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序章─旅は道連れ。

炎と影。

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 それは、まだ夜が更けるよりも前の、空が赤から紫へと変わっていくようなタイミングの話。

 鳴り響く振り子時計の音。雨が屋根を叩く音すらも遠く聞こえる。
 暖炉の火はチラチラと影を壁に写し出す。濃く、長く伸びる影は、まるで自分のものではないように─否、確かにそれは自分の影ではないのだろう。

──ニヤリ、と影が笑う。

「なぁ、アップルパイ旨かった?」

 壁に写った影からそんな声がした。すると顔だろう部分で紅い瞳がギロリと光る。それはまるで、いつか見たことのある真っ赤な宝石ようだと思った。
 影の言葉にこくりと首を縦に動かす。シナモンと程好い甘さのリンゴに、それを包むパリパリの生地は素直に美味しかった。自分の反応に満足したのか、影は嬉しそうな笑い声を出す。きっとタオルもパイも紅茶も、彼が用意したものだろう。ただまぁ、一つ欲を言うとすれば…

「出来れば、紅茶に入れるための砂糖が欲しかったです」
「あっ悪い」

 全く気づかなかった。そう言った影はつい、とミニテーブルを指差す。つられて視線をそちらにやれば、ティーカップの横に角砂糖が沢山入った容器が置かれていた。
 それ用のトングを使い、一つ二つと紅茶に砂糖を入れる。ご丁寧にマドラーもあった。一口飲み、ようやく渋味を感じないことに満足する。それを見た影も何か頷いていた。

「よしよし、お前は甘いのが好きなんだな?じゃあ次からちゃんと砂糖も用意しよう」
「…次?」
「あぁ、次。朝と昼と夜に飲むだろ、紅茶」

 確かに西の方の国では、毎日三回お茶の時間があると聞いたことがある。が、決して自分は西の方の出身ではないし、紅茶は好きだがそんなに飲まない。
 どうやらお互いに認識の齟齬があるようなので、きちんと話し合いをすることにする。第一、ここが何なのかも気になっているのだ。

 そして数分の話し合いの末、どうやら影が自分を新しい屋敷の住人だと思っていたことが判明した。雨宿りのために寄ったのだと言えば、少し悲しそうな表情が見えた気がした。

 …影の表情とは、これ如何に。

 この屋敷はどうやら、『魔法の国』の建築家が作った魔法の家らしい。具体的に頼めば色々出してくれるようだ。
 掃除は勝手にしてくれる上、家や家具の修繕もするのだと。材料さえあれば必要なものまで作成してくれるとハイスペック。
 しかしこの家は所謂"型落ち"というものらしく、家具以外のものは範囲外なのだと言う。だから本があんなに古く、しかし人形などは綺麗に残っていたのかと納得した。
 影はここの持ち主、ではなく、昔から屋敷に勝手に住み着いているのだとか。何十年と住み着いていたため、屋敷の使い方は誰よりも上手いのだろう。
 ただこの屋敷から人が居なくなったために光がなくなり、彼はしばらく実体を失っていたらしい。影とは光があるから存在するのであって、日の光が入らない建物の中では明かりがなければ現れることが出来ない。
 この屋敷は非常に優秀で、家主のいない間に家具や室内の劣化を出来る限り防ぐために外の光を全て遮断したのだそうだ。おかげで昼間ですら光がないために、彼は屋敷から出ることすら出来なかったのだという。

 そして、そこに現れたのが自分だったと。そう言うことらしい。
 久しぶりに人間が家に入り、おかげで家は薄くとも光を取り戻した。その上で炎という明かりがついたことで、影は出てくることができた。
 どうやら自分はこの影の恩人になってしまったらしい。そして懐かれもしたようだ。影から触手の様なものが飛び出して、逃がすまいとこちらの腕には巻きついてきた。
 人が消えたらまた出れなくなる、だからここにいてくれと。そう懇願してくる影だが、何故残る方向でしか考えないのだろうか。あまりに閉じ込められ過ぎて、"外に出る"という概念が消えたのだろうか。

「なぁ、頼むよ!もう一人で影の中にいんの暇で暇で仕方ないんだ!!」
「じゃあ、外に出ればいいじゃないすか」
「へ?」
「明日、晴れたら外出ますよ。自分っていう"客"が来てるんですから、朝のお知らせぐらいしてくれるんじゃないんですか?」

 型落ちでも優秀なんでしょ?この屋敷。

 そう言えば、紅い瞳はキョトンと丸く開かれる。と思えば、じわじわと笑顔になっていく影。腕に巻きついていた影が解かれ自由になったため、念の為と背中に回した。

「ふ、ふふふははははははっ!!!あー、そっか…そうだよな。今、家主じゃなくとも"人間"がこの家にいるんだ!!もう暗闇だけの家じゃない!!」

 自分の一言でようやく気づいたのだろう。影は嬉しそうに叫んだあと、ズルリ、とその身を壁から剥がす。壁に写った自分の影から出てきたからか、なんだか不思議な感じかした。確かに自分の影は依然としてその壁に存在しているのに。
 暗い室内に溶け込むような、黒く人の形をした"それ"は紅い瞳を細めてこちらを見る。火で照らされているのに、見えるのはその色と同色の瞳と、鋭く白い歯だけ。
 暗がりではそこしか見えないだろうその姿に、何処かで聞いた物語に出てくる猫を思い出す。ニヤニヤと笑ってこちらを翻弄するという点は、おそらく合っている。

「いやー、サンキューな!!お前のおかげで希望ができたわ!!すっかり外になんか出れないと思い込んでた!!」

 時間の流れってこえーな!と笑いながらバシバシと背中を叩かれ、思わず顔をしかめる。それに気づいているのかいないのか、影は叩くのを止めたと思えば大きめなソファを暖炉の前に引きずって来た。
 掛かっていた布をそこらに放り投げたあと、適当な棚をあさり始める。突然の奇行に呆然としていれば、先程まで肩にかかっていたものより暖かそうな毛布を引っ張り出してきた。
 それを大きなソファにかけ、恐らく一緒に取り出したのであろう枕を端の方へ置く影。
 これは、まさか。

「じゃじゃーん!!簡易ベッドだ!!ベッドは流石に出せねぇし、でもあったかいとこで寝た方がいいだろ?火の番はオレがするからさ!子供はもう寝る時間だぞーぅ」
「え、あ、ちょっ」

 言うが早いか、自分が何かを言う前に抱えられ、そのままソファへと寝かされる。流石金持ちのソファ。とてもふっかふか。
 枕や毛布からは、アップルパイではなく別の匂いが仄かにした。寝具までアップルパイの匂いじゃなくて少し安心する。恐らく花だと思われる匂い。しかし、明確にこれと断定できる知識を自分は持ち合わせていなかった。

「…あの、これ、何の匂いですか?」
「んー?あぁ、えっと、ラベンダー。よく眠れるって本に書いてたんだ。だから、ラベンダーの匂いでって屋敷にお願いした」
「そんなことまで…ちなみに、タオルと最初の毛布がアップルパイの匂いだったのは…」
「旨いよな!アップルパイ!!」

 どうやらあれは彼の好みだったらしい。最初は特に意味が無かったのだろうが、今用意してくれたものには彼なりの気遣いを感じられた。外に出れるから、ではなく元来の気質なのだろう。
 毛布を口許まで引き寄せ、体の向きを横にする。影は現在床に座り、恐らく屋敷に出してもらったのであろう薪を暖炉に投げていた。
 なんだ、紙を探さなくてもよかったんじゃないか。

「…薪、出せたんすね」
「あっ!いや、でも、ほら!お前が火を付けてくんなかったらこの屋敷の説明も出来なかったし、ここの本ってオレが読めなくなってから結構経ってて全部ダメになってたし、これって意外とコツいるから…」
「あ、出せた」
「あああああっとぉ!?」

 ワタワタと必死にフォローをしようとする影は、随分と間抜けな顔に見えて思わず笑ってしまった。
 洩れた笑い声が聞こえた影は一瞬キョトンとしたあと、からかわれたのだと気づいてぷりぷりと怒りだす。でも本気で怒ってるんじゃないと分かる。だって、目がとても楽しそうだから。

「ほらー、人間は寝ないと死ぬって聞いたぞ!子供も大人も、もう寝てる時間だってオレ知ってるんだからな!」
「人間、五日ぐらいならぶっ通しで起きてても死にはしませんよ」
「え、そうなん?」
「まぁ六日以降は死にますけど」
「死ぬんじゃん!!」

 死ぬなーっ!と毛布を増やされた。流石に暑いし重いため、新しい毛布を影へと投げつける。いらないと言えば、毛布を棚へ戻そうとするので影を止める。

「アンタは寒くないんですか?」
「オレは寒さとか感じない!便利だろー?」
「…見てて寒いんで、どうにかしてください」
「え、人間って相手を見てるだけで寒いの?不便だなぁ」

 どや顔で言われたためムカつきそう言えば、影は不思議そうに毛布を羽織り、先程と同じ位置に座る。そのままポツリポツリと会話を続ける。こんなに話したのは久しぶりだと言えば、影も久しぶりだと返してきた。
 しかし、独りだった影と一人を望んだ自分では、きっとこの感情の重さは天と地ほどの差なのだろう。
 少し、彼を羨ましいと思った。

 話をしていれば、先程までうたた寝をしていたと言うのに瞼が重くなる。ラベンダーの香りと影の低い声により、意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。



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