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みずいらず
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「では、行って参ります」
「楽しんでね、レジュー」
玄関へ辿り着き、重い扉を開けた彼女が言葉を残す。彼が手を振った。見えないと分かっていても、レジューは手を振り返している。
俺は玄関を抜け、庭を渡り、門を抜けた彼女の後を追った。カルベルに声が届かない範囲まで来たことを確認し、馬車に乗り込む彼女を見つめる。
「手配した部下たちがこの件を他言することはない。安心して休暇を楽しみたまえ」
「ありがとうございます、王子。しかし、あの……その……」
彼女はどうやら手紙について何か言いたいらしい。俺は息を漏らし、髪を掻き上げた。
「手紙の事かい? 気にしないさ。レジュー、君は忘れがちだが俺らは運命共同体だ。君が他言すれば、俺が危うい。俺が他言すれば、君が危うい。……分かるね? 俺は君の立場が揺らぐことは誰にも言わない。だから、信じてくれ」
その言葉に、レジューは深く頷いた。馬車の扉を閉め、運転手へ合図する。ガタガタと歪な音を立て去っていく姿を確認し、俺は屋敷へ戻った。玄関先にはカルベルが居て、ぼんやりとこちらを見ている。
────今から、兄と二人きりか。
その事実が全身を巡り、まるでうぶな少女のようにドキドキと胸が高鳴った。
近づく足音に気がついたのか、兄が手を伸ばす。
「無口くん」
ひどく穏やかな声音に、脳の奥が痺れる。この場で無理やり押し倒し、穢してしまいたい欲望に駆られた。けれど、酷いことをして彼に嫌われたくなくて、俺はその願望に火をつけ根絶やしにする。
「無口くん、ピアノの練習に付き合って」
彼が手探りで俺の手を掴み、屋敷内へ連れ戻す。階段を上がる彼は、慣れた様子だがおぼつかない足取りだ。踏み外さぬようにと支えると、ピタリと暖かい肌が寄り添った。
「無口くん、優しいね」
焦点の合わない瞳が俺を見つめる。肉付きの悪い肩と俺より幾分か小さな背中が愛おしくて、支えた手に力を込める。痛いよと肩を竦められ、慌てて力を緩めた。
ピアノが置いてある部屋まで向かい、扉を開ける。中から眩いほどの光が漏れた。部屋の真ん中には、まるで王座に腰を下ろす一国の王のように重々しい佇まいをしたピアノが置かれていた。太陽光を浴び、鈍く光っている。
彼を椅子へ座らせると、しなやかな手が鍵盤蓋を開けた。
────俺は、兄の手が好きだ。
俺なんかと比べ物にならないほど、優美だ。見ているだけで惚れぼれする。父はこの手を貶したが、それで良いと思えた。
この世で彼の手を愛しているのは、俺だけで十分だからだ。
「楽しんでね、レジュー」
玄関へ辿り着き、重い扉を開けた彼女が言葉を残す。彼が手を振った。見えないと分かっていても、レジューは手を振り返している。
俺は玄関を抜け、庭を渡り、門を抜けた彼女の後を追った。カルベルに声が届かない範囲まで来たことを確認し、馬車に乗り込む彼女を見つめる。
「手配した部下たちがこの件を他言することはない。安心して休暇を楽しみたまえ」
「ありがとうございます、王子。しかし、あの……その……」
彼女はどうやら手紙について何か言いたいらしい。俺は息を漏らし、髪を掻き上げた。
「手紙の事かい? 気にしないさ。レジュー、君は忘れがちだが俺らは運命共同体だ。君が他言すれば、俺が危うい。俺が他言すれば、君が危うい。……分かるね? 俺は君の立場が揺らぐことは誰にも言わない。だから、信じてくれ」
その言葉に、レジューは深く頷いた。馬車の扉を閉め、運転手へ合図する。ガタガタと歪な音を立て去っていく姿を確認し、俺は屋敷へ戻った。玄関先にはカルベルが居て、ぼんやりとこちらを見ている。
────今から、兄と二人きりか。
その事実が全身を巡り、まるでうぶな少女のようにドキドキと胸が高鳴った。
近づく足音に気がついたのか、兄が手を伸ばす。
「無口くん」
ひどく穏やかな声音に、脳の奥が痺れる。この場で無理やり押し倒し、穢してしまいたい欲望に駆られた。けれど、酷いことをして彼に嫌われたくなくて、俺はその願望に火をつけ根絶やしにする。
「無口くん、ピアノの練習に付き合って」
彼が手探りで俺の手を掴み、屋敷内へ連れ戻す。階段を上がる彼は、慣れた様子だがおぼつかない足取りだ。踏み外さぬようにと支えると、ピタリと暖かい肌が寄り添った。
「無口くん、優しいね」
焦点の合わない瞳が俺を見つめる。肉付きの悪い肩と俺より幾分か小さな背中が愛おしくて、支えた手に力を込める。痛いよと肩を竦められ、慌てて力を緩めた。
ピアノが置いてある部屋まで向かい、扉を開ける。中から眩いほどの光が漏れた。部屋の真ん中には、まるで王座に腰を下ろす一国の王のように重々しい佇まいをしたピアノが置かれていた。太陽光を浴び、鈍く光っている。
彼を椅子へ座らせると、しなやかな手が鍵盤蓋を開けた。
────俺は、兄の手が好きだ。
俺なんかと比べ物にならないほど、優美だ。見ているだけで惚れぼれする。父はこの手を貶したが、それで良いと思えた。
この世で彼の手を愛しているのは、俺だけで十分だからだ。
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