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『番の呪い』後編

88 襲来(ヴィクトリア視点→ナディア視点→ヴィクトリア視点)

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元々「88 待て」だった話を2話に分けて少し修正してます

***

 ヴィクトリアは陽の光の入る窓辺に椅子を寄せて座り、ナディアに後ろ髪を鋏で整えて貰っていた。

 ヴィクトリアの銀色の髪は急いで切り落としたままだったので所々短かったり長かったりしていたが、ナディアが櫛と鋏を動かして器用に整えてくれる。
 終わって鏡台の前に立てば肩のあたりで綺麗に切り揃えられていて、ヴィクトリアも満足のいく出来栄えだった。

「ありがとう。ナディアは美容師にもなれそうね」
 
 ヴィクトリアは微笑み、隣で同じように鏡を覗き込んでいたナディアに声をかけた。

「あら、褒めてもらって嬉しいわ。じゃあ家庭教師の職が駄目になったら次は美容師になろうかしら?」

 人間社会で暮らすにはお金が必要で、ナディアはこの街に移り住んでからは就学前の子供に読み書きや算術を教える仕事に就いていた。

 本当は教師になってみたかったそうだが、学校は公的な機関であり身分の証明が難しく、今は家庭教師を斡旋する小さな会社に席を置いている。
 仕事は歩合制だが運良くこの街の裕福な家の姉妹に気に入られて、その子たち専属で勉強を教えているそうだ。

 ナディアは里では人間の世話、言ってしまえば人間たちが逃げ出さないように見張るのが仕事だった。

 獣人は文字が読めない者が多かったので、昔から里に連れて来られた人間たちは手紙の回し読みなどで結託し、逃走や時には反乱まで起こすことがあった。それを防ぐために人間の世話係は文字を読めることが望ましいとされていた。

 ヴィクトリアは里にいた頃図書棟でよくナディアと遭遇したし、彼女が仲良くなったらしき人間から読み書きを教わっている場面を見かけたことがある。

 ナディアは里では珍しく読み書きの出来る獣人だった。それが幸いして人間社会でも仕事に就くことができたらしい。 

「平穏に暮らしていきたいけど、銃騎士隊に正体を気付かれたら仕事も住む所も何もかもを捨てて逃げなきゃいけないからね。

 教師になれないってわかった時は悔しかったけど、でも今思えばこの現状が最善なのかもしれないって思うわ……

 生活していく上で関わり合いになる相手が少なければ、獣人だとバレてしまう危険性も下がるしね」

 そう語るナディアの顔は少し悔しそうで、これでよかったと言いながらも心から満足しているわけではなさそうだった。

 ナディアは現在「アイリーン・スチュアート」と偽名を使って生活していた。本当の自分を偽らなければ生きていけない。獣人であることを隠して人間社会で生きるのはなかなかに困難であるようだった。

「姉様、ここでしばらく一緒に暮らさない?」

 床に落ちている髪の毛を箒で掃き集めながら、ナディアがそんなことを言ってくる。

「え、でも……」

 対するヴィクトリアはやや戸惑いながら口籠ってしまった。ヴィクトリアはレインと番になるためにこの街に戻って来たのだ。ナディアと再会できたこと自体は彼女の無事を確認できて良かったと思っているが、ここに長く留まるつもりはない。

「姉様があの男が好きなのはわかってるわ。でも、昨日里で色んな目に遭ったばかりでしょ? 心が弱っている時に人生の重大な決断はすべきではないわ。きちんと休んで心身の状態を整えて、その上でこれからの将来についてもう一度よく考えてほしいの。

 いいのよ。落ち着いた状態で考えてそれでもやっぱりあの銃騎士と一緒になりたいって言うなら、私は止めない。私は絶対にやめたほうがいいと思うけど、止める権利なんてないもの。姉様の人生だから。

 私は駄目だったけど、姉様が私と同じ道を辿るとは限らない。案外上手くいって幸せになれるかもしれない。

 私が心配なのは、後からやっぱり違う、失敗したなって思っても、一度番になってしまったら引き返せないってこと。

 後悔してほしくないの。誰かに後ろ指さされるような人生だとしても、自分で考え抜いて選び取った道なら、胸張って生きていきていけるはずよ。

 姉様に今一番必要なのはあの男じゃなくて、落ち着いて考える時間ね」

 ナディアは『番の呪い』にかかったままのヴィクトリアが選ぶのは、たとえ奴隷に身を落としても最終的にはレインなのだろうとわかっていて、そう言ってくれているのかもしれないと思った。

(後悔しないように、本当にそれでいいのか今ちゃんと考えておく――)

「そうね…… 確かに、レインと一緒になるためには必要なことかもしれないわ……」

 何かを考えるようにしていたヴィクトリアが、ふと窓の外に目をやる。

 窓辺に寄って窓の外を眺めていたヴィクトリアの足元に、突如としてポタポタと水滴が落ちた。





******





 ナディアは最初掃除道具を片付けるべくキッチンがある部屋に行っていて、ヴィクトリアの様子がおかしいことに気付いていなかった。

 ナディアが部屋に戻ってくれば背を向けたヴィクトリアがなぜか小刻みに身体を震わせている。

「……姉様?」

 ナディアは訝しく思いながらこちらに背を向けているヴィクトリアに近付く。ヴィクトリアは窓の外を見ながら泣いていた。心の底から嬉しそうな笑みを浮かべながら。

 ヴィクトリアの視線の先を追ったナディアは驚愕して腰を抜かしそうになった。

 ナディアのいる集合住宅は三階。窓の下の街道の向こうから、銃騎士隊の集団が歩いてくる。

 藍色の隊服を着た正規の銃騎士隊員の他に、意匠は同じだが色違いで黒い隊服に身を包んだ訓練学校の生徒も含まれていた。
 訓練生は正式にはまだ銃騎士隊員ではないが、頭数だけで言えば二十人くらいはいる。

 銃騎士隊を見たナディアの顔が恐怖で強張っていることに、ヴィクトリアは気付かない。





******





 ヴィクトリアの視線も意識も、その中の一人の人物に釘付けになっていた。

 集団の先頭にいる黒髪黒眼のその男に。

「レイン……」

 窓が閉まっている状態でも一早く気付けたのは、ヴィクトリアにとってはレインが番だからだ。番への敏感すぎる嗅覚のせいだ。

 二人は熱い視線で見つめ合っていた。それは完全に二人の世界だった。共に惹かれ合っていてお互いを求めてやまないことを、視線を交わしただけで確認し合ってしまった。

 ヴィクトリアは愛しい番と再会できたことに歓喜し涙を流した。
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