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『番の呪い』後編

94 兄と聖女

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「ロイがロータスなら、あなたはもしかしてマグノリア?」

「ええ、そうよ。私の本当の名前はマリアではなくてマグノリアよ。リュージュから聞いていたのね」

 ヴィクトリアは頷いた。

 結論から言うと、ヴィクトリアはこの夫妻のことを知っていた。

 実際に会ったのは今日が初めてだが、彼らについての話はリュージュから聞いていた。

 リュージュは里にやってくる前まで年の離れた兄ロータスと一緒に各地を転々と放浪し、人に見つからないように山や森の中に隠れて暮らしていたという。
 ある時、山に隠れ住んでいると、その地を治めていた領主の娘に見つかってしまった。

 娘の名はマグノリア・ラペンツ。現在ヴィクトリアの目の前にいる女性の本当の名前だ。

 マグノリアは二人を銃騎士隊に突き出すこともなく、それどころか食べ物を運んでそのまま山の中で快適に暮らせるようにしてくれたという。
 兄弟はしばらくマグノリアに匿われるように山の中で暮らしていたが、そのうちにロータスとマグノリアが番になってしまい、リュージュは独り立ちを決意して彼らと別れたという。

 マグノリアは男爵家か子爵家だったかとにかく貴族の娘だったが、貴族と言えど元々は貧乏だったらしい。
 ところがマグノリアの父親が自分の代でなぜか宗教を興し、そしてなぜかマグノリアを聖女と祭り上げて以降、信者から金を巻き上げるようになり、そこから家は潤って文字通り貴族らしい生活を営むようになったという。

 けれど金ヅルにされていたマグノリアはそれを嫌がっていて、それから、親に決められた婚約者も浮気ばかりしていたため、彼女は家族も婚約者も捨ててロータスと駆け落ちすることにした、というのがリュージュから聞いていた話だ。

 その話を聞いた当時のヴィクトリアは、無理矢理聖女のふりをさせられたり望まない相手と結婚したりしなければいけないなんて可哀想だなと思った。

 しかし、マグノリアが魔法使いだったのなら、彼女の父親はそれを理由にマグノリアを聖女として担ぎ上げたのだろう。

「でも不思議だわ。リュージュはマグノリアが魔法を使えるということは一言も言っていなかったから」

「でしょうね。あの頃の私は完全に疑り深くて嫌な人間だったから、ロータスと番になるまでは魔法使いであることは二人に打ち明けていなかったの。リュージュには結局最後まで言う機会がなかったわね」

 マグノリアはしみじみと語る。彼女も父親に搾取されたり婚約者に裏切られたりして大変な思いをしてきたのだろう。

 そこまで話した所で、廊下からロータスの足音が響いてきた。

「お客さんが途切れたから、今日は診療終了の札をかけてきちゃったよ」

 現れたロータスはしかし、ヴィクトリアと目線を合わせようとはしない。

「ナディアは?」

「そう言えばまだ来ないわね」

 ロータスの問いにマグノリアが答える。

「来る前に銃騎士隊にナディアの部屋を囲まれて、それで魔法陣を使って逃げてきたの。

 ナディアは後から行くって言っていたけど…… まさか札が足りなかったのかしら……」

「札が足りない?」

 ヴィクトリアの言葉にマグノリアが食い付いてくる。

「一枚だと魔法が発動しなくて、複数枚合わせて使ったら転移できたの」

「札は一度に何枚使ったの?」

「十枚くらいだったかしら」

 マグノリアは顔色を変えなかったが、椅子から立ち上がると、急いだ様子で何も言わずに部屋から出て行ってしまった。

「マグ?」

 ロータスがマグノリアの後を追う。

「待って!」

 ヴィクトリアも追いかけようとすると、後ろから置いてけぼりにされかけて泣きそうになっているカナリアの声が聞こえてきた。

 ヴィクトリアはカナリアを抱き上げると二人の後を追った。





 二人がいたのは屋根裏部屋だった。カナリアを抱えて梯子を登ると、二人は魔法陣の前で立ち尽くしていた。

「……駄目ね。向こうの魔法陣の形が変わっているわ。これじゃ使えない」

 魔法陣を見つめているマグノリアが嘆息しながら呟く。

「ロイ、ナディアの写真はある?」

「あったはずだ。探してくるよ」

 ロータスはヴィクトリアたちの横を通り過ぎて下の部屋へ降りて行った。

 マグノリアが魔法陣の上に手をかざして撫でるような動きをすると、赤色の魔法陣は床の上から跡形も無く消えてしまった。

「え? 消すの?」

 ヴィクトリアは驚いた。これではナディアが逃げて来られない。

「万一あちら側を修復されたら、この魔法陣を通って銃騎士隊が来てしまう。こちら側は消しておくしかないのよ」

「そんな…… じゃあナディアは?」

「大丈夫よ、必ず助けるから。そんな顔しないで」

 不測の事態が起こっているようだったが、マグノリアは慌てた様子もなく落ち着き払ってそう言った。





 三人がリビングまで戻ってくると、ロータスがテーブルの上に一枚の写真を置いていた。写っていたのは髪が短くなっている今のナディアだ。写真のナディアは笑顔だった。この家に滞在している時に撮ったものなのだろう。

 マグノリアは写真をじっと見つめた。

「……ナディアは今走っている……口が動いた……『銃騎士隊しつこい』ですって。

 銃騎士隊から逃げている最中みたい。怪我はしていないし、一応元気そうね」

「…………どういうこと?」

 写真を凝視しながらそう語るマグノリアにヴィクトリアが尋ねると、ロータスが代わりに答えた。

「マグには不思議な力があって、『真眼』っていう能力で写真を通して今のナディアの様子を見てるんだ。

『真眼』は真実を見抜く力で、対象が目の前にないとわからないんだけど、本人じゃなくて写真でもいいんだ。遠く離れていても相手の様子がわかる」

「ただし見えるのは本人の姿だけよ。周りの様子はちっともわからないけどね。

 状況から考えるにナディアはたぶん街中を逃げている最中だと思うわ。まだそこまで遠くには行っていないはず。助けに行きましょう」

「俺も行くよ」

 踵を返しかけたマグノリアの足が止まる。

「前に言わなかった? 一度に二人転移させるのは負荷が大きいの。私一人で十分よ。向こうで何が起こるかわからないんだから、魔力は温存させて」

「だけど銃騎士隊が絡んでいるなら危険だ。そんな所に君を一人では行かせられないよ」

「あなたが来た所でどうしようもないじゃない。ただの足手まといになるだけよ。あなた、私より弱いんだから」

 言われたロータスがむっとした顔をする。

「そんな言い方しなくてもいいだろう」

 なぜか夫婦喧嘩のようになってきてしまい、ヴィクトリアはカナリアを抱きながらそわそわしていた。

 二人は言い合いをしていたが、最終的にはロータスがマグノリアを抱きしめて、「愛しているんだ!」と叫んでいた。

 何だかよくわからなくなってきた。

 夫婦のいさかいは収まったものの、その後もロータスは「俺も行く」と断固譲らず、マグノリアはマグノリアでロータスを同行させたくなかったらしく、結局、マグノリアの提案で札から依り代という遠隔で魔力操作も可能だという不思議な白い鳥を作り出し、それを飛ばしてナディアの救出をすることになった。

「直接行ってしまった方が手間じゃないのに、全くもう。魔力をそっちに集中させたいから、姿変えとか匂い変えの魔法を一時的に解くわね」

 マグノリアは自身やロータスにもかけていたという魔法を解いた。

 ヴィクトリアは忘れていた。

 ロータスはリュージュの兄であるということを。

 昔リュージュから話を聞いていた時は、兄のロータスについては、リュージュと両親を共にする獣人なのだろうという認識でいた。

 しかし、そのことはリュージュにはっきりそう言われたわけではなく、状況から考えてたぶんそうなのだろうとヴィクトリアが思っていただけだった。

 リュージュとどういった繋がりの兄弟なのか、ヴィクトリアはロータスにもマグノリアにもそのことを確認していなかった。

 良く考えたら気付けたはずなのに。

 姿変えの魔法が解けてロータスの本当の姿を見たヴィクトリアは、全身を総毛立たせていつでも逃げられるように一瞬で扉の前まで移動し、カナリアを抱えているのとは逆の手で扉の取手を掴んでいた。

 それは反射的な行動だったが、よく考えたらあの男がここにいるはずがなかった。

 髪も金髪だし、匂いも違うから別人だということは理解したが、ヴィクトリアは外へ逃げ出したい衝動を何とか抑えていた。

 ロータスの顔は、シドにそっくりだった。

 切れ長の目の奥の血のような赤い瞳まで同じだった。

 まるで生き写しのようで、髪の色を変えた本人がそこに立っているのかと思うほどだった。

 違う人物なのはわかっているのに、ヴィクトリアはロータスを恐れ、怯えてしまった。

「……ヴィー、ごめん。そんなに怯えないでくれないか?

 ちゃんと言ってなくて悪かった。俺はシドの長子なんだ。ナディアとリュージュの異母兄にあたる」

 ロータスはヴィクトリアを見ながら申し訳なさそうに、そして悲しそうに、そう言った。

「私もごめんなさい。余計なことをしたわ」

 マグノリアがすぐにロータスの姿を元の黒髪黒眼の人間のものに変えたが、ヴィクトリアは扉のそばに立ったまま、しばらく動けなかった。
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