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『番の呪い』後編

102 夜の王

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 風呂から上がった後にリビングに行くと、やや強張った顔をしたロータスが一人でソファに座っていた。

 カナリアはいつも子供部屋で一人で寝ているらしく、既に寝てしまったと浴室にいた時にマグノリアが言っていた。

 ロータスはすっくと立ち上がると、なぜか不穏な空気を身に纏い、影を落としたような表情でマグノリアを見つめながらこちらに近付いてきた。

(……雰囲気が一緒にお茶を飲んでいた時と違うというかちょっと怖い)
 
「あら? まだいたの?」

 マグノリアはそんなロータスに素っ気ない言葉をかけて何でもない風を装っているが、瞳の奥にやや動揺が見え隠れしていたのをヴィクトリアは見逃さなかった。

「マグ…… 何で一緒に寝てくれないの?」

(床の話?)

「何でって、今屋根裏部屋は整ってないからナディアの時みたいにそこで寝てもらうわけにはいかないし、あなたが一階の患者用のベッドを使って、私たち女子二人が寝室を使うのがいいと思っただけよ? 何か問題がある?」

「あるよ。俺はマグと一緒がいい」

「あなたを寝室に寝かせるわけにはいかないでしょ? ロイとヴィーに血の繋がりはないんだから」

「じゃあ下で一緒に寝ようよ」

「嫌よ、狭いもの」

 マグノリアはくるりと背を向け、ヴィクトリアの腕を引っ張ってリビングから出て行こうとする。

「あ、なら私が一階で寝――」

『お願い余計なこと言わないで! 今日は朝まで熟睡できそうなせっかくの機会なんだから、逃してなるものですか!』

 いきなり頭の中にマグノリアの声が響いてきて驚く。耳から聞こえる声よりもかなり明瞭な声だった。

精神感応テレパシーよ。普通な顔してて。あとでちゃんと説明するから、ここは私を立てると思って何も言わないで』

 懇願するような声だったので、ヴィクトリアは言われるまま口を閉じたのだが――

「マグちゃん……」

 背後から悲しげな声が響いてきて思わず振り向く。ロータスは影を背負ったかのような雰囲気が濃くなって少し涙ぐんでいた。

 ロータスは「行かないで」訴えるようにじっとマグノリアを見ているが、マグノリアは振り返ることなく、ヴィクトリアと共にリビングから出て行く。

(捨てられた子犬みたいになっているけどあれでいいのかしら……)





 ヴィクトリアは二階の寝室――つまりは夫婦の寝室に入った。

 中央に置かれた大きめの寝台と、それを取り囲むようにクローゼットや鏡台が置かれていて、部屋の中はそれほど広くはない。

 マグノリアは寝室の扉を閉めると、ふう、と一つため息を溢した。
 
「ごめんね、今日はロイと別で寝たかったの。毎日あの人の相手をしてたからちょっと休憩したくて」

「毎日?」

 マグノリアは苦笑いしている。

「月ものの時は流石にしないけど。あと妊娠しそうな時も…… ちょっと訳があって今の所二人目を作るつもりがないの。

 獣人って番が妊娠する日かどうかが匂いでわかるらしいわよ。

 ロイって普段は穏やかでそんな感じはほとんど出さないのに、夜方面は強いのよ。私はカナが寝た後毎晩のように襲われているわ」

 ロータスは優しそうな雰囲気を纏っているので「襲う」という言葉は不釣り合いのように感じたが、ヴィクトリアは先程の影を含んだようなロータスの様子が引っかかっていた。

 ヴィクトリアは、ロータスが仄暗い目でマグノリアを見ていたその視線に、驚きと戸惑いを感じた。彼は優しいだけではなくて別の面も持っているようだ。

「ロイって私と出会うまで山や森で隠れて暮らしていたから、野宿することもたくさんあったらしくて、夜中に危険な動物から襲われないように睡眠時間を極力短くしていたそうなの。

 身体がそれに慣れてしまったらしくて、二、三時間くらい寝ればそれで事足りてしまうみたいなのよ。でも私は違うわよ?

『寝てていいよ』って言われるんだけど、まあ限界なほどに眠いから落ちるように寝てしまうんだけど、その間もロイが何かやってる感覚はするから、いつも眠りが浅いの。朝までもうずっと入れっぱなしみたいなものよ」

「入れっぱなし……」

「私だって嫌いじゃないわよ? だけどねえ…… 朝目覚めても何だかすっきりしないのよ。疲れは回復魔法を自分にかければ取れるけど、すごくよく寝たわ、みたいな爽快感に乏しくて。

 この所連日だったから、思いっきり爆睡して休んで、気怠い感じじゃなくて爽やかに目覚めたいのよ私」

 ロータスは顔だけではなくて夜の強さもシドから引き継いでしまったようだ。

 その後マグノリアに恋愛相談などにも乗ってもらいつつ、たくさん寝たいというマグノリアの要望を叶えるため、二人は早々に眠りについたのだった。










 翌朝、ヴィクトリアはそれまで背負っていたものが消え去ったとでもいうべきすっきりとした感覚の中で目覚めようとしていた。

 自分の身体の感覚がこれまでとは違うように感じる。昨日マグノリアにお祓いしてもらったおかげなのかもしれないと、ふわっとした意識の中で考えて、それから清々しくも爽やかに目覚めるはずだった朝は、すぐにぶち壊された。

 嗅覚を通して、脳内に絡み合う男女の図がやけにはっきりと浮かび上がる。

 シドによく似た顔をした金髪の男が、ぐったりと横たわる黒髪美女と交わっていた。

 とんでもない光景の匂いを嗅いで急速な覚醒を引き起こしたヴィクトリアは、悲鳴と共に自らにかかっていた布団を剥ぎ、転げるようにして廊下に飛び出した。

 廊下に座り込みながら肩で息をして寝室を見るが、ロータスもマグノリアも寝室にはいない。

 今嗅いだ光景はここで過去にあった出来事なのだろう。おそらく一昨日のものか、いや、少し濃さの違う匂いが混ざり合っていて、連日のものが積りに積もっているようだ。

 寝室からは二人の匂いが大量に漂っている。現場の匂いはかなり鮮明な図をヴィクトリアの脳内に描き出していた。

 昨日まではこんな匂いしなかったのにどうしてと考えながら、廊下に気になる匂いがあるのを感じ取る。

 その匂いは、昨日の夜中、ロータスが廊下を歩いてヴィクトリアたちが眠る寝室の前まで辿り着き、扉をそっと開けているものだった。

 彼は寝室に侵入した後、寝台で眠るマグノリアを抱えて間引くように部屋から連れ出していた。連れ去られたマグノリアがどうなったのかは推して知るべしだった。

 ヴィクトリアは鼻をつまんだ。嗅覚が敏感すぎる獣人は嗅ぎたくもない匂いを嗅いでしまうことがあるので、訓練によって余計な匂いは排除して意識しないようにすることもできる。
 しかし部屋中の至る所に積ったその匂いは空気中に大量に満ちていて、鼻を塞がなければ凌ぐのは困難だった。

「ヴィー! どうした? 大丈夫か?」

 バタバタと廊下の向こうからシドの顔をした男が走ってくる。ヴィクトリアは彼を見て悲鳴を上げそうになったが、その悲鳴は驚きとともに喉の奥に引っ込んで声にはならなかった。

(エプ……ロン…………)

 ロータスは本来の金髪の姿に戻っていたが、彼は何故かエプロンをしていて、手にはおたままで持っている。

(シドの顔をした人がエプロンって……)

 本人は絶対にしないだろう料理姿が衝撃的すぎて、ヴィクトリアは鼻をつまみながらポカンとロータスの顔を見つめていた。

 やって来たロータスは寝室の濃すぎる匂いに気付き、赤くなったり青くなったりしている。

「ぐっ…… す、すまない! このことは忘れてくれ!」

 叫んだロータスは慌ててヴィクトリアを寝室から引き離し、リビングまで連れて行った。
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