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『番の呪い』後編

105 闇魔法

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 ヴィクトリアはマグノリアと共に書斎に来ていた。

 書斎はロータスが医師をしているだけあって医療関係の本が多く、本棚以外にも本が床に積み上がっている。

 マグノリアは墨と硯を取り出してきて執務机の前に座り、筆で長方形の紙に何やら文字を書き付けていく。

 魔法書でも見たことのあるその文字は古代語だそうで、ヴィクトリアは読めないが、マグノリアも魔法書を参考に覚えただけで細かい所の意味まではわからないらしい。

 魔力を込めて文字を綴ることで『札』を作ることが出来る。札から魔力の遠隔操作を可能にする『依り代』を作れるし、魔力の貯蔵庫代わりにもなるのだという。

「私は『真眼』の能力こそあるけど、魔力自体はそこまで多くはないのよ。

 だけど魔力を貯金みたいに札に貯めておけば、魔力が少なくなった時にそこから補充できるの。札を作る時に込めた分だけ魔力は減るけど、時間と共に自然回復するわ。回復の速さは個々人でまちまちよ。

 前に作り置きしておいた分もあるけど、今もできる限り作っておきましょう」

 ヴィクトリアは椅子を持ち出してマグノリアの隣に座っていた。マグノリアに札作りを手伝ってほしいと言われたが、ヴィクトリアは今の所マグノリアの作業を眺めているだけだ。

 そのうちに書き疲れたのか、マグノリアがふうっと息を吐く。

「ヴィー、ごめんね、驚かないでね。ちょっと生気を貰うわね」

 昨日の「怨霊」発言に引き続き「生気を貰う」という恐ろしい言葉が出てきて、ヴィクトリアは狼狽えた。

 マグノリアはヴィクトリアの反応などお構いなしで手の平を向けてくる。

 やがて手の平の先に、音も無く渦巻く漆黒の空洞が現れた。その真っ黒で不気味な穴は、付近の空間を歪ませて吸い込んでいるように見えた。

「か、怪奇現象っ!?」

「嫌ね、これも魔法よ」

 ヴィクトリアは摩訶不思議現象に驚きすぎて目を瞠っていた。

(これが魔法……)

 それまで体験してきた転移魔法や精神感応テレパシーとはまた異質というか、随分と禍々しく思える。

「闇魔法よ。重力魔法とも呼ばれているけどそのうちの一つ。ちょっと身体から力が抜けていくように感じるだろうけど、我慢してね」

「闇…… 重力、魔法…………」

 ひどく戸惑った顔を見せていたヴィクトリアに、マグノリアが魔法の種類を説明するが、マグノリアの言葉を復唱している間にも気が吸い取られているらしく、身体がだんだんと怠く感じられてくる。

「ああ、やっぱり思った通り。すごくいいわ、良質良質♪」

 マグノリアはどこかはしゃいでいるような声を上げているが、対するヴィクトリアは黒い穴が出現して以降、身体の芯から力が奪われていくような妙な感覚が強くなっていくので、戦々恐々だった。

「あまりやりすぎると気絶するからここまでにしておきましょう」

 黒い穴が消失したのを見てほっとする。

「調子はどう? 身体の怠さは時間と共に戻っていくけど、辛いようなら少し寝室で横になっていた方がいいわ」

 ヴィクトリアは首を振った。

「大丈夫よ、そこまでじゃないから」

 寝室は朝のびっくり体験をした場所なので不必要には近付きたくない。魔法で匂いは隠してあるのだろうけど。

「おかげでもう少し札が作れるわ、ありがとう」

「さっきの黒いのって魔力吸収の魔法よね? 魔法使いじゃない人の気を吸っても魔力って貯まるのね。知らなかったわ」

 ヴィクトリアは、他の魔法使いから魔力を奪う闇魔法があることは、魔法書からの知識で知っていた。

 魔力は他の魔法使いから貰うこともできるし、自分から相手に意図的に譲渡することもできる。

「闇魔法のことを知っているの?」

 マグノリアが意外そうな顔で問いかけてくる。

「昔いくつか魔法書の類を読んだことがあるから、それで」

 マグノリアはしばし押し黙った後、意を決したような表情で口を開いた。

「さっきは『生気を吸う』って言ったけど、ヴィーの場合は――――」

 言葉の途中で書斎の扉がノックされて、マグノリアの話が遮られる。

「ちょっといいか?」

 現れたのはロータスだ。

「マグ、俺やっぱりどうしても一緒に行きたい」

 その言葉に反論しようとしたマグノリアを、近付いてきたロータスが抱きしめる。

「君が死ぬ時は俺も一緒に死ぬ」

 絞り出すように言うロータスは悲壮な顔をしていて、彼の決意が伝わってくる。

「俺は君がいないと生きられない」

「……死ぬわけないでしょ? 年を取ってシワシワのヨボヨボになるまで一緒にいるんだから」

 マグノリアもロータスを抱きしめ返した。

「苦しい時も辛い時もどんな時でも君と一緒にいると誓った。たとえ行き先が地獄だったとしても、俺はどこまでだって君と一緒にいたいんだ」

 ヴィクトリアがそばにいるというのに、ロータスは構わずマグノリアに口付けた。それはとびきり深い接吻で、触れ合う唇の隙間から、マグノリアの口内にねじ込まれるロータスの赤い舌が見えた。

(あああああああ…………)

 ヴィクトリアは心の中だけで叫んだ。お熱いのを目撃させられたヴィクトリアは目のやり場に困ってしまった。

 口付けしながら目を開けたままのロータスは妖しい目付きでマグノリアを見ているし、マグノリアは瞳は閉じているものの、どこかとろけそうな雰囲気を滲ませていた。もはや「二人だけの世界」状態だった。

「カナはどうするのよ……?」

 熱烈な口付けの後、半ば落とされた状態のマグノリアがロータスの首に腕を絡ませたままで問う。

「ジャックの所だったら預かってくれるんじゃないか?」

「駄目よ、カナはあなたと同じで植物性のものは一切受け付けられないんだから、他の人に預けるなんて出来ないわ」

「アレルギーがあるってことにして、こちらで用意したもの以外は一切飲み食いさせないように言っておけば大丈夫じゃないか?」

「それでも万一食べてしまったら命にかかわるし、獣人であることがばれてしまってもまずいわ。ナディアは助かっても、戻ってきたらカナが殺されていたなんてことになったら……」

 獣人と人間との間に生まれた子は必ず獣人になる。

 マグノリアはロータスも一緒に連れて行くと決めたようだが、だからと言ってヴィクトリアも自分がロータスの代わりにここに残ると言い出すつもりはない。

「仕方がない。私たちが出掛けている間、カナを魔法で眠らせておきましょう。それしかない」










******





「ヤダ! カナも行く! カナもパパとママと一緒に行く! 一人にしないで!」

 子供部屋、ぬいぐるみが多く置かれた寝台にロータスがカナリアを横たえようとすると、カナリアは駄々をこねながら強く抵抗した。

 カナリアはロータスにしがみついたまま離れようとせず、大粒の涙を溢していた。

 カナリアは聡い子供だった。眠らされて自分一人だけがこの家に置いていかれることを察知していた。

「一緒に行きたい! カナもナディアお姉ちゃんを助けに行く! パパとママがいなくなっちゃうのヤダ! 置いていかないで!」

 泣き叫ぶカナリアにロータスとマグノリアは困ったように顔を見合わせた。

「ごめんな、カナ。何も心配しなくていい。パパとママはずっとそばにいるよ。離れていても、パパとママはずっとカナの心の中にいるからね」

 ロータスは安心させるような優しい声で言いながら、腕に抱えたカナリアの背中を撫でている。

「そうよ、カナ。何も心配いらないわ。私たちは何があってもずっと一緒よ。カナを一人になんてしないわ。必ず戻るから」

 マグノリアも優しい声で言ってから、泣きじゃくるカナリアの頭にそっと手を置いた。

「ママはカナが大好きよ。ずっと愛しているからね」

 マグノリアはカナリアの頭を撫でながら髪に口付けた。

 眠りの魔法を掛けられたカナリアの泣き声が段々と小さくなっていき、寝息へと変わっていった。

 ロータスが眠ってしまったカナリアを寝台に寝かせてその上から掛け布団をかけると、マグノリアはカナリアの枕元に札を置いた。
 こうしておけばマグノリアがここから離れても眠りの魔法が持続する。

 ロータスがカナリアの目尻と頬に残る涙を拭った。

「パパもカナを愛しているよ」

 ロータスはカナリアの額に口付けを落とした。

 カナリアを見つめるロータスは、神妙な顔のままで立ち上がった。おやすみの儀式はまるで別れの儀式のようだった。

「必ず戻ろう」

「そうね」

 二人は子供部屋を出た。










 リビングに行くと準備を終えたヴィクトリアが二人を待っていた。ヴィクトリアには姿変えの魔法がかかっていて、黒髪黒眼の人物に変わっている。

 ヴィクトリアと同様に、ロータスとマグノリアにも既に姿変えの魔法がかかっていた。
 二人とも黒髪黒眼と金髪茶眼というこの村で暮らすためのいつもの髪と瞳の色だが、顔付きが全く違っている。村の者たちが見てもロイとマリアだとは思わないだろう。

「カナは?」

「眠った。後ろ髪を引かれる思いだ」

「ナディアを助けたらすぐに戻りましょう」

 マグノリアが二人に手を差し出す。

「行くわよ? 二人とも覚悟はいい?」

 二人が頷き、同時にマグノリアの手を取った。

「瞬間移動を何度か繰り返す事になるけど、手は離さないでね。

 では行きましょう――――――首都へ」



 シドの処刑が予定されている、その近くへ―――
―――――





 三人の姿はその場から音もなく掻き消えた。
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