫る。 だがイケメンなだけのアレンには金持ち、有名会社CEOなど、とんでもないセレブ様。まるで少女漫画のような付属品がいっぱいのアレン…… モブ人生街道まっしぐらな自分がどうして? ※モブ止まりの私がヒロインになる?の完全R指定付きの姉妹ものですが、単品で全然お召し上がりになれます。 ※印はR部分になります。

ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました

中七七三
恋愛
わたしっておかしいの? 小さいころからエッチなことが大好きだった。 そして、小学校のときに起こしてしまった事件。 「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」 その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。 エッチじゃいけないの? でも、エッチは大好きなのに。 それでも…… わたしは、男の人と付き合えない―― だって、男の人がドン引きするぐらい エッチだったから。 嫌われるのが怖いから。

処理中です...